2012年8月21日火曜日

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わたしは2006年のわたしがわたしの中で最高でゆるぎなくて絶対に勝てない存在だと思ってたんだけど、今日改めて見返してみたら、全て拙くて、全然揺り動かされることもなくて、なんだか少しがっかりして、安心した。メタで書かれたそれらの文章は如実にミクロで、全然ぴんとこない。「ややこしくわずらわしい人間関係を切り捨ててしまえる人は、それを描いた小説に共感できない。心の機微や繊細な感情に唾棄する人は、そういう登場人物に感情移入できない。」昔の自分の書いたもの、今のわたしに全然響かない。よいことだな、って一瞬思ったけど、今日読んだ小説の主人公に全く感情移入できなかったことを思い出して若干不安になった。きらいなひとと一緒にいなきゃいけない状況、すきなひとにすきって言っちゃいけない状況、くだらないひとのこと好きになっちゃう状況、そういうものに対して「あーあるある~」って言えないと、というか、言えたほうが、いろいろなものが楽しい気がする。

完璧にストレスフリーな暮らしをしていると何にも生まれないわたしの場合、吐いた挙句死ぬか、吐かないで生きるかで後者を選んだ挙句死んだように生きているのだけど、吐き気も頭痛もない全くの健康体で「ああなんとなく吐きたいな」って思って喉に指突っ込んでも胃液かせいぜいさっき食べたご飯くらいしか出てこなくて、それが、これです。




最近すごく日記が多い、下らない文章だな。







例えば毎日ご飯を食べる、食べるならおいしいものがいい、あれ食べておいしかったからまた食べたい、あそこのお店いつもおいしいもの出すから新メニュー食べたい。そう思ってはたと気づく、「わたしそれらを食べて、おおきくなって、なにになるの?」アウトプットをしなくても形成されるものはあるし、それらのおいしいものは、アウトプットされるために作られているわけじゃない。でもわたしは、何かを摂取する際は、なにかを排泄しなきゃって思うし、そんなおいしいものを食べてなにも排泄できないのであれば、じゃあ最初から何も食べるべきではない、と思ってしまう。





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downy以外で文章を書くときや本を読むときにおすすめの音楽があったらおしえてください。できれば日本語じゃないやつ。外国語かインストがよいです。





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わたしお酒あんまりすきじゃないんだけど、夏だしせっかくだしと思ってビールのんでる。
ビールそのまんまだと苦くておえとなるから今までレモントニックで割ってたんだけど、冷蔵庫にレモントニックなくて、マンゴージュースがあったから割ってみたら、すごくおいしい。
あまいおさけ、かんかんのやつ、はあんまりすきじゃないけど、ビールはあまくしないとのめない。
レモントニックがビールにもウイスキーにも合って最強だと思ってたんだけど、マンゴージュースもすばらしいです。


こないだ高尾山いったらビールのむところ(ど忘れした、ビール園じゃなくて、なんていうんだっけ、野外でビールのむとこ)があって、昼間からワイワイとにぎやかであった。ビールあんまりすきじゃないけど外でひととのむビールはおいしいので、あんまり寒くならないうちに、だれかビールを飲みましょう。





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 やりたいことが複数あったとして、たとえば水泳と柔道とバレーボール極めたいとして、寝ないで食べないで24時間を3で割ってそれぞれに8時間費やしたとしても、ひとつに24時間費やしている人には叶わないんだよね。じゃあどうしようか。
















よしこレモンちゃんフルーツ牛乳


こういうかみかざりがあったら手軽によしこレモンできる
へたくそでもどんどん絵を描いていこう週間 週間っていうか 年間

2012年8月18日土曜日

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たとえば戦争の話や父母祖父母が若かったときの話、離れていると「聞けばよかった」って思うけど、相対すると、過去を聞くことでその人と決別するような気持ちになるので、どうしても聞けない。

わたしの知らない若い頃の彼らや、わたしが存在しない時分の彼ら、わたしが忘れてしまったわたしの小さい頃の話は、彼らが生きているうちに彼らに聞かなければ永遠にわたしの中からは失われる、そして失われてしまったあと、わたしは絶対「あーあ」って思う。思うけど、まだ生きている彼らと、過去の思い出にまみれるのにどうしても抵抗がある。「さよなら」と言うことにより決別してしまうような、そういうひねくれた気持ち。でもそれをわたしはどうしようもなく持て余すから、今日も目の前のごはんや、午後の予定や、さっき見た夢の話をする。数日じゃない未来の話もわたしにはつらい、未来の約束をすると、その約束の期日まで再び別れることを宣誓するようでつらい。数日じゃない未来の話は、口にするたび砂になってこぼれて、口にしたものからかなわないことが決定してゆく気がする。未来の約束を口にするのは、砂上の楼閣を作る行為、堅牢を幻にする行為。だからわたし、過去の話も、未来の話も、多分一緒に死ねないであろう、大切な人とはしたくない。


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それを「才能」と呼ぶとただただ努力を怠っているだけのように思えるのでなんと呼ぼう。
ぼくが徹底的に持ち得ないそれ、才能、技術、実力、どれもぴんとこないけど、
とにかくぼくにはそれがない。

学校の勉強が苦痛だと思ったことない、教科書があって答えがあって、教えてくれる先生がいて学校があって、段階を踏んで難しくなっていって、教科書にハウツーが書いてある。そこで優等生であったぶん、自分で「どっちに進んだらいいか」決めなきゃいけない状況に弱い。 「できない状態」でいることがしんどくてしかたないから、努力ができない、のびない、すぐ折れる。たとえ才能がなくったって、努力だけでたどり着ける境地はあるし、別にぼくが目指しているのは世界で一番のなにかではなく、些細な自己満足ができる程度のものなのだから、じゃあせめてその身の丈にあった目標を叶えるためにほんの少しの間、できない自分を真正面から受け止め歯を食いしばり努力をしましょうねっていう話なんだけど、すぐ折れる。だから今日も目をそむけているのですが、そむけ切ることもできずまたチラッチラッと未練がましくそれを見つめてしまうので、何がいいたいかというと、学校的なものに行きたい。モチベーションと、効率と、精神状態のために。


