2013年2月26日火曜日

20130226-02


わたしたちの机はもう端の方にまとめて積み上げられておりがらんとした教室は冷ややかで、昨日までここで授業を受けていたはずのわたしたちにとってここはもう無関係な場所で、卒業式という数時間の儀式を経ただけで今まで親しく接していた場所やものがこんなに冷ややかになるのかと、わたしは無性に怖くなる。
机の山に近づくとわたしたち5人のそれだけが積まれず並んで置かれているのがわかる。5つの机の天板にそれぞれ鉛筆で書かれた文字、それは明らかに一人の教師の筆跡だけれどこのいたずら書きはわたしたち5人のせいにされた。大きな扉が閉じられ話し声くらいなら漏れ聞こえないはずの体育館から5人の教師の争うような声が聞こえてわたしたちはそっと様子を窺う。
5人の教師は全員男で美術と音楽と数学とあと二人は見覚えはあるけど不明(多分物理と3年の数学)。一番派手に暴力を振るっているのは美術、振るわれているのが音楽。両手で頭を抱えて丸まり同僚にボコボコにされている大人の男性を見るのは愉快なものでは決してないし、ここに明日丸まるのは他ならぬわたしたちのはずで、いやいや「明日暴力をふるいますふるっちゃいます君らをボコボコにしちゃいます」と美術から宣言されたのであればもう今日でわたしたち卒業しちゃったのだし呼び出しに応じる必要なんて皆無なのにこの子等はまるでそれが絶対の命令であるかのように大人しく明日ここへくるつもりで、いくらわたしがその異常性や理不尽さを説いても「だって、ねぇ?」「あぁ~イヤだなあ」とかなんとか言いつつ「教師の命令に背く」ことはハナから考えにないらしく、わたしはひどくヤキモキする。
「教師の命令に背く」ようなことを考えてしまうのは正しい生徒の思考回路じゃないとしてもわたしはどうしても我慢できない、教師によって書かれた机の落書きはわたしたちの手によるものにされておりそのためわたしたちは明日暴力を受けねばならず、いや何度考えたってさっぱり意味が分からない、そもそも机に鉛筆で(カッターナイフや彫刻刀じゃなく消しゴムで消せる鉛筆だ)文章を(罵倒や卑猥な言葉ではなく国語の教科書に載っていた昔の詩人の詩だ)書いたくらいでなぜ5人の成人男性に暴力をふるわれボコボコにされなければならないのか。ましてや今日は卒業式で明日から学校は春休み、大声出しても恐らく誰も助けてくれない。
わたしだけ明日ここにこないのは簡単だ、だけどわたし以外の子はきっと明日律儀にここに来て暴力をふるわれもしかしたら死ぬ、わたしはそれが理不尽で、納得できないしなんとかしたい。
ぐるぐる考えていると美術と目があった。男のくせに陶器のように色白な美術の頬はいつだってほんのりリンゴ色、銀縁の丸眼鏡と白のセーターとグレイのチェックのスラックスはいつもと変わらないけどよく見ると頬がいつもよりも赤いし髪の毛も乱れ、白いセーターには音楽のものであろう血痕が飛び散っていて気持ちが悪い。美術の目は爬虫類のようでああまさにわたしたち蛇に睨まれた蛙みたいだ、と思う。君たちは明日なのだから今日は大人しく帰りなさい、そう言われわたしたちは校門に向かう。ねぇおかしいでしょう警察に通報しようよ今のこと、それに明日も行く必要ないよと必死で訴えるけどみんな聞いてくれなくて、神様どうか、明日この子たちが納得して学校に行かないような出来事が起こりますように、と祈る。


学校は急な坂の下にあり、それがどれだけ急かというと住宅街から学校に降りる階段が途中でぷっつり切れていて手すりとなるロープが垂らしてあるただの急勾配の坂になり、それを手繰って上り下りしなければならない程度で、つまり段を付けられない程度の急勾配具合、だから雨が降るととてもじゃないがその坂を上ることが出来ないためしばしば学校は休校になり、あっそうか豪雨、豪雨になれば明日の学校行きをみんな諦めてくれるかなと思ったらまさにぽつりと雨が、僕らが坂を上りきる頃には既に学校は冠水、これじゃあ無理だなと明日の学校行きをみんなが諦めてくれたようでわたしは心底ほっとする。何気なく「わたしたち」の数を数えてみると3人、つまりは2人足りなくて、それは山岸君と美咲で、慌てて2人に電話をしたら山岸君は今山形にいるという。なんでそんなところにと問い詰めたら山形は美術の出身地、あいつの秘密を暴いてやるんだと鼻息荒くてわたしの「いいから今すぐ帰ってきて」も彼には全く届かない。美咲はというと何ともう家に帰り着き自室で寝ていたということで、みんなはその答えに安心し美咲らしいと笑うけどわたしはなんだかそれが嘘のような気がして、いいから今すぐこっちで合流しようと提案するも彼女はふにゃふにゃ笑うばかりで全く取り合ってくれなくて、暴力に怯えているのも助かりたいのも疑うのも全部わたし一人ですごくばからしい気持ちになるのだけれど、多分この「すごくばからしくなって思考を停止し先生方の言うとおりにする」が美術の狙いのような気がするから馬鹿らしくてもわたしは一人で奔走することに決める。

