2013年10月17日木曜日

20131016-01

視界に広がる風景が、5年前のそれだったから泣けて仕方なかった。風景の相似とだからこそ際立つ欠落、下手なドラマや小説のようにそれの名称を声に、音に 出して呟いてみると涙が加速するのなんてわかりきっているのに、そうしないとなにかに栓をされてわたしの中身が腐って醗酵し膨らんで小さく爆発してしまうと思ったから、そうした。右を向き寝ころんで泣くと、当然だけれど涙が横に流れて、頬と枕の間に挟まれている髪の毛を濡らす。これはもしかして右のフェイ スラインの髪だけぐねぐねと妙な癖がつくのではと心配になったから、頬に手を当てて、髪の毛から涙をシャットアウトして泣いた。


今何かがほしいのではなくて、なくなった時間や光景そのものへの恋慕は、薄れるどころか深まるばかりなのだと思う。それを思うたび自分の愚かさを突きつけられるようで、だからそのもの自体に対しては泣けないし、でも本当は、声を上げて泣きたい。



フラッシュバックするいろいろが薄れるのを期待するのではなく、慣れるのに期待している。なくなったものやひとや場所、なくしてしまったそれら、わたしが罅を入れたそれら、それによって変容してしまったそれら。蓋をして見ないことで防御をしていたけど蓋を取ってそれを乾燥させてかさぶたにする作業がこれからで、だからわたしが今泣くと、またそれらがぐずぐずになるし、だからわたしは、泣いてはいけない。

2013年10月15日火曜日

20131015-01

からだじゅうに、小石がついているみたいな感覚がする。

古い書類を整理していたら、よくわからない会社からの給与明細が出てきた。一日だけのアルバイト(派遣の、試食のサービスのような)かなと思っていたけれど肩書が「社員」になっていて困惑している。わたし絶対この会社の社員になったことはない。その給与明細には普通の会社にはあんまりないであろう項目もついていて、あまりにも思い出せないからもしかしたらこれはわたしのじゃないのかもとか思ってはみるけど右上に記された指名は間違いなくわたしだし、平成21年のわたし、いったいなにをしていたの。



自分のこと、だけが、上手にできない気がする。朝と昼間、死ぬほど眠たいのに、夜になるとそれがどこかへいってしまう。ここ1,2か月、本も読めていないし文章も書けていない。そうすると、なんだかひどく、自分がおちつかない。


はやくおちつきたいな、とおもう。本を読んだり、くだらない文章を書いたり、そういうことをしたいな、と思う。あとちょっと、あとちょっと、で毎日頑張ったら、昨日の自分に毎日感謝をすることになっていて、だから明日のわたしのために今日もわたしはがんばるのだけれど、でもやっぱり、ねむたいから、今日ははやくねてもいいかな、ごめんねあしたとあさってと、そのまたつぎと、とにかくみらいのわたし。

じぶんメモ:9がつ本まとめ

宣言通り全く本を読めなかった。そして10月も読めていません、読めていないというか、記録自体もできていない。
11月には落ち着いて、毎日本を読めるような生活にしたい。ものです。

2013年9月16日月曜日

20130916-01

浅く腰掛け足を放り出す、少しの罪悪感と溜め息を吐く。まっすぐ上を向いた長靴のつま先がぼんやり滲んで涙ぐんでいる自分に気付く。
ガラガラの電車は街を切り裂くように進む、着駅のアナウンスよりごおっというエンジン音が響く。人の声が聞こえない程度にボリュームを上げたイヤホンで両耳を覆うと世界が無声映画のようで、末端とわたしが切り離される。


夢占いが不必要なほどのあられもない夢を見て愕然とした。何度同じことがあっても全く慣れない。深層心理はもっとオブラートに包まれるべきで、いっそ薬局で買ってきてむしゃむしゃ食べたりしようかと思う。内臓も何もかもわたしを全部、オブラートで包んでしまいたい。

ここから知らないところに逃げたら全部ましになるのかなって期待すると同時に答えも知ってて、だからわたしはノロノロ歩く。地縛霊がいるならそこを離れろ、でもそれはわたしに憑いてるみたいで、だからわたしはお風呂に入る。ゴシゴシ洗っても泡が立つばかりで、いっこうに何にもおちてくれない。




