2015年11月30日月曜日

20151130-01

3年付き合った恋人とのさようならで泣けなかったのに2時間で読み終わった本のラスト一文で泣いてしまった、わたしと恋人の3年間は195頁より軽い。



スーパーにいちごが並んでいてうれしいきもちになる。200円で小分けのパックがあった、カップの中にはいちごが2粒だけ入っていた。一粒100円。21歳のわたしのおっぱいは10揉み2000円だから1揉み200円、いちごより高い値段で売れたのだと思うけれどよく考えたらおっぱいは左右にあるので、正確にはスーパーで売られているいちごとわたしのおっぱいの価値は等しいのだろう。



人生って設計できるって知ってた?



******************************************


世界が狭いから去年買った図鑑をぱらぱらめくるしかない、こういう経験初めてじゃないなと思う。
なんにもなくなると心細くなるけど「なんにもないということがあるな」と思う、それはとても頼もしい。






1年かかって本が読めるようになった。人間は、生きてさえいれば、いつか回復する。



2015年11月23日月曜日

20151123-01

ほんとうのことが無価値だなんてわたししらなかったからほんとうのことを言ってしまった、1時間あの子に好きでいてもらえるならもうなんにもいらないと思ってしまった。1時間だけあの子に好きになってもらえたらそのあと無価値なおんなのこになっちゃうなんてことわかってたのにもしかしたらって思ってしまった。
例外なんてないのに、わたしがほんとうに、ほんとうにあの子のことをすきだなんて関係ないのに。


日曜日の真昼間なのに水曜の明け方道に迷ってしまったような気持ちになっている、わたし先週の水曜日から時間が止まっている。わたしのスイッチはへんなタイミングで入る、誰にも待ってもらえないような変なタイミング。


******************************************

ねむたいけれど映画を見に行った、映画を見に行くという行為自体が楽しかったから映画そのものは正直どうでもよかった。ごはんをたべるシーンでカプレーゼが出てきて、わたしはルッコラのサラダが食べたいなと考えた。長らく食べられていないルッコラのサラダのことを考えていたらいつのまにか眠ってしまっていて、気付いたら大画面で人が撃たれて死んでいた。


******************************************



わたしのパソコン変な挙動する、文章がうまくリズムでかけないからしねとおもう。わたしが一番文章をうまく書けたのは東芝の赤いガラケー、でももうどこにもつながっていない。


******************************************


大きな棚がほしい、乗せても乗せてもいつまでも余裕があるくらいの大きな棚、100人乗っても大丈夫な程度の棚がほしい。 わたし全部の自分をそこにあげて、上からああだこうだ言う。



2015年11月18日水曜日

20151118-02

例えばわたしがヨーグルをスーパーで見かけてなつかしいなこれおいしいと言う、そんな無意識の言動が誰かのことを揺さぶるなんて思ってもいなかったし、だからわたしは今それを思い知ってる。
わたしの知らないところでは、わたしの知りたくないものごとばかりが巻き起こっている。


******************************************


「すき」って言いたくなったけど気持ち悪いからやめた、最後に会ってからもう数年たっているように思ったけど全然そんなことなかった。来月いいことがあるよって言われてからまだ10日しかたってなかった、きみのことはすきなのにきみのすきなものはすきになれなくてごめんねと思った。モロッコヨーグルがなんでモロッコなのかマンガで読んだのに忘れた、わたしは明日50個の螺子を外して、それにひとつずつ脳みそを入れて、また螺子をしめる。


******************************************

ひとの弱音はすきじゃないけどきみのならいやじゃなく聞き流せるよ、真摯に向き合わないのはわたしがきみのことを好きだから、真摯に向き合ってつぶれてしまって付き合いが途切れてしまうのを恐れる程度にはきみのことが好きだから。


******************************************

早くねむりたいのに家に帰り着くとくじけてしまう、こんなひと、日本に6870191054657人いる。

20151118-01

決定的な出来事があったから笹井君のことはもうわたし大丈夫、大丈夫っていうのは結構ですって意味、もういらないですって意味。笹井君がどんなに優しい声でわたしに話しかけてきても首を傾げても手を握ってもわたしもう大丈夫、なんどだっていらないって思える。
旧体育館はそりゃ人通りは少ないけれどわたしの所属する写真部の部室がよりによってその二階にある、つまり部室の窓から旧体育館裏は丸見えで、だから笹井君とEちゃんとのキスシーンもわたしにはばっちりはっきり見えた。『眼鏡と違って一日中つけっぱなしのコンタクトはあまり強い度で作ってしまうと疲れちゃうから1.0くらいがいいよ』、コンタクト屋のお姉さんの忠告通り作ったからわたしはコンタクトをつけても視力が0.9しかない、それでも二人がこう、高校生にふさわしくない濃厚なキスをしているのは十分わかったからわたしは部活のみんなが窓の外に目をやらないよう頑張って私語をした。わたしたちのような健全な高校生は、あんなもの、見てはいけない。


******************************************


わたしなにしているのだろうと東京タワー見ながら考える、スカイツリーじゃなくて東京タワー。東京タワーって車がないといけないと思っていた、だって近くにJRの駅がないから、でもわたし吉祥寺から新宿や渋谷まで歩けるし、それでも東京タワーには永遠にたどり着けないような気がする。



わたしのしらないところでしらないひとがしらないことをする、しらないままでいたい、できれば想像もしたくない。



2015年11月8日日曜日

20151108-02

1/12に減ったチアシードドリンクの瓶の中で育つ白いふわふわを見ていた。このまま放置し続けたらこれはどのくらい大きくなるのだろう。なんにもないところから黴が生えるしくみは勉強して知っているけど何度見てもため息が出る、ほぉっと感心してしまう。
ねえわたしのこと好き? どのくらい好き? どういう風に好き? と聞くとラーメンみたいな感じで好き、と彼は答える。それが照れ隠しだと知っていても、わたしが言われたい言葉を言われていないことには変わりがない。


雨が上がった夜はいつも気持ちがいい、会社帰りのサラリーマンは決まってみんな傘を持っていて、今日一日眠って今はじめて外出したわたしは手ぶら、手ぶらというものは気持ちがいいなぁと思う。
みんな本当に大事なことはインターネットに書かない。見えなくて知らないことはなかったことと一緒だから、わたし本当はもうなんにも知りたくない。父親が、若いころ、自分の目に映る場所以外今ないんじゃないかと思ってたと話したことがあった、多分世界5分前説というよりトゥルーマン・ショーで、わたしも世界5分前説よりはそっちのほうがしっくりくる。見えなくて聞こえなくて知らないことは見えないし聞こえないし知ることができない、だから都合のいいうそばっかり見てたい、もしくは本ばっか読んでたい。

こないだ失恋した相手の残した音楽や本は全部ポップかつカジュアルで全然センチメンタルになれない、こぶし突き上げてウォーウォー言ったり美少女だらけの学校に放り込まれるばかりで全然センチメンタルになれない。だから次はわたしもっとこう、エモい感じの音楽や、エモい感じの本を読む人に失恋する。








