2015年8月23日日曜日

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学校へ行きたくないし休んでいい?と母に聞いたけど自分でも今日休んでしまったら何かが崩れてしまうような気がしてもし母が許してくれたとしても休んでしまうのが怖かった。しかし今から急いでも遅刻に変わりなく、遅刻するくらいなら休んでしまった方がいいのではとも思うし、出席日数だって十分足りている、今日より明日の方が時間割的にも気が楽で、やっぱり休んでしまえば良いのではとも思う。登校するか休みの連絡をするか、どちらにせよ学校にコンタクトをとらねばならないのには変わりなく、憂鬱なそれをするまえにわたしは母に抱擁を求める。母がわたしを優しく抱きしめながら「あんまりこういうことをしてはいけないよ」と言うからわたしは驚いて母の顔を見る、正確には見ようとした。お互いの首根っこにぎゅうとしがみつき肩に顎を乗せた状態では相手の顔を捉えることはできず、だからわたしは抱擁の中でそのまま母の言葉の続きを待つ。

「だれかに抱きしめてもらわないと嫌なことができなくなったら、これから先、例えばわたしや、抱きしめてくれるだれか、そういう人がいなくなって一人で生きていかなきゃいけなくなった時に死んでしまうよ」。

いつかはそんな状態になることがあると思う、それでも潔く死ねずに苦しんだりするのだと思う、だけどやっぱりわたしは今、母に抱きしめていて欲しいのだ。

2015年8月15日土曜日

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飛ばないし動くスピードも某虫と比べると断然のろい、だからまだマシだなんて考えようとしても部屋の中でうごめく3匹をマジマジ見つめてしまうとそんなのもう無理だった。

クルリと丸まりきらないグソクムシはダンゴムシよりも断然クワガタに似ている。硬い殻、親指と人差し指で胴体をつかんだ時に感じる足の動き、わたしがまだ小学生だったならグソクムシをひょいと掴んで部屋の外に投げることも容易かったのだろうか。でもわたしはもう、クワガタだってカブトムシだってできれば触りたくないと思ってしまうような大人で、だから自由に動き回るグソクムシがわたしの部屋を蹂躙しているのを、悲鳴を押し殺しながら見つめることしかできない。