2014年8月31日日曜日

#絵と文章で120分(追記あり)

これをやりました。60分とか長過ぎでしょ余裕余裕って思ってたら全然時間が足りなかった、誤字とかあったらすみませんという感じだけれどめちゃ楽しかった!
うみんてぃあ先生が絵を描いてくれそうなので正座待機します。

【追記】絵描いてくれました!素敵すぎる…!!
https://twitter.com/umiumi_umi/status/505865214848667648

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自分でもバカなことをしていると思う、自覚があるからまだ多分大丈夫だと思う。
自分でもバカなことをしていると思ってる、でも多分、神社でおみくじを引いて、大吉だったら喜んで凶だったら少しショックを受けるような、その程度だったら何かを信じてもいいんじゃないかって思ってる。

19センチの白いスニーカーが持ち主をなくしてから10年経っても小奇麗なままなのは、わたしがときどき手入れをしているからというだけの単純な理由だ。似たようなわたしのスニーカーはマジックテープ式、お姉ちゃんのこのスニーカーは靴ひもでちゃんと結ぶもので、穿きにくく脱ぎにくいその靴ひもがわたしにとっては大人の象徴に見えた。羨ましがるわたしにお姉ちゃんはニヤっと笑いかけ、「あんたはまだ子供だから」って言った。なにさ、一つしか違わないくせにって思ったけれど、たしかに洋服のリボンの着脱もあまり得意じゃなかったわたしは、それを声には出さなかった。
手入れを怠っているせいでくすんだ23センチの焦げ茶のローファーを履いた自分の足元を見ながら、わたしは10年前のことを思い出す。

わたしが小1、お姉ちゃんが小2のとき、お姉ちゃんは成長するのをやめた。授業が終わって、近所の友達といつもの公園で遊ぶ約束をしていたわたしたちは急いで家にランドセルを置きに帰った。どんくさいわたしを待たずにお姉ちゃんはいつものように先に公園に急いだ。早く誰かが行かなければお気に入りの遊具を他のグループに取られてしまうけど、お姉ちゃんの活躍でわたしたちはいつもお気に入りの遊具で遊ぶことができた。だけどもその日わたしたちがお気に入りの遊具で遊ぶことは結局なかった。どんくさいわたしが支度を終えて家を出る前に、全てが終わっていた。


何度も何度も謝りに来た運転手の、顔をわたしは結局見ることがなかった。お姉ちゃんのお葬式でわたしはいろんな人に励まされて、いろんな人に同情された。だけど一番実感がないのは多分わたしで、悲しそうに泣く友達たちを映画でも見るように眺めることしかできなかった。生活が日常に戻り、ふとした瞬間――宿題でわからないことがあったり、友達と喧嘩してどうしたらいいか相談しようと思ったり――にだんだんとお姉ちゃんの不在が具現化されてきて、中学にあがるころにようやく、お姉ちゃんの死を理解できた。
お姉ちゃんのお気に入りのこの白いスニーカーは、左足だけが脱げて道路に転がっていたらしい。赤くなってしまった右足は、お姉ちゃんの服やカバンと一緒に処分されたのだと思う。
左だけになってしまったそれを、わたしはこの10年、時々押し入れから取り出して愛でていた。わたしの靴のサイズは年々大きくなるのに、お姉ちゃんのスニーカーは、19センチから一ミリも成長しなかった。


高校に入り新しくできた友達にばかみたいな噂を聞いた。「死んだ人に会う方法があるんだけど、知ってる?」とわたしに話したその子は、わたしのお姉ちゃんが10年前に死んだことを知らず、だからこそ明るいテンションでそんな話を振ってきたんだと思う。
――ある呪文を、白いA4の紙に書く。それを小さくたたみ、一週間肌身離さず持ち歩く。一週間後、その紙と使者の形見を持ち死者との思い出の場所へ、夕暮れ時に赴いて強く願う。10秒祈って目を開けると、死んだ人が目の前に立っている――

ばからしい、と思いながら、わたしはその呪文をメモし、家に帰って真っ白な紙に慎重にそれを書きつけた。持ち歩いている場面を他の人に見られたら失敗だということだったが、わたしがその妙な紙片を肌身離さず持ち歩いていることを気付く人はたまたまおらず、その『たまたま』具合に、わたしは背中を押された。一週間のち、押し入れの中からお姉ちゃんのスニーカーを取り出して、わたしはこっそり家を出た。

公園に来るのは本当に久しぶりだった。あんなに広かった公園はただの小さな広場でしかなくて、わたしたちが夢中になった遊具はただのつまらない鉄の塊に見えた。まだ4時なのに遊んでいる子供は誰一人いなくて、寂しいけれど、好都合だと思った。
スプリングのイルカに腰掛けて、わたしはお姉ちゃんのスニーカーを胸に抱くようにして持ち目をつむる。何も起こるわけはないと思う、もしかしたら何も起こってほしくないのかもしれない。だけれどももしかしたら、ひょっとするともしかしたら、と、心の片隅で思っている自分を感じる。
お姉ちゃんが目の前に現れたらなんて言おう、足のサイズも年齢も背も、とっくにお姉ちゃんを越してしまった妹を見て、お姉ちゃんはなんていうだろう。バカみたいだなと思いながらもわたしは、スニーカーを持つ両手に力を入れて、そっと目をつむった。




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