器用貧乏はただの貧乏であるよ。



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世の中にはすばらしい技術(才能/実力/技量/エトセトラ)を持った人がたくさんいる。そういうの食べて暮らしているのだけど、作った人に感想ってうまくいえなくて、「すごい」「いい」って、そんな語彙の感想になってしまって申し訳なくて、だからいつも黙ってるんだけど、もしくはここに書きなぐるんだけど、ここに吐くときは咀嚼して反芻して吐き出したものだから、具体的記述やそれに言及するものってなにもなくて、すごく、メタになる。だから結果わたしは、人様の作ったものに対して、それを作った人に感想ってどうしてもうまくいえなくて、うまくいえないのと、うまくいえなくてもうしわけないのと、恥ずかしいのと、なんやかんやで、うまくいえないんだけど、例えばわたしが、「あのブログよんでるときもちがわるくなる」って一言かかれてたときすっごくうれしかったから、つたなくても言ったほうがいいのだろうか。根本に、「つくったひと」と「つくられたもの」は別個だって考えがあるから、どうしても作り手にその感想を述べてはいけないって言うか、多分これは、いろんなものの裏方をしてたときのなごりというか、「素敵なものを作った、(いわゆる僕が)ファンのひとといっしょに仕事をする際に、スタッフにファンがいたら仕事できないだろ、同じ側に立って仕事しなきゃいけないんだからファンの気持ちを人に対して持つな」って(すごくはしょって言えば)ところから来てるんだと思う、けど、うーん、うーん、って思ったりいまさらする。 人に対して「ファンです!」「あなたのつくったものすごくすきです!」って言うのって、さまざまな要因から、避けたほうがいいんじゃないかっていう考えが染み付いていて離れないんだけど、最近、うーん、うーん、って思う。どうなんですかね。人によるんだろうけど、むつかしいな。



(恋愛とかじゃなくて)わたしなんかにすきって言われたら迷惑だよな気持ち悪いよな、というかわたしが「好き」って口にすること自体犯罪行為ではないかって思っている部分があるのでむつかしい。「好き」って言うだけで「うわぁ気持ち悪い死ね!」って言われてしかるべきなんじゃないかって思ってる部分ある、だから言わないんだけど、でも自分は言われたらうれしいし思ってたら言ってほしいし、じゃあもしかしたら自分以外にもそういう人いるんじゃないかな?ってちょっと思ってる。むつかしい。



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ここまで読み返して、一時期、ロッキンオンみたいなレポート練習してたの思い出した。
結局感動よりも文章のひねりに気をとられてしまって、文章を書いてる自分を俯瞰で見たら受けた熱を伝えるのじゃなく受けた熱が冷めたものをレンジでチンしてるような気持ちになって、そもそもロッキンオンみたいなレポート、「かっけー」とは思うもののそれに感動することは僕はなかったやって気づいてやめたんだった。 ってこと思い出した。



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すごく日記らしい日記を書いた。垂れ流してる感じが。
明日は歯医者ですよ。







 

2012年8月16日木曜日

20120815-00

300円払って、思い出を捨てた。





300円払って思い出を捨てた。厳密に言うと「思い出の詰まった物体」である。僕の住むこの市では300円払うと行政がそれを引き取って行ってくれる、例えそれにどんなに幸せな過去や、あるはずだった未来や、後悔や、遺恨や、そんなものが詰まっていたとしても、その質量であれば、300円で処分をしてくれる。すばらしい、ありがたい、感謝しよう。もう誰も座らなくなった椅子、口をつけられない食器、聴かれないうた。たいていのものは指定のビニール袋に入れ、木曜の朝に所定の場所へ出しておくと持って行ってくれる、大きなものはインターネットから市役所のHPにアクセスし、それを手放す日を選択、最寄のコンビニエンスで「XXX円分のシールを下さい」と言いそれを購入、思い出の詰まった爛れた物体にシールを貼り、指定日に所定の場所へ放置。あなたが仕事へ行っている間、もしくは昼寝をしている間、に、誰かがどこかへ持って行ってくれる。すばらしいサービス、お金があれば思い出だって捨てられる。何が言いたいかというと、お金ってだいじですよねってこと。






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気づいたら12じすぎてたのでちょっと引いてる。なにそれこわい。まいにち21じにねたい。
だれかわたしのあしたのおべんとう作っておいてください。

2012年8月14日火曜日

20120811-14-00

田舎から都会に、都会から田舎に飛行機で飛んで移動すると自分がどこにいるかわからなくなる。
さっきまでわたし国道沿いのホームセンターでドッグフード見てた、今雲の上からスカイツリー見てる、30分後満員電車で大荷物を雛のように抱える。今どこにいるかわからなくなる、今わたしここにいるよねって認識した次の瞬間もう移動してる、だからわたしはほっぺたつねり続ける、あっ痛い今本当、あっでももう今はさっき、痛い、本当、過ぎた、認識しなきゃ、今本当、 今って今、今、いま!





