2013年8月1日木曜日

じぶんメモ:7がつ本まとめ

漫画おおかった。というかほぼ漫画だった。
人と貸し借りするとたくさんよめてよいです。


2013年7月27日土曜日

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わたしは今蛍光灯が消されパソコンの画面だけがまぶしく光る部屋で一人でウイスキーのソーダ割りを飲みながらヘッドフォンを装着して、さて、と画面に向かっているところだけど、もうだめだと思ったので、さて、とはじめようとした作業を中断してこの日記を書いている(このブログはわたしの日記のようだけどもほとんどすべて何かの感想や妄想や夢で、実は日記を書くということはひどく珍しいことなのだけど、それはわたしだけの話だ)。

いつぞやELIちゃんの展示に行ったときの日記を書いたけれど(これ)、わたしはELIちゃんの絵が、漫画が、文章がとても好きで、ELIちゃんがELIちゃんをいろんなところにおいてきたときも(これらのシリーズ、うまくリンクがはれない)、ochitemashitaタンブラもすごくすきだったのだけど、もうだめだと思ったのでこの日記を書いている。
ELIちゃんのたんぶら(2013/07/27現在であれば、最新のものからズラリと続いているはずだけれど)を見て喉がグッと鳴った。瞬時にわたしは郵便ポストになりたいと思ってしまったけれどそれは多分間違いで、そうじゃなくて、なんて素敵なのだろうと思ったし、ELIちゃんは字が上手でかわいいなって全然関係のないことをぼんやりと思ったりしている。

生きていて、モヤモヤすることや穴のようにぽっかりと自分に空間が空くことがあり、でもそこばかりに注視しているわけもいかないのでわたしはそういうものをなおざりに処理して日々の経済活動に精を出すわけだけれどなおざりに処理されたそれらは存在し続けるわけで、でもそれらを無視して人生を幸せに終えることも可能、でも確かに存在するその穴やモヤモヤを、ELIちゃんの作品はふんわりと埋めてくれる。誰にもわかってもらえない、言葉にもできない、そういうことを、言葉にできないまんまにふわりと包んでくれるような気がする。せかいにわたしは一人ぼっちで、わたしの戦いはわたしのもので、だからひとりきりで戦わなければならないのだけど一人じゃない気がする、一人で戦わなければならないことには代わりはないのに一人じゃない気がしてしまう。

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わたしは最近「人生の主役とは」と考えていて、人はそれぞれの人生において主役というのはきれいごとで、絶対そんなことはないと思っている。誰かの人生の端役や裏方として全うする人生というものも確かにあって、逆張りみたいにその人にスポットライトを当てればその人が主役になるのかもしれないけれど性質として間違いなくそれは主役じゃないしとか、そういうこと。自分自身について考えたときに、もしかしたらわたしはそれになるのかなと思っていて、でも何が自分の幸いかと考えたときに、例えば、だいすきなひとやだいすきなともだちにものすごく愛されてかわいがられたとしても、自分がからっぽだとしたら、わたしは絶対不幸せだと思った。わたしを救えるのは自分だけで、つまりはそういうことだと思った。わたしの悪いところは、すぐにスーパーマンになりたいと思うことで、例えば誰かの裏方にもなりたいし自分のことも頑張りたければ二人分の働きをすればいいと単純に思ってしまい、その上自分にはそれが(精神力によって)可能だと思い込んでしまうことで、自分への過信でつぶれてしまいそうになることもあるのだけれど何度検討してもそういう結論に達する。

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例えば他人に「君は今どう思っているの?」と聞いたとして、その答えがAであってもBであっても疑うのは容易く、それならば真実は自分の中にしかないのだ、と最近とみに思うようになった。相手がAというならAである、それ以上のことはわからないし、もし相手が本当はBであるのにAだと答えたならばそれこそが相手の答えであり、つまりはすべて自分自身が納得できるかどうかだ。そもそも他人に何か答えを求めるということからして間違っていて、本当はそれは自分で読み取らなければならないもの、わたしが欲している答えはたいていそういう性質のもので、だから知らない誰かや知っている親しい人に背中を押してもらおうということ自体が間違っている。
でもそういうとき、ひとりきりで頑張るのはとてもしんどい。ひとりきりで頑張るものだし、ひとりきりで頑張らなければ意味がないけどやっぱりどうしてもしんどい、そういうときにふんわりつつまれたら、よくわからないけど喉の奥がグッとなってしまう。わたしの人生はわたしだけのもので、わたし一人だけのもので、だけど一人なことにしんどくなったとき、こうやって誰かの行動や絵や漫画や文章が救ってくれることがあって、それらがわたしを救うためのものじゃないってことにまで救われて、上手に言葉にできない分、わたしの喉が鳴る。