20130226-01

ひみつの組織の襲来でわたしはプールにまっさかさまで、カナヅチじゃないからいいでしょうというあの子のセリフにいやいやそう言う問題じゃなくわたし制服だし胸ポケットには携帯がなんて突っ込むまもなくプールにドボン、携帯電話は一月前にトイレに流してしまって買い換えたばかりの新品で制服だって新調したて、いくらひみつの組織でも時と場合を選んで欲しい。

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すごくねむたい。
びっくりするほどおうちにかえりたくなってしまって、だけど帰れないから板チョコバリバリかじって食べた。チョコレートのお菓子、例えばチョコパイとか抹茶味のチョコとかドライフルーツが入っていたり、そういうのであれば「お菓子」って感じがするけど、ただの板チョコをかじっていると「摂取」って感じがする。
板チョコはいくら食べても太らないと思ってる、チョコ菓子は太る、ポテトチップはもちろん太る。
板チョコの切実さがわたし好き、遊びの無さが好き。でもココアも好き、あまいものならたいてい好きです。

農作業をする上ではやる気よりも天候が重要だったりする。それはもう頑張りや根性じゃあ何ともしがたい要因で、わたしはわたしの仕事において、天候に準ずるものが自分の精神状態だと思ってて、つまり今日はわたし、チョコレート齧って過ごす。

2013年2月24日日曜日

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7本1500円の色鉛筆と4本400円のそれ、どちらかが普通の色鉛筆でどちらかが水彩色鉛筆。わたしがほしいのは水彩で、それはおそらく高いほうなのだけど、「そんなのどっちだって同じだよ」と誰かに言い張られわたしは水彩色鉛筆を手に入れることができない。



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誰かの一言で死んでしまうこともあるし、誰かの一言で生き返ることもある。そのたび自分の単純さに驚くけれどそうなのだから仕方ない。

久しぶりに気持ちだけあせっている。今唐突にノートパソコンがほしくなって、衝動買いしてしまいそう。2万円台のパソコンがあって、比喩でも大げさでもなく今本当に購入ボタンを押しそうになっているのだけれど、いやいや外出先でやることほかにあるでしょう、本を読んだりとか、って自分と何とかしてなだめてる。そもそも文章はわたし、ひとりきりでなければ書けない。


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お風呂はいった。


自分の部屋の混沌さがいよいよ極まってきてピンチ。
いまだに4年前の夢を見る。

わたしが一番好きなわたしを肯定してくれるひとはごくわずかで、その真実に安心する。ごくわずか、「いる」ということ。
わたしのこと一番好きじゃなくても、顔も名前も知らなくても、だれかに肯定されるたびすごく心強くなる。何気なく発される「良い」や「気持ち悪い」や「好き」で人生救われることがあって、これは大げさだろうなあと思うので言わないけれど事実そうで、だからわたしはいまから、きちんと髪の毛を乾かして下着をつけ服を着て、スーパーにお買い物にまいります。

20130224-01

バスはどんどん進み、見覚えのある駅前ロータリーに出た。見覚えがすごくあるのだけれど、ここがどこだか思い出せない、山形か富山の気がするけれどどこだろう、行ったことのあるお店がいくつか見えるし、わたしことあるごとにこの風景を夢にも見ている。
どこかなあって思っていたら通りと通りの間に雷門が見えて、あっ浅草かってわかった。
バスは満席だったのだけれど隣に座ったおばさんグループがわたしたちを肘で押してきて本当に不快で、だからわたしと妹は、停車するなり一目散にバスを後にする。

雷門をくぐるとそこは水族館になっていて、空気を入れて膨らませたボートのようなものでプールに漕ぎ出し、イルカを近くで見て触ることができる。わたしと妹はそれに乗り込む。
観光客が一気に押し寄せたからプールは一面ボートだらけで、イルカに触るどころか前に進むことすらできなくて難儀、そうこうしているうちに男の子が2人乗ったボートと接触してボートに水が入ってしまった。
慌てて水を掻き出しながらなんとかプールサイドまで移動、完全沈没は免れたのだけど結局イルカに触るどころか姿を見ることすらできなくて、わたしと妹はもう完全に不機嫌。