時間にあらがえたこと一度もない、しんどくても楽しくても過ぎるの知ってる、だからわたし遠足の前日で死にたいとずっと思ってる。永遠にこない未来を待ち続けたまま水の底に沈みたい、楽しみを楽しみにしたままそれを味わい尽くすことなく沈みたい。



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腕枕してもらって「(腕)いたくない?」ってきいたら「え、いいの?」って言われてちんこゴソゴソ出された。「彼氏じゃないといや」っていったらにっこり笑って黙られた、入れずに達した、夢の中でも男の人は正直だ。
ぼくはそれに、ひどく好感を覚える。


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未来の話あんまりせんでほしい、今この瞬間がその未来と断絶されるのが印象付けられるから約束もしんといてほしい。 改めて目を見つめたりしんでほしい、君とぼく、今日とあした、こことそこの境目を、はっきりつけるのやめといてほしい。すきとかだいじとかいっしょにいたいとか、わざわざ口にしんといてほしい、そんなのわかってるし、それを告げることによって、それが永遠にかない続けるのが無理だということがはっきりわかるから黙っといてほしい。改めて口にしなくたってぼくわかってるよ、君はぼくにあらためて口にしてほしいの、それだったらいくらでもしてあげる、だからぼくにはそんなこと、改めて言わなくていいよ。





きみが「すき」だというぼくは昔のぼくだ、昔のって言っても何年も前じゃないよ、数ヶ月前、数週間前、数日前、数時間前のぼくだ。今この瞬間のぼくはなにもうみだしてないし、数分前のぼくともまた違う。あんまり人に嫉妬しないかわりに、僕は過去の自分によく殺されそうになる、完璧なる比較対象であるところの昔のぼく、それと比べて今の僕は、なんと矮小たる存在か。



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冷静に考えて、すごく醜いなと思うこと多々ある。わざと声を作って口に出してブツブツ呟きながら、ああでもこれが本当の本当だものなあって思って、だとすれば人や世の中やそういうものにさらしているわたしは本当にわたしではなくて、でもそういうわたしでいる時間のほうが今のわたしでいる時間よりもよっぽど長くって、でもだとしたらどっちが本当だといえるのか、ああこうやって気持ち悪いこと呟いているわたしは本当に醜いな気持ちが悪いな、でも呟かずにはいられない、声に出さずにはいられない、声に出して、自分の気持ち悪さをまじまじ観察してにおいをかいで、そうせずにはいられない。すごく醜い、わたしすごく醜い、醜い。










聡く恐ろしい人達にのうみそと心臓を手厚く保護されそれ以外の部分を嬲られる、四肢が壊死し生命に関わる寸前でそれらを切り落とす、意識が飛ぶほどの過度な苦痛は鎮痛剤でカバー、痛みを最大限に、正確に、より最大限に。「そんなことされませんように」ってのは現実問題、ものすごく高望みだったりするけど、だからこそわたしはそれを望む。どうか僕の肉体が、僕の意思に反するところで、誰かに蹂躙されることがありませんように。



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「ねむる」という行動がひどく億劫だから時間がきたらだれかわたしに麻酔銃打ってほしい。お布団にもぐりこみ目をつむる、その行動がひどく億劫、すごくたいへん。夢も見なくていいしある程度強い麻酔銃でも朝ぱっと起きる、だからだれかわたしに麻酔銃。ズガン、パタン、スヤスヤ。「ねむる」という行為、それ自体はとてもすばらしいし大好きな行為なのだけど、眠りにいくというか、眠りにかかるというか、とにかく「ねむる」という行為をしようとするという行為はひどくおそろしい。どうしても非生産的に感じる。できればしたくない、寝たい、寝たいけど、寝ようとしたくない。意識のあるときに「寝」ている状態に向かうという行為をしたくない、億劫、億劫というのは正しい表現だろうか、起きる→寝る、この矢印の部分に当たる行為を、とにかくしたくないんだよ。





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やきにくたべて、納骨堂で迷子になって、おはかでカラスたくさん見て、 こどもとあそんで、いぬとあそんで、いぬのさんぽして、ねこをなでて、帰ってきた。青い池に行ったんだけど、増水しててただのにごった沼みたいになってた。スーパーいったらめんめ売ってた、あれオエとなるからこわい。オレンジとチョコのケーキと、ほっけと、さんまと、カレーと、ピザと、チョコケーキと、あとなんかたくさんたべた。コーラものんだ。老朽化した防風林がどんどん切られていって、ちいさな木がちょこんと植えてあった。しらないトラクターがどんどんふえていく、古いのとくらべるととてもおおきい。実家にいたときの記憶ないから、わたしの部屋がわたしの部屋じゃないのにはもう慣れた。実家にいたときの記憶ないけど、深夜みんなが寝静まった後、一番おおきい車庫で大声で歌ったのは覚えてる。遺影がぽつぽつ増えて、集まる親戚がどんどん少なくなる。小学校の頃立て直した家はどんどん古くなり、祖父母が住んでた離れは廃墟のようだ。7人で住んでいた家には今2人しか住んでいない、だだっ広い、古くなりつつある家を、母が毎日二時間かけて掃除する。古いものは古いままで、手入れがきちんとされているようすは、なんとあらわしたらよいのだろう。


わたしが5歳の頃の、母の育児日記をコッソリ見た。数か月分しか書かれていなくてすこし笑った。わたしが5歳の頃、近所の人が自殺をしたらしい、「(わたし)はしんじゃだめだよ」って母が言い、わたしがなにか答えたらしい。そんなこと、記憶に全くなかったけれど、じゃあわたしが死んだとき母は、そのことを思い出したりしたのだろうか。わたしが死んだとき母は、どんな顔をしていただろう。わたしは死ぬのに忙しかったから、母の顔も父の顔も、全然覚えていない。泣いていたかも怒っていたかも、なにもかも全く覚えていない。死ぬときってなかなか忙しい、忙しいわけじゃないんだろうけど、なにもかも面倒くさかったから、周りの人の声が全部、春の日の朝の目覚まし時計のようだった、「ああうんわかったわかった、わかったからちょっと静かにしていて、わたしもうちょっとねていたい」。







離れて暮らす子供が死んで、悲しいものか。











わたしはとても傲慢だから、「わたしがいきているだけでいいのだろう」と思っている。でもきっとそれは真実だし、わたしにとって、君もそうだ。







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わたしから腐臭がする。




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22時、あとちょっとで23時。
23時だと早いし、0時になるといっきに遅い。
だからだれか、うまいこところあいを見計らって、わたしに麻酔銃を。