20151108-01

左様ならという言葉がひどくしっくりくる雨の第三週、わたしは砂丘でコーヒーをすする。ひどくぬるくなったそれはしかし確実に苦く、格好をつけずにお砂糖とミルクをたんまり入れればよかったと思う。わたしの町がテレビに映る、切り取る角度一つでこんなにも知らない町に見える、まるであの子みたいだと思う。脳細胞が毎秒死ぬからどんどんばかになる、遠くまできてしまったのは陸続きなのがいけない、わたし、ロシアやアメリカに住んでいなくてよかった。


あたし東京のどこにいるかご存知ですか、ああご存知でしたか、実はもうそこにはおりません。飲みかけで放置した缶ビールは気持ち悪いから投げ捨てた、眠る前まで親密だったそれ、今はひとくちも口をつけたくないそれ。


自分の気持ちがどうにもならないのと同じくらい、他人の気持ちもどうしようもない、八王子から四国まで自転車でいけることをわたしは知ってる。キャッチーなフレーズだけ耳に残ってしまって仕方ない、回数を重ねるたびセンチメンタルが消えていってわたしは切ない、ほんとうにかなしいのはなんともなくなるということだ。






口に出せる程度のわがままをもたなければならない。






2015年11月7日土曜日

20151107-01

今まで飲み込んだ言葉の重みで日本列島が沈む日が来た、わたしだけがそれを知っていた。これが人生最後のXX、実感しながら遂行するほうがちゃんと味わえると思っていたけど切ないだけだったから知りたくなかった。人生最後の部活、人生最後の買い食い、人生最後のおわかれ。この一週間誰かと顔を合わせるたびに感極まってしまって大変だった、やっぱり世界の終わりがいつ来るかなんて知らないほうがいい、しらないうちに、あ、って終わって欲しかった。


******************************************
 

全然あきらめるのが上手にならない、たくさんあきらめさせてきたくせに、どうやって目線をそらしたらいいかわからない、わたし、今日はカレーをつくる。


******************************************


有無を言わせぬほどかわいい人をみた、今もみている。



 ******************************************


 コンビニエンスにおいてあるラムネ、しろいつぶのほうのやつ、あんなの買う人いるのかなって思っていたけど最近よく買っている、今日も買った。ラムネ2粒でわたし4キロ歩ける、ラムネはすごい。

2015年11月5日木曜日

20151105-01

触るというのは暴力で、おとうさんの指先からは超音波が出ている。わたしはもう大人だから世界が広いことを知っている、海の向こうにも街があることや、この家から出たって生きていけること。



******************************************


わたしのすきなものをすきなひとがすきだとは限らないし、わたしのすきなひとのすきなものを全部すきになれるかというとそうでもないから途方に暮れるしおもしろいんだと思う、本当はわたし、あの夜、眠らないで朝まで一人で映画を見ていました。
夏の朝は早い、夜だった瞬間が一瞬しかない、だから最後まで見終わったのは朝日がもう顔を出し切ってしまった頃で、それでも外に出ると早朝のさわやかな感じがしました。おんなじものを見ると少しは理解できる気がしました、でもわたし映画じゃなくて君のことばかり考えてて、だからお話もちゃんとは頭に入らなくて、だから今でもわたしは、どうしたら君に好かれるかわからない。



******************************************



手に取るようにわかるのにどうしようもないことがあるってお姉ちゃんが言ってました、意味がわからなかったけれど今ならわかります。例えば交差する高速道路、ぐるぐるまわるジャンクションみたいな、そんな感じだったんだと思います。もう一生しないことがたくさんあるんだと思いました、夜の高速道路を走ることも、外人墓地で朝を迎えることも、しらない幹線道路脇のファミレスでまずいコーヒーを飲むことも。もしかしたらなにもかも、本当はわたししたことがないのかもしれません。





******************************************



目の前のものが全てだったから、例えば家に帰ればあたたかい食事とあたたかい両親が迎えてくれるのは知っていて、それでも目の前のものが全てだったから、あのときわたしには君しかなかった。わたしが絶対守ってあげるって君の頭を撫でたその手でわたしは今おかあさんの作ったシチューを食べている、一通り泣いて泣きつかれた君がおとなしくまた家に帰ったことを知っている、家に帰ってから何があったかは知らないし、もう知ることはできない。

2015年11月4日水曜日

20151104-01

望んでも望んでも絶対叶わないって痛いほどわかっているから願望さえ浮かばなくなってしまった、叶わない夢だって空想するだけでも楽しいはずなのに、現に授業中テロリストが突然やってきた挙句秘められた力が突然開花したらどうしようって考えるのは楽しいし今でも考えてしまうくせに、どうしてわたしはなんにも望まなくなってしまったのだろう。ふれたいもの、たべたいもの、かけてほしいことば、うたいたい曲。わたしの想像するそれらは本当にわたしがしたいことなのか、それとも本当に望んでいることを諦めてしまっているから浮かんでいる妥協のものがこれなのか、わからないままでいないとわたしきっとだめになる。


一生叶わないことが山ほどあって、叶うことのほうが少ないくらいなんだけど、それでもそれを「一生叶わない」ってわかってしまうのはとてもつらい。わたしは人間は本当は空を飛べると思っていて、じゃあなんでわたしは空を飛べないのかというと絶対飛べるはずがないと思っているからだと思っていて、つまりわたしが一生叶えられない願望って言うのはわたしが諦めてしまっているのが悪い、全部自分に原因を求めるのは自意識過剰だけどどうしてもそう思うから一生叶わないし叶えられないほうを選び取ったのも自分だと思っている、思っているし、ある程度はきっとそう。





キャラメルホイップのクレープ、公園までの坂道、何棟も立っているおんなじような団地、大きなマンションの小さな裏口、古本屋さんのにおい、心中のあった上水、おおきなスーパーマーケット、帰り道でいつも見かける野良猫、通勤路になった観光地。





******************************************






死んだように生きているけど、それでもう10年くらいたつの すごくない?


2015年11月3日火曜日

20151103-01

わたしの本名は幸子だけれど全く幸せじゃないし全然名は体を表さない、だからわたしはこの世の全てのことわざや格言に異を唱えたい。渋谷区も港区も怖いから通りたくないしそもそもわたしが怖くない土地なんてないのであった。たばこの臭いには二種類あって懐かしいのとそうでないもの、セブンスターは間違いなく前者、ハイライトのメンソールは便秘薬でOD計る女の子のにおいがするから好きじゃない。毎秒毎秒切なくて死にそうだけどこんなに毎秒毎秒切なさで死にそうになっている人なんて早々いないんじゃないかと思う、人生最大の失恋や親友とのけんか、なんやかんやあるけどお笑い番組を見たりおいしそうな白菜を選んでいる最中は目の前のこと考えてるでしょきっと、だからこんなに毎秒毎秒切なくて死にそうになれるのはもしかしたら一種の才能なんじゃないかなって思ったから切なくなるのをやめた、わたしだってスーパーで、きくらげが多く入っているカット野菜(ラーメンの具)を真剣に選んだりする瞬間があるのだ。