水族館の出口の横に小さなかまくらのような部屋があって、そこをのぞいてみると17段くらいの立派なお雛様があり、やることもないのでわたしたちはそれをぼおっと眺めた。
実家のお雛様は7段で、わたしはその大きさをわずかに誇りに思っていたのだけれど、ああやっぱり水族館の中のかまくらで飾られるようなお雛様は大きさもケタ違いだなあ、でもなんとなくお雛様の人形がわら人形っぽくて不思議だなって思いつつ同じように雛人形を見つめる人たちに視線をうつす、人間はわたしと妹だけでほかはみんな猫だった。
漫画じゃないんだから猫が二本足で立って雛人形を観察しているわけはなく、猫たちはそれぞれ思い思いの場所にデロンとだらしなく寝転んで、雛人形を見たり毛づくろいをしたりと忙しそうだった。
猫たちの鑑賞ペースに合わせると永遠にこのかまくらから出られないような気がしたので、わたしは妹を促して部屋を退出、バスのトランクにつめっぱなしだったボストンバッグを取りに急いだ。
意地悪なおばさんたちはまだバスの傍らで誰かの悪口に忙しい。わたしたちはできるだけそれを見ないよう、急いで母と祖母のもとへ。もう死んだはずの祖母はきちんと自分の両足で立っている。

2013年2月19日火曜日

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ヴォリュームについて考える。ヴォリューム。質量、積み重ね、わたしの吐露の積み重ね。
柔らかな雪が音も立てずに降り積もり、気付けば窓すら塞いでしまうような、そういう静かな重み。
きっとそういうものに何重にもくるまれて、わたしは生きている。
繭みたいに。


2013年2月18日月曜日

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毎日毎日飽きもせず本ばかり読んでいたらふいに投げかけられた疑問文でこめかみ撃たれてわたしは死んだ。決定的な違いを無邪気に指摘されて傷付くのはわたしがそこに分不相応の劣等感を抱いているから、相手に感じる僅かな蔑視は自分の内なる意識のせいで、つまりは全てそういうことだ。


目にうつるものはすべて自分の心情なのだなあとしみじみ思う。あの子の笑顔がかわいく見えるのはわたしがしあわせなせい、あの子の笑顔がおそろしく見えるのはわたしが不幸な気分でいるためで、あの子の笑顔に裏があるのはわたしの心に秘密があるから。


とおい未来のことを考えると、みんな骨になって死んでしまうのだし、人類の素晴らしい功績だってたとえば絶滅してしまった恐竜にはあんまり関係がなくて、つまりはすべて諸行無常で、だから未来のことや生きている意味、そんなものを考えるということ自体がおろかだな、と思う。誰かの成し遂げた偉業に対してきみが劣等感を覚えるのはなんでだろうね、ぼくから見たらきみだって十分、恵まれているしうつくしい。ぼくはきみがきみ自身のことを、ダメだと卑下して苦しむことが、理解できないから同情できない。
すべての価値は心の問題で、つまりは生産性や費用対効果や経済的アドバンテージ、人類の明るい未来に寄与するような目に見える結果が出なくとも、わたしはきみの体温を、かけがえのないものとして評価する。

2013年2月17日日曜日

20130217-02

わたしの恋愛は普遍化され万物の中に潜り込む、そう理解すればあらゆるものとの相似を偶然あるいは当然の必然と考えられるから運命なんて思わなくてすむ。
あらゆるものとわたしとの相似は運命じゃなくて当然で、そこにロマンチックな何かを期待するのは酷く滑稽なことである。具体性を抽象化しさらに極端を抽出、本質は細部にこそ宿るという本当を無視したその行為でわたしはあらゆるものに奇跡を見出す。
一縷の希望的観測は当然の帰結であるのに結果だけ見るとそれはケチの付けようのない奇跡でその輝きは本物に劣らない、見つめ続けるとイミテーションから本物になるそれを飽きることなく見つめてしまうとわたしはきっと色々過剰、だから慌てて目を逸らす。

詐欺師みたいだな、と思う。詐欺師あるいは占い師か予言者。あらゆるものに当てはまるような抽象的な言葉を吐いて無理矢理現実という型に嵌めほら見たことかと優越感、それは詐欺行為でなくてなんなのか。