短いホームと長い階段、エスカレーターでまた階段、すべて同じ速さで歩を進めると自動でどこかへ運ばれてるような錯覚に陥る。放り出した長靴の、左右が知らぬ間に交差している。押しつぶされた左がまたゆっくり滲んで、次の駅まで目を瞑る。

2013年9月15日日曜日

20130915-02

「しんだほうがいい」と呟いて彼女は生きた。

20130915-01

冷や汗、は、本当に冷たいものだと立ち上がってつくづく思う。無理矢理流した前髪が額にペタリと張り付き鬱陶しい。かけてあったタオルでうなじに溜まった冷えた汗を拭い、そのまま首筋とこめかみを拭いた。
世界がどう見えるかは、フィルター次第だと思うしわたしはそれが真実だと確信している。同じ登場人物とあらすじでもハッピーエンドのフィルターを通せば世界は幸せだし、ネガティブフィルター越しに覗くとそれは不幸以外のなにものでもない。自分のとるべき行動も幸せフィルターを通して出したなら最適解だしなのに不幸せフィルターを通して墓穴を掘るのは感情に流されてしまうからで、つまりはセルフコントロールを完璧にこなせば、人は絶対幸せになれる。そしてわたしはそのセルフコントロールという至極簡単なことが、ぜんぜんまったく完璧にできない。



リハビリが必要な程度になまけている。リハビリのためのリハビリをしないとだめだ。

2013年9月1日日曜日

じぶんメモ:8がつ本まとめ

なんだか全然だめだった。
本が全く読めないときは、たぶんあんまりよろしくないときなのだとおもう。
小説を読むと気持ちがそっちにもっていかれてしまうので、漫画ばかり読んだ。
漫画は、のめりこんでもパタンと閉じたらちゃんと切り替えができる気がする。
後から思い出して考え込むことももちろんあるのだけれど、小説だと自分の頭で具体的なイメージを考えてしまうから、脳裏に焼きつくのが強いのかなと思う。脳裏に焼きつくというか、焼きついて、残ってしまう時間が長いというか。

9月は8月以上に本を読めなくなる予感がしている。いやだな。




2013年8月27日火曜日

20130827-03

わたしは一生ごめんねって言い続けてると思うし、それは誰にも理解されたくない。

わたしにこっそり一人で思い出して切なくなるような思い出があるように、わたしの好きな人にもわたしのしらないそういうものがたくさんあるんだろうなって思ったりすると、どうしていいかわからなくなる。当たり前だし、別の人間だということはつまりそういうこと、たとえ小さいころからずっと一緒の双子だったとしても共有できない思い出はできるしそれを否定するのは相手の否定そのもので、それよりなにより自分自身に自分自身でしかほどけない部分があるのはわかっているのに、もてあましてしまうような、どうしていいかわからない気持ちになる。

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わたしはすぐ泣く、本を読んでもアニメを見ても漫画を読んでも絵を見ても泣く、でもほんとうに泣いてしまいたいことで泣けない。くちのなかの、両方の奥歯の奥のところが変な味になって喉が詰まり胸が苦しくなる、だけど涙が絶対出ない。たぶん、わたしはこのことで泣く権利がないことを、自分でよくわかっているからだと思う。

だからわたしは一生、そのことについて、きちんと泣くことはできないのだと思う。

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しあわせになりたいなんてばかなことおもってはいけない、と思った。すっかり忘れた顔をして、なにを笑って望んでいたのだろう。誰かに期待したり優しくされたりなにかそういうまっとうなことを気付いたら望んでいて当然の顔をしてそれを享受して、はずかしくなる。それそのものがどうだとか、どうこうしたいとかそういう問題じゃなくて、現実の何かでもわたしでも誰かでもなくて、それはもう規定されたことで、どうしてわたしは気を抜くと、当たり前みたくしあわせになりたいななんて思うのだろう。

