2013年5月25日土曜日

20130525-01

 気を逸らし続けるには24時間は長く、一人のひとを思い続けるにも24時間は長い。


 駅のホームに落ちていたロッカーの鍵を駅員さんに届ける時間もコーヒーを丁寧に炒れる時間も、(ときおりは)朝ごはんを食べる余裕すらないのに24時間は長すぎる。
 わたしの人生を平らにならせば時間の不公平が解消されるかなと今少し思い浮かべてみたけど灰色の退屈が24時間に隅々行き渡るだけの気もしてこれでいいのだと思い直した。

 満員電車の始発駅、前に並んだ女の人のセミロングの黒髪が雨でもないのに濡れていて、この人もきっと、不公平な24時間を過ごしている人だとこっそり思う。

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 真っ赤なコーヒーメーカー/天球儀/縦型の信号/知らない社名の入ったタオル/ちいさな公園の砂場と取り残された遊具/フライパンで料理を出してくれるスパゲッティ屋さん

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 文字にして伝えたらうそつき呼ばわりされるだろうな、というくらいの友達の不幸なはなしを聞いて、わたしにはその現実的な対処法を精一杯アドバイスするしかなくて、それは感謝はされたけどでももしかしたら多分その子がわたしに求めていたのはそんな現実的な解決法じゃなくて、事実を打ち明ける前にわたしが彼女のことを察して慮って「どうしたの?」って友人として声をかけることだったのだと思う。
 わたしにはそれができなかった、そうしてほしいのだろうなって、わかっていたけどできなかった。
 すぐにすり減る自分の、強度も容量も増やせないなら、制限をするしかないと思った。


 とりこんだ洗濯物を畳まずにおふとんの上に投げ出した。そのうえにゴロンと寝そべってみたら右頬にヒヤリと冷たい感触、洗われて干されずに投げ捨てられて乾いたものたちと混ざったピンクのTシャツの温度がわたしにうらめしそうに響いたから慌てて干した。今日朝起きた瞬間からものすごく元気だったから、調子に乗って半袖でいたらお部屋の中なのにひどくさむい。
 多分わたしは今この瞬間世界で一番幸せ、膝の上にねこがいたらもっと完璧に幸せだけど、でもそれも含めて、世界で一番幸せだ。遠足の前日がわたし一番好きだから、遠足の前日は眠れないだけじゃなく、このまま世界が滅びればいいのにな、と思う。そうしたら、楽しみな遠足が永遠に終わることなく、たのしみなままで世界が止まる気がするから。

2013年5月22日水曜日

20130520-01

息ができない、息ができない。今わたしに必要なのは酸素じゃなくて本、本、本が読みたい。


自分の性格の悪さに10秒で文章を消した、伸ばした手が触れる範囲の物事全て慣れた手触りのものしか許さないのは横暴だ。ふわふわした綿菓子みたいな正体不明のものはなおざりに、身元がはっきりした敵から打ち倒すのは愚策と言えば愚策だけれど小心の露呈だと言えば少しは可愛く映るだろうか。完璧に一人で無音にならないと進まないわたしの諸々はだから最近沈みっぱなし、進めるための精神的自傷行為をする暇なんて経済活動をしていたらあるわけなくて、それはおそらくモラトリアムの特権、だから若いみなさん、どんどんどうぞ。



23歳の子が彼氏に振り回されており、「勿体ないよ~」と言ってはみたけど無駄なことたくさんしといたほうがいいのじゃないかなと今思った。


幽霊の正体見たりじゃあないけど可愛いあの子は現実世界でただの人間、可愛いあの子の愛しの彼氏も現実世界ではただの人間、もちろんわたしもそうだから、ここから出たいような、でもある方向には決して出たくないのだよ。