日本語がじゃま、わたしの頭で流れる以外の日本語がじゃまだと思うけどもうどうしようもない、意味を汲み取ってしまうからどうしようもない。それが明確であればあるほど脇道にそれることができなくなる、こんなの全然自由じゃない。

2015年11月1日日曜日

20151101-01

さみしいんだったら好きな人の書いた文章読みゃいいんじゃんって気付いたから文庫本片手に家を出た。外人墓地、羽根木公園、仙台のホテルと早朝の海、生クリームの入ったメロンパンとリッケンのギター、季節はもうじき冬になる。



「わたしはどこにも属していない」、そう、わたしはどこにも属していない。あまいコーヒーが飲みたくなってカフェのレジ待ちの列に並んで、あと1人で注文口というタイミングでやっぱりそんなもの飲みたくないって気付いて店員さんにメニューを返してお店を出た、こういうことばっかり好き勝手にできる道を選んだからわたしはどこにも属していない。根っこがないからフラフラできるけど根っこはないんじゃなくて腐って溶けてしまったのだと思う、わたしは、どこにも、属していない。



朝5時の大通りはひんやりしていてコンビニエンスの空気も違う、わたしの知っている日常に切り替わるのは午前6時、あと一時間で魔法がとけてしまう。元気ですかって聞いたら元気じゃないよって返事をくれたあの子、いざとなれば職場に乗り込めばいいと思っているのは、嫌われたらどうしようという考えがわたしにないから、つまりあの子に嫌われるかもしれないという可能性がわたしのなかにないから。

どこにも属していないわたし、誰にも属されないわたし、区分けをしたらあまってしまう。


******************************************
 


選び取るという行為は残酷すぎるからもう直視できないのに肌にひりひりする、毎秒毎秒実感させられなくても十二分に自覚しているのにかみさまはいじわるだ。太いジーンズ、はんだごてのカス、黒猫と山間、ささくれたスティック、くろいつる。わたしたち、思い出すたびに何度だってさようならができるよ。

2015年10月31日土曜日

20151031-01

カジュアルな選択はしかし確実に選択で、つまり片方を選びもう片方を選ばないということ、カジュアルさゆえ軽視されがちだがしかし確実に選択なのであった。分かれ道は最初ひとつの道であり、T字路じゃなく1mmのずれ、それが百万年経ったらえらいことになる、みたいなやつ、いや百万年後の未来なんて想像しないよね、でも確実に訪れるんだよね、そういう感じのやつ。
おはようございます、2015年10月31日、今日わたしはXXXXXをもう言わない。


******************************************

「いっぱい出たね」って言う夢を見たけど全然いっぱい出てなかったしいっぱいどころか出てすらなかった。

******************************************
  

ラジオの素人と電話をするコーナー、内容が唐突に変更になり恋愛のお悩みをパーソナリティに話す流れになるのを聞きながら考えたのだけれどわたしには人に相談したいことがない。例えば仕事や何かの手続き、気になる料理のレシピ、そういうものは人に相談したいけれど人生のなにかの選択や悩みごと、そういうもので人に相談したいことがない。全ての選択は自分がしているとは思っていないけれど人に選択肢を提示され選び取るのは確実にわたし、いやなら死ねばいいのにというジョーカーみたいなカードを持ちつつする選択は二択とも自分に不本意なものだったとしてもジョーカーを切らなかった時点で選んだのはわたし、だったら人になにか相談することなんてないんじゃないかと思う。非生産的なことがしたくないから人に何かを相談することはないんだけどだから内省ばっかしてて、でもそれだってSnakeskinを聞きながらしてて、タダでも起きない感じにしないと死んじゃうんだろうなぁ心がって思う。3月のライオンの日曜日の描写が美しくて泣いた、わたしもああいう日をあと一日でいいから過ごしたかった。



仕事ってひまを潰すためにするんだなぁって思う、少なくともわたしはそうで、忙殺されたら心は死ぬけどゾンビになって生き延びられる。無理矢理のポジティブシンキングかよって思うけど他人が原因の巻き込まれ型災難みたいなものじゃないことで悩めるのはとても有意義なことだと思うし、このパソコンずっと触ってなかったせいかさっきから挙動と変換がめちゃくちゃでわたしはいまこっそりとてもイライラしている。




2015年9月6日日曜日

20150906-01

おっぱいが大きくなったって誰も喜んでなんてくれないしお気に入りのワンピースで無残に潰される、そんなんだったらもうやせるしかないなと思ったわたしは今日から牛乳を飲むのをやめることを決めた。一日二リットル牛乳を飲むと一ヶ月に一カップおっぱいが大きくなるのはあなたもご存知のとおりの事実、だけど牛乳は摂取しようとしなくても食事のそこかしこに入っている。コロッケのつなぎ、だいすきなオムレツ、グラタン、クリームシチュー、そこかしこからわたしは一日二リットルの牛乳を摂取している。もうこれは牛乳がない世界に行くしかない、牛のいない星に行くしかない、だからわたしはロケットに乗って地球を脱出したのであった。





******************************************


悪夢は見なかった。


赤茶色の鉄柵にしがみつきながらわたしたちは浮かび上がるその瞬間 を待つ。全体重を支えるべくぎゅっと握った鉄は冷たく、4歳児にこれはまだ早いのではないかとわたしは思う。もう飛ぶのには慣れてしまってわたしは余裕だ けれど、初めてこの鉄柵で上空を移動するのはなかなか難しい、二本の腕と二本の足で鉄柵にしがみつくというのはぞんざい安易な事だけれど、それがすわ上空 となると緊張感が違うのだ。


わたしにはなにもないから、わたしは誰のことも幸せにできない。 毎日おいしいものを食べさせてあげる程度のお金とか、家賃を気にせず住める一軒家とか、将来有望な太いパイプとか、人並みの幸せな家庭を持たせてあげる身 体とか。わたしの好きな人が今わたしと一緒にいなくて、わたしの好きな人が今わたしじゃない他の人と幸せになっていて、わたしは心底わたしの好きな人から 離れたわたしの判断を賞賛する、人生にケチがつかなくて、ほんとうによかった。
時間も最大の財産のうちの一つ、だから、わたしはわたしの 好きな人に、どうしようもならないわたしとのことに時間を費やさせてはならないと思う。だったらどうすればいいかってもう何年も前に決めたはずなのにわた しはそれをできていなくて、なんでわたしは、わたしのことが可愛くなってしまうのだろうって、どうしようもない気持ちになる。自分よりもちゃんと誰かのこ とが好きになれていたら、わたしは多分きっと、ちゃんと一人でいられるはずだ。