全ての事象は運命論で綺麗に結ばれ星座のように名前が付けられその時点でそれはほんものになるのだ。



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過剰でも卑屈にもならない正しい結論をわたしは既に知っていて、そのつまらなさと希望のなさに絶望するからいっそのことゼロだと思いたい。『わたしはきみに影響しますかしませんか』、「当然ある程度、する」に納得行かなくてそれなら全く他人が良かった。

あらゆるものの干渉を等しく受けて歪む僕らの前ではあらゆるものが等しい、その大小は問題にならない程度の差であってその問題にならなさにわたしはきっと絶望してる。


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正しく自分を評価する、特別では決してなくど真ん中の平凡でもなく、多数派ではないがただ少数ではない。正しい評価や目はいつだってわたしを苦しめて、でも認めなければやっていけない。
わたしは自分のわずかな牙と爪を丹念に研ぎ隠し、半径数メートルに及ぼす影響をコントロールする。

『わたしは誰にも致命傷を負わせることは出来ないけれど不快な思いをさせることはできる』

つまりは一瞬の影響力しかなくてでも彼に対する僅かな塵も払い除けたいわたしは指先にまで慎重を求める、1秒は1秒でしかないけどわたしは1秒だって、彼に不快さを味あわせたくない。
わたしのできることといったらその程度のことで、それは決して愚かではないが読み上げられない程度の矜持だ。

20120217-01

ゾンビの子供は卵大で、いやむしろまさに卵だった。ころんとした真っ白でザラザラした球体には二つの大きな目が、まっくろくろすけやスライムみたいな可愛らしい目がついていて、それは愛らしいを2周くらい通り越して薄気味が悪い。彼らは5体真横に並び前線を狭めるように攻めてくる、わたしはフライ返しでそれを上からぽこんと叩く。叩かれたそれらは卵のようには割れないし血だって出ないのだけれど代わりに瞬時に真っ赤になって、しかし歩みは止まらない。第一形態が白で第二が赤、変形はせず色だけ変わったけどじゃあ第三はどうかというと空恐ろしいものに変質しそうでわたしはそれらを叩けない。


セーブをするには特定のポイントを通過する必要がある、この世界はゾンビの世界だから町や村ですら安心してくつろげるところではないしつまりは24時間気が休まらない。本当ならばセーブポイントかつ回復の拠点である町や村までもが敵に侵されているなんてRPGとしての難易度が高すぎる、エンカウントに次ぐエンカウントでわたしの画面は真っ赤になった。実家から送られてきたプレイステーションはラジカセみたいな形でクリーム色、これどこが壊れているの?と母に電話で聞くと「ビデオが取り出せなくなったの」と言う。まずCDの収納部分を見てみるとCDが重ねて2枚入っていて、一つは何かのゲーム、もう一はメタリカのCDで、わたしはメタリカのほうを取り出す。肝心のビデオ部分のイジェクトボタンを押してみるとビデオの頭が2mmほど飛び出てきたのでわたしはそれを爪を使って慎重に引き抜く、確かに2mmという長さはビデオを引き抜くとっかかりとしては短過ぎる、でも引き抜けないこともないのでこれは故障ではなく仕様だと結論付け母にそう伝えたが電話越しに聞く溜め息で彼女がそれに納得いっていないことが手に取るようにわかる。受話器越しの溜め息は質量を持ってこちらに漏れ伝わりわたしの右手を重くする、でもそんなこと言ったってさ人は、近代的便利さや洗練されたスタイリッシュさの為にある程度の犠牲は誰しも払っているんだよとわたしは心の中でだけ言う。便利な機械は手間を省くためにありそれを使用するには操作が必要、ワンタッチのそれだってワンタッチが必要でそれさえ疎むくらいなら思い描いただけで実行されなければならないがつまり心を読まれるということでわたしはそれは気持ちが悪い。

家電量販店は賑やかで、一時期増えたボタンが少なくつるんとしたデザインのシンプルな家電は昔のものになっており指先で慎重に選ばなければ複数個押してしまいそうな小さなボタンがどの機械の前面にも所狭しと並んでおり店員はそのボタンの多さとそれに比例した機能の多さをアピールしてきてわたしは苦笑いしかできない。

2013年2月14日木曜日

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春になると柔らかくなるのはチョコレートも猫も人間も同じ、つまりわたしも御多分に洩れずそろそろとろとろ柔らかくなる。やわらかくてフワフワしたものをわたしは確かに好きだけれども、自分がそうなることはあまり好きではない。炊き損ねたごはんみたいにまわりがベチャっとしているのに不快な芯が残った感じ、あの感じが一番好きだ。くにゃりと溶けだすわたしの芯は頼りないけど抗えない、重力に抗えない。

