2012年12月30日日曜日

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電車の先頭車両は女性専用車両で、そこそこ混んでいた。落ちていたヘアピンがコロコロ転がって足に当たって止まる。わたしはそれを拾い上げ、眺める。黒い小さなお花のようなかざりがついた、パッチンととめるタイプのヘアピンは、子供っぽいけどかわいらしくて、いったい誰がこれを落としたのだろう、ゴミとして捨ててしまうにはまだきれいだからきちんと駅員さんに届けてみようかな、と考える。「ねえあなたそれわたしのものなのだけど」と、足元から声がしてびくっとすると、小さな女の子が咎めるように見上げていた。母親らしき中年の女性も「まさか盗むつもりだったのかしら」という表情でわたしを睨み付けていて、「いや、わたしこれを、駅員さんに届けるつもりだったんですけど」と、弁解したくなったけどそれが逆に怪しい気がしてムッとしたまま黙り込んだ。ひったくるようにヘアピンを奪い「いやあね」と言いながら背を向けた親子に対して「あんたらさ、」と声がかかる。「あんたらさ、この子はそれを拾ってあげて、拾得物として届けようとしてくれてたんだよ。それなのにその態度、恥ずかしくないわけ?」見知らぬショートカットの女性にそう言われ、親子は揃って顔を赤くするも「なにあれ行きましょう」と、ますますムッとして遠ざかる。「いいのいいの、あんなの気にしないで」と、わたしに笑いかけるそのひとはなんだかどこかで見たことのあるような、そうしてあんまりかかわりたくないような人で、思わず「このひととは、知り合いになりたくない」と思ってしまった自分のことを、なんだか卑怯に感じる。

船は函館から青森までゆっくり進む。びっくりするほど小さな船には観光客はわたしたちくらいで、あとは地元のおじさんが、談笑しながら乗っている。そもそも連絡船でもなんでもないこの船に、頼み込んで乗せてもらったのはわたしたちで、だからわたしはこっそりと、「港に着くまで彼女がなにもしませんように」と、漠然とそんなことを考える。
「ねえわたしもう死のうとおもう」と、彼女が言い出したのはちょうど港と港の中間地点で、わたしは「あ、やっぱり」ってがっかりする。海は赤潮で汚れていて、飛び込んだらそれに絡まれそうだ。「あんたさいつもそう言って結局死ねないじゃん、だからそんなばかなこと言うのやめなよ本気で怒るよ、船の人たちに迷惑かけるのやめなよ、絶対死ねないんだから無駄なことするんじゃないよ」って、わたしはすでに本気で怒っている。
柱に手をかけ背を仰け反らせ、今にも海に落ちてしまいそうな彼女をおじさまたちは力ずくで止めようとするけどわたしは一歩も動かない。落ちるなら落ちろ、どうせあんたは死なない。それよりどうしてあんたは、わたしが頼み込んで乗せてもらったこの船で、こうやって迷惑をかけるのだ。いらいらする、わたし一人だったら何事もなく港に着いたのに、いらいらする。いつもわたしの邪魔ばかりするし死ぬ死ぬ言って死なないし、それにわたしは慣れたからいいけどこうやって毎回周りの人をかき回して結局死ななくて、そのあとヘコヘコ謝るのはわたしだ。まだいっそのこと死んでくれたらいいのに、ぜんぜんぴんぴんしているから腹が立つ。口に出さずにイライラしていたら、とうとう彼女が飛び込んだ。人間はそういう風にできているから、いくら服を着ていても彼女はすぐに浮かび上がる。ぷかあ。赤潮で汚れた海に、真っ白の洋服がふわあと広がる。慌ててもう一度沈もうとして、すぐに浮かび上がってまた沈む、ばかみたい。幸いなことに船は速度を落とすことなく港目指して一直線で、必死で溺死しようともがいている彼女からどんどんどんどん離れていくから、早く港に着きますように、でもそうしたらまたわたし、警察に事情聴取されて、港の消防隊に謝って、ぜんぜん仲良くもなんともない彼女のために、また気苦労するのかと思って憂鬱になる。
いっそのことあのまんま、赤潮に絡められて死ねばいいのに。

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キチガイに刃物というが、キチガイは刃物を持って現れる。ああ刺されるならどこがいいかな、変に生き残って障害が残るような箇所に刃物突き立てられたくないな。なんとなくおなかを刺されてもがんばったら障害もなく生き残れるような感じがする、おなかを刺された経験はないけど、生理痛のひどいものだとどこか思っていて、だからわたしはおなかを刺されても、なんとか耐えられそうな気がしてる。ぼおっとそんなこと考えてたら刃物をくるんでいたタオルがばさっと外れ、キチガイの刃物が露になった。それは刃渡り30センチくらいの大きなナイフで、キチガイらしからぬ繊細さでぴかぴかに砥がれ磨き上げられていて、しかもなぜかキチガイは、わたしの右手に狙いをつけた。腕じゃなくて、手。わたしの右手をぎゅっと握って親指以外の4本をすぱっと切断しにかかる。おそらくこのままぐっと力を入れたらわたしの人差し指中指薬指小指なんて多分あっというまにぽおんと飛んでしまいそうで、でももしそうなったら、命に別状がないのに指がない生活で、キーボードも打てないしお鍋ももてない字もかけないしお化粧もできない、そんなの絶対理不尽だと思ったから、ナイフを逆刃にしてわたしの指の変わりに、キチガイの指を落としてやった。「あのさあ、なんでなにもしてないわたしが、あんたなんかに指を切断されなきゃいけないわけ?」呟いたけど多分、彼の耳には届いてない。当たり前のことだけどやっぱりわたし、他人に理不尽に傷つけられるの、やっぱりどうしても許せない。