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7月24日の誕生日の友達が3人いて、高校のときまでは4人いたのになって思っていて、わたしはそのせいで、車があんまり好きじゃない。7月24日の誕生日の友達のうち一人のプレゼントをレターパックでさっき投函した、あれは海を越えて彼女の元へ届くのだと思う。7月28日の誕生日の人へのおめでとうメールをさっき下書きして保存した、添付の写真の日時を見られたら事前に準備していたことがばれてしまうし、わたしが一番にメールを送れるように、今日の11時58分にアラームをかけていることは、この日記を見てしまったあなたとわたしだけの秘密にしておいてほしい。

2013年7月24日水曜日

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「結婚しよ」って冗談みたいにいわれて、冗談みたいに「はい」って言って、気づいたらおなじおはかに入ってたらいいな。



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強い音楽を聞きながら強い小説を読むと頭の中がぐちゃぐちゃする、耳と目とで脳を引き裂かれるようで、音楽にも文字にも集中できないけど、たれ流される音楽はそのままに流砂を泳ぐように無理矢理文章を読み進めていくと脳味噌と意識がぐちゃぐちゃ汚らしく混ぜたサラダみたいになる。音楽を聞く耳と文字を読む目がそれぞれあるのに処理をする脳味噌は一つなんだと切実に思い知らされる。

強いというのは激しいとか刺激的なという意味ではなく心がかき混ぜられるようなという意味で、最初から心がかき混ぜられるものだと覚悟ができていれば脳味噌もそれだけに集中するけれど名作や名曲や思い出が付随するものではなく聞き流せる・読み流せると思ったものから不意打ちで受けるミキサーみたいな衝撃は、感じた瞬間耐えきれずにブレーカーひとつ落としてどちらかに集中することもあるけれどこうして引き裂かれてどちらもきちんと頭に入ってこないまま消化不良で飲み下すこともあり、それはとても贅沢だけれど苦しい行為で、続けるうちに強い音楽や小説そのものよりもあたまのぐちゃぐちゃ具合にばかり意識が行くようになり、音楽を聴いて文章を追いながらなにが今わたしの琴線に触れていて、なにが今ミキサーの刃となってわたしをかき回しているのだろうとか考えてしまう。

音楽と文章には相性があるけどそれすら合わせない、出た目のものをぐちゃぐちゃ混ぜるみたいな行為は意識してできるものじゃなく、いろんな条件が重なって偶然発生し、その上でわたしの体力と気力があるときだけ楽しめるものだけどその苦行で無為な行為がわたしはほんのすこし好きで、だから今日わたしは中央線で26分間、ミキサーされていました。

2013年7月6日土曜日

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藁人形でかみさまを作りそれに毎日祈りをささげる、そうしたら藁人形にいつか命が吹き込まれ本当のわたしだけのかみさまになるかもしれない。本物なんて誰にも定義できなくて、もうそれはわたしが本物だと思ったら本物だというそれこそ宗教みたいなものなのだと思う。誰かが何かから救われた状態というのは何を指すかもわからなくて、もうすべて本人の心構えで、でもなにより間違ってはいけないのは、たとえそれがひどい状態だとしてもそれを選んだのはその人であって、決して藁人形のかみさまがわるいわけじゃないんだよ。

2013年7月2日火曜日

じぶんメモ:6がつ本まとめ

7月は意識的に読む量へらそうとおもってる。
6月は、25日の新刊ラッシュがやばかったです。

読書メーターで、なるべく感想をかくようにはしてるのだけど、
管理のためにはしかたないというかわかれてないとこまるけど、
文庫やハードカバーやキンドル版がそれぞれ別だと、
読書人数も、そして母数が違うゆえのみんなの感想がぜんぜんなかったりして、
たまにキンドルで読んだのに普通版で感想書いたりしちゃう。


2013年6月30日日曜日

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neko.