2012年8月9日木曜日

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好きなひとの好きなひと、みごとに好きなひとと趣味がいっしょで涙よりさきに拍手がでてきた。
フィッシュマンズがすきで、ロードバイクがすきで、登山がすきで、雑貨屋さんがすきで、Tシャツがすき。あっぱれである。



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かわいいは正義だし、だからわたしはかわいい女の子がとてもこわい。かわいい女の子が白と言えば白だし、黒と言えば黒なのだ。生まれながらにして勝ち負けは決まってしまっている、いくら否定しようとその絶対的な価値は揺るがない。整形技術は日に日に発達しているけれども、整形したくらいではかわいい女の子にはなれないのです、お化粧やお洋服が「映える」のが元がいい女の子に限るように、整形技術だってある程度の元がないと、「映え」ないのです。

かわいさが金銭で表示されるようなおしごとの裏方をしているとき、それに失敗したおんなのこをみた。人はいろんなものを売る、技術、時間、そして肉体。それはもしかしたら成功だったのかもしれない、ただ市場価値を相対的に判断した場合に、価値が低いと評されただけだ。
汗水たらして稼いだお金を、つぎ込むならば見目麗しいものに。わたしだってそう、だれだってそう。ほめられるのもなじられるのも、かわいい人にされたほうがうれしい。彼女のそのかわいいらしい唇から零れる毒が僕の表皮を汚く焼いても、それは彼女には罪がない。強いものが正義、かわいいものが正義、かわいいは、正義。



おんなのこは、おそろしくて、かわいくて、おそろしい。



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人は何かに所属するのが好きなのだな、と思う。クラス、部活、サークル、学校、友達と作ったグループ、アーティスト軍団、チームXX。「チームXXの○○です」と名乗るとき、少し誇らしげに見えるのは多分見間違いじゃない。自分にはこういう仲間がいるというささやかな誇示、誇らしげな表情、適度な身内感と上昇志向、他グループとの交流により広がるクラスタ。うらやましいなと思うときもある、多々ある、でもいざ、「XXの一員だよね?」って紹介されるような場面になると、僕はいつも逃げてしまう。
何かに属することの安心感や連帯感や寂しくなさやメリットを、僕は一人でいることの自由さと、どうしても比べてしまう。誰ともかかわりたくないしこの世から消えてしまいたい、そういう発作が自分に不定期に起こることを知っているし、それが不治であることも承知している、そうなったときに、軽蔑されない/迷惑をかけない自衛でもあるし、そうじゃない部分で、強制されるさまざまなことを夢想してしまって、いつも、思わず逃げる。




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尊敬できる誰かに、もしくは説得力のある誰かに、痛いところを指摘されて説き伏せられたい欲は継続中です。ふるってご応募ください。結構本気で待っています。




2012年8月4日土曜日

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「K-POPグループの見分けがつかない」→「AKBのメンバーの見分けがつかない」→「ヨルムンガンドのOPもしかして浜崎あゆみ…?」←イマココ

着実に老化の一途を辿っているが僕はここである可能性に気づいた。だんだんと他者と他者の区別がつかなくなって、どんどんつかなくなって、そうしたら博愛にたどり着くのではないか。自分以外の他者に等しく無関心になって、でもそれは等しく愛するということだ。
特別な人はいるか、いる、それはひとりか、ひとりではない、少数か、少数でもない気がする。
みんな等しく大切で特別、なんてへいわなことだろう。
裏を返したり、裏を返してみたり、裏を返して見てみたりは、しないでもわかってるから、しないよ。


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すごく絶望的なゆめをみた。

内容は覚えていないけど、絶望的な空気はまだ残ったままで目が覚めた。
例えば夢に毎回、知らない黒髪の白ワンピの女性、いかにも「お化けッ!」って感じの女性が現れて呪い殺そうと近づいてくるのと、夢に毎回、数年前の知り合いが現れポツリと冷たい一言を残して去っていくの、どっちが絶望的かというと、後者だ。あの子がいなくなってもうX年になるのにまだ夢に出る、そんなに僕の潜在意識にあの子がこびりついているのか、まさかまだ彼女の帰りを待っているのか、日常生活を送る上でめったに思い出すことすらないのに、こうして夢に出てくるということは、僕の意識と僕が認識している僕の意識には大きな齟齬があるのではないか。不安になる。
絶望的な夢を見たとき、たとえば熊に惨殺されたり、ハートショットのちヘッドショットされたり、腕のみで前進してくる女の人に追いかけられたりであれば、僕はなぜ自分がそんな夢を見たのか、比較的正しく認識できる。でも例えばすでに忘れているはずの、強がりではなく、日常思い出すことのない人の夢を定期的に見ると、僕は僕の意識を疑ってしまう。一度や二度であれば、ああ、今日の僕の行動や見聞きしたものの何かがトリガーになって無意識で関連付けて思い出してしまっていたのだなと思う、でもそうじゃない場合。僕は彼女のことをすでに路傍の石にした、そうなるまでは多大な痛みと年月を必要としたがそのおかげで今は努力しなくても、彼女は路傍の石だ。だのに押し込めたものがボコボコ噴出するようにこうして夢を見て、絶望的な気分で起きる。もし本当にそれがまだ息をしているなら、表面のなだらかな皮膚を切開し、中をかき回し、またそれと向き合わないと、内側から死ぬ。でもその切開作業はかなりの大仕事なので、これがもし只の勘違いでやっぱり彼女がもうそこで息をしていないなら、このままにしておきたい。そう思っているから僕は今日も、つるつるした滑らかな表皮を確かめるように撫でる、内側からの熱や振動は感じない、ほらやっぱりそれはもうそこにない、でもだったらあれはなんだ、いったい、なんだ。