このまんま外に出て歩いてどこかへいってしまいたい、だけど明日もわたしは仕事だし、ひざの上には猫がのっていて、だから多分わたしはそれをしない。明日の約束や仕事や授業やそういうものをすべて投げ出して鈍行に乗ってどこかへいくようなまね、多分わたしはもう一生しなくて、それは年をとったとか責任感がどうという理由ではなくて、どこへいったって、わたしはわたしから逃げられないからだ。




だれにも「そんなことないよ」って言ってほしくない、「どうしたの」なんて訊かれたくない、理解した顔を向けられたくない。だけどすきなひとや、死んでしまった鳥や、見えないふわふわとしたかみさまみたいな存在に、きっとわたし許されたいと思っている。

2013年8月26日月曜日

20130826-01

たとえばこの世界に泣いている女の子が無数に点在しているとするじゃないですか、「嬉しくて」じゃなくて「悲しくて」のほうの涙を流してる感じの、自分が幸せではないことに彼女自身が納得していることもあるので彼女らを「不幸」とは定義したくないから「幸せじゃない」と言うけれどとにかく幸せじゃない状態の女の子が無数に点在しているとするじゃないですか、そんなこと許せますか、それって許していいものですか、許せるわけはないんですよ。

たとえば僕の存在を犠牲にしても1mm程度しか救われなかった彼女、僕の愚鈍さに殺された彼女、彼女も僕もほかのどんな人間もどうしようもなかった覆せない強い現象に潰された彼女、たとえ僕が命を捧げたとしても救われなかった彼女、どうして僕は強大な、宇宙みたいな力を持たなかったのだろう?? どうして僕は彼女たちを救えなかったのかな、どうして彼女はまだ泣いてるのだろう、ねえそれって絶対許せない、だから僕は世界を救いたい、無敵のスーパーヒーローになりたい。




君の最期に「なんちゃって」をつけてフィクションにして自分だけ救われるような真似、僕はそんなことしてはいけなかった。最期の走馬燈の、そのわずかな一瞬暖かければ救われるわけじゃ絶対にない、ほかの誰がなんと言おうとも、君は優しくて穏やかな時間を、そんな一瞬じゃなくてきちんと生活としてすごさなければならない。君の身に起こった恐ろしいことやいやな思い出はタイムスリップして根本から断ち切りたいし、君がひとを憎んだりころしたりしないですむようにしたかったし、君が自分のことをきたないなんておもわないようにしたかったし、腐って落ちてドロドロになってなってほしくなかったけれど、君がひとを憎んでころして腐ってドロドロになったって汚くないしそれでも好きだし、僕は君がどんな姿で僕の前に現れたって、すきだよきれいだよって言って抱きしめたかったし、どうしてそれが、君が腐って落ちてドロドロになってからしか気付けなかったのかって思うと死にたくて仕方がないけれど、僕が死んでも君が救われるわけじゃなくてじゃあどうしたら君が救われるかというと僕が無敵のスーパーヒーローになって、君と君の世界を救うしかないんだ。

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女の子が「きたない」って言って自分の皮膚をこすって血が滲むような、そういうものにわたしは絶対耐えられない。そんな世界ならいらないと思うし、そんな世界をどうしてわたしは変えられないのだろう? でも真っ暗な部屋から爛れた皮膚を引き摺った血だらけの彼女が出てきた瞬間一瞬硬直したわたしに彼女はきっと気付いていて、ほかでもないわたし自身がこの世で一番彼女を傷付けたこと、わたしはきちんと、認めなければならない。




「しょうがなかったよ君はやるだけやった、彼女だってああいう最期を迎えられてきっとしあわせだったよ」なんて、絶対わたしは認めない。

2013年8月20日火曜日

20130820-01

ずっと考えていることがあり、わたしはたぶん一生、それの答えをみつけられない。


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「えいえんの恋人」は終わってしまったから「えいえん」なのだろう。蜜月を過ごしてからの別れと思いが通じた直後の別れ、思いが通じる寸前での別れと出会う前の別れ、どれが一番ましなのかなんて、きっと誰にもわからない。18歳と19歳の境目がバッチリはっきりしているのと同じく、生者と死者の境目も、キッパリぱっちりわかれている。愛情の深さにかかわらず、握った手の強さは体温に比例する。わたしのことを世界一好きなきみでもかなわないものがあり、袖振り合った程度の他人のほうがここでは強い。人生における「その他大勢」にわたしを数えるひとたちに、わたしはひっぱられてきっと留まる、でもきっとそれが、この世の理。