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ひとが死ぬけど自由なせかいと、ひとが死なない不自由なせかい、どっちがしあわせなのだろう。





防音のおうちにすみたいな、と思った。実家は田舎なので隣の家まで100メートルあるし、その次に近い家は数キロ離れている。わたしにはやりたいことがあって、でも全部やるのはなかなか大変で時間は1日24時間しかなくて、考えてしまうと結局一歩も動けない。すべてのことを客観的に見られるとしたらそれはきっとただの勘違いで間違いで、でももしわたしが今のわたしを俯瞰し正当な判断を下すなら「その贖罪はまちがいだよ」と言う、でもこうするほかに術を知らない。

偽者の神様を創りそれを崇め奉るようなまね、自分の慰めにしかならないのはよくわかってる。



あなたは情が深いから、と言われたけれど本当はまったくそんなことなくて、その人がそう判断したわたしの情の深い行動も自分の利になるよう計算しつくした結果だし、打算は仕事の上では褒め言葉で、わたしが打算的に動かないのは、本当に好きな人のためにだけで、つまりそれ以外のすべての情ある行動は、本当はわたしの益になったり損を回避したり、もしくは何かに許してほしいが故の自分勝手な行動で、わたしはそれを、きちんと自覚し続けなければならない。


たぶんわたしはわたしが思うより、全然まったくいいひとだ。自分が特別に酷い存在だと勘違いすることは、とても傲慢なことだと思う。自分が特別に酷い存在に生まれついたと勘違いすることは、他者に対しての暴力でしかないし、 子供っぽくて滑稽だ。自分が善人だと信じてやまないひとも鬱陶しいけど、自分が特別の悪人だと誤認しているのも面倒で、わたしは良くも悪くもない、でも平凡なド真ん中ではなく、まったく特別でもないけれど標準でもない、だれもがそうであるように、正しい把握は難しい。




一人でパソコンに向かい合っているとすかさず猫がひざに乗ってくる。暑いのによくやるなと思うけど、自分を慕ってくれる生き物がいるのはすごくしあわせだ。
自分のものではない心臓の音を聞くと安心する。




かみさまになりたい人がいて、馬鹿じゃないのなれるわけないじゃないと思ったけれど、そこに到達するまでの階段を、一段一段組み立てられるから神様なのだと思った。到達したい地点と今を、むすびつけることはむずかしい。でもだれか一人の理想の世界が、他者にとっても理想かというとそうではない気もしてしまって、人間は勝手だな、と思う。
精神的肉体的に痛みを加えられず、安心して眠れてごはんが食べられる、それさえあれば幸せだと思うのに、誰かに管理された世界でのそれが無常の幸せだと思えないのはなぜだろう。じゃあ誰にも管理されない、人と人が自由のために殺しあう世界が正しいのかといわれたら黙るしかなくて、幸せになるための一番簡単で確かな方法は、視野を狭めてしまうことだなと思う。でもそれはイコール思考停止で、それは本当は間違っている気もするけれど、完璧な答えなんて本当はどこにもなくて、じゃあ自分で自分を納得させることだけが真実だとすると、どんどん世界が狭まって、そうするとだんだん眠たくなって、だからわたしは常に眠たい。

2013年6月13日木曜日

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 戦後間もなく廃止されたはずのO窪の赤線は裏に潜って現在まで健在だった、わたしはO窪に何年か住んでいたことさえあるのに裏町の気配を感じたことはなかった。摘発された女達は今時の化粧と髪型をしており、「裏町」や「赤線」から想起されるような典型的な昔の娼婦を思い浮かべていたわたしは驚くと同時に、ああ、これは今現在起こっている話なのだと少し背筋を寒くする。
 夕方のニュース番組、TV画面に大写しにされたわたしよりも数年遅く生まれたであろう女は根本が黒くなった茶髪を後ろで一つにまとめていた。両腕を捜査員に捕まれながらも振り返り娼館に一礼をした、おそらくすっぴんであそうその女の横顔と後れ毛が余りに美しく、わたしのチャンネルを変えようとしていた手が止まる。紺の豹柄の甚平に興醒めするが女にはどこにも爛れがなく、背筋を伸ばした青白い顔の女よりもむしろ捜査員の方が俗物に映った。