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さくらちゃんは死んでるし、だからわたしだって死んでるし、いや死んでるんじゃなくていま墓石の下で頑張ってる感じなんだけどぜんぜん頑張れない。頑張れないって言うか頑張る素地がない。くじけそうになる。くじけそうになるけどなんだかそれもひどく理不尽だから、もうちょっと危機感持って頑張って、って思ってる。
いますごくおなかがすいているけど、おなかがすいていても、おうちにぜんざいがあるって事実でいろんなものが許されている。ぜんざい賞味期限まだまだだから、多分わたしこのぜんざいのこと、おまもりみたいにギリギリまで、食べないでとっておくんだと思う。

2012年12月27日木曜日

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あげあしとって回りたい、片っ端から回りたい。言葉尻とってつつきたい、きみの全助詞にイチャモンつけたい。事実がたとえそうだとしても、そしてそこに本質がなくても、言ってはいけないことは確実にあって、たとえ君がそれを口にしなくても、それがぼくに漏れ出ているなら、口に出してると同じことだ。


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最近なにもものを見てない、アニメも小説もマンガも読んでない。読んでいるんだけどそうじゃなくてなんか違って、いやそうなんだけど絶望的に違ってて、だからわたしは圧倒的に、きちんとひとりにならなきゃいけない。吐くまで食べた挙句の吐瀉物をこねくり回していじったりできなくなると、わたし多分ゾンビになるのだとおもう。そしてすでにそうなっている気配がして、たしかに今までの、ゾンビらしいゾンビではないのだけれど、ポジティブゾンビって怖くない? 上手く言語化できないししたくもないけど、まあ、そういう感じです。


友達について考えて、わたしは人に堂々と、「友達です」って言える人がいなくて、なぜかというと友達というのは、相互の意思がないと名乗ってはいけないものだとおもっているから。わたしが一方的に好きで、友達だと思いたい人は沢山いて、でもその人たちを「友達」と、称した時点で怒られそうだ。でもこういうしちめんどくさいこと、現実世界じゃ通用しないから、単純に知人の呼称として、わたしは「友達」を使用する。
めんどくさい定義を置いておくと、わたしの「友達」はみんなやさしくて、わたしがしたいことやしてほしいこと、かけてほしいことばやしてほしい反応、そういうものを全部くれる。例えばわたしの名前や存在を、知っていて覚えてくれるだけで嬉しいし、声をかけてくれただけで泣きそうになる、それは本当に大袈裟じゃなくて、みんなどこで計ってたのってくらい、すごいタイミングでそれをくれるから、わたしはわたしの「友達」にすごく感謝をしているし、せかいにありがとうと思ってる。それと同時に、わたしはわたしが思うほど、そんなにクズじゃあないよって思いたい。わたしがどんなことでうれしいかというと、たとえば年賀状あげるって言ってくれたり、こんどXX一緒に行こうって言ってくれたり、単純に話しかけてくれたり、そういうことですごくうれしい。
でもこういうのってすごく、一般的に見たらささいなことだとわかっているし、だからあまりにもそこの部分に大袈裟に感謝をすると重たいかなって思うから、わたしあんまり言うべきじゃないと思うけど、まいにちまいにちうれしいし、わたしがいま奇跡的に、自分の精神コントロールできているのはそういう人たちのおかげだから、わたしいつか、ちゃんと恩返ししたい。

人に甘えるのがすごく苦手で、ましてやすきなひとには、わたし絶対あまえたくないんだけど、なにもいわないのに無意識に、わたしのこと甘えさせてくれるそういうひとたちに、わたしすごく感謝をしている、ありがとう。多分これを読んでくれているきみのことは、わたしはそういう感じに思っているよ、ありがとう。


最近何もアニメ見てないからまたただの日記になった。つまらない。
すごく遠くへ行きたいなと思うけど、多分ただなぞりたいだけだと思うから、それは正しいことなのか判断がつかなくて、でもそういうものなくしてしまったら多分本当に死んでしまう。遠くへ行きたいとか、携帯を投げ捨てたいとか、衝動的に全部やめたくなるくせは多分一生変わらないし、わたしだけのものじゃない。