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お休みの日寝坊をすると一日ぱーになる、頑張って朝無理やり出かけたほうが有意義、だから歯医者の予約を午前中にしたのにねぼうしました。これでは夕方の診察の時間まで、お昼寝も、飲酒も、お出かけも、なにもできない。こまった。

 

2012年8月3日金曜日

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例えば1つしかないものよりも、100個あるもののほうが、ひとつひとつの重要さは薄れる。
※ただしもちろん、100個の中の、とっておきの1個、というものはある。


年をとると、もしくは数をこなすと、一つのセックスの重要さってのは薄れる。

好きでもない、よく分からない人とセックスをするのはリスクの面から考えて嫌だけど、そうじゃないなら別にあんまりセックスは特別なものじゃない。生殖のためじゃないセックスは、ぜんぜん特別じゃない。


(セックスがなんともなくなるという話)

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どうにもこうにも空腹で、どうしようかなって思ってかばんを漁ったら抹茶キャラメルが2個入ってた。こういうことがあるから、僕は僕のことを嫌いになれない。

かばんのなかに抹茶キャラメルやパーカーのポッケに500円玉、そういうものをこっそりしこんでおく人のことを、どうして嫌いになれようか。絶妙なタイミングで発掘されるリップクリーム、アメピン、イブ2錠。すばらしいチョイスにひとりうなる。でも今日は抹茶キャラメル、一個しか食べませんでした。未来の自分のために。


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マンゴージュースセールしてたから買ってきた。
茶色いおさけを入れて飲むよ。


2012年8月1日水曜日

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マキちゃんと話してると、すごく不思議な気分になる。マキちゃんは近所の幼馴染だけど、いまは別々の学校へ行っている。マキちゃんは寂しがりやでほれっぽくて、だからよくわたしに恋愛相談をする。同じクラスに好きな男の子ができただの、そうかと思えば部活の先輩が気になるだの。わたしはその一つ一つに耳を傾け相槌を打ち、的確なアドバイスをしながら、こっそりマキちゃんの顔を盗み見る。マキちゃんの恋愛はたいていが片思いで、マキちゃんが好きになる男の子はたいてい、わたしにはくだらなく映る。でもわたしが不思議な気分になるのはマキちゃんの男の子の趣味に対してじゃなくて、マキちゃんが、かわいくないのに、恋愛をする、ということに対して。

マキちゃんの恋愛はたいてい片思いだけど、ときどき両思いにだってなる。つまりはキスだってするし、セックスだってするのだ。他の友達とそういう話をするときは、まさに「恋バナ!」ってテンションでぐだぐだしゃべれるのに、マキちゃんの相談に乗るときにだけ、わたしは、恋愛について話し合うわたしとマキちゃんを、遠くからぼんやり眺めているような気分になる。こんなにかわいくないマキちゃんでも恋愛をして、それが実って、異性と付き合って、キスをしてセックスするんだ。不思議。だしかにマキちゃんは性格がかわいらしい、かわいらしいけど、すごく、かわいくない。恋愛が美人の特権だなんて思ってない、だって世の中のたいていの人はそうじゃない、わたしだってそうじゃない。でもそういう、「ふつうのこ」とは、なんとなくマキちゃんは、ちがう。だからわたしはマキちゃんから恋愛相談を受けるたび、クラスのマドンナは一人しかいないのに、大人になると大部分の人が結婚して子供を生む、その数字の不思議を思い知る。マキちゃんのことをきらいとか、ばかにしているとか、そういうことじゃなくて、ただただ純粋に感動するのだ。

クラスのマドンナにはなれなくても、かわいいともてはやされなくても、どこでかどうにかして、人は恋愛をして、セックスができる。


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マルドゥク・スクランブルを読みました。すごくおもしろかった。秋の映画は絶対見に行きたい、そしてそれまでにヴェロシティとフラグメンツもよんで、燃焼と圧縮の映画も見たい。


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小説に出てくるちょっとダメな主人公に自分を重ね合わせたときに、その主人公の突出した才能、人間性、そのおかげで構築されてゆく豊かな人間関係、そういうものまで自分と重ね合わせて軌跡を期待するような、そんな真似だけはするまいと、それだけ心して本を読んでる。


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僕は何かに強制されて、苦痛な環境・嫌いな人・したくないこと、そういうものに慣れたりしたりなじんだりする努力をするべきなのかなって思うことが多々あるけど、納得できるような「強制されるような人や力」が今のところ見出せないからそれをしないで生きている。でもたとえばこれが、あと数年で死ぬのであればよい、でも多分あと数年で死ねない算段のほうが高い、それならこんな極楽のような場所にいると、どんどん放漫になっていくんじゃないかとか、なにかがスカスカになっていくんじゃないかとか、少し心配になる。でもそんな不安を抱いたってやっぱり、その不安程度じゃ、「いやなことをあえてやる」理由として納得できなくて、やっぱり一番自分の心の平穏を優先してしまう。
なんかこのかんじ、子供が小さな頃大病をしてしまって一命を取り留めたのだけど、それがトラウマとなり部活動や習い事友達づきあい、ジャンクな食べ物、そういうものを一切禁止する過保護なママのようだなって今ふとおもった。





最近気づいたら水曜だし、週末だし、8月になってる。
だれかに耳元でまいにち、カウントダウンをしてほしい。
なにへのカウントダウンかはおまかせします。センスで。





じぶんメモ:7がつ本まとめ

すごくちょこっとしかよめなかった。何でだろうと思ったけど多分ゲームのせい。
7月はトーキョージャングルとf/nをやっていました。
トーキョージャングルは肉食系終わってしまって、草食やる気が出なくて途中で止まっている。
ストーリーも14まできたけど最後の最後でやる気を失った。
f/sは買って3日くらいでセイバールートやりこんだけど、凜ちゃんで今とまってる。

