2015年2月28日土曜日

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「今すぐ荷物をまとめて出て行け」って言われて自分の15年間の長さを知る、洋服、ノート、そのほかもろもろ。くだらないものしかないのにリュックに全部詰め込めなくて絶望する、わたしの15年がここで断絶する。家族とか肉親が無条件で自分に優しいという誤解、とっくに改めていたと思っていたのにじゃあどうして今絶望しているかというとそういうゆるぎないものがどこかにあると思っていたからで、誰が悪いって言ったら間違いなく自分が悪い。
捨てられないものなんて何一つないのに躊躇してしまうのは未練があるから、しあわせだった記憶とかに未練があるから。

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自分と同等に不幸な人の話を聞いて安心しては差異を見つけてつらくなる、でも物事は白黒じゃないってわかってからいろんなことにセーブが利く。わたしはあの子が好きだし嫌い、それは十分両立するしみんなそう。

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いちごの入ったあまいサンドイッチに最初は面食らってしまったけれどすぐに慣れた、たいていのものを挟んでもパンはおいしい。おかずクレープ、デザートのパン、あまいごはん。

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おやすみなさいをちゃんと言うからおはようってちゃんと言ってほしい、おやすみなさい、またあした。



2015年2月22日日曜日

20150222-02


なんとなく見ていたustで生配信されてたライブに出てるのはあの子、思わずしちゃったメールのレスが速攻返ってきてわたしは笑う。
「ねえ今XXXってバンドをやってるの?」「そうだよ、こないだから入ったの」、ライブ中なのにもかかわらずぽんぽん返ってくるメッセージに驚くけれど、この子ならライブをしながらメールを返しちゃったりするかもしれない。「今ustで配信してるよ」って送られてきたurlはまさにわたしが今見ているもの、ゴリゴリ大きな音でベースを弾いている彼の音を追ってみたらほとんど開放、四弦しかないのに四弦以上の音を全部開放で弾いていて、わたしは驚いた後に笑う。


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例えば全ての事象が何かに結びつくようなそういう世界があるとして、そしてわたしがそこに生きているとして、じゃあどうしたらいいのかって言ったら死ぬか生きるかしかない。例えば全ての事象があの子に結びつく、そういう世界が幸せな世界か否かって言ったら前者、だったらわたし笑って生きるしかない。

死なないんなら笑え、世界は幸せなんだから笑え。口角無理矢理上げて繕え、その後ちゃんと心から笑え。


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mid summer night09がFlashbackになったの今知った、きみのことを殺したいぼくもいないし夜明け前はもう鮮やかにならない、でもそのかわりにぼくの景色ももう悲しくない。いとしいものがきれいになくなってくれることなんてないし、それらが変遷してあり続けるような世界なら、わたしもなんとかやっていくしかない。



わたあめみたいになりたかった、わたしわたあめみたいになりたかった。







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レジ横で梱包寸前のプレゼント、「どうしよう」って言うから迷っているならやめなと言った。そんな気持ちでプレゼントを買って、気持ちよく渡せるはずがない。
一方的な好意が自分の快楽になっている間はたくさんやったほうがいいけれど、ただひたすらそれを享受する相手の態度に辟易してしまったら、その瞬間にすべてが終わってしまう貴族の遊びみたいなものだし、『貴族の遊び相手には、本当に好きな人を選んではいけない』って、うちの猫が言ってたよ。

2015年2月14日土曜日

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「放置イコール停滞」だなんて愚者中の愚者の陥る罠、「放置イコール緩やかな死」だしそれはイコール緩慢な自殺だ。小学生の時朝顔を育てませんでしたか、お水もやらず日向にも出さなかった斎藤くんの朝顔はどうなりました? 放置すると朝顔は枯れるし人は死ぬ、「人」には自分も含まれる。

明日死ぬかもしれないから出し惜しみはしないでおこうとした結果去年の自分がサイコーによかったという状況で迎えた今日、わたしは絶望して100メートル先に見える「最後尾」の札の後ろに立つ。費やした時間や労力が気持ちに比例するとは言わないけれどそう錯覚してしまうことがある、割いたリソースの多少によって思いの強さを測ろうとするのは愚。わかっているけれど無意識で値踏みをしてしまう、去年のわたしはサイコーだった。

行きたい場所がどこにもないなら自分の中に潜ればいいのに、目の前の時間を暇と認識して持て余した瞬間わたしは死ぬ。目を開けて死ぬとふと飛び込んでくる文章があって、それで再び生き返ったりする、だからわたしは死んでしまうのは仕方がないとしても、せめて目を開いたまま死にたいと思っている。

2015年2月7日土曜日

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朝起きてもう二度と起きたくないと思うから目覚ましをかける、明日まで生き延ばすって手段はわたしに限り実に有効だ。
わたしの存在の有無にかかわらずわたしの好きな人が幸せになってくれたらいいって本当に思っているのに全部偽善みたい、自分のエゴの汚さばかり引き延ばして突き付けられ続けてもう何年経つのかな、一生許されることはないだろうって思ってはいたけど実際そんな5年を過ごすともういい加減うんざりする。
たった5年。

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駅の女子トイレは個室が二つ、奥が開いているのにみんな避けて通るから順番が回ってきたときに入ってみた。血まみれの個室を見て納得したけど、多分血にまみれた手で個室内の壁をベタベタ触ってしまったんだなと思ったからわたしは気にせずそこで用を足す。
トイレットペーパーのホルダーの金属に、ドアの内鍵に、そして左右の両壁に。いろんなところに手のあとが赤くついているけれどタイルの床だって若干血だまり、足元が血でぬるぬるして滑るから左右の壁を押すようにして体勢を保っていたのだなと考えると壁にしつこいほどついた血だって納得、だから何にも怖くなかった。