それでもわたしは、だからわたしは、きみのことがえいえんに大好き。

2013年8月17日土曜日

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出る答えは毎回同じで、わたしはいつも、後悔しかしていない。

2013年8月10日土曜日

20130803-01

わたしはこれを直接本人に言えないから穴熊みたいにここに篭ってここで書く、わたしやっぱりフィクションには、圧倒的ハッピーエンドをむかえてほしい。
それをそのままフラットに見られないわたしは、いろんなものに勝手に自分を重ねてぐっとくることが多々あるのだけれどそれがとても顕著、そうしてそういう感想はとても失礼なものだとは思うけれども琴線に触れて泣かされたのも、わたしがこれをとても好きだというのもすべて事実で仕方ない。
そのもの自体もすごく好きだし透かしてその奥を見てしまったり、個人的体験を重ねてしまってすごく心がざわざわする。人が泣いたり傷付くシーンがひどく辛くて、知ってたはずの台詞も予測できた結末も窒息寸前の酸素みたいに焦がれて待ち続けて与えられたみたいで、でもまだ酸欠だから完璧なハッピーエンドが、わたし、見たい。
生まれてしまったひよこを目の前にしての鶏が先か卵が先かの議論はとても意味のないもので、だから理由や因果やそういうものを考えても考えなくても解明されてもされなくてもわたしがこれをとても好きで電車の中で泣いてしまって慌てて顔を隠そうとするも文庫本が小さくて隠しきれなかったり、カバーを取って持ち歩き用にしている一冊のほかに保存用としてもう一冊購入したのも事実だから仕方ない、別に誰にも伝えなくてよいことだけれどこのブログにも何度も書いているように好きなものを大好きだと叫びたくなる衝動が訪れるときがありそれが今だから書いている。好きな人に好きなものを好きだと伝えるのは実はとてもハードルが高いことで、別にそんなこと言わなくても誰も不幸にならないし何より言えないのだけれどどうしても言いたくて、だからだらだら駄文を書いています。

ツイッターで書いたこれ
“わたしは物語をすべて自分自身のものとして捕らえすぎるきらいがあるかもしれない、だからこんなにすぐ泣くのだと思うし、それはそれでひとつの楽しみ方かもしれないけど人と物語の感想のいい合いがこれではうまくできないしそれはなんだかんだでちょっとつまらないし酷く浅い気がする”
“それをそのままにして感動するということもしかしたらわたしはできていなくてだから余白を想像できないし、Aというキャラに対しての気持ちではなくわたしに透かして見たA’というキャラひいては自分のA’’という状況への思いに瞬間で摩り替わっているのかなと思った”
“百人百通りの物語の鑑賞方法でよいのは勿論だけど、自分が自覚し ている限定された冷静に見られない作品だけではなくすべてのものに対してそうなのかもというか 摩り替えはいつか起こるのだけど瞬間過ぎないかなというか  物語自体の余白も余韻も1pxもないのはどうかとか”
 わたしの鑑賞方法はまさにこれ、すぐに思考が作品からそれる。とくにこれは「自分が自覚している限定された冷静に見られない作品」の最たるもので、でもそれはとても正しくないことだとおもう。それでもどうしても言いたかったから書きました。わたしはこれがすごくすき、心が動いたしなかされたし笑った、すごくおもしろかったしすごく痛かったし本当に最後まであえぐような気持ちで読み進めた。こんなところでばかみたいにばかみたいな文章書くくらいすごくよかったです。