7月、マルドゥックが読めてすごくよかったです。
映画みにいきたい。それまでに燃焼圧縮も見たい。

2012年7月24日火曜日

2012年7月22日日曜日

2012年7月21日土曜日

じぶんメモ:6がつ本まとめ

6月ぜんぜんまとめてなかった。
今月はまだ8冊しか読んでいなくて(多分ゲームのせい)、今月が終わる前に
6月まとめとく。

2012年7月18日水曜日

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”わたしはわたしの文にいつも打ちのめされる” の一文に、ああそうだよな、と思った。僕にとって、文章を綴る行為は「吐く」ことであり、出来上がった文章はただの吐瀉物だ。食ったものを未消化のまま/半分消化した状態で/体液に塗れて原型をとどめない状態で/元の形状がふんわりとわかる状態で、吐く。吐き気が襲ってきて自然と吐く場合もあれば気持ち悪いから指を突っ込んで無理やり吐く場合もある、吐き気はないけど吐きたい気分だから吐く場合もある。いづれにしても口や胃や喉がダウナーな状態にならない/しないと吐けなくて、気持ち悪い状態の自分が自分は結構好きで、だから毎日元気健康快調、って状態は幸せなのだろうけど、吐いてる自分が恋しくて、わざと指を突っ込んだり、よく、している。




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遠くからの寵愛の対象にはなっても近くには置けないものがあるし、残念ながらほとんどのものが、そうだ。世の中には美しいものがあふれている、いじましい、愛おしい、可愛らしい。憎らしいし腹も立つ、でもそれだって眺めていればひどく滑稽で愛らしい。愛でると所有すると傍に置くは全部違う、


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誰かを模倣したら消える程度の個性だ


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ビギナーズラックに魅せられた彼はキスをしては相場チェック、パンツを脱がしては相場チェック、コンドームつけては相場チェック、フィニッシュ後にも相場チェック。生暖かい目で見守っていたら、ひとつきもしないうちに数百万溶かしてた。


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普遍的な世界への愛は個人を救うか。


婚姻関係は友情は双方の努力があってはじめて成り立つ、


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「君が今薄い愛情を向けている彼、あの子この夏死ぬよ」
今なら看取れる、今なら気持ちをぶつけられる、ただ今まで』彼が終わりかわからないままのうのうと

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君の呪詛ひらがなにしてビックリマークつけたらすごくかわいいよ


 

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きちがいにならないと声を上げられる場所がない、だからあの子はきちがいになった。




世界には君を満足させようと企むやつがたくさんいる。君に居心地のいい、 気持ちのいい、幾許かの満足を与えてそこに留まらせようとするやつがたくさんいる。君の望みは何だ、クラスの人気者か、ミス○○か、知る人ぞ知る存在か。君がそこで満足したとたん世界は伸びるのをやめる、あとはただただ横に広がる。どちらがいいかは個人のお好みで、でも君は最初に、なんて願った?

 本当の敵は微笑んで、優しく君を抱きしめる。



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白い頬を切り裂く尖った冬の空気みたいに張り詰めた気持ちで毎日過ごすのは、しんどい。
知らない人と一緒にいるよりは一人のほうがよっぽどいいけど、温度がないのが、つらい。


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低い位置に生えている果物



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携帯のメモはごみばこのようだな。
くだらないきれはしを羅列するのはこんなにも醜悪なのだな、ということがわかったので、今日の成果とします。だれかおビールを持ってきてください。














2012年7月14日土曜日

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わたしのすきなひとはことごとく、わたしと一緒にいないほうが、しあわせになれるであろうひとばかりだ。

「好きなひとのことを考えて、もし好きなひとがいないなら、アイドルでもなんでもいいから、だれかを」って言われて頭に浮かんだ人はみんな大好きな人だけど、わたしはその人たちと「一緒にしあわせになりたい」とは、どうしても思えなくて。「幸せでいてほしい」とは心から思うけど、「一緒にしあわせになりたい」と思う人はいない。好きなひとのことを本当に好きで大切ならば、自分を殺して一番その人が幸せになれる方法を考えるならば、どうしてもその結論に達する。卑下でもなんでもなく、それは絶対真理で、僕の薄い人生経験から導き出された頼りない、でも僕にとっては絶対の真理。真理だから悲しいとか残念とかなくて、悲しいとか残念とか言われてもピンとこない。

地球はまるいし氷はつめたい、そしてわたしのすきなひとのしあわせは、わたしといっしょにいないこと。



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瓦屋根、縁側、干してある柿。そういう「ザ・日本」的なおうちは教科書の中でしか見たことなかった、初めて目にして感動した。田舎特有の広い道はわたしの地元と同じに見えたけど、田んぼや瓦屋根でああここは本州なのだなと思った。わたしはそのころとても危なっかしい存在だったので、24時間、文字通り24時間、人に監視してもらわないと生きていられなかった。「大丈夫?」ってきかれることは多々あったけど、殴られたことなんてなかったから、自死というものを成し遂げる前に存在を殺される恐怖を覚えて意識が逸れた。狭い6畳一間に3人暮らしであったので、お布団を2組敷いたらもうそれだけでいっぱいで、ご飯はお布団の上で食べた。朝晩入る厳しいチェックのせいで、あぶなっかしい行動ができなくなった。親には「お前はいなかったものと思う」と言われていたし兄弟とも連絡を取っていなかった、だからあのとき僕の家族は間違いなく、あすこで暮らしていた2人きりだった。あの頃の記憶はあぶなっかしかった故に残念ながらあんまりない、結局3人で6畳が狭くなって引越しをして、けんかをして限界がきて、半日で家を決めてCDプレイヤーとCD一枚だけ持って引っ越した記憶が一番最後。お布団も持っていなかったから、固い床で一人で寝た、痛かった。一度、実家につれてってもらった。瓦屋根のおうち、柿が干してあって縁側があった。別れ方が別れ方だったしその頃の記憶もあいまい、そうしてわたしは携帯電話を定期的にトイレに流す。だからもう2人の連絡先がわからなくて、そうしたら地震が来て、ああでも連絡ができなくて、いやでも死んでいるわけはなくて、でももし2人が無事だからってあのおうちは、おばあちゃんは、心配だけど、確かめるすべがない。



