2012年1月31日火曜日

20120131

できるだけまいにちやろうって決めてまだ1かげつもたってないのにあやうい

2012年1月29日日曜日

20120129

とらドラみたいにきゅんきゅんするおはなし読みたい。ミステリばっかり読んでいると人を疑いだすからだめだ。ホームの後ろに並んだ人は僕のことを隙あらば押そうとするし、「お茶でもいかがですか?」って声かけてくれる人は氷の中に青酸カリを入れた紅茶を出す、おまけに同じアパートの住人は天井にあいた小さな穴から毒薬を垂らして僕を殺そうとする。刑務所に入れば入ったで受刑者を装っての密室殺人が行われるし、隣のクラスの女の子は呪われてるし、怖い、ああ怖い。


さりとて人にそんなに恨まれるようなこともしていない昨今の僕は、誰かに目的を持って殺されるということもないのだろうなぁとも思う。なぜならば人付き合いをしていないからだ。人付き合いをしていないから、人に好かれることもうらまれることもなくて、でもそうしたら多分あれだな、通り魔だな、いやだなぁ通り魔怖いなぁ、いやでも白昼堂々とそんなんされたら死体が放置されることもないし、一人暮らしの部屋で誰にも発見されずぐじぐじと腐っていくよりもいいかなぁってあったかいお風呂でぼんやり考える。




昔の日記を見ると僕にはつねに好きな子がいたらしい、誰かと付き合っていても付き合っていなくても、とにかく誰かに恋焦がれていたらしい。ぼくのなかで、もうそういうのを使い果たしてしまったからいまはとにかく、とらドラみたいなキュンキュンするお話が読みたい。本屋さんで自然と目がいくのは乱歩賞とかホラーサスペンス大賞とか叙述トリックとか密室とか、そういうものばっかりだから、だれかこれぞ!というラノベ(的な何か)があったら教えてください。僕のオススメは肉蒲団です。

2012年1月28日土曜日

おっぱいが好きというと巨乳を思い浮かべてしまうということ

男性が(あるいは女性も)「おっぱいが好き」というと「ああ巨乳が好きなのね」と思ってしまう。そこで突っ込んで、「いやいや俺貧乳派だから」ってやり取りがあったとしても、やっぱり「おっぱいが好き」イコール「巨乳が好き」だと反射的に思ってしまうのはなぜだろうと、上記のような会話を初対面の紳士として考えた。

なぜ安易に巨乳が取り上げられるかと言えばキャッチーかつポップだからだ。解り易い「おっぱい」というアイコンを最大限にキャラ化したものが巨乳である。「おっぱい!」と叫べばそれはほぼ巨乳と同意となる。蔓延するそのイメージに歯がゆい思いをしながらも「いや俺はおっぱい好きでも貧乳だからという反論しかできないのが貧乳クラスタの現状ではないか。

いつからか貧乳かわいい、というブームが生まれてから貧乳の立場は今までよりずっと強くなったと思う、今貧乳が好きだといっても「通だねー」と見られることはあっても「ロリキモイ」といわれることは少なくなったのではないか。にもかかわらず、やはりおっぱいはイコール巨乳である。それは男には持ち得ないあのボリュームとやわらかさが女性を象徴する部位だからだとは思うのだけど、そして実際巨乳好き貧乳好きに全人類を分けたときどのくらいの割合になるのかはわからないが、やっぱりどうせなら自分で代用できないからだの部位が好き、むっちりした太ももやお尻もいいけど代用できない最たるものが性器か巨乳、だからおっぱい=巨乳、がただキャッチーというだけでなくとりあげられるのではないか。



貧乳を表す今わたしの一番好きな言葉は表面張力である。姿形だけでなくその慎ましさや透明感までも的確に表している。 ここのところずっと探しているのは「ぽっち」に代わる表現だけどもこちらはなかなかピンとくるものがない。まな板のような胸に表面張力程度のハリとふくらみのおっぱい、そしてそれに似つかわしくなくツンと突起する乳首、という組み合わせが最高だと思うのだがその乳首の突起具合をうまく表す言葉が見つからないのです。なにかありましたら教えてください。


(2011/08/01)

20120127

自分より絶対的に頭がよかったり、何かが秀でていたりして打ちのめされるというか競おうと思っても歯牙にもかけてもらえないような人が好き。年下が無理なのは弟がいるからかなーってずっと思ってる、年をとってもそこらへんはかわらなさそうだ。小さい頃からおねえちゃんやってるとお兄ちゃんかお父さんが欲しくなる。