まともなひとになりたいけれど、完全に死んでまっとうにうまれかわるのは、やっぱり、すこし、いやだ。





2012年12月15日土曜日

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壊れやすいものが壊れやすいことを壊さないように確認する、柔らかいそれは熱量を持って僕の掌を押し返す。確かに受け入れられているはずなのにひっそりした弾力が輪郭をなぞって、ああ、別の個体だと思い知ってひどく悲しくなった。君が儚くて弱くて脆い生き物であることを、確認せずにはいられない。君の生死は僕のものなのに君と僕とは違う個体で、その事実ものすごく腹が立つ。ご飯を食べて酸素を吸って二酸化炭素を吐く君の、生物としての生命活動に僕は全く必要なくて、僕がいなくても生きてゆけるが嘘だとしても僕がいさえすれば生きてゆけるも嘘だろ、なんだそれ、すごく腹が立つ。


君なんて、いっそのこと、
僕で栄養補給して僕で呼吸をし僕で生命活動を維持して僕で社会活動を営み僕で精神と性欲を満たして僕だけを糧にして生きればいいのに、


詮無いことだ。









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野嵜貴子さんの個展(http://nozaki.main.jp/ugomeku/)に行ってきた。のざきさんの作品を初めて見たのはコミティアで買った小火で、(その感想を書こうとしたけどご存じの通りわたし感想文が苦手だから「ふわあとなった」としか書けないことに今気付いた)それから何作か読ませてもらってすごく好きで、個展があるって知って絶対行きたいと思って最終日にやっと行けた。のざきさんの絵を見てると世界は全然狭量じゃないし何でこんな色が出てくるのかなってすごく不思議な気持ちになる。物事には世界との境界線があってそれが輪郭と呼ばれるものだと思うのだけど、それはくっきりしたりぼんやりしたりして、そういうものや、多分世界はわたしの頭の中よりもずっとカラフルで繊細で美しくて、そういうことや、でも全部とてもめんこいし愛おしいしで、そういうなにか愛おしい生き物の生命活動を飽きもせず眺めていられるような、そういう不思議な気持ちになる。好きな人の漫画や絵を見るときいつもそうだけど、なんでこの人はこんなものを描けるのかな、一体全体どこをどうしたらこんなものが生まれるのかなって、すごく愛おしくなってしまう。かたちやいろや輪郭ぜんぶ、何時間でも眺めていたくなるからすごい。




絵を見てると自然と顔がにやけてしまうのでマフラーで顔隠しながら展示見た。漫画読んで泣きそうになったので急いで帰ってきてしまった。次もものすごくたのしみにしています、見に行けてすごくよかった。




こういう感想うまく言えたらもっといいのになっていつも思う。技術的なことや知識があったらもっとうまいこと言えるのかなと思うけど、「すごいすき!」しかいつも言えなくてすごく困る。でも拙くても「すごいすき!」はわたしは言われたら嬉しいから言ったほうがいいなと思ったし言いたいし、わたしに好きと言われるの(例え作品が、であっても)気持ち悪いかなとどうしても思うけど、すきなもの作る人が同じ時代に生きてること自体奇跡だし感想を伝えられるってのも奇跡だから、やっぱりどんどん言おう。

2012年12月14日金曜日

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今朝気付いたけどわたしのこのこれ、無償じゃなくて有償だ。費用対効果に燃費に見返り、そういうものがついてまわるやつ。ほんとに好きなら愛するべきだし、愛というのは無償のもので、だから自己犠牲我慢忍耐精神的自傷行為そういうものは屁でもなかったし、むしろそういうもので計測されるのが愛情の深さである。自分の気持ちを自覚したり相手への要求を抱いたり、触られて痛みを感じたりいやなことされて悲しいと感じたり、そういうこと自体が裏切りだし誠実じゃないと思ってた。全感覚を相手に重ねて、自分の痛みやそういうものを全部シャットダウンする。わたしには子供はいないけど、多分子供に対して注ぐようなそれを、無償で注げるのが愛情だと思ってて、「好き」というのはそういうことで、だから「きみのそれは愛じゃないよ」っての、ずいぶんいろんな人に思った。わたし好かれてはいるけど愛されてはいないなと思ってたし、わたしが人を好きになるときはもう愛にしかならないと思ってたから、自分のそれと比べて随分自分勝手で汚いなと思ったし、「君のこと愛してるよ」って言う人に対しては、僅かに抱いていた好意が殺意に変わったりすらした。


わたしが死んで相手がしあわせになるなら死にたいし、自分がクズだから相手に近づきたくないし、それは相手のことが好きだからこそそうだし、君のこと好きだからこそ一緒にいたくない。自分がクズだとしたら、「一緒にしあわせになりましょう」なんて頭のおかしいセリフ言えないし思いもしない。「君と一緒にいたい」とか真顔で抜かせるやつはみんな、本当に相手のことを考えていないか、もしくは自意識過剰なひとだ。僕はそういう人を軽蔑するし、そういう人から向けられた「好き」を命をかけて否定する、
そう思ってたんだけど、
わたしのいまのこのこれが、無償じゃなくて有償だって、気付いて目から鱗が落ちた。