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この数年間ぼく思い出を作っていないんです。
だから今までの思い出を反芻して暮らしているんだけど、これを咀嚼しきって消化してしまった瞬間多分死ぬ。 残念ですね。
風化というものは確かにあって、忘れたくなくても忘れてしまう。帰り道かかってきた電話や壁を殴った痛み、ギーギー言う自転車をこいだこと、些細なことは覚えているけどだんだんと白みがかかって消えてしまう。残念ですよ、残念です。

生きながらにして死ぬというのはこういうことだと思う、でもそれ以外にすべを知らない。ビニール袋のなかで必死で残った酸素を吸って吐いて、そんな感じがする。 そしてそのビニール袋をはずそうとかやぶこうとか、思えないのが一番の問題だなってのもわかってる。いっそのこととは思うけどまだ袋には酸素が残っていて、だから惰性で呼吸をする。むなしいとか悲しいとかもし思われたとしても、それがぼくの真理だから、しょうがないんだよ。残念です。




2012年7月12日木曜日

20120711-00

学校、教卓の前に男の子と先生
男の子は裾の長い、民族衣装のような学ランを着ていて色が黒くまだあどけない顔
先生は黒いシスター服のようなものを着ている

男の子は自分の喉に小さなナイフを突きつけている
先生がクラスの皆に向かい命の大切さについて一言二言ありがたい説教を垂れてから男の子のナイフを持つ手をそっと握る
ああ止めてくれるんだとほっとした瞬間、先生は男の子の手に手を添えそのナイフで男の子の喉をギコギコなぞる
スパッと切れたわけではないので『あれはナイフなのか?それともバターナイフのようなものなのか?』と混乱している間にも男の子の喉にナイフでなぞられた赤い線がついてゆき、そしてプツっと音がするようにその線上に2、3の赤い玉が浮かぶ
それでも容赦なく先生はナイフを引き続ける
男の子ののどは鮮やかな赤、そして所々に浮かぶ鈍い色の赤い玉
先生はその間もありがたいお説教をやめない 命の大切さについて そしてどうやら先生は、その男の子に子供を殺されているという子とがわかる
ナイフは既に先生の手に握られている 男の子は両手を後ろで組み、涙目で先生を見上げ、しかし声を発しない 発さない

次に先生は男の子の口の左側を裂く
血はあまり出なかった、ナイフは切れ味がやはりあまりいいわけではないようで、肉が半分ちぎられながら切られる様子がズームで浮かぶ
先生もう止めて下さいと見ている生徒が叫び、吐き、また叫ぶ、が、先生は無表情でお説教をしながらそれを続ける
「これはきっと特撮のようなものだ、だって男の子は後ろ手のまま抵抗もせず声も上げない」と自分自身思いこもうとするが裂けた男の子の左頬から小粒でそろった真っ白な歯が見え絶望な気分になる
吐き気がすごいのに吐けないし目もそらせない、ただただ先生の命の大切さについてのお説教だけが聞こえる

2012年6月17日日曜日

20120617-memo

「死にたみ」や「ぜつぼう」に折り合いをつけて上手くやってく術を身につけるの、生きていく上での知恵なのだろうけど賢くなればなるほど鈍くなるようで、辛い。



何かに傷ついたり煩悶したりして「削られ」た後瘡蓋が剥がれ落ちた皮膚は図太いほど厚くなっていてもう大抵のことに血を流したりはしなくなった。白く跡が残る程度に引っかかれることはあったとしても痕にはならない、それは中身を守るという意味では確実に成長であり進化だ、でも果たしてぼくはそれで満足か。しぬか、しなないか、で後者を選んだことは果たして正解か。境界線を歩こうにも成長しすぎてしまった僕はスタっと歩道に着地し舗装された歩道をてくてく歩いているけれどもこれは本当に誇るべきことか。(正しいかはわからないけど危険度の少ない)道をまっすぐ進むことはつまりは安心安全であるということだ、そのことに対して疑問を抱くのはまさに「中二病」ぽくて、あれだな、あれだ。



おさけのせいかわからないけど両腕がものすごくかゆい。


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実家にいてもこいびととくらしていても一人暮らしをしていても、定期的に家出をしたくなる。だから今日はプチ家出をした。夏はすごくきらいなのだけど、夕方になっても夜になっても、明るいのがとても、よい。カッフェーでごはんをたべて小説を読んで、移動してカッフェーでコーヒーを飲んで小説を読みました。ポメラと自由帳を持っていったけど一切使わなかった。わたしのポメラは墓場のようである、多分今は、お正月のなにかしらと、いつぞやのなにかしらが眠っている。今後、「いつぞやのなにかしら」がどんどん埋葬されてゆくんだろうな、って思ってる。


部屋の電気もテレビも消して今モニターの明かりだけだから、自分の腕の色もわからない。でも多分、両腕が気持ち悪い感じになってるんだろうなーって思ってる。おうちで夜一人でお酒を飲むのって、お酒でよっぱらっているせいにしたいからかもしれないって今日気付いた。お酒のまなくてもわたし十分なんだけど、シラフで精神的に泥酔するのはすごく、言い訳ができないから。でも最近、おさけはあまくてもにがくてもおなかいっぱいになるし翌日気持ち悪くなるから、あんまりおうちでひとりで夜のむのはやめたほうがよいなーって悟った。両腕もかゆくなるし。今日ぼくがお酒を飲んだのは、アニメ見てたからです。ほんとうはよいワインを片手にアニメ見たかったんだけどワインあんまり得意じゃないからウイスキーにしただけです。これは酔っ払いたいとかそういうのとまた違うあれ。