2015年8月23日日曜日

20150823-01

学校へ行きたくないし休んでいい?と母に聞いたけど自分でも今日休んでしまったら何かが崩れてしまうような気がしてもし母が許してくれたとしても休んでしまうのが怖かった。しかし今から急いでも遅刻に変わりなく、遅刻するくらいなら休んでしまった方がいいのではとも思うし、出席日数だって十分足りている、今日より明日の方が時間割的にも気が楽で、やっぱり休んでしまえば良いのではとも思う。登校するか休みの連絡をするか、どちらにせよ学校にコンタクトをとらねばならないのには変わりなく、憂鬱なそれをするまえにわたしは母に抱擁を求める。母がわたしを優しく抱きしめながら「あんまりこういうことをしてはいけないよ」と言うからわたしは驚いて母の顔を見る、正確には見ようとした。お互いの首根っこにぎゅうとしがみつき肩に顎を乗せた状態では相手の顔を捉えることはできず、だからわたしは抱擁の中でそのまま母の言葉の続きを待つ。

「だれかに抱きしめてもらわないと嫌なことができなくなったら、これから先、例えばわたしや、抱きしめてくれるだれか、そういう人がいなくなって一人で生きていかなきゃいけなくなった時に死んでしまうよ」。

いつかはそんな状態になることがあると思う、それでも潔く死ねずに苦しんだりするのだと思う、だけどやっぱりわたしは今、母に抱きしめていて欲しいのだ。

2015年8月15日土曜日

20150815-01

飛ばないし動くスピードも某虫と比べると断然のろい、だからまだマシだなんて考えようとしても部屋の中でうごめく3匹をマジマジ見つめてしまうとそんなのもう無理だった。

クルリと丸まりきらないグソクムシはダンゴムシよりも断然クワガタに似ている。硬い殻、親指と人差し指で胴体をつかんだ時に感じる足の動き、わたしがまだ小学生だったならグソクムシをひょいと掴んで部屋の外に投げることも容易かったのだろうか。でもわたしはもう、クワガタだってカブトムシだってできれば触りたくないと思ってしまうような大人で、だから自由に動き回るグソクムシがわたしの部屋を蹂躙しているのを、悲鳴を押し殺しながら見つめることしかできない。




2015年6月27日土曜日

20150627-01

背中を向けて寝ていたあの子が寝返りうってわたしを抱きしめてぼそっと呟くから驚いて何と言ったか聞き返す、いつもなら再返答をめんどくさがるあの子がわたしが聞き取れるまで同じ言葉を呟いてくれるのにも、その言葉が「好き」だったことにも違和感を感じて、でもうれしいからわたしは黙る。それでも「こうしてないといなくなりそうで不安なんだよ」って言葉が引き金となり違和感は実感に変わる、あの子がわたしのことを好きなわけがないし、あの子がわたしにすがるように抱きつくはずがなく、つまりはこれは夢、その瞬間に目が覚めて数ヶ月ぶりに絶望する、全然まだだめだ、まだだめ、全然まだだめだ。



もうあえない人は死んだ人と同義で、死んだ人はわたしのなかでどんどん大きくなっていく。現実の彼らとわたしの中で成長した彼らはだんだん乖離していくという事実にわたしは誰より自覚的で、≒で≠のあの子はつまり、過去の自分への後悔とか後悔とか後悔だ。

取り返しのつかないことは取り返しがつかない、タイムマシーンで戻っても取り返しはつかない。

2015年4月8日水曜日

じぶんメモ:3がつ本まとめ

1月2月は本本当によまなかったからまとめすらしなかったな。
3月は読んだけど、ひたすら漫画をずーっと読んでたから感想を全然書いていない。
例えば単行本を一気に読んだとしても一言感想は絶対書こうと決めていたのに、それすらできていなくて、でもできていないことよりもできたこと(本が読めるようになった)に注目をしたいので、まあよしとしたいです。

4月から通勤時間ができるので、ちょっとは小説が読めるようになるといいな。
物理的に(?)時間がとられることがたくさん出てきてしまって、すごくむつかしい。


2015年3月27日金曜日

20150327-02

わたしの「すきなひと」は上書きなんてされてないことに気付かされる午後4時は雨がしとしと降っていて、でも喉がカラカラで痛かった。
すきだったひととさよならをして違うひとをすきになって、そのひとともさよならをしてまたちがうひとをすきになって、現実世界でのわたしの「すきなひと」はどんどん上書きされていくのに夢に出てくるのはいつだって「すきだったひと」、全然過去形になってくれないそれを半ば憎みつつわたしは一刻も早く夢をコントロールできるようにならなければと思う。

******************************************

すきなひとに、彼のすきなおんなのこについての相談をされた。小柄で小さい彼の彼女はおくすりが効きやすい体質で、花粉症の薬を飲むとこてんと眠ってしまうという。小柄でかわいい彼の彼女のためにわたしは副作用の少ない花粉症の薬を考える。
ゆっくり話せなくてごめんねまた今度って轟音で唐突に打ち切られる短い会話、だけどゆっくり話す機会をわざわざ設けることなんてしないってわたしたちは知っている。曲と曲の合間のMCの時間、ギターの弦を交換する短いすきま、わたしたちはなにかのついでのあいまにしか言葉を交わすことがもうないのだ。

20150327-01

タイミングの悪さをわたし運命って思ってる、つまり君との間には結ばれない運命しかない。理由がない「今日しかダメな気がする」という直感、直感というよりは確信に近いそれ、気分次第で一瞬で覆るものだと知っているけど遵守されないからますます確固たるものになる。

山手線の29駅、どの駅で降りてもわたしの好きな人には今日絶対に会えない。世の中にないはずの『絶対』を生産して否定し続ける、絶対起こらない奇跡を100個考えることができたら今日のわたしは家に帰れる。


今日と明日しかないみたいな錯覚は錯覚でしかないのに重量がすごくてだからわたしはそれを真実だと思う、わたしに残された時間は今晩しかない。例えば明日誰かに助けられたとしても助けられたのは明日のわたし、今日のわたしは永遠に誰にも救われないままだ。
明日のわたしは救われないまま死んでいった今日のわたしの屍の上に立つ。細かく砕かれた真っ白な骨はざらざらとしていて踏ん張りが利く、明日のわたしは誰にも救われなくても助かるような存在であってほしい。かなわない奇跡なら最初から思い描きたくもない、だからわたしは今日も絶対起こらない奇跡を100個考えるまでどこにも帰れない。

2015年3月15日日曜日

20150315-01

果物じゃないし黒子じゃないからわたしのこれは歌にならない、わたしの唇のソレはただただ引き攣れて痛い。100万回言ったおはようは一度も返ってこなかった、最初から諦めているぶん猫のほうが幾許か親切。


手の汚れ方には二種類ある、わたしのそれは下種なほうのそれ、汚れた手で誰を触っても誰のことも汚さないけれど永遠に落ちないそれ。自分のためだけに手を汚すと一生救われない、だからわたしは一生塗れて暮らすのだと思う。
きみが目の前にいないときのほうがわたしきみのこと大事にできる、242キロの距離はグーグルによれば徒歩50時間、50時間くらいすぐに歩ききってしまいそう。



本当に信じたことは全部真実になるからわたしの真実はわたしの頭の中にしかない。一年は365日じゃないし一日は24時間じゃない、東京は関東にないし牛乳は飲みものじゃない、あの子とあの子は同一人物だしわたしたちはもう10年もいっしょにいる。わたしにかかわる事柄はすべて歴史を揺るがす重大事項だし取るに足らないものごとばかり、つまりわたしの全部は瑣末で無視できる事象、同じ演算ばかり繰り返すから抜け出せないだけだしだけどゲームオーバーはこわい、わたしのひざは猫がのぼるためにあって、優しい嘘しか吐かない口は今すぐ縫い付けられるべき。