 女達が連行されたのは留置所でも取調室でもなくだだっ広いグランドのような場所だった。砂埃が今にも舞いそうな乾いた地面に、等間隔で紺の豹柄の女が並ぶ。わたしが先程見惚れた女は画面右下、そのほかに品の悪そうな女が三人、計四人の紺がグランドに正方形を形作った。一体何が起こるのだろうと画面を見つめていると、白い柔道着の、見るからに屈強な人間が八人現れ四人の紺色に暴行を加え始めた。頭を一発殴ると左に一人ずれ腹に一撃、左にずれて股裂きからの殴打、左にずれて顔面を殴打。四人の男が雪山で遭難し、ロッジの四隅をグルグル回るという怖い話、あれを思い出しながらわたしはテレビを見つめ続けた。
 そのうち不思議なことに気付いた。白い柔道着の人間達も暴行される側に回ることがあるのだ。わたしが(その体の大きさから)男だとばかり思っていた白い人間の柔道着がはだけ膨らんだ乳房が露わになり、わたしは白も紺も全員が女だと知る。女達は涙と血を流しながらも規則正しくローテーションを組み誰かを殴り、殴られる。拘束されているわけでもないのだから逃げればいいのにと思うがもしかするとカメラに映らぬ部分に恐ろしい見張りがいるのかもしれない、しかしそれを差し引いてもあれだけの暴行を加え加えられてまだなお一糸乱れぬ流れと動きで殴り殴られ抵抗さえしない。
 腫れ上がる頬やねじ曲がった指、流れる血からも女達が全力で暴行に取り組んでいることがわかるからわたしはますます混乱する。恐らく彼女らの誰かがそろそろ事切れる、それでも狂乱は終わるまい。私刑にしても残酷過ぎるこれは恐らく正当な法の下の所業でそれゆえTVで放映されている。悪趣味なわたしもそろそろ耐えきれない状態になった白と紺を纏った肉片は未だ規則正しくぐるぐる回り、なのにわたしは目を逸らせない。

2013年6月1日土曜日

じぶんメモ:5がつ本まとめ

なんか全然よめなかった。し、読んだのたくさんもれている。
わたし毎月「全然よめなかった」といっているな。
読み終わったらすぐ記録しないとすぐわすれるな。

2013年5月25日土曜日

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 気を逸らし続けるには24時間は長く、一人のひとを思い続けるにも24時間は長い。


 駅のホームに落ちていたロッカーの鍵を駅員さんに届ける時間もコーヒーを丁寧に炒れる時間も、(ときおりは)朝ごはんを食べる余裕すらないのに24時間は長すぎる。
 わたしの人生を平らにならせば時間の不公平が解消されるかなと今少し思い浮かべてみたけど灰色の退屈が24時間に隅々行き渡るだけの気もしてこれでいいのだと思い直した。

 満員電車の始発駅、前に並んだ女の人のセミロングの黒髪が雨でもないのに濡れていて、この人もきっと、不公平な24時間を過ごしている人だとこっそり思う。

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 真っ赤なコーヒーメーカー/天球儀/縦型の信号/知らない社名の入ったタオル/ちいさな公園の砂場と取り残された遊具/フライパンで料理を出してくれるスパゲッティ屋さん

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 文字にして伝えたらうそつき呼ばわりされるだろうな、というくらいの友達の不幸なはなしを聞いて、わたしにはその現実的な対処法を精一杯アドバイスするしかなくて、それは感謝はされたけどでももしかしたら多分その子がわたしに求めていたのはそんな現実的な解決法じゃなくて、事実を打ち明ける前にわたしが彼女のことを察して慮って「どうしたの?」って友人として声をかけることだったのだと思う。
 わたしにはそれができなかった、そうしてほしいのだろうなって、わかっていたけどできなかった。
 すぐにすり減る自分の、強度も容量も増やせないなら、制限をするしかないと思った。


 とりこんだ洗濯物を畳まずにおふとんの上に投げ出した。そのうえにゴロンと寝そべってみたら右頬にヒヤリと冷たい感触、洗われて干されずに投げ捨てられて乾いたものたちと混ざったピンクのTシャツの温度がわたしにうらめしそうに響いたから慌てて干した。今日朝起きた瞬間からものすごく元気だったから、調子に乗って半袖でいたらお部屋の中なのにひどくさむい。
 多分わたしは今この瞬間世界で一番幸せ、膝の上にねこがいたらもっと完璧に幸せだけど、でもそれも含めて、世界で一番幸せだ。遠足の前日がわたし一番好きだから、遠足の前日は眠れないだけじゃなく、このまま世界が滅びればいいのにな、と思う。そうしたら、楽しみな遠足が永遠に終わることなく、たのしみなままで世界が止まる気がするから。

2013年5月22日水曜日

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息ができない、息ができない。今わたしに必要なのは酸素じゃなくて本、本、本が読みたい。


