2015年10月31日土曜日

20151031-01

カジュアルな選択はしかし確実に選択で、つまり片方を選びもう片方を選ばないということ、カジュアルさゆえ軽視されがちだがしかし確実に選択なのであった。分かれ道は最初ひとつの道であり、T字路じゃなく1mmのずれ、それが百万年経ったらえらいことになる、みたいなやつ、いや百万年後の未来なんて想像しないよね、でも確実に訪れるんだよね、そういう感じのやつ。
おはようございます、2015年10月31日、今日わたしはXXXXXをもう言わない。


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「いっぱい出たね」って言う夢を見たけど全然いっぱい出てなかったしいっぱいどころか出てすらなかった。

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ラジオの素人と電話をするコーナー、内容が唐突に変更になり恋愛のお悩みをパーソナリティに話す流れになるのを聞きながら考えたのだけれどわたしには人に相談したいことがない。例えば仕事や何かの手続き、気になる料理のレシピ、そういうものは人に相談したいけれど人生のなにかの選択や悩みごと、そういうもので人に相談したいことがない。全ての選択は自分がしているとは思っていないけれど人に選択肢を提示され選び取るのは確実にわたし、いやなら死ねばいいのにというジョーカーみたいなカードを持ちつつする選択は二択とも自分に不本意なものだったとしてもジョーカーを切らなかった時点で選んだのはわたし、だったら人になにか相談することなんてないんじゃないかと思う。非生産的なことがしたくないから人に何かを相談することはないんだけどだから内省ばっかしてて、でもそれだってSnakeskinを聞きながらしてて、タダでも起きない感じにしないと死んじゃうんだろうなぁ心がって思う。3月のライオンの日曜日の描写が美しくて泣いた、わたしもああいう日をあと一日でいいから過ごしたかった。



仕事ってひまを潰すためにするんだなぁって思う、少なくともわたしはそうで、忙殺されたら心は死ぬけどゾンビになって生き延びられる。無理矢理のポジティブシンキングかよって思うけど他人が原因の巻き込まれ型災難みたいなものじゃないことで悩めるのはとても有意義なことだと思うし、このパソコンずっと触ってなかったせいかさっきから挙動と変換がめちゃくちゃでわたしはいまこっそりとてもイライラしている。