2013年8月2日金曜日

20130802-00

新学期が始まる頃には体がすっかり怠惰モードに切り替わっており慣れた部屋の空気もベッドもわたしに絡み付いて離してくれず、つまり平たく言うとこの新学期の始業式早々、わたしは寝坊している。今日の時間割を見てみると朝一で国語の普通授業、次は4時間ぶっ通しでレクリエーション(今日は新学期で始業式で、もっと言うと新年度なのであり、クラス替え間もない生徒達を馴染ませようとする学校側のいきな計らいがコレ)、その次は二時間の合唱、その後は一時間ずつ社会と音楽、授業終了はなんと夜の8時である。時計を見ると今は昼0時10分、レクリエーションには途中参加で気まずいし合唱なんてやりたくないし、ああじゃあ夕方から登校しようかと思ったけれど今年度の新しい担任はわたしにとっては新しくなく去年と同じで、つまり怒りっぽく厳しく嫌みなカネコで、遅刻した挙げ句普通授業だけ出席するなどなんと言われるかわからない。あー面倒だけれど事前に連絡を入れておくかーと準備をしながら家を出ると雨が降っているしおまけに電車が人身事故、あっ事故のせいにしようかな遅刻を、でもそれだと寝坊して昼に起き人身に巻き込まれたのがバレバレで、ってなにをこんなに言い訳を考えるのに終始しているのかと言うとひたすら怒られるのが嫌だからだ。だってあの人ネチっこいんだもん怒り方が、「はぁ~ん? 寝坊したんですよねぇ?そんなのそこの窓から飛び降りて死ねばぁ?」とか言うんだもんたまんないよとか考えながらわたしはとりあえずホームに向かう。たらたらホームに滑り込みたらたらホームから発車した各駅停車は適度に空いており朝のラッシュとは大違い、運良く座れたわたしはめんどくさいめんどくさいと考えるばかりで肝心の学校への連絡をしていないことに気付き電話をするため隣の駅で降りる、降りてしまってから今電車の間隔が非常に長くなっていて次の電車がいつ来るかわからないことに思い当たりいったいわたしはなにをしているんだとひたすらイライラする。学校に電話をしたけど出たのは事務の男の人でさっぱり話が通じないし伝言も伝えられない有様で、このまま遅刻の連絡ができるまで電話をかけ続け電車を見送り続けたら本末転倒と判断したわたしは連絡を諦めまた電車を待つ。幸い程なくやってきた各駅は先ほどと同じくらい空いていて、でも座席の配置がおかしかった。わたしは車両のはしっこの、車窓を囲むように設置されたL字形の3人掛けのシートに座り、いつの間にか隣に立っていた名前しか知らない男の子もそこの逆端にちょこんと腰掛ける。「僕、ずっと君に会いたかったんだ」と話すその子にわたしも会いたくはあったけど今は教師への遅延連絡をなんとかメールでできないかと携帯のアドレス帳をポチポチ調べるのに忙しく、休み明けの記念すべき初・他人との会話(そしてずっと会いたかった男の子との初会話でもある)を鬱陶しく感じてしまうからおざなりな対応になってしまい、「ああ、うん」と答える自分の声が思った以上に冷たく響き覚えなくていい罪悪感がわたしを満たす。なんとか教師のメールアドレスを見つけ「せんせー、遅れます」とメールをするとすぐに「早く来い」と返信があり、取りあえず怒られることは決定したけど怒られれば遅刻は許されるだろうからオールライトということで、人心地ついたところでなにか大事なことを思い出す。
……あれ、わたし卒業論文を提出した記憶がある、たいしたものじゃないけどテーマもはっきり覚えている、友達がおらずつまらなかったから記憶がおぼろだけれど卒業式の記憶もある、それはつまりもう学校に通わなくていいと言うことで、でもただ単にわたしが自分が卒業したことをすっかり忘れていてこうしてしてもいない遅刻に怯えながらも電車に乗っているだけならわかるけどなぜ教師から「早く来い」と連絡がきたのだと頭がグルグルしたとたんわたしは病室にいた。無機質な天井と無機質なリノリウムの床――という表現をしたくなるけどそこはなんとも味のある古い天井、なにかを貼ってはがした跡や不気味なシミなどが目立つ病室はなんだか生々しく、こちらが本当の世界だとわたしは一瞬で悟ってしまった。新学期、クラスはバラバラになったものの一緒に進学したはずの級友の顔が卒業アルバムみたいに脳裏に浮かび、その一つ一つに大きな赤いばってんがつけられて、なにかのアニメの演出みたいだなと思いながらもわたし以外の級友がみんな死んでしまったことを思い出す。

