2015年1月18日日曜日

20150118-01

氷でできた直径3メートル程度のお盆を二点でヘリから吊るしたような乗り物の、そのお盆部分には柵はなく、申し訳程度に盛り上がった縁すらないからわたしたちは、滑りやすいそのお盆の上で神妙に正座をして、前後のバランスを崩さぬように最善の注意を払いながら上空を飛んでいくしかなかった。眼下に広がる壮大な景色は確かに美しすぎたけれど、落ちたら間違いなく高さじゃなく冷たさか噛み殺されて死ぬから、わたしは南極なんかに来たくなかったんだよとわたしは翔子ちゃんに繰り返し言う。
真下に広がる海には氷が混じり始め、ああ、ついに地球の端っこまで来たんだとわたしは思う。びっくりするくらいたくさんのアザラシと白熊が氷の縫い目からうようよ見えて、もしわたしたち今バランスを崩してここから落ちたら、アザラシや白熊に食べられるか、もしくは水の冷たさで死ぬかのどちらかだよと翔子ちゃんに囁く。もう何十回も同じことを言われている翔子ちゃんは、そうだねと言いながらそれでも笑って景色の美しさしか見ていないから、わたしの不安は増すばかりだ。

地球儀で言うところの接地面、南極の頂点には直角三角形の形をした氷の大地がある。ヘリコプターはゆっくり下降し、無事氷のお盆のバランスを保ってそこまで辿り着いたわたしたちを降ろす。目測誤ったわたしは冷たい水の中へドボン、必死で垂直に近い氷の壁を這い登り三角形の頂点に登る。幸いざらざらした表面は素手でも掴みやすく、アザラシにも白熊にも捕捉される前にわたしは頂点に辿り着く。
スーツ姿で三角形の頂点部分の左端に跨ったわたしを、同じくスーツ姿で三角形の頂点部分の右側に跨った翔子ちゃんが笑顔で迎える。翔子ちゃんのおしりのあたりの雪は黄色くなっていて、それは恐らく白熊の尿、つまりそこあたりまで白熊が来るってことだよ翔子ちゃん、もうちょっと真ん中に寄ろうよ怖いから、と言い終わらないうちに翔子ちゃんの背後に水面からジャンプする白熊が見える。

ねえそもそも南極に白熊って何、というか氷がぷかぷか浮いてるだけの南極って何、南極にまるで鰯の大群みたいにアザラシと白熊がうようよしてるって何、それらが氷の大地には乗らず水面下を泳ぎ回っていてたまにこうして訪れる観光客をイルカみたいにジャンプして攫っていってわずかな食料にしているって何? 納得いかなさすぎるしなんで翔子ちゃんリクスーなの眼鏡までかけてるの、なんで白熊が水面から垂直にジャンプして翔子ちゃんを攫ってくの。意味が解らないことだらけだけれども翔子ちゃんが白熊に攫われたという事実は変わらずわたしはわずか10メートルの距離で水中に引きずり込まれた翔子ちゃんが白熊に食べ散らかされる様子を見せられる。澄み過ぎた水面は翔子ちゃんの血で濁ることもなくせいぜい参考書についてくる赤シートばりの透明感を保って、白熊に背中を一噛みされたあと左足を膝下からばくりと飲みこまれる翔子ちゃんを見て「あ、足」とわたしは思う。翔子ちゃんの足、ねえそれ食べちゃったら翔子ちゃん歩けなくなっちゃう、ねえやめてって思うけど白熊が願いを聞き入れるはずもなく、わたしはもうそれ以上見ていられなかった。
「あらあらー、やられちゃいましたねー、まあ運だし白熊だし、しかたないですぅ」 と笑う添乗員は不安定なこの三角の陸地でも涼しい顔で、わたしは何に怒っていいかわからなくなる。南極に来たいと言ったのは翔子ちゃん、力ずくで止められたのは多分わたしだけ。この陸地まで先着し誘導したのはこの添乗員だけど命の危険は承知の上で、翔子ちゃんを食べたのは白熊だ。
スーツの切れ端と噛み千切られた肉の繊維、思ったよりは出ない血、翔子ちゃんのいろいろは適度に汚らしく海を汚すけど、あまりにも量がなさ過ぎてやっぱり水面は濁らない。白熊は数日ぶりの食事に歓喜し、わたしは目を背けた自分の行動が間違っていると感じるけれど、やっぱりもう、翔子ちゃんだったもののほうを見ることが、怖くてできない。

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