人って存在が死ぬと概念になる、概念になったら普遍的に蔓延してはびこる。わたしはあの子がはびこってはびこってはびこりまくったせかいにいるし、そうせかいを作り変えたのはわたしだ。



2015年3月11日水曜日

20150311-01

眉間のあたり、右目と左目のちょうど間にrepeatって入ってるんじゃないのってくらい思考がぐるぐるまわる3月はまだ寒いからコートが必要、誕生日プレゼントでもらったモコモコのくつしたが活躍するから寒いのもきっと悪くない。
そろそろ目の前の人がみんなあの子に見える、「ねえXXちゃんと今度会うよ」って話しかけそうになってあっ違う人だったって気付く、わたしとXXちゃんと三人でごはんをよく食べに行ったのはこのひとじゃない。すきなたべものきらいなたべもの、チョコレートがきらいであんこがすき、洋菓子より和菓子がすき、ビールとほうじ茶をおなじくらいおいしそうに飲む、水玉のシャツとカーキのコート、かわいいスニーカーと磨り減ったかかと、よく見たらそれらは全部ここにはないし、微妙にだぶって見えるぶん救われない。
人間にはたいてい目が二つあって口と鼻がひとつ、だから誰でも似たように見えるし、五感と互換を遮断してしまえば目の前に誰がいてもいなくても一緒、ほんとかな、わたし絶対うそだと思う。



こないだすきなひとにiPhoneの3Dマップの3Dと2Dの境界線を見せてもらった。
山手線が世界の境界線になっていた、新宿を出て吉祥寺まで行けば、わたしも多分ドット絵になれる。

2015年3月9日月曜日

20150309-01

それらひとつひとつは取るに足らない作業、家計簿をつけたりお皿を洗ったり読書を記録したり出したペンを筆箱にしまったり、そういう小さななんやかやがたまりにたまってわたしは死ぬんだと考える午前3時は煌々と照るからわたしはぜんぜん眠れない。どこにも行ける気がしないから足踏みするのをやめた、時間を崩すゲームばかりしている。



追悼する人があの子からあの子になりそしてあの子になる、人格が変わるのに据えられるポジションは同じ、絶対誰にも替えがきかない存在なのに「絶対誰にも替えがきかない存在」として彼らは肩を並べる。手を伸ばせば届くけど届くためには手を伸ばす必要がある、その事実が若干不愉快だからわたしはコートから手を出さない。



3月は鬼門、4月は地獄。カジュアルかつポップに飛び降り、花びらが張り付いた真っ黒なアスファルト、さようならからまたひとつ遠くなる距離。

2015年2月28日土曜日

20150228-01

「今すぐ荷物をまとめて出て行け」って言われて自分の15年間の長さを知る、洋服、ノート、そのほかもろもろ。くだらないものしかないのにリュックに全部詰め込めなくて絶望する、わたしの15年がここで断絶する。家族とか肉親が無条件で自分に優しいという誤解、とっくに改めていたと思っていたのにじゃあどうして今絶望しているかというとそういうゆるぎないものがどこかにあると思っていたからで、誰が悪いって言ったら間違いなく自分が悪い。
捨てられないものなんて何一つないのに躊躇してしまうのは未練があるから、しあわせだった記憶とかに未練があるから。

******************************************

自分と同等に不幸な人の話を聞いて安心しては差異を見つけてつらくなる、でも物事は白黒じゃないってわかってからいろんなことにセーブが利く。わたしはあの子が好きだし嫌い、それは十分両立するしみんなそう。

******************************************

いちごの入ったあまいサンドイッチに最初は面食らってしまったけれどすぐに慣れた、たいていのものを挟んでもパンはおいしい。おかずクレープ、デザートのパン、あまいごはん。

******************************************

おやすみなさいをちゃんと言うからおはようってちゃんと言ってほしい、おやすみなさい、またあした。



2015年2月22日日曜日

20150222-02


なんとなく見ていたustで生配信されてたライブに出てるのはあの子、思わずしちゃったメールのレスが速攻返ってきてわたしは笑う。
「ねえ今XXXってバンドをやってるの?」「そうだよ、こないだから入ったの」、ライブ中なのにもかかわらずぽんぽん返ってくるメッセージに驚くけれど、この子ならライブをしながらメールを返しちゃったりするかもしれない。「今ustで配信してるよ」って送られてきたurlはまさにわたしが今見ているもの、ゴリゴリ大きな音でベースを弾いている彼の音を追ってみたらほとんど開放、四弦しかないのに四弦以上の音を全部開放で弾いていて、わたしは驚いた後に笑う。


******************************************


例えば全ての事象が何かに結びつくようなそういう世界があるとして、そしてわたしがそこに生きているとして、じゃあどうしたらいいのかって言ったら死ぬか生きるかしかない。例えば全ての事象があの子に結びつく、そういう世界が幸せな世界か否かって言ったら前者、だったらわたし笑って生きるしかない。

死なないんなら笑え、世界は幸せなんだから笑え。口角無理矢理上げて繕え、その後ちゃんと心から笑え。


******************************************


mid summer night09がFlashbackになったの今知った、きみのことを殺したいぼくもいないし夜明け前はもう鮮やかにならない、でもそのかわりにぼくの景色ももう悲しくない。いとしいものがきれいになくなってくれることなんてないし、それらが変遷してあり続けるような世界なら、わたしもなんとかやっていくしかない。



わたあめみたいになりたかった、わたしわたあめみたいになりたかった。







20150222-01

レジ横で梱包寸前のプレゼント、「どうしよう」って言うから迷っているならやめなと言った。そんな気持ちでプレゼントを買って、気持ちよく渡せるはずがない。
一方的な好意が自分の快楽になっている間はたくさんやったほうがいいけれど、ただひたすらそれを享受する相手の態度に辟易してしまったら、その瞬間にすべてが終わってしまう貴族の遊びみたいなものだし、『貴族の遊び相手には、本当に好きな人を選んではいけない』って、うちの猫が言ってたよ。

2015年2月14日土曜日

20150214-01

「放置イコール停滞」だなんて愚者中の愚者の陥る罠、「放置イコール緩やかな死」だしそれはイコール緩慢な自殺だ。小学生の時朝顔を育てませんでしたか、お水もやらず日向にも出さなかった斎藤くんの朝顔はどうなりました? 放置すると朝顔は枯れるし人は死ぬ、「人」には自分も含まれる。

明日死ぬかもしれないから出し惜しみはしないでおこうとした結果去年の自分がサイコーによかったという状況で迎えた今日、わたしは絶望して100メートル先に見える「最後尾」の札の後ろに立つ。費やした時間や労力が気持ちに比例するとは言わないけれどそう錯覚してしまうことがある、割いたリソースの多少によって思いの強さを測ろうとするのは愚。わかっているけれど無意識で値踏みをしてしまう、去年のわたしはサイコーだった。

