2017年5月20日土曜日

20170520-01

どうしても、現在進行形で物理的暴力を加えられているわけではないのに弱る、ということに納得がいかない。ヨナみたいな環境に置かれているわけではないのに弱るのに納得がいかない。「ストレス」としてカウントしていい項目が、殴られる・刺される・監禁される、エトセトラエトセトラ、に準ずるもののみとなぜか制限がかけられているので、生命の危機に直結しない事柄によって弱るということが納得できなくて、それはおそらくイコール許せないで、どうしてこんな非効率的な感情をもてあましてしまうのか、生命としてバグではないのか、(他者に大してはそんなこと微塵も思わないので)自分に対して厳しすぎる自覚はあるけれどじゃあ「頑張って厳しくしないようにする」しか対処方法がなくそれができないのであればやっぱりバグじゃないのかと思っていたのだけれど、例えば電動ドライバーの連続使用制限がある、みたいな感じで仕様だと思って対処するしかないのだろうなぁと考えたら少し楽になった。「どうして連続使用したら本体が発熱してしまうんだ、発熱しないように頑張れ」って思ってたのが今までで、「連続使用したら発熱するからn分使ったらn分電源を切り本体を休ませねばならない(なぜならそれが設計上仕方のない仕様だから)」と考えようとしているのが今。
「全ての物事が(結果として)合理的で生産的であるはずだ、その意図がわからないのはわたしに理解が足りないせい、またはバグ」という思考を変えるのは難しいけれど「(人間の)感情」と「(機械やプログラムの)仕様」がイコールであると無理矢理考えると少し楽になるかもしれない。

大英博物館展を見に行ったら進化についての記述があって、今でこそ「生物は進化する」ということが当然だという認識ですが昔はそうではなく、みたいなことが書いてあった。進化論が出る前は人間は最初から現在の形でポンと生まれたと思われていたのだろうか。多分わたしの、「すべてのものごとは合理的かつ生産的であるはずだ」という認識は進化論というか進化しきってる論に基いている、現状人間は生物として完成されていて、だから全ての物事に理由があり全ての物事は考えうる最善の形になっている、と思い込んでいる。
「自分の心臓をコントロールできないのと同様に、感情もコントロールできない」と本当の意味で納得することができればもう少し楽になるのだと思う。根性論がどこかでしみついてしまっているのだろう。
ストレス値10以上でHPが減少していく、11であっても100であってもHPが減少することには変わりがない。「殴られる」はストレス値120、「睡眠時間が少ない」はストレス値12、後者は前者の1/10のストレス値だけれどどちらも10以上なのでHPは削られる、それが仕様。対処方法は継続的に考えてゆかなければならないけれど今現在は仕様なので対応方法を考える必要がある。




めちゃめちゃつらいことがあったとき、「あのときよりはまし」でいろんなことに耐えられるようになる、とポジティブに考えていたのだけれど、「あのときよりはましなのにどうしてつらく感じるのだ」と自分を責めるようになってしまった。 例えば海難事故で1ヶ月水だけでなんとか生き延びた人も、助かって通常生活に戻ってサラリーマンやって一日忙しくてごはん抜きになったらお腹空く、「事故のとき一ヶ月水しか飲めなかったんだから一日ご飯抜いたからってお腹空くのはおかしい」とはならない、多分そういうこと。