すごくベタなこというと、ああこれが恋かと思ったし、恋とはずいぶんきたないものだなと思った。やっぱりわたし今でも、恋より愛の方が崇高だと思ってるし、恋人(字面で気付けばよかったのに)に対しては愛を持てなければならないと思ってるし、それで自分のこと責めたりしたんだけど、これがもし「恋」というものならば、わたし自分のことも相手のことも、許せるなと思った。

“残念ながらわたし君のこと、愛してないけど恋はしてるよ”は、なんだかひどい言葉に聞こえる。でもわたしにとって前者であれば今すぐダッシュで逃げ去りたいし、後者であるから一緒にいたいし、だからまあ、いろいろ許してほしい。

してあげたいことたくさんあるけどしてほしいこともたくさんある、言いたいこともたくさんあるけど言ってほしいことたくさんある。後者の欲求全部嘘だし持ってはいけないと思っていたけどもしかしたら許されるのかな、もしそうだったらすごく救われるなって、今ちょっとだけ思ってる。




我に返ると自分が気持ち悪くなってしまうし一気に自身が無くなってしまう、だからわたし、なるべく我に返らないようにする。多分平気大丈夫って無理矢理思うのは、客観的事実と経験則に基づいた戦略なので、わたしはわたしの気持ち悪さを、全力で無視することにする。





2012年12月13日木曜日

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わたしが口にする曖昧なこと、全部都合よくとらえてほしい。当たっていても外れていても、わたし何も言わずににっこりするから、全部都合よくとらえてほしい。

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例えば甘えとかそういうの、しちゃいけないことだと思ってきたし、わたしはわたしのしっかりした部分がすきだから、だれかにうまく頼れない。そこを好きだと言ってくれる友達だってたくさんいるし、自分でもそこが誇りだったりする。だからわたしのそういうところを、「女の子は、ちょっと頼りないくらいがいいんだよ」って言われたら、わたしどうしていいかわからなくなる。

わたしのほうが力が強い/わたしのほうがしっかりしている/わたし方向音痴じゃない/わたしそんなにさみしがり屋じゃない/頭もそんなにわるくない。これらの事実は、時と場合によってステルスされるべきものらしい。

それが上手にできたなら、わたしあの子の恋人でいれたらしい。頭では分かるけど、これがどうしたってわたしだから、君の「守りたい、この女の子」的な偶像を押しつけられてもそれわたしじゃないし、って、またもや可愛くないこと考えてしまう。

ホラまたアレだ、わたしが封印しようとしている“べき”論が、きみのなかにもあるじゃない。

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“きみのためならぼく、ぼくじゃなくなっても”っておはなしは、またべつの話。


2012年12月11日火曜日

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おんなのこは不幸で憂鬱であるべきで、つまりはわたし今、全然おんなのこじゃない。


アニメのこと考えてるわたしと仕事のことかんがえてるわたしとアダルトグッズのこと考えてるわたしと可愛い女子のこと考えてるわたしとキャラメルクレープのこと考えてるわたしとすきなひとのこと考えてるわたしは全部わたしで、区切りがうまくつけられない。つけられないから混ぜているけど、別にありのままのわたしを愛してとか思ってないしどれもこれもありのままですらないんだけど、でも最近ちょっとどうなのと思いつつある。現実世界だとそれの使い分けというか、自然と見せる顔の一面が限定されると思うんだけど、インターネットだとごちゃ混ぜになって、でもそれがいいかなあと思ってたんだけど、最近どうなのとすごく思う。かと言ってわたしめんどくさがりだし不器用だから、つかいわけるということが全然できなくて、だから例えばツイートするアニメの作品ごとにアカウントを使い分けてるひととかを、わたしはすごく尊敬してる。
最近本が全然進まない、ラジオも全然聞いてない。それはなぜかというと、考えることがおおいからだ。本を読むのすごく好きで、それはもう純粋に好きなんだけど、それよりどうでもいいことに、CPU奪われてほかのことができないかんじ。ぼおっと考えてたら本読む頭の隙間がなくて、だから11月の連休用に借りた本、未だに全然読めてない。多分12月は最近で最低の既読冊数になりそうで、わたしなんにもしてないな、って気持ちになる。だからせめてのこるように、いろんなところで下らない文章書くよ。

2012年12月9日日曜日

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今すごく知らない女の人に呼ばれてるけど、無視してる。ごめんね?