行きたい場所がどこにもないなら自分の中に潜ればいいのに、目の前の時間を暇と認識して持て余した瞬間わたしは死ぬ。目を開けて死ぬとふと飛び込んでくる文章があって、それで再び生き返ったりする、だからわたしは死んでしまうのは仕方がないとしても、せめて目を開いたまま死にたいと思っている。

2015年2月7日土曜日

20150207-01

朝起きてもう二度と起きたくないと思うから目覚ましをかける、明日まで生き延ばすって手段はわたしに限り実に有効だ。
わたしの存在の有無にかかわらずわたしの好きな人が幸せになってくれたらいいって本当に思っているのに全部偽善みたい、自分のエゴの汚さばかり引き延ばして突き付けられ続けてもう何年経つのかな、一生許されることはないだろうって思ってはいたけど実際そんな5年を過ごすともういい加減うんざりする。
たった5年。

******************************************

駅の女子トイレは個室が二つ、奥が開いているのにみんな避けて通るから順番が回ってきたときに入ってみた。血まみれの個室を見て納得したけど、多分血にまみれた手で個室内の壁をベタベタ触ってしまったんだなと思ったからわたしは気にせずそこで用を足す。
トイレットペーパーのホルダーの金属に、ドアの内鍵に、そして左右の両壁に。いろんなところに手のあとが赤くついているけれどタイルの床だって若干血だまり、足元が血でぬるぬるして滑るから左右の壁を押すようにして体勢を保っていたのだなと考えると壁にしつこいほどついた血だって納得、だから何にも怖くなかった。

それでもわたしが個室から出たあと入った女の子が顔を真っ青にして飛び出してきたから、ああこのまま汚れているとこの女子トイレは個室がひとつしか機能しないことになりトイレ待機列がどんどん伸びる、と思って駅員さんに報告をしに行った。ターミナル駅の利用者は毎年増加、東口改札には駅員さんが10人待機していて不測の事態に備えている。
一番暇そうな若い駅員さんに声をかけると出張交番に移動して事情聴取が始まった。「まずは名前をここに漢字で書いてください」と差し出される用紙には既に「サカイ ユキ」と書かれており、これがわたしの名前なのかと一瞬納得するけれど、サカイの字が『阪井』か『阪伊』のどちらなのかわからず逡巡する。
わたしの動揺を読み取って若い駅員さんが「どうしました?」と訊いてくるから仕方なく「わたしはサカイではありません」と吐いた。駅員はそうでしょう、というように頷き、「それではあなたの正しい苗字をこちらに」と掌で促す。
わたしはわたしの正しい苗字を知らない。

******************************************

時間がないけれどラーメンが食べたいと言うわたしを絵里ちゃんはうなぎ屋さんに連れて行く。1000円で食べられるその店の鯛茶漬けは絶品、まるでショートケーキのような見た目も女性に人気、今日みたいにお酒を飲んだシメにはぴったりだと絵里ちゃんは言うし、わたしもまあラーメンを欲して鯛茶漬けを提案されるのは何も間違っていないから大人しく従う。
既に長い列ができているうなぎ屋に並びもせずに、近くの公園で絵里ちゃんはダラダラと喋る。近況報告、彼氏の愚痴、バイト先の店長のウザさについて。そうこうしているうちにわたしの新幹線の時間が迫ってきて、わたしは鯛茶漬けと新幹線、どちらを諦めるかの選択を迫られる。

2015年2月2日月曜日

20150202-01

真っ暗な部屋でストーブに当たりながら猫を抱えてしずかなアニメを見ているとしずかな気持ちになってしまう、頭に穴が開いているわけではないのに過ぎた瞬間から記憶が流れ出てわたしのなかにはなにも残らない。
本当のことは自分の中にだけ留めておくことにしたのに、いつも最後に話した言葉を忘れてしまう。さようならか、ありがとうか、またねだったらいいなと思う。

わたしは君に最後なんて言ったのかな、二度と会えないから覚えておくとか言わないで。

******************************************

湯たんぽ代わりに小さなホットのペットボトルを買うから鞄がどんどん重くなる、ジャスミン茶と緑茶とレモンティを消費して残るはホットレモンとバンホーテンのココア、さっき買ったばかりのココアはまだ湯たんぽで使うとして冷えたホットレモンは片づけてしまわねばならない。
おなかがずっといたいけどイブを流し込むのにホットレモンもココアもふさわしくないから我慢している。正確に言うとココアはイブを流し込むのに最適、最適ではあるのだけれど気分ではないからしたくない。

地面からずどんと突かれるみたいなおなかの痛みはすごく痛いけど嫌じゃない、繋ぎ止められている感じがする。薬を飲むとだって腎臓が大変そう、だからわたしはあんまりお薬を飲みたくない。……ってのを理由にわたしは今おなかが痛い波みたいなものにとりあえずさらわれている。何もしないでただ耐えている感じがして、これはこれで結構好き。

******************************************





わたしたちは包囲されてい ま せん。




2015年2月1日日曜日

20150201-01

わたしは今まで自分が好きになった人どころか今までしたバイトだって全部は思い出せない、例えば今誰かに今まで付き合った彼氏の人数を聞かれて答えられるかというとまぁ勿論答えられるけど数秒必要、それはわたしが付き合った人数が多いわけじゃなくてちゃんと覚えていられないから。わたしはすぐに忘れるし、忘れっぽいせいもあるけれどこれだけ生きていたら忘れないときっと容量がパンクしてしまうのだと思うし、履歴書だって昔の手帳と日記を引っ張り出さないと書けないくらいだし、だから例えば好きになった人に、わたしの知らない出来事や思い出があるってことは至極当然のことだってさっきお風呂で考えていて不思議な気持ちになった。例えば地元が同じ小学生同士なら、相手の親や兄弟や家族・育ってきた環境や初恋の相手まで知ってしまって自分の知らないなにか特別大きな事件って多分ない、でも大人になると全部知るなんて無理、それはまるで諦めのようでもあるけれど、わたしがわたし自身のことをたくさん忘れてしまっているということからもわかる真実、すごいなあ、長く生きるとたいそうだな、と思う。
わたしだって自分のことを全部覚えていないし頑張っても思い出せない、人のことなんて例えそれが表層的な歴史だとしても、全部把握するのは多分無理。


『わたしはわたしにしかなれないし君も君にしかなれない、わたしの人生はわたしが頑張ることしかできないし君の人生もそう、だから各自ファイトだよ、そんでもって一緒に眠っておいしいものを食べよう』。基本姿勢は変わらないけどわたしの人生やっぱりわたしが頑張るしかないのかぁって、当たり前のことがちょっといやになったのは、多分疲れているのだと思う。思うけど、じゃあ疲れていない状態ってどんなんだって考えてもわからないし、だから明日はあんまりおなかいっぱいにごはんを食べるのはやめて、二駅くらい散歩をします。わたしの基本姿勢は正しいと今でも確信しているけれど、それはかなりタフなものだから、今ちょっとそれがいやになっちゃっただけだよ。