色々考えて体系的に当てはめようとして、たいていのことは当てはめられるんだけどあの子だけがそれに当てはまらないからすごい。


色々考えて体系的に当てはめようとすると次の事項が浮かび上がります。
・メガネ
・クールキャラ
・何を考えているかわからない
・どこか天才的
・意地悪

しかしこれは二次元だからこそ許されるものであってリアルだと多分仲良くなれない。

絶対的に自分より秀でていないとひとを好きになれないとしたら、年をとればとるほど人を好きになりにくくなるということだ。興味がある分野にはいちど手を出すだろうし、その分野で秀でている人を過去に好きになったらその人とどうしても比べてしまうようになるし、「わけがわからないけどこのひとすごい」ってことがなくなってくる。とか頭で考えれば考えるほど二次元にしか好きな人ができなくなってしまうからみんな恋愛とはとかかんがえない方がよいですよ。

2012年1月27日金曜日

20120127

すきな人にもらったものが、あんまり特別な存在にならなくなった。
お誕生日に買ってもらった椅子は、もう机に合わなくなっちゃったし。
指輪も買ってもらった気がするけど、お米を研ぐときに外しちゃうからどこかへ行っちゃった。

そうしたらすきな人が、「すきだった人」に変わった。
 
でも最後のプレゼントになってしまったかわいいグラス、これだけはわたしどうしてものこしておきたいんだ、かわいいからね。
もらったもの、もうたくさんこわれたりなくしたりしちゃったから。
だからグラスはよいかなって思ってる。どうしてかというと、かわいいから。


おもうことは、いつでもたくさんある。でもきょうはおしまい。


2012年1月25日水曜日

20120125

ふいに悪口を言われてでも冗談だと思ったから「えーそんなこと言わないでよ~」ってヘラヘラ笑顔で返したのに悪口の追撃が止まらなくて、笑顔がうまく作れなくなって顔が歪んで段々涙が滲んじゃうし、でも泣いたらこれが冗談にならなくなるから必死で泣くのを我慢している、そんな顔見たい。

好きな子に一言罵声を投げかけたら止まらなくなる、笑顔で冗談にしようとしていたあの子がだんだん真顔になっていくのがかわいくて止まらなくなる、思いつく限りの罵詈雑言を、「わるくち」って呼ぶのも憚られるような人間蔑視の言葉を、ああこれ以上言ったらもうそれは人権蹂躙だよひどすぎるって自分でも思うのに止められなくて、そうするとどんどん言葉に感情がこもってきちゃって余計に止まらなくなって捲くし立てるだけ捲くし立てて、気付けば相手が怒るとも泣くとも笑うともつかない顔で静止している、そんなことしちゃいけないんだけど、うっかり、しちゃいそうになるときがある。いったん始まるともう自分の力では止められないから、最初のひとことを言わないように気をつけて生きるしかない。それは、どこまでこの子は笑顔を保ってこれを冗談にしようとするのかとか、わたしはこの子をどこまで傷つけられるのかなってのを確かめる作業で、つまりは終点にたどり着くまではその確認作業をやめられなくなるから、作業を始めたら最後まで終えなければ気がすまない几帳面なわたしは、最初のひとことを口にしてはいけないということだ。ちいさいもの、かわいいものはいとおしいから抱きしめたくなる、抱きしめたらやわらかいから、どこまでやわらかいのか確かめたくなる、確かめたくないのにいったん確かめ始めると最後まで確かめずにはいられない、だから抱きしめては、いけない。


こういう性質の人間を、「石橋をたたいて割っちゃうタイプ」といいます。


人間関係において確認作業を始めたら終わりだなぁと思う。わたしのことどれくらい好き?本当にわたしが好き?わたしがもしお金持ちじゃなくてもすき?わたしのこのコネがなくてもすき?わたしがお料理できなくてもすき?優しくなくてもすき?ねえねえねえ、ってはじめちゃうと、最後には「本当のわたし」じゃなくて「悪意」しかのこらない。こんなことしても痛くない?まだ我慢してくれる?だいじょうぶだよねわたしのことがすきだから、って、気付いたときにはその子に好かれた「わたし」でも、わたしが好きな「わたし」でもなくなって、ただただ他意しかないような存在になる。いま自分が置かれている状況を客観視して、ああこれはわたし好かれているな愛されているなって理解できても満足できないのは、カレーの写真をいくら眺めてもおなかがいっぱいにならないのと同じくらい当然なことで、いやいやわかるよこれがカレーだって、ほら運ばれてきた目の前にあるほら触れる距離に来ました、でも食べないと味、わからないよね?っていうことだ。食べたらなくなっちゃうし、カレーをカレーのまま目の前に残しておきたいならそれはとても愚かな行為なのだけど、そういう論理的で賢い考えよりも飢餓感のほうが勝ってしまうときがある。

(ちなみに僕はいま、カレーじゃなくてチョコレートとかにしたほうがかわいかったかなって思いながらブログをかいている。でもカレーになっちゃったのは、お昼も夜もカレーを食べたからです。)