今日も一瞬冷やそうと冷凍庫に入れたコーヒーと水を忘れて家を出た。



ゲームや多忙や精神的余裕のなさ、で、本を読まなくなると酸欠になって死ぬ。死にたくないから無理やり本を開いてみるけど全然没頭できなくてあえぐ。月に読む冊数や速さは問題じゃあなくて、わたしにはわたしの適切な、摂取する本の量があって、それに足りないとつらいんだと思う。わたしは決してビブリオマニアじゃないし、読書の冊数も多くないし文学にも詳しくない、それでも本が読めなくなって読まなくなると、わたしがどんどんすり減って、息ができなくて苦しくて、しんでしまうような気持ちになる。

2013年5月6日月曜日

20130506-01




 笑え、雑魚が。




 精神状態は体調に引き摺られ体調は気圧に引き摺られる、気圧は月まで関係するしつまり全ては宇宙のせいだ。
 吐いても今胃液しか出ないであろうことは自分がよく知っていて、胃液を吐くと食道が荒れる、せめて水分で緩和しようとミネラルウォーターを摂取する。スポーツドリンクを飲んでいた時期もあったのだけれどあの味は吐くときに強すぎていけない、それ以来わたしはもっぱら水だ。良いから笑え、笑えよ屑と、便器に向かって呟くも口角は一ミリも上がらない、これだから躾のなっていない愚者は困る。
 自分の肉体の隅々までコントロールせよなぞアスリートなことは要求していない、お前がすべきは笑うことだ、早く笑え、笑えよ雑魚が。





 タイミングこそ運命だと思う最近のわたしにとって「今!」という瞬間は多くない、多くはないしわたしの感じる「今!」を外しても世界は続く、わかっているけど外した瞬間確実に何かが死んでいる。手を離す瞬間の「ああ、所詮は他人」を味わいたくなくて目を瞑るけどそんなのが長続きするわけはなく、結果離別時の痛みが増すのみの、愚かな延命措置だということわかっているのに縋ってしまう。
 怒らない人がこの世で一番恐ろしいという仮定にわたしは完全同意でそういう人になりたかった。わたしの憧れのあの子はきっとそういう人で、わたしはつまり、そうなりたい。世界一やさしくて、世界一冷たいひと。



 久しぶりに名前を綴った。口に出さなかったのは、音にしたら零れてしまうから。
 わたしはもっと咀嚼して消化しないといけない、食事後すぐの吐瀉物は到底見られたものじゃない。
 世界は不幸に満ちていて、それと無関係に幸せは続く。
 どこかの誰かが四肢を飛ばされ泣きわめいていたとしても、
 わたしの口の中のチョコレートは甘くゆるやかにとろけるのをやめない。

2013年5月5日日曜日

20130505-ティアにっき

コミティア行ってきた。


わたしはものをつくる人間ではないので、コミティアへいくと、うまいへたとか、ジャンルとか、そういうのじゃなくて、ものをつくるのがすきなのだなって人がたくさんいて本当に素敵な空間だなと思う。
毎回素敵なものに出会えるのですけども今回もすげーよかったです
ロッキンオンみたいな感想がかけなくてすごくアレなのだけどすげーよかったよって伝えたいがためのつたない日記です
つたないつたない言って感想かかないままでもいつまでたっても書けないままなのでつたなくても囲うと思いました

以下買ったものたちすごくつたない感想


20130505-01

タイトルもないトラック13、AI噛ませてヘッドフォンで聞くと拙過ぎる打ち込みのインスト。
わたしがこのCDを手にしたことを作った人さえ知らなくて、後に喧嘩別れをし絶交した彼らの名前が&で繋がれ並んだプロパティ見ると非常に感慨深くなる。
SEで使用されていたそれはライブでは最後まで流れることはなく、その終わりをわたしは一人部屋で聞く。遠すぎる距離を思う、一言は、距離を、時間を、関係性を壊す。