自分の性格の悪さに10秒で文章を消した、伸ばした手が触れる範囲の物事全て慣れた手触りのものしか許さないのは横暴だ。ふわふわした綿菓子みたいな正体不明のものはなおざりに、身元がはっきりした敵から打ち倒すのは愚策と言えば愚策だけれど小心の露呈だと言えば少しは可愛く映るだろうか。完璧に一人で無音にならないと進まないわたしの諸々はだから最近沈みっぱなし、進めるための精神的自傷行為をする暇なんて経済活動をしていたらあるわけなくて、それはおそらくモラトリアムの特権、だから若いみなさん、どんどんどうぞ。



23歳の子が彼氏に振り回されており、「勿体ないよ~」と言ってはみたけど無駄なことたくさんしといたほうがいいのじゃないかなと今思った。


幽霊の正体見たりじゃあないけど可愛いあの子は現実世界でただの人間、可愛いあの子の愛しの彼氏も現実世界ではただの人間、もちろんわたしもそうだから、ここから出たいような、でもある方向には決して出たくないのだよ。



今日も一瞬冷やそうと冷凍庫に入れたコーヒーと水を忘れて家を出た。



ゲームや多忙や精神的余裕のなさ、で、本を読まなくなると酸欠になって死ぬ。死にたくないから無理やり本を開いてみるけど全然没頭できなくてあえぐ。月に読む冊数や速さは問題じゃあなくて、わたしにはわたしの適切な、摂取する本の量があって、それに足りないとつらいんだと思う。わたしは決してビブリオマニアじゃないし、読書の冊数も多くないし文学にも詳しくない、それでも本が読めなくなって読まなくなると、わたしがどんどんすり減って、息ができなくて苦しくて、しんでしまうような気持ちになる。

2013年5月6日月曜日

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 笑え、雑魚が。




 精神状態は体調に引き摺られ体調は気圧に引き摺られる、気圧は月まで関係するしつまり全ては宇宙のせいだ。
 吐いても今胃液しか出ないであろうことは自分がよく知っていて、胃液を吐くと食道が荒れる、せめて水分で緩和しようとミネラルウォーターを摂取する。スポーツドリンクを飲んでいた時期もあったのだけれどあの味は吐くときに強すぎていけない、それ以来わたしはもっぱら水だ。良いから笑え、笑えよ屑と、便器に向かって呟くも口角は一ミリも上がらない、これだから躾のなっていない愚者は困る。
 自分の肉体の隅々までコントロールせよなぞアスリートなことは要求していない、お前がすべきは笑うことだ、早く笑え、笑えよ雑魚が。





 タイミングこそ運命だと思う最近のわたしにとって「今!」という瞬間は多くない、多くはないしわたしの感じる「今!」を外しても世界は続く、わかっているけど外した瞬間確実に何かが死んでいる。手を離す瞬間の「ああ、所詮は他人」を味わいたくなくて目を瞑るけどそんなのが長続きするわけはなく、結果離別時の痛みが増すのみの、愚かな延命措置だということわかっているのに縋ってしまう。
 怒らない人がこの世で一番恐ろしいという仮定にわたしは完全同意でそういう人になりたかった。わたしの憧れのあの子はきっとそういう人で、わたしはつまり、そうなりたい。世界一やさしくて、世界一冷たいひと。



 久しぶりに名前を綴った。口に出さなかったのは、音にしたら零れてしまうから。
 わたしはもっと咀嚼して消化しないといけない、食事後すぐの吐瀉物は到底見られたものじゃない。
 世界は不幸に満ちていて、それと無関係に幸せは続く。
 どこかの誰かが四肢を飛ばされ泣きわめいていたとしても、
 わたしの口の中のチョコレートは甘くゆるやかにとろけるのをやめない。

2013年5月5日日曜日

20130505-ティアにっき

コミティア行ってきた。


わたしはものをつくる人間ではないので、コミティアへいくと、うまいへたとか、ジャンルとか、そういうのじゃなくて、ものをつくるのがすきなのだなって人がたくさんいて本当に素敵な空間だなと思う。
毎回素敵なものに出会えるのですけども今回もすげーよかったです
ロッキンオンみたいな感想がかけなくてすごくアレなのだけどすげーよかったよって伝えたいがためのつたない日記です
つたないつたない言って感想かかないままでもいつまでたっても書けないままなのでつたなくても囲うと思いました