何かが始まると必ず終わるし、つまりそれをちょっとアレな感じで言い換えると、永遠なんてないということで、いつか終わるものならばもうこの手で終わりにしたいし、だからわたしは最近、お風呂にいいにおいの入浴剤入れてジュース持ち込んで飲みながら暖まって、うれしいメールとかを見返してそのままぶくぶく沈んでしにたいな、って思う。つまり今わたしのこと読んでる女の人の声はとても甘美で、いやでもまあ、今日は人生最後にお風呂で飲むべきおいしいジュースが手元にないから、普通に入ってあがると思うけど。
頭で考えて正解の行動や言動やそういうもの、ぜんぶほんとはわかるけど、わかるから、多分どうでもいい人に対してだったらわたし、結構かわいくふるまえると思う。でもそういうことしてると本当に作り笑顔と媚だけの人間になったみたいになって、と同時にすごく相手のこと見下してしまうし、いいこといっこもないというか、いやそれこそ仕事で使うんだったらすごくいいんだけど、でもそれとはまたちょっと違うタイプの媚態だから、多分もう一生しないと思う。相手がどんな人であってもそういう風に人を見下すのは間違っているし、わたしにそんな権利ない。でもそういうのじゃなかったら、全然正解の行動できないし、すごくかわいげないなあってしみじみ思う。どんどん、「ザ・不正解」の行動しちゃって、ああこういうダメパターン、小説やマンガで腐るほど見たわーって状態になる。なんだかなあと思うけど、でも正直になるとそうなってしまうし、じゃあわたしはどの方向に頑張ればいいのかなって考えるけど、ぜんぜん浮かばない。
自分の重みと気持ち悪さで潰れそう。気持ち悪いクズのような人間に行為をもたれるのって悲劇以外のなにものでもないと思っていて、しかもそれを露発されるなんてもうすでに犯罪行為で、だからわたしは現在進行形で犯罪を犯しているわけで、それが純粋に申し訳ない。あー犯罪者かあわたしそうかあって笑うしかできないし、だから女の人がまたわたしのこと呼んでるけど、ぶくぶく沈んでしんだりなんて殊勝なことしないで、犯罪者らしくふてぶてあがってくると思う。


お風呂はいろう。

2012年12月8日土曜日

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さみしくないのとか寒くないのとか痛くないのとかつらくないのとかそういうのって一瞬で慣れる、すごくやだ。継続的にさみしくてさむくていたくてしんどい状態でいないと、も一度霊安室みたいなとこに閉じ込められたとき今度は生きて帰ってこれないんじゃないかと思うから、そうしたい。あったかくてふわふわしてあまくておいしくて、そういうところ、一瞬でも入ってしまったら、次そこから追い出されたとき、こころがぽきりと折れる気がする、わたし多分片足突っ込んでる、早く抜かないとだめだ。

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あんなに沢山あった、履歴書の束が見つからない。2006年からの手帳あるのに、2010年のだけ見つからない。本気で記憶がなくなるから、手帳や履歴書やそういうものに、「いまわたしは何をしていて、いつからいつまで何をしていた」ってことあるごとに書き留めないと、ポロポロこぼれて忘れてしまう。履歴書を書く、何のためとかじゃなくて、忘れてしまう自分の記憶をピン留めするために書く。書くために昔の手帳を引っ張り出して、わたしの空白期間は2006年から数年間くらいだと思っていたんだけど、2010年もすっぽり抜けてて、うわあ、こんな最近にも欠落が、ってギョッとする。


きおくがない。


高校のとき自転車で二人乗りしてて、後輪に泥除け巻き込まれて前転した。中学のときは二人乗りしてたら鬼みたいな先生に怒られた。神楽坂のピザ屋さんいったりテレアポしたり企画したり歯医者さんで一日歯科助手のかっこしてキャンペーンしたり、そういう断片的なことは覚えてるんだけど、だれとなにをしていて、何の仕事していて、わたしなに考えていて、だれと一緒にいたのかとか、全然全く覚えてない。ずっと夢の中にいるみたいだったし、いまでも夢の中にいるみたいで、多分毎日なにかに日記を書き留めないと忘れちゃう、だから今年はちゃんと手帳買った。
きおくがないって、忘れっぽいとかそういうのじゃなくて、本当に覚えていなくって、それはたぶんつらいことがあったとかじゃなくて、目がぼんやりかすむとか視界にモザイクかかるとか、当時からそんなかんじだったからだと思う、そしてそれはいまもそうだ。世界はすりガラス越しに見えていて、輪郭判るし見てれば見失わないんだけど、一瞬目を逸らしたら、すぐにぼんやり記憶が溶ける。「わたし、のうみそがだんだん小さくなっていってるの」って言って毎月脳のCTスキャンかなんか受けてる友達がいて、もしかしたらわたしもそうなんじゃないかって病院の先生に相談に行ったら笑われたことある。多分ずっとなにか麻痺してるんだと思う、生まれつき視力がわるいひとみたいに、わたしの世界にはずっともやがかかっていて、でもそれは生まれつきだから何も不便はないんだけど、ただ人と話したときに、わたしがあまりにも何も覚えてないのを怪訝そうにされるから、それだけはちょっと恥ずかしいなと思う。
多分これやったっぽいなって記憶とか、あの人と仲良く話した気がするって記憶とか、たくさんあるけどどれも昔見た夢みたいですごくぼんやりしている。だからこそ全ての人のこと、わたし一方的に知ってるだけで相手は自分のこと認識してないし忘れてると思ってるし、だからこそ名前を呼ばれたら、ものすごくうれしかったりするんだけど。でもはっきりくっきり思い出してもしんどそうだから、わたしこうして毎日、ぼおっと生きると思う。