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「おんなのこだったらよかったな」って思うことが沢山あるのだけど、これは多分僕が女の子だったら、「おとこのこだったらよかったな」って思うことなのだろうなって思っている。思わせぶりな比喩をとっぱらってすごくあけすけに言うと、「性別がXXだったらよかったな」って思うのは、性別が「XX」なひとと仲良くなりたいとき。同性以外のひとに「すき」って言うのって多少なりとも気を使うけど、そういうのめんどくさいなって思うことが多々ある。異性なせいで警戒心を抱かせてしまうのだろうなって思うとちょっと悲しくなる、でも多分逆だったらそう思うだろうから、しかたがないかなとも、思う。同性だったらたとえば、こう、警戒されたらどうしようとか考えないで、もっと簡単にあそぼうよ!とかいえるのかなあ?って思ったりすることが結構ある。
でももし異性からの「すき」でも、例えば何かのアクションを起こしたり、相手に回答を求めるような問いを投げかけたり、不快になるような言葉を吐いたりとかそういうこと何にもしないでただただ適度に「好き」と告白するという行為はそんなに不快には思われないのではないかな?ってちょっと思った。 ものすごく憎い相手や軽蔑している相手だったら好意を持たれること自体が耐えがたい屈辱だったりすることはあるけれど、そうじゃない、どうでもいいレベルの人だったら、そして別にその人が自分に対して何も求めていないただの告白をしているとしたら、別に不快にはならないのじゃないかなって。どうなのだろうな、でもやっぱり、「相手がぼくだからなぁ」とは思ってしまうけど、どうなんでしょうね。





両腕がかゆいせいと、アニメについて思いを馳せるにはのうみそが足りないせいでものすごくくだらないにっきをかいてしまったけど多分ブログだからなんでもよいきがする。しかしどうにもあまりにも下らない上なんだかわかんないけど現時点でさえ若干はずかしいから、寝て起きて読み返してふわあってなったら消したりすればいいだけのはなしだな。これが深夜のテンションというものか、恐ろしい。



僕が自分のことについてしゃべったり書いたりするときの文末が「~と思う」 ばかりになってしまうのは、多分、いろんなことに自信がないから、と、いろんなものの多様性を思い知らされているから、だと思います。

















2012年6月10日日曜日

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ずっときみのことが好きだった。



「ずっときみのことが好きだった、 穢れた妄想で君を汚すこともなく、君の衣服を脱がせ蹂躙したいと思ったこともない、ただただ君が幸せになってくれればいいと思っていた、僕のいのちさえ惜しくなかった。こうやって一人で君への恋慕を募らせ育て、こんな高尚な気持ちを持っているのは僕ひとりだと思っていたし、今でも思っている。僕の君への愛情は、尊く、美しく、純潔だ。誰にも汚されることはないし、この世で一番強く、純粋だ。君は彼を好きだという、でも君の体を陵辱し汚す人間の愛情のどこが純潔か。肉体的接触がなくとも君をただただ好きでいる、この思いこそが唯一正しい愛情で、それ以外は全て、まやかしの、屑だ。」


君はさ、そんな妄想を抱いていたかもしれないね。でもさ考えてみて、粘膜と粘膜をこすり合わせる作業、一番敏感で弱いトコロを使う行為、それは時には陳腐なものだが心を込めてやればそれに勝る愛の確認方法などないのだよ。朝起きてごはんを食べて活動をして眠る、そういう「生活」と呼ばれる地味なものを共に行うことに、どれだけの価値があるか想像したことはある?君の言う、陳腐な行動で着床し子を成しそれを育てる、生活の下らない些細な行動を共にする、文章化すれば数文字で完了してしまうこれらの行動が、どれだけ重いか君は知っている? 知らないだろう、君が一人で紡いだ僕への「愛」は、君が一人で紡いだものなのだよわかるかな、つまりそれは、君一人のものなんだ。僕が、僕と彼が一緒に紡いでいた「愛」は、僕と彼と、こどもたちのものだ。君のそれと僕らのこれ、どちらが重いかわかるかい?自明じゃないかわかるだろうわからないふりができないほどに分かるだろ?僕らのこれは間違いなく、「愛」と呼ばれるものだよね、君のそれはね、「ひとりよがり」だよ。





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夜景が見たくなった、唐突に。僕が思い浮かべる夜景は豊田か、多摩川か、どこかの海だ。
夜景というとロマンチックなかんじがするけど全然そんなんじゃない、僕の知らないところで知らない人が生活している、それを考えるだけで胸が痛くなる。小学校のときからそうで、大人になった今も、それは全然変わらない。多摩川で、神奈川と東京の県境を眺めて歩きたいなって思って、久々に、イギーポップファンクラブの気持ちになった。
わたしにだって好きな人がいる。でもわたしが好きな人って、わたしが頭の中で再構築したそのひとなんだよ。だから現実のその人が、質量のあるその手でわたしに触れた瞬間に、なにかが崩壊するんだよ。そういうのを望んでるんじゃないのになって悲しくなって、でもああ、わたしが悪いんだなって、どうしようもない気持ちになるんだよ。触れた手の暖かさや重み、それらはとても優しいけれど、その中のなにか、「物質に触れる」以上の感覚を感じ取った瞬間、なんだかやるせない気持ちになるんだ。そうしたらねああ、わたしはたとえ幸せになれないことが分かっていても、一人で捏ね繰り回した「ひとりよがり」を、愛だの恋だのと奉って、ありがたがっていたほうがいいなって、そんな悲しいことを思ったりしてしまうんだよ。




今日はスパークリングワインを買ってしまったので夜更かしします。矢飼先生みたいなひとにうでまくらをしてもらえるなら、もしくはみすずちゃんのようなひとをうでまくらできるなら、ストンと眠りに落ちれるのにね。