以下買ったものたちすごくつたない感想


20130505-01

タイトルもないトラック13、AI噛ませてヘッドフォンで聞くと拙過ぎる打ち込みのインスト。
わたしがこのCDを手にしたことを作った人さえ知らなくて、後に喧嘩別れをし絶交した彼らの名前が&で繋がれ並んだプロパティ見ると非常に感慨深くなる。
SEで使用されていたそれはライブでは最後まで流れることはなく、その終わりをわたしは一人部屋で聞く。遠すぎる距離を思う、一言は、距離を、時間を、関係性を壊す。

もろいのだなあ、と、思う。


恒常的に37度を保つ生物になればわたしも何か変わるかもしれない、きっと動くに低すぎるのだ。

2013年5月4日土曜日

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僕と君は両思いだけどもお互い片思いですらない、ある一点に於いては僕は確実に君に恋をしない、君も確実に僕に恋をしない。例えば「君の見た目が好きだ」と言われた女子がそれに絶望を覚えるような感覚が僕には酷く滑稽に思える、なぜなら見た目だって立派な彼女の一部だからだ。性格が好きなら嬉しいの、地位や名誉なら悲しいの、「好き」の対象を自らの構成要素のどこだと追及するからそんな愚かなことを考えるのだ。

だけどもしかし、自らの構成要素のあるひとつに「自分」が詰まっているかのような気持ちになるのはわかる、ほかならぬ僕だって、そうだ。でも僕が思う僕の構成要素は恋愛としての好意的感情には不必要むしろ排除すべき要素、だから恋人である彼女に僕のこれを好きになって愛して愛でてと要求するのはおかしいし要求すること自体が誤り、だけどもたまに考える、僕も君も、お互いの核たる構成要素はなかったものとして触れ合う、これが健全かというと健全も健全1000%健全、だけどもどこか若干の、虚しさみたいなものを覚えるのは、多分僕の、甘え。

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ねえわたしは死んじゃったものが好きだ、死んじゃったものが好きだよ。例えばビデオテープにあの瞬間を残しておけば今こんなに寂しくなかったのかな、やっぱり同じように寂しいのかな。わたしの好きなものは全部死んじゃったんだってこの間まで思っていたけどおそらくそれは誤りで、わたしは、好きなものが死んじゃわないとそれが好きだったって自覚できないのかもしれない。死んじゃったものを好きなのは憐憫に浸りたいわけでも対象に干渉したくないわけでもなく、死んじゃったものならば僕がそれに嫌われることがないからだ。

2013年5月3日金曜日

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きみが気軽に呟く「うらやましい」には一体どんな感情が含まれてるのか裏の裏まで読めば納得、そう「できる」性質こそが羨望の対象なのかもしれないけどわたしはそれに脊髄反射してしまう。本人が認識していないとしてもあの子の日々の行動や積み重ね、方向定めての堅実な努力(最もそれを努力と本人は認識していないとしても)、何にも知らないくせに黙れ、と。辛いです苦しいです大変と、誰かが不幸アピールする横でニコニコ笑って前向きに対処、そういう人が「ずるい」という言葉の対象にされるのわたし本当に我慢がならない。もしかしたらわたしもそういうこと言ってしまっているかも知れないけどこの世の誰かがあの子に対して運がいいとかずるいとか投げかけるのが許せない。分不相応な嫉妬はわたしもかつて持っていて、だから偉そうなこといえないんだけど、すごく腹が立つしどうしようもない。


わたしがいまここにいるのもわたしが行動してきたせい、あの子がかわいい男の子と仲良くしてるのもあの子が毎日生きてる結果、あの子の漫画が泣くほど素晴らしいのもあの子の毎日の結果だしあの子がいまあそこに立っているのもあの子の毎日の結果だよ、人間だから理不尽に人を羨みたくなることはあるけどどうしてもかちんときてしまう、たぶんあの子なら「いいでしょうー」って、ヘラヘラ笑ってかわすのに。



「なんにも知らないくせに黙れ」は言ってはいけないブーメラン、そんなことわかってるけどどうしても。わたしだけがわかればいいとか本人がよければいいとかそういう問題じゃなく理性じゃない部分でその人の口にケーキでも突っ込んで黙らせたくなる、わたしはまだまだ色々だめだ。

2013年5月1日水曜日

じぶんメモ:4がつ本まとめ

マンガばかりであった。
立川まんがぱーくいったんですよ。おもしろかったです。また行きたい。

マンガばっかりだから冊数は多いけど、本自体は全然読めなかったかんじする。