2013年8月1日木曜日

じぶんメモ:7がつ本まとめ

漫画おおかった。というかほぼ漫画だった。
人と貸し借りするとたくさんよめてよいです。


2013年7月27日土曜日

20130727-02

わたしは今蛍光灯が消されパソコンの画面だけがまぶしく光る部屋で一人でウイスキーのソーダ割りを飲みながらヘッドフォンを装着して、さて、と画面に向かっているところだけど、もうだめだと思ったので、さて、とはじめようとした作業を中断してこの日記を書いている(このブログはわたしの日記のようだけどもほとんどすべて何かの感想や妄想や夢で、実は日記を書くということはひどく珍しいことなのだけど、それはわたしだけの話だ)。

いつぞやELIちゃんの展示に行ったときの日記を書いたけれど(これ)、わたしはELIちゃんの絵が、漫画が、文章がとても好きで、ELIちゃんがELIちゃんをいろんなところにおいてきたときも(これらのシリーズ、うまくリンクがはれない)、ochitemashitaタンブラもすごくすきだったのだけど、もうだめだと思ったのでこの日記を書いている。
ELIちゃんのたんぶら(2013/07/27現在であれば、最新のものからズラリと続いているはずだけれど)を見て喉がグッと鳴った。瞬時にわたしは郵便ポストになりたいと思ってしまったけれどそれは多分間違いで、そうじゃなくて、なんて素敵なのだろうと思ったし、ELIちゃんは字が上手でかわいいなって全然関係のないことをぼんやりと思ったりしている。

生きていて、モヤモヤすることや穴のようにぽっかりと自分に空間が空くことがあり、でもそこばかりに注視しているわけもいかないのでわたしはそういうものをなおざりに処理して日々の経済活動に精を出すわけだけれどなおざりに処理されたそれらは存在し続けるわけで、でもそれらを無視して人生を幸せに終えることも可能、でも確かに存在するその穴やモヤモヤを、ELIちゃんの作品はふんわりと埋めてくれる。誰にもわかってもらえない、言葉にもできない、そういうことを、言葉にできないまんまにふわりと包んでくれるような気がする。せかいにわたしは一人ぼっちで、わたしの戦いはわたしのもので、だからひとりきりで戦わなければならないのだけど一人じゃない気がする、一人で戦わなければならないことには代わりはないのに一人じゃない気がしてしまう。

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わたしは最近「人生の主役とは」と考えていて、人はそれぞれの人生において主役というのはきれいごとで、絶対そんなことはないと思っている。誰かの人生の端役や裏方として全うする人生というものも確かにあって、逆張りみたいにその人にスポットライトを当てればその人が主役になるのかもしれないけれど性質として間違いなくそれは主役じゃないしとか、そういうこと。自分自身について考えたときに、もしかしたらわたしはそれになるのかなと思っていて、でも何が自分の幸いかと考えたときに、例えば、だいすきなひとやだいすきなともだちにものすごく愛されてかわいがられたとしても、自分がからっぽだとしたら、わたしは絶対不幸せだと思った。わたしを救えるのは自分だけで、つまりはそういうことだと思った。わたしの悪いところは、すぐにスーパーマンになりたいと思うことで、例えば誰かの裏方にもなりたいし自分のことも頑張りたければ二人分の働きをすればいいと単純に思ってしまい、その上自分にはそれが(精神力によって)可能だと思い込んでしまうことで、自分への過信でつぶれてしまいそうになることもあるのだけれど何度検討してもそういう結論に達する。