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「アンダーグラウンドと地下鉄」のC3出口がどこに繋がっていたのか今では全く思い出せない。高いものではなく、珍しいウイスキーばかり好んで飲んだ田中さんは技術職の人間で、仕事の話はさっぱり分からなかったけれど、仕事と奥さんが大好きだということが言葉の端々からにじみ出ていた。必ず部下か友達を連れてくる安田さんは、いつもよっぱらうとその部下や友達との出会いを熱く語った。わたしが好感を覚えたおじさんたちはみんなそれぞれに仕事と家族を愛していて、女の子に会いにくるのではなくお酒を飲んで話をしに来ている人ばかりで、そういう人は大抵郊外に住んでいた。一日をリセットするのだろうなあと思いながら、わたしは口を挟まず無言で相槌だけを打った。

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春について考えている、わたしにとって憂鬱な季節が今年もひたひたやってくる、とても怖い。
桜の木の下には死体が埋まっていて、わたしは上履きでそれを踏みしめる。
今年の春は怖くないとよいな、と思う。多分きっと、怖くない。

2013年2月10日日曜日

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手のひらに乗るくらいの小さな箱、100均で売ってそうなそれに入っていたのはたくさんの名刺と、数十個の2×1×10センチくらいの透明なプラスチックに入った写真。
そんな箱が4つ、バーカウンターやわたしが今左手を置いているサイドテーブル、ソファーの前のローテーブルにぽつりぽつりと置いてある。
ソファーにどかりと腰を沈め偉そうに座る女の子に「これ、何?」と訊くと彼女はつまらなそうに「ああ、あれだよ、わたしのセフレ、1軍から4軍まで」と答えた。胸まで伸ばした髪の毛はきれいに巻かれた栗色で、前髪を斜めに流した彼女は大人びて見えるけど19だ。
わたしは「ああ、あの、例の」と独り合点して、1軍の入った箱を探す。

「ねえそれはさ、寂しいとき誰でも良いからセックスしたいの、それともみんな好きなの?」と純粋に質問すると彼女は呆れた顔でわたしを見返した。その顔には『そんなこともわからないの?』って書いてあったから、わたしは『19のくせに、』と思う。
「みんな好きとかじゃないし寂しくもないよ、4軍の子なんてどうでもいいよ」と彼女が言うからわたしは4軍の名刺を束ねて一気に破り捨てる。
小さな紙は束ねると破りづらく、まるで「どうでもいい4軍」達に抵抗されているような気持ちになる。

「わたし、あなたにどうでもいいような人とセックスしてほしくないな」と言いながら、わたしは1軍の箱を探す。4軍にはそれなりに社会的地位が高そうな人たちがたくさんいて、そうしてわたしは彼女がセフレと呼ぶ男の子達が彼女のことを本当に好きなことを知っていて、じゃあ果たして彼女の1軍には、一体どんな人たちがいるのだろうと興味を覚える。
1軍の箱がどうしても見つからず、名刺と、変な写真プレートの入った箱を見つける、「あっそれ2軍だよ」と彼女が嬉しそうに言う。
この写真は?と訊くと、「それ、中学の頃の好きだったXX君」と嬉しそうに答える。
体育祭や修学旅行や終業式のクラスの集合写真から、黒髪でおさげの眼鏡をかけた彼女をわたしは見つける。4月の写真の彼女のスカートはバカみたいに長かったのに、3月の彼女はミニにしている。

2013年2月4日月曜日

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笑ってるし、ごめんねって思ってるし、いいよって思ってるし、今バンホーテンのココア飲んでるし、今月献本2冊も当たった。
買った本と借りた本とこれから借りる本と貰った本、しばらくこれでやっていけそう。今日は図書館に本3冊返して、また2冊予約本を借りる。
人が理不尽な目にあう小説が最近すごくダメになっていたのだけど、今読んでるのが1100人くらい死ぬ予定の本だから、いちいち感情移入しないことにする。荒療治みたいだ。


ねこにひっかかれたりえさぶちまけられてもかわいいからしかたないし、かわいいは正義だし、つまりはそういうことで、それなら苦笑しながらわたしその正義のもとに跪くよ。
買ったばかりのタイツのあなを出先で発見して、しみじみそう思う。
かわいいとすきにはかなわない。




だれかに言われたひとことで悩みの重力が1/10になる、ほんとうに、すごい。




おととい読んだ本がほんとうによかった。瀬尾まいこさんの、僕の明日を照らして。
引用するので、つづきをよむにします。

2013年2月1日金曜日

じぶんメモ:1がつ本まとめ

漫画ばっかりよんだ、全然活字読めなかった。
お正月、テレビ見なかった。
2月は読書スピード落として、小説読む。