それでもわたしが個室から出たあと入った女の子が顔を真っ青にして飛び出してきたから、ああこのまま汚れているとこの女子トイレは個室がひとつしか機能しないことになりトイレ待機列がどんどん伸びる、と思って駅員さんに報告をしに行った。ターミナル駅の利用者は毎年増加、東口改札には駅員さんが10人待機していて不測の事態に備えている。
一番暇そうな若い駅員さんに声をかけると出張交番に移動して事情聴取が始まった。「まずは名前をここに漢字で書いてください」と差し出される用紙には既に「サカイ ユキ」と書かれており、これがわたしの名前なのかと一瞬納得するけれど、サカイの字が『阪井』か『阪伊』のどちらなのかわからず逡巡する。
わたしの動揺を読み取って若い駅員さんが「どうしました?」と訊いてくるから仕方なく「わたしはサカイではありません」と吐いた。駅員はそうでしょう、というように頷き、「それではあなたの正しい苗字をこちらに」と掌で促す。
わたしはわたしの正しい苗字を知らない。

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時間がないけれどラーメンが食べたいと言うわたしを絵里ちゃんはうなぎ屋さんに連れて行く。1000円で食べられるその店の鯛茶漬けは絶品、まるでショートケーキのような見た目も女性に人気、今日みたいにお酒を飲んだシメにはぴったりだと絵里ちゃんは言うし、わたしもまあラーメンを欲して鯛茶漬けを提案されるのは何も間違っていないから大人しく従う。
既に長い列ができているうなぎ屋に並びもせずに、近くの公園で絵里ちゃんはダラダラと喋る。近況報告、彼氏の愚痴、バイト先の店長のウザさについて。そうこうしているうちにわたしの新幹線の時間が迫ってきて、わたしは鯛茶漬けと新幹線、どちらを諦めるかの選択を迫られる。

2015年2月2日月曜日

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真っ暗な部屋でストーブに当たりながら猫を抱えてしずかなアニメを見ているとしずかな気持ちになってしまう、頭に穴が開いているわけではないのに過ぎた瞬間から記憶が流れ出てわたしのなかにはなにも残らない。
本当のことは自分の中にだけ留めておくことにしたのに、いつも最後に話した言葉を忘れてしまう。さようならか、ありがとうか、またねだったらいいなと思う。

わたしは君に最後なんて言ったのかな、二度と会えないから覚えておくとか言わないで。

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湯たんぽ代わりに小さなホットのペットボトルを買うから鞄がどんどん重くなる、ジャスミン茶と緑茶とレモンティを消費して残るはホットレモンとバンホーテンのココア、さっき買ったばかりのココアはまだ湯たんぽで使うとして冷えたホットレモンは片づけてしまわねばならない。
おなかがずっといたいけどイブを流し込むのにホットレモンもココアもふさわしくないから我慢している。正確に言うとココアはイブを流し込むのに最適、最適ではあるのだけれど気分ではないからしたくない。

地面からずどんと突かれるみたいなおなかの痛みはすごく痛いけど嫌じゃない、繋ぎ止められている感じがする。薬を飲むとだって腎臓が大変そう、だからわたしはあんまりお薬を飲みたくない。……ってのを理由にわたしは今おなかが痛い波みたいなものにとりあえずさらわれている。何もしないでただ耐えている感じがして、これはこれで結構好き。

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わたしたちは包囲されてい ま せん。




2015年2月1日日曜日

20150201-01

わたしは今まで自分が好きになった人どころか今までしたバイトだって全部は思い出せない、例えば今誰かに今まで付き合った彼氏の人数を聞かれて答えられるかというとまぁ勿論答えられるけど数秒必要、それはわたしが付き合った人数が多いわけじゃなくてちゃんと覚えていられないから。わたしはすぐに忘れるし、忘れっぽいせいもあるけれどこれだけ生きていたら忘れないときっと容量がパンクしてしまうのだと思うし、履歴書だって昔の手帳と日記を引っ張り出さないと書けないくらいだし、だから例えば好きになった人に、わたしの知らない出来事や思い出があるってことは至極当然のことだってさっきお風呂で考えていて不思議な気持ちになった。例えば地元が同じ小学生同士なら、相手の親や兄弟や家族・育ってきた環境や初恋の相手まで知ってしまって自分の知らないなにか特別大きな事件って多分ない、でも大人になると全部知るなんて無理、それはまるで諦めのようでもあるけれど、わたしがわたし自身のことをたくさん忘れてしまっているということからもわかる真実、すごいなあ、長く生きるとたいそうだな、と思う。
わたしだって自分のことを全部覚えていないし頑張っても思い出せない、人のことなんて例えそれが表層的な歴史だとしても、全部把握するのは多分無理。


『わたしはわたしにしかなれないし君も君にしかなれない、わたしの人生はわたしが頑張ることしかできないし君の人生もそう、だから各自ファイトだよ、そんでもって一緒に眠っておいしいものを食べよう』。基本姿勢は変わらないけどわたしの人生やっぱりわたしが頑張るしかないのかぁって、当たり前のことがちょっといやになったのは、多分疲れているのだと思う。思うけど、じゃあ疲れていない状態ってどんなんだって考えてもわからないし、だから明日はあんまりおなかいっぱいにごはんを食べるのはやめて、二駅くらい散歩をします。わたしの基本姿勢は正しいと今でも確信しているけれど、それはかなりタフなものだから、今ちょっとそれがいやになっちゃっただけだよ。