恋とか失恋とか就職とか失業とか破瓜とか自殺とか、なにかしたらわたし覚醒するんじゃないかって、ずっと期待してたけどだめみたいだ。気付いたらすごくこわくなるけど、隣にいる人がいつの間にかいなくなってもすりガラス越しだったらダメージ減しそうだから、うんだからやっぱりこれでいいかなって思う。

2012年12月6日木曜日

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オーケー、正直に話をしよう。

僕は君を傷付けてしまったことをひどく後悔している。それと同じくらい、僕が僕を不幸にしてしまったことを、ひどく後悔しているんだ。
君のことだけ考えて、後悔して生きてたかった。でも僕やっぱり自分がかわいくてかわいそうで、だから自分の不幸にも後悔していて、だからってじゃあ100%独善的になれるかというとそうでもなくて、だから僕は前任でも悪人でもない、ただの単なる凡人だ。



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わたしやっぱりあんなこと、言うべきじゃなかったなと思ってる。
こいびとや友人や家族が、何かのオプションみたいに必要条件満たした人に挿げ替えることができるなんて思ってないけど、でもやっぱり、思う。すごおくいやな話をすると、きみにぴったりなどこかのだれかがきみを選ぶとは限らないし、もちろん“そもそも”の前提だって、わたしも色々わかってる。色々わかってるけど、色々思っちゃうってことはあって、それはそれで、もうどうしようもない。
一人で暗いこと考えてたらなんだかすごく居心地よくって、ああ、って自然と声が出て、

わたしまだ、“べき”ってやっぱり思ってる。


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隙間に入っていくお金、すごくこわい。内容が恐ろしくて本を読み進められなくなったの、殺人鬼に続いて二冊目だ。
でも多分これは最後まで読まないとわたし眠れなくなるから、ちゃんと最後まで読む。
感想文じゃないもの書きたくなってきたから、どうしようかなブログなにか他に探そうかなって探してて、うーんうーんて悩んでいて、いまも悩んでる。自分のためだけに書くのであればすごく適したところがあるんだけど、でもそこには数年前の自分の文章があって、もう昔書いた文章なんて見返したくもないから、やっぱり何か探そうって思って、でも昔みたいに、完全に自分しか見られないのはすこしさみしいなと思う気持ちもあって、ああ承認欲求というか、わたしはここよ見つけて的なこの欲求、めちゃくちゃ気持ち悪いなと思ってる。気持ち悪いといえば、AMのいいね女的な連載コラム、あれ書いてる人一体何のトラウマがあったのってくらい気持ち悪くて笑ってる。まみさんのじゃなくて、署名記事じゃないやつ。こんな女に注意的なやつ。もしやネタなのか…とも思ったけど、あの記事に言及してるひともライターさん側に立ったコメントしてるから、気持ち悪くて笑ってる。すごい心狭いな、なにかいやなことあったのかな? かわいい女子には寛容でないとだめである。わたしは個人的に、頑張って自撮りして、女子会の様子を実況中継したり、ごはんやスイーツの写真載せたり、たまにネット上で落ち込んじゃったりする女子のこと、すごくすきなのでどんどんやってほしい。わたしのツイッターの非公開リストには「かわいいひとたち」ってのがあって、そこには可愛い女子しかいないんだけど、可愛い女子がかわいいこと呟いて可愛い自撮りやスイーツやごはんやペットや夜景や、オシャレなカフェごはんごしにちらっと見える男の子の腕や、そんな写真をどんどこあげるようすがたくさん見られて、わたし史上最強にしあわせ。

最近自分のことを、すごく気持ち悪いなって思うこと多々あるんだけど、いまこの文章書いてまたそれひしひし思ってる。そろそろいろいろ許されなくなってきている気がするけど、気持ち悪いこと黙って思ってるともっと気持ち悪いよなあって思ったので書きました。可愛い女子はどんどこ自撮りしたり日記書いたりしてください。わたしのしあわせのために。

 