2015年1月31日土曜日

20150131-01

ねこが寝不足になるなんて知らなかった、ねこは寝子だし、わたしと一緒にいたって勝手に膝の上で眠っているから寝不足になるなんて思いもしなかった。
首の力が抜けて軽い頭蓋がずっしりわたしの二の腕に食い込む瞬間を8年間味わってもまだ毎回愛おしいから本当にすごい、わたしが目を覚ましても腕枕で眠り続けて、今は片腕をバンザイした格好で眠っているし、ねこが丸まらずに眠るのは本当に無防備と言う感じがして可愛い。



「今日誕生日だしケーキ食べようよ」って言いながらリップを探して鞄をごそごそしたらすごくびっくりされた、「アッごめん今持ってるわけじゃないんだ」って言ったら「君は昔からそういうところがある!」と言われた。「君は昔からそういうところがある!」、昔からわたしを知っていて、昔からなにか変らない印象をわたしに持っていてくれているということかと考えて面白かった、わたしは確実にこの人と出会った10年前と変わりきってしまっているのに。



2015年1月27日火曜日

20150127-01

エンターテイメントは偏った正義、それは確かに偏っているけれど絶対的正義なんだって暴力的過ぎるステージを見ながら思う。客席を見据えたステージはエンターテイメント以外の何物でもなくて、わたしはあんなかわいらしい女の子の一体どこから、こんな暴力的なパワーが出るのだろうと思う。

******************************************

雨降りだから風邪をひいた、わたしの好意が受けて嬉しいものであればよかったのに。

******************************************

兄弟だったらよかったねってメールがきたのが5年前、最後に会ったのは4年前。

******************************************

ああそうか、もう着実に、幸福への階段みたいなものは敷かれていて、あの子はちゃんとそれを登っているんだと実感した午後10時は轟音にまみれていて憂鬱さなどみじんもなかった。わたしができる最大のことをわたしはもうしていて、わたしが願う唯一の幸せであるあの子の幸せが叶うなら、ハッピーエンドののこりかすはいよいよただのごみくずと化す。もう幻肢痛すらなくなって、ニコニコ笑うのが嬉しくて、ああよかったなって思うのと同時に、わたしはこの世で一番の後悔をここでしたから、この先何が起こっても、これより辛いことはないんだと心強くなる。


そうか、そうだね、でもそれならわたしはどうしよう?

途方に暮れて次の日泣いた、筋肉痛だけじゃなくて涙すら一日遅れで来るようになったのがおかしかった。

******************************************

「がんばる」って言うわたしに「がんばらなくていいからしあわせになって」って言ってくれたのが誰だったのか、もう全然思い出せない。

******************************************




以下ただの本当の日記です



SEBASTIAN X、初めて見たけどちょうぜつかっこよかったです
まなつちゃん超パワフルだった



PASTAFASTAも超かっこよかった 三人とも弟みたいでいまだに超絶かわいいのにステージ超かっこよい、toosmell recordsのパーカー買いました


玉屋2060%もよかったです、やる音楽が変わっても、西荻WATTSというかんじがめちゃんこする(吉祥寺だっつってんのになんだこのわたしのコメント)


会えなかった人も結構いたけどいた人にはいろいろ挨拶とかできたかなって思う、ほんと久々にみんなに会えてうれしかった。PAさんや当時の店長、スタ番の人たちって当時すごく大人だと思ってたけどよくよく年を考えたら全然変わらなくてびっくりした、すっごく大人だったんだよな。音楽なんて一切興味がなかったわたしが今なんとなく音楽が好きなのも、ジャンルが変わっても裏方みたいな仕事が好きなのも、自分が出るよりも人の笑顔が見ていたいのも全部WARPのおかげだと思う、レオくんイベントおつかれさまでした、吉祥寺WARP15周年おめでとう。

2015年1月26日月曜日

20150126-01

悪夢は見なかった。


結論として山にこもりましょうと出たので、 強くなるために頑張ります。

2015年1月18日日曜日

20150118-01

氷でできた直径3メートル程度のお盆を二点でヘリから吊るしたような乗り物の、そのお盆部分には柵はなく、申し訳程度に盛り上がった縁すらないからわたしたちは、滑りやすいそのお盆の上で神妙に正座をして、前後のバランスを崩さぬように最善の注意を払いながら上空を飛んでいくしかなかった。眼下に広がる壮大な景色は確かに美しすぎたけれど、落ちたら間違いなく高さじゃなく冷たさか噛み殺されて死ぬから、わたしは南極なんかに来たくなかったんだよとわたしは翔子ちゃんに繰り返し言う。
真下に広がる海には氷が混じり始め、ああ、ついに地球の端っこまで来たんだとわたしは思う。びっくりするくらいたくさんのアザラシと白熊が氷の縫い目からうようよ見えて、もしわたしたち今バランスを崩してここから落ちたら、アザラシや白熊に食べられるか、もしくは水の冷たさで死ぬかのどちらかだよと翔子ちゃんに囁く。もう何十回も同じことを言われている翔子ちゃんは、そうだねと言いながらそれでも笑って景色の美しさしか見ていないから、わたしの不安は増すばかりだ。

地球儀で言うところの接地面、南極の頂点には直角三角形の形をした氷の大地がある。ヘリコプターはゆっくり下降し、無事氷のお盆のバランスを保ってそこまで辿り着いたわたしたちを降ろす。目測誤ったわたしは冷たい水の中へドボン、必死で垂直に近い氷の壁を這い登り三角形の頂点に登る。幸いざらざらした表面は素手でも掴みやすく、アザラシにも白熊にも捕捉される前にわたしは頂点に辿り着く。
スーツ姿で三角形の頂点部分の左端に跨ったわたしを、同じくスーツ姿で三角形の頂点部分の右側に跨った翔子ちゃんが笑顔で迎える。翔子ちゃんのおしりのあたりの雪は黄色くなっていて、それは恐らく白熊の尿、つまりそこあたりまで白熊が来るってことだよ翔子ちゃん、もうちょっと真ん中に寄ろうよ怖いから、と言い終わらないうちに翔子ちゃんの背後に水面からジャンプする白熊が見える。