もろいのだなあ、と、思う。


恒常的に37度を保つ生物になればわたしも何か変わるかもしれない、きっと動くに低すぎるのだ。

2013年5月4日土曜日

20130504-01

僕と君は両思いだけどもお互い片思いですらない、ある一点に於いては僕は確実に君に恋をしない、君も確実に僕に恋をしない。例えば「君の見た目が好きだ」と言われた女子がそれに絶望を覚えるような感覚が僕には酷く滑稽に思える、なぜなら見た目だって立派な彼女の一部だからだ。性格が好きなら嬉しいの、地位や名誉なら悲しいの、「好き」の対象を自らの構成要素のどこだと追及するからそんな愚かなことを考えるのだ。

だけどもしかし、自らの構成要素のあるひとつに「自分」が詰まっているかのような気持ちになるのはわかる、ほかならぬ僕だって、そうだ。でも僕が思う僕の構成要素は恋愛としての好意的感情には不必要むしろ排除すべき要素、だから恋人である彼女に僕のこれを好きになって愛して愛でてと要求するのはおかしいし要求すること自体が誤り、だけどもたまに考える、僕も君も、お互いの核たる構成要素はなかったものとして触れ合う、これが健全かというと健全も健全1000%健全、だけどもどこか若干の、虚しさみたいなものを覚えるのは、多分僕の、甘え。

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ねえわたしは死んじゃったものが好きだ、死んじゃったものが好きだよ。例えばビデオテープにあの瞬間を残しておけば今こんなに寂しくなかったのかな、やっぱり同じように寂しいのかな。わたしの好きなものは全部死んじゃったんだってこの間まで思っていたけどおそらくそれは誤りで、わたしは、好きなものが死んじゃわないとそれが好きだったって自覚できないのかもしれない。死んじゃったものを好きなのは憐憫に浸りたいわけでも対象に干渉したくないわけでもなく、死んじゃったものならば僕がそれに嫌われることがないからだ。

2013年5月3日金曜日

20130412-02

きみが気軽に呟く「うらやましい」には一体どんな感情が含まれてるのか裏の裏まで読めば納得、そう「できる」性質こそが羨望の対象なのかもしれないけどわたしはそれに脊髄反射してしまう。本人が認識していないとしてもあの子の日々の行動や積み重ね、方向定めての堅実な努力(最もそれを努力と本人は認識していないとしても)、何にも知らないくせに黙れ、と。辛いです苦しいです大変と、誰かが不幸アピールする横でニコニコ笑って前向きに対処、そういう人が「ずるい」という言葉の対象にされるのわたし本当に我慢がならない。もしかしたらわたしもそういうこと言ってしまっているかも知れないけどこの世の誰かがあの子に対して運がいいとかずるいとか投げかけるのが許せない。分不相応な嫉妬はわたしもかつて持っていて、だから偉そうなこといえないんだけど、すごく腹が立つしどうしようもない。


わたしがいまここにいるのもわたしが行動してきたせい、あの子がかわいい男の子と仲良くしてるのもあの子が毎日生きてる結果、あの子の漫画が泣くほど素晴らしいのもあの子の毎日の結果だしあの子がいまあそこに立っているのもあの子の毎日の結果だよ、人間だから理不尽に人を羨みたくなることはあるけどどうしてもかちんときてしまう、たぶんあの子なら「いいでしょうー」って、ヘラヘラ笑ってかわすのに。



「なんにも知らないくせに黙れ」は言ってはいけないブーメラン、そんなことわかってるけどどうしても。わたしだけがわかればいいとか本人がよければいいとかそういう問題じゃなく理性じゃない部分でその人の口にケーキでも突っ込んで黙らせたくなる、わたしはまだまだ色々だめだ。

2013年5月1日水曜日

じぶんメモ:4がつ本まとめ

マンガばかりであった。
立川まんがぱーくいったんですよ。おもしろかったです。また行きたい。

マンガばっかりだから冊数は多いけど、本自体は全然読めなかったかんじする。