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例えば他人に「君は今どう思っているの?」と聞いたとして、その答えがAであってもBであっても疑うのは容易く、それならば真実は自分の中にしかないのだ、と最近とみに思うようになった。相手がAというならAである、それ以上のことはわからないし、もし相手が本当はBであるのにAだと答えたならばそれこそが相手の答えであり、つまりはすべて自分自身が納得できるかどうかだ。そもそも他人に何か答えを求めるということからして間違っていて、本当はそれは自分で読み取らなければならないもの、わたしが欲している答えはたいていそういう性質のもので、だから知らない誰かや知っている親しい人に背中を押してもらおうということ自体が間違っている。
でもそういうとき、ひとりきりで頑張るのはとてもしんどい。ひとりきりで頑張るものだし、ひとりきりで頑張らなければ意味がないけどやっぱりどうしてもしんどい、そういうときにふんわりつつまれたら、よくわからないけど喉の奥がグッとなってしまう。わたしの人生はわたしだけのもので、わたし一人だけのもので、だけど一人なことにしんどくなったとき、こうやって誰かの行動や絵や漫画や文章が救ってくれることがあって、それらがわたしを救うためのものじゃないってことにまで救われて、上手に言葉にできない分、わたしの喉が鳴る。




20130727-01

7月24日の誕生日の友達が3人いて、高校のときまでは4人いたのになって思っていて、わたしはそのせいで、車があんまり好きじゃない。7月24日の誕生日の友達のうち一人のプレゼントをレターパックでさっき投函した、あれは海を越えて彼女の元へ届くのだと思う。7月28日の誕生日の人へのおめでとうメールをさっき下書きして保存した、添付の写真の日時を見られたら事前に準備していたことがばれてしまうし、わたしが一番にメールを送れるように、今日の11時58分にアラームをかけていることは、この日記を見てしまったあなたとわたしだけの秘密にしておいてほしい。

2013年7月24日水曜日

20130724-02


「結婚しよ」って冗談みたいにいわれて、冗談みたいに「はい」って言って、気づいたらおなじおはかに入ってたらいいな。



20130724-01

強い音楽を聞きながら強い小説を読むと頭の中がぐちゃぐちゃする、耳と目とで脳を引き裂かれるようで、音楽にも文字にも集中できないけど、たれ流される音楽はそのままに流砂を泳ぐように無理矢理文章を読み進めていくと脳味噌と意識がぐちゃぐちゃ汚らしく混ぜたサラダみたいになる。音楽を聞く耳と文字を読む目がそれぞれあるのに処理をする脳味噌は一つなんだと切実に思い知らされる。

強いというのは激しいとか刺激的なという意味ではなく心がかき混ぜられるようなという意味で、最初から心がかき混ぜられるものだと覚悟ができていれば脳味噌もそれだけに集中するけれど名作や名曲や思い出が付随するものではなく聞き流せる・読み流せると思ったものから不意打ちで受けるミキサーみたいな衝撃は、感じた瞬間耐えきれずにブレーカーひとつ落としてどちらかに集中することもあるけれどこうして引き裂かれてどちらもきちんと頭に入ってこないまま消化不良で飲み下すこともあり、それはとても贅沢だけれど苦しい行為で、続けるうちに強い音楽や小説そのものよりもあたまのぐちゃぐちゃ具合にばかり意識が行くようになり、音楽を聴いて文章を追いながらなにが今わたしの琴線に触れていて、なにが今ミキサーの刃となってわたしをかき回しているのだろうとか考えてしまう。

音楽と文章には相性があるけどそれすら合わせない、出た目のものをぐちゃぐちゃ混ぜるみたいな行為は意識してできるものじゃなく、いろんな条件が重なって偶然発生し、その上でわたしの体力と気力があるときだけ楽しめるものだけどその苦行で無為な行為がわたしはほんのすこし好きで、だから今日わたしは中央線で26分間、ミキサーされていました。

2013年7月6日土曜日

20130707

藁人形でかみさまを作りそれに毎日祈りをささげる、そうしたら藁人形にいつか命が吹き込まれ本当のわたしだけのかみさまになるかもしれない。本物なんて誰にも定義できなくて、もうそれはわたしが本物だと思ったら本物だというそれこそ宗教みたいなものなのだと思う。誰かが何かから救われた状態というのは何を指すかもわからなくて、もうすべて本人の心構えで、でもなにより間違ってはいけないのは、たとえそれがひどい状態だとしてもそれを選んだのはその人であって、決して藁人形のかみさまがわるいわけじゃないんだよ。