2012年12月5日水曜日

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思いやりは想像力で、違う価値観を認めることで、つまりはそこには、相手を好きとか嫌いとか、思いやる気がないとか優しくないとか、そういうものは関係ない。
人との価値観の差異がどうしても理解できないとき、わたしは自分と相手を、違う国の人間や違う部族、違う星の人間として考える。例えば同じ日本人だって、現代と戦後や現代と戦国時代では常識が全然違ったし、だからお互いが「あなたのため」として行動する内容にずれがあって当然だし、そのずれを「あなたはわたしのことが好きじゃないから/優しくないから/思いやってくれないからそういうことをするんだわ」ってとらえてしまうのは、すごくなにかが違うと思う。そこで想像力と、違う価値観を認めることだ。「ぼくはこういうことをされたら悲しい」を最大限に想像して、「ぼくは悲しくないけど、他の人はどうだろう」「ぼくはうれしいけど、一般的にはどうだろう」「ぼくはこう思うけど、あの子はどう思うだろう」って、たくさんたくさん考える。わたしは昔、わたしの信じる正義こそ正義だと思っていたし、わたしの理想こそ理想だと思っていたから、自分の考える「思いやり」「やさしさ」が相手に通用しないとき、そしてそれを責められたとき、「わたしの考えこそが正しいのに」と、わかってくれないことに絶望したけどそれ多分間違ってる(間違ってると思うけど、だからと言って責める相手もちょっと間違ってるなって思う)。
自分の価値観は世間一般から見たら少数派なのかもって自覚は、選民意識の現れみたいで持つのすごく抵抗あったんだけど、そういうものじゃなく、100人いたら30人くらいはわたしと同じ考え方してるかもしれないけど、残りの70人は違うよねってだけの単純な話だ。純粋な確率の問題として、70%と30%、君がどちらに属す確率が高いかな? ってだけの話。自分はもしかしたら少数派かもしれないって自覚と、今までの、「わたしの当然のふるまい」に傷ついたっぽい人たちの記憶と、そういうものを肥やしにして努力して、通常の努力と違う方向で努力して、わたしはやさしくなりたいな、って思った。

つまりはなにがいいたいかというと、すきな人のこと、わたしはわたしなりに、傷つけたくないなってことだ。

友達でも恋人でも、“わたし、どこまで見捨てられないかな”ってつい試したくなって、試すということは傷つけると言うことで、わたしに傷ついてくれることや、痛くて泣く様子や、逆に涙をこらえるようす、そういうものでゆがんだ満足覚えたいって醜い欲がどうしてもあって、たまにそれは抗いがたいものでもあるんだけど、そしてわたしは自分がすごく気分屋だとも知っているから、とても限定して、今日の今この瞬間は、わたしすきなひとのこと、傷つけたくないなって思ってる。


今すごく珍しい精神状態なので、おぼえがき日記を書きました。

2012年12月2日日曜日

20121202-03

朝ごはんを毎日食べると計算し、卵と牛乳・パンを買っている。今週はあんまり朝ごはんを食べなかった、つまり今ぼくの冷蔵庫には、賞味期限が怪しい卵と牛乳がある。

セーラー服着て眼鏡かけて可愛い顔した宇宙人と対決したい。目からビームかイカ墨出して世界を超絶救いたい。スライムみたいな蛍光イエローのそれをナイフでブニブニめった刺ししたい。 そしたら蛍光ピンクのホイミスライムみたいな援軍が来て、キャーとか言って逃げ回りたい。
 

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よく見たら、パンのほうが賞味期限アレだった。だから今日はおやすみなのに特別に、たまご2個使ってオムレツのあさごはんつくった。おやすみだから、お行儀の悪いことに、お風呂でごはん食べようと思う。今月12月だってびっくりする、やっぱりわたし砂丘行きたい。

20121202-02

これ何のポーズだっけ

20121202-01

ニーソの中からiPhone見つけた。弟が使っていたやつで、いじっていたら、ついた。わたしはニーソックスにいろんなものを挟む癖があって(便利だから)昔弟のiPhone使ってニーソに挟んで挟んだまま脱いで、そのまんまになってたものらしい。洗濯後にも関わらず水没していなかったそれを弄っていたら電話がかかってきて、画面に「電話に出てください、出ないときれちゃいます」って表示が出て、iPhoneて随分おせっかいだなあって思った。電話は母からで、デザフェス行くから用意しなさいって言われた。父も妹も出てきて、夢が家族オールスターズだった。


今日17時に寝たら19時に起きた。19時に寝て24時に起きた。活字を読む気に全然なれなくて、アニメ見る気にもなれなくてずっとぼーっとしてたけど、ぼーっとしてるとどこかへ行きたいなって事ばかり考えて、逃げられないことにばっかり気付いて思わずコーラ飲みたくなるけどわたしの飲みたいコーラって素コーラじゃなくてライム入りコーラだから、今おうちにライムないしレモンしかないし、それ飲むにはライム買ってこなきゃいけないしでハードル高い。

図書館の予約で、7月からまってた本の取り置きが今日まで。今日早起きしてとりに行かなきゃいけないし、本の感想チャッと書いてチャッとメールしなきゃいけないから、とりあえず今日チャッと寝てチャッと起きよう。 こないだツタヤのカードつくったからなんか借りたりしたいのにアニメも小説もすごくたまってて借りる気しない、でもなんか借りたりしたい。泣ける映画とか見たい。呪怨とか。