2012年1月24日火曜日

20120124

本当のことをいうと、きょうはなあんにもおもいうかばなかった。

アヤちゃん・20歳・専門学生のおはなし


 子供がほしいと思ったことのないアヤちゃんにとってセックスっていうものはあんまり重視すべきものじゃなかった。三大欲求だといわれるがおなかはすく、ねむたくなる、でもセックスしたくはならないから「なにそれ?」って感じ、性欲があるからセックスするんじゃなくて、好奇心とかコミュニケーションの一部とかそういう位置づけであったのです。だから好きな人がいたら好きな人とセックスしたいなあとは思うけど一人えっちのやり方とかがまったくわからない(男の人のように物質的にたまるわけではないから、やる必要もわからない)。コミュニケーションやゲームのようなものだと思っていたから一人でそんなことをする必要性がわからなかったのだね。

そんな時、美術学生のアヤちゃんは、尊敬するアングラ師匠から「女の子はオナニーしないと絵に色気が出ない!」 といわれる。

あやちゃんは迷む。オナニーをしないのはなにかポリシーがあるわけじゃなくて一人でやってても気持ちがよくないから。だから友達の話を聞いたり、おもちゃを使ってみたり、いろいろためしてみた。でもだめだ。よくわかんない。一言で言うと『興味が持てない』。よくわからないっていうか、どうでもいいって心の底では思っているから身も入らないのだろう。やっぱりわたしは自分が体験する分なら、すきなひと(相手がいる)セックスがいいなーって思ってた。誰かが私に好意(下心含む)を寄せて手を伸ばしてくることがそんなにイヤじゃない。きみはわたしのことすきなんだよね、だったらわたしのこと考えてセックスしてくれるんだよね、じゃあ、しようか。 それでも、だれとセックスしても不思議なことにあまり変わらない、もちろん微細な違いはあるものも根本的になにかが変わらないしつまらない。精神部分での差異はもちろんある、でも肉体的な気持ちよさはみんなおんなじかんじ。したらしたで気持ちがいい気がするけど、三大欲求とされるほどの求める価値を見出せない。自分のことを好きって言ってくれる子のことは好きになるしかわいいなって思うからセックスすることもある。でも、肉体的快楽で言ったらあんまりかわらない。普通。特筆することもない。「わたしはセックスしてるけど、それはセックスという行為をするに当たってのそれまでのやりとりとか、セックスすることによっての心の機微や、そういうものがすき、セックス中の相手の気持ち良さそうな顔とかそういうものが。もちろんわたしも気持ちいいけど、なんだろう、肉体的な気持ちよさよりもそういうかんじなの。」アヤちゃんがセックスに感じる気持ちよさはそういうことなのである。そんなアヤちゃんは、或る夏、ある男の子とであった。

 (続きたいけど続かない)

2012年1月23日月曜日

ひまわりと叫びのあれ

ひまわり→○● 
叫び→☆★

白いほうが本物、黒いほうがにせもの


● のとき ☆
じゃあ ★ のとき まるは白か黒か?


・丸と星の、考えられる組み合わせは以下のとおり

(1)● - ★

(2)○ - ★

(3)● - ☆

(4)○ - ☆

★ が含まれる組み合わせは (1)か(2)

しかし、「●- ☆」という条件がある。

(1)だと、「●-☆」というこの条件に当てはまらない。
つまり、

「●-☆」 ならば 「○-★」


じぶんでもこんがらがったので!





20120123

「ねぇねぇどういう子がすき?」って好きな女の子に聞いたら「えーあたしの男のタイプ?!うーんそうだなぁ」って返されて一瞬胸がちくっとする女の子の表情が見たい。でも多分志村貴子あたりが描いてくれているはず。

今日は、かっこいい男の子に目がいったことないけど可愛い女の子には目がいくなーってあらためて思って自分の中の可能性について考えてみたけど、なまなましい男の子とは抱き合えるけどなまなましい女の子とは気持ち悪くて抱き合えないからわたしはヘテロセクシャルだなーって実感しました。現実の女の子はつよくて、なまなましくて、ぜんぜん童話的じゃないからこわい。


江古田ちゃん2巻の「勘違い」について考えていて、あーわたしよくこの勘違いをするな、そしてやっちゃうな、って思ったけど、その自分の思考回路と行動が「勘違い」だって気付いてなかったからすごく腑に落ちたと同時にあっやっちゃいけないことだったんだって思ったりした。けども、たいてい「勘違い」する相手ってなぜかどうでもいいひと限定だから、べつにまぁいっかなって思ったりもした。けども、勘違いして正気に戻ってから自分の歴史に一端の汚れがついたかのような気持ちになるからやっぱり勘違いはしないほうがいいかもなって思った。


ここ数年、「男は~」「恋愛は~」って話す女の子って暗に自分がモテるし魅力的だって自慢したいだけなんじゃないかっていう思考がぐるぐる止まらないし、わたしのすきなひとがわたしにかかわらずに幸せになってくれたらいいなわたしのしらないところで、ってずうっと思っているのであんまりこういうこと考えなくりました。まんがを読んだときだけ考えます。