ねえそもそも南極に白熊って何、というか氷がぷかぷか浮いてるだけの南極って何、南極にまるで鰯の大群みたいにアザラシと白熊がうようよしてるって何、それらが氷の大地には乗らず水面下を泳ぎ回っていてたまにこうして訪れる観光客をイルカみたいにジャンプして攫っていってわずかな食料にしているって何? 納得いかなさすぎるしなんで翔子ちゃんリクスーなの眼鏡までかけてるの、なんで白熊が水面から垂直にジャンプして翔子ちゃんを攫ってくの。意味が解らないことだらけだけれども翔子ちゃんが白熊に攫われたという事実は変わらずわたしはわずか10メートルの距離で水中に引きずり込まれた翔子ちゃんが白熊に食べ散らかされる様子を見せられる。澄み過ぎた水面は翔子ちゃんの血で濁ることもなくせいぜい参考書についてくる赤シートばりの透明感を保って、白熊に背中を一噛みされたあと左足を膝下からばくりと飲みこまれる翔子ちゃんを見て「あ、足」とわたしは思う。翔子ちゃんの足、ねえそれ食べちゃったら翔子ちゃん歩けなくなっちゃう、ねえやめてって思うけど白熊が願いを聞き入れるはずもなく、わたしはもうそれ以上見ていられなかった。
「あらあらー、やられちゃいましたねー、まあ運だし白熊だし、しかたないですぅ」 と笑う添乗員は不安定なこの三角の陸地でも涼しい顔で、わたしは何に怒っていいかわからなくなる。南極に来たいと言ったのは翔子ちゃん、力ずくで止められたのは多分わたしだけ。この陸地まで先着し誘導したのはこの添乗員だけど命の危険は承知の上で、翔子ちゃんを食べたのは白熊だ。
スーツの切れ端と噛み千切られた肉の繊維、思ったよりは出ない血、翔子ちゃんのいろいろは適度に汚らしく海を汚すけど、あまりにも量がなさ過ぎてやっぱり水面は濁らない。白熊は数日ぶりの食事に歓喜し、わたしは目を背けた自分の行動が間違っていると感じるけれど、やっぱりもう、翔子ちゃんだったもののほうを見ることが、怖くてできない。

2015年1月17日土曜日

20150117-01

「これ東京に向かってる!」という警官の叫びを裏付けるように眼前に多摩川が広がって、わたしはその幅広さにうんざりしながら列車を追う。新潟へ間もなく到着するはずだったこの列車がなにものかに乗っ取られてくるりと方向転換したのはほんの10分前、たった10分で新潟から二子玉川へ、早いにもほどがあるしありすぎる。

乗客の女子高生は二両目で古文、大学生は三両目で物理の講義の真っ最中。わたしも三両目を履修しないと単位を落としちゃうし、とりあえず列車を止めるよりも三両目に飛び乗って階段状になった教室で席を確保し、授業を受けることを優先することに決める。
多摩川にかかる長い橋の上でわたしは列車に追いついて飛び乗り、大学生の三両目に潜り込む。今日は先生が遅刻中、まだ授業は始まっていなくて、神経質な先生の顔を思い出してわたしはほっと息をつく。

「ぼくの授業は聞いてもらわなくてもかまいません、ただそこにいてくれたら」

教室に入ってくるなり発された先生の言葉に従って生徒たちはいっせいに話し始める。昨日の飲み会、彼氏のグチ、こないだ持ち帰った他大の女子について。一人一人の声は普通の大きさなのに、それが集団になるとびっくりするくらいうるさくて、わたしの耳に先生の声はもう聞こえない。
机に広げた筆記用具とノートと教科書を両手で抱えて一番前の席へ、荷物だけ置いてわたしは後ろ、つまり教室全体を振り返る。今ここでわたしが「うるさーい!」って叫んでも、多分かき消されて誰にも届かない。だったらどうすればよいか、みんなの口を噤ませて先生の授業を聞くために、わたしはいったいどうすればよいか。最適解を見つけたからわたしは、まず教室中段、向かって右端の男子に狙いを定める。
階段状の教室を駆け上がりながら、驚いた先生の板書の手が止まるのを背中で感じる。先生わたしなにをしてでも、先生の授業、ちゃんと聞きたいんです。

2015年1月9日金曜日

20140109-01

安心じゃないけど旅に出たい、でも今数万かけてどこにも逃げられない逃避行をすることが正しいとは思えなくて、だから自室で煩悶してる。川へ行きたかったからパン屋さんにメールをしたけど今日は金曜日、だから間違いなく夜半まで仕事だ。ひとりでだってたどり着けるそこへひとりでいく気がしないのは、そこがわたしひとりの場所じゃないということだけじゃなく、結局安心して家まで送り届けてほしいから。
日本は狭くて広いから、思い出の土地には全部手垢がついている。バイタルサイン、鼓動のそのリズムにあわせて早朝家を出たあの感じ、あの感じでわたしはいつもここじゃないどこかへ逃げたいと思ってる。

大人になるとどこへも逃げられない、どこへ行ってもわたしはわたしだし激変することはなくて、旅に出るという行為はいつも、たくさんの大切な物事のなかからたったひとつのものを選んで肌身離さず持ち歩き、引き延ばして、愛でるための行為でしかなかった。わたしの逃避がうまくいかないのは、例えばその目的地にすきなひとの幻影がないからで、だったらどこへ向かったって、逃避が成功することは、もう、ない。
完璧なそれをわたしは一度手に入れて、そうしてゆっくり握りつぶして、だけどそれは失われることなく、記憶の中に鮮明にある。だからわたしは新しくその代替を探すこともできないし、繰り返し思い出すことによって段々と捏造されてゆくその記憶を頼りに、したくてたまらない逃避行を、自分の意思で思い留まり続けるしかないのだ。

2015年1月7日水曜日

じぶんメモ:2014年本まとめ

500冊も読んでいないぞ! 後半の失速っぷりがすごかった。
今年はまた漫画を好きなだけ買えるような生活がしたい。


じぶんメモ:12がつ本まとめ

記録すらちゃんとできてない気がするよー。実家でずっとナニワ金融道とカイジ読んでた。
ちょっと気持ちに余裕ができたけど普通に忙しくて&通勤時間が無くなって読書しなくなってしまった、ゆっくりでもちょこっとずつよめたらよいな


2015年1月3日土曜日

あけましておめでとう

去年はいろいろあったんですけどインターネットに書けない系のことばかりあったので書きません、喉元過ぎればでネタになるのではと思っていたけどネタになるというか自分の中でのオチに辿り着く前に「大変だったね…」って言われたり眉毛をハの字にされることが多くてそろそろ自分でも「アッこれはおもしろネタじゃなく純粋につまらないのでは…?」って気付き始めたのでもう喋りません。
帰省したんですけどこれまた世知辛い感じの帰省になってしまったしああ僕そりゃ15で家出てるもんなぁ家族のことよく知らないやみたいな感じで自分の薄情さとかを再実感したりして全体的に世知辛いしよくないです。さっき晩御飯を食べてきたんですけど「世知辛いことをしゃべるのはやめよう」とした結果黙りこくってしまった、わたしの身にはいますぐ、景気の良いことが起こらなければならない、起こるべき。
今日明治神宮に初詣に行ったんですけどベビーカー押してる人を見るたび「ああ~ベビーカー乗りたい」って思ってたし口に出した、めちゃ笑われたけど本心だから、努力せずラッキーなこととか起こってほしいけど人生そんなに甘くないので宝くじが当たらない代わりに平凡な暮らしを慎ましく送りたい。いつもなら初詣ってか神社では「がんばるので見ていてください」って言うんだけど「がんばる」って言えなかった、がんばれないよ~もうすでにご飯食べて寝て酸素を吸って二酸化炭素を吐いてる時点でがんばってるよ~とか甘えたことを思っている、引いたおみくじには「忍のひともじです」って書いてあった、6日から頑張ります。