2018年3月4日日曜日

20180304-01

ハッピーエンド、バッドエンド、つまりは物語がそこで終わってしかるべき結末、の蛇足についてばかり考えている。すきなひとと結ばれたあとのお話、食器洗いやゴミ出しの役割分担でのいさかい。殺人犯が名探偵に説得され最後の殺人を犯す前に思いとどまったあとの長い長い取調べと裁判、拘留生活、殺されずに済んだ人間が数年後に忘れる罪の意識、事件にまつわるインターネット上の書き込み。現実はうんざりするほど長くてうんざりするほど雑多、物語にまつわるいろいろがわずらわしくてたまらないことを知っているから、だからわたしの人生に勝手に区切りをつけられて感想を言われると本当にうんざりする。多分誰でもそう、あの子の人生は今でも続いていて、毎日くだらない煩雑なものごとをこなしている、いやになっちゃうよね、きっとその無理矢理区切られた結末はなにかの分岐点だったりセーブポイントのようなもの、なのかもしれないけどいやになっちゃうよね。
わたしのハッピーエンド、もしくはバッドエンド、は全然まだ終わっていない、最終回の日付は決まっていてもなんにも終わっていないし終わらない。多分死なない限り物語を終わらせることはできない、わたしは死んだことがないからわかっていないだけで、もしかしたら死んでも終わらせることができないのかもしれない。うんざりする雑事、うんざりする蛇足、うんざりする人生、うんざりするわたしの人生。そしてそれが、まだしばらくは続くだろうと思っているわたしのはずかしい勘違い。