2012年12月1日土曜日

20121201-02

率直に言うとわたしの三年は三年じゃなく、まだ継続していたということだ。



お腹をさしたら人は死ぬらしくそれは痛いのかな、でも多分耐えられないほどじゃないだろうなって思ってる。どこかに逃げちゃいたいけどどこへいってもわたしの行きたい場所なんてなくて、だから部屋から出られない。毎日死ぬほど働いていればしんどくなることはないのかもしれない、せっかく沈んでいたのに掻き回されて結局出てきたのが澱だったこと、わたしいまそれがひどくつらい。
明確な悩みで悩めない、しょうがないことばかり考える。なくなったものやひとや、実現しなかった将来や、そういうもののことばかり考える。とても建設的じゃない、どうせ悩むなら、解決策の出ることで悩みたい。でも今わたしがこんなにしんどいなと思ってることは全然特別なことじゃなく、小説にしたら王道すぎてスルーされるレベルのもので、つまり言葉にするととても陳腐だ。でも結局人間がこんなに世界中にいて死んでいくのは、多分そういう陳腐な悩みが、致命傷になるからだと思う。
あのこがしあわせになりますように、あのこがしあわせになりますように、あのこがしあわせになりますように。みっつ唱えて目を閉じる、そうすると静寂が訪れたりする――なんてこと全然なくて、あここはまごうことなき現実だと、ひどくばからしい気持ちになる。

20121201-01


母の遺骨が届いた。

朝からひどく寒くて、いつもの砂糖も牛乳も入れずにブラックのままであたたかいコーヒーを飲んだ。木箱はかたかたと軽く、その軽さが魂の軽さだとかそんなばかみたいなことじゃなくて、軽快というものは旅立つのにとてもうってつけなことで、だからわたしは、よし、と思った。宅配業者は木箱のほかに、わたしのための食料品と、CDを一枚置いていった。いきるためのものと、しんだひとのためのものと、しんだひと。それらを同時に運んでくる宅配業者に、わたしは心底尊敬をする。



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文章書けないのすごくつらい、しんどい、こんなに書いていて何がだって思われると思うけど、すごくつらい。出てこないの書けないじゃなくて、やっちゃいけないのほうの書けない。 今日すごくすっきりする夢を見て朝6時に起きた、だのに二度寝したらすぐに忘れた。だらだら怠慢が流れていって、抑えるのに一苦労だけど、せっかく何かを頼んでもらったから、それをちょっとやろうと思う。わたしは自分のために何かをすることができなくて、できなくはないしやるんだけど、どうしてもモチベーションがあがらない。自分のためにはがんばれないから人に何かをたのまれるのすごくすき、すきなくせにそっちはそっちで全然技術がなかったり力不足だったりで申し訳なくなる、だからわたしは(自分がなかなか満足にできる)仕事というものが好きなんだけど、個人的に何かを頼まれるというのはやっぱりそれと格別に違っていて、だからなにがいいたいかというと、ありがたい。

わたしずっと、多分、世間に言ったら窘められるであろう羨望を抱いていたんだけど、そのひとだって当たり前に人間で、たとえ幸せそうにらくちんに見えてもそりゃあ辛かったり悲しかったり当たり前にするんだよなって思ったりして、一人で泣いた。なにがよかったかわるかったかなんて主観でしかないから、理不尽に人をうらやむこと人間だったらあるのかもしれないけど、わたしは人のこと羨ましいって全然思わないから、その子のことだけ羨ましくて、でもそんな感情抱いちゃいけないものだと知ってたし、そう思うこと自体申し訳なかったし、ほっとしたし、よかったなって思ったし、ああでもわたしはまだだめだって思ったり、色々ぐちゃぐちゃになってまた泣いた。「ああ、しあわせになってよかったね」とか、「しあわせになってください」と思って泣くとき、その涙にほんのわずか自分への憐憫が入っていて、でもそのほんのわずかくらいは、許してあげようかなって気持ちになる。


じぶんメモ:11がつ本まとめ

びっくりするくらい全然読まなかった。二冊当たって講談社様ありがとう!と思ってるし、
好きなものや会社のメルマガはとるものだなって思った。
アザゼルさんは書いたけど後半f/z原作ずっと読み返してた。
もっと後半は一切本が読めなくなった。
12/3までに8冊くらい読まなきゃいけないものがあって、挫折しそうでこわい。

20121201-00



鐘が鳴る、的な


わたし、しあわせなときって口に出してしあわせだなあって毎日言うし毎日ほっぺたつねるし自分が今しあわせなこと十分実感して生きるのにそれでもしあわせって絶対終わる。 雑にしたり当たり前になったりそういうの全然しないで毎日慈しんで丁寧になぞって触っていてもいつか終わる、すごくかなしい。 仕事のことだったら超絶ポジティブに前向きに考えられるし、人間自己啓発本レベルで人のこと励ましたりできると思うんだけど、自分のプライベートのことになったら、どうしても諸行無常が拭えない。諸行無常。だって見たもん関ヶ原で、あんなえらい戦場だったとこに人が穏やかに暮らしてたもん、だからわたしのしあわせだって、多分瞬きする間に終わる。

ばかだなあぼくの言葉は全部あれだ、全部すさまじいほどの愛にあふれていて、なんだかすごく気持ちが悪いな。