2014年7月29日火曜日

20140729-01

ランコムが今秋出す新しいマスカラは『鱗』がテーマだった。

上睫毛にはエクステをしているので、わたしは下睫毛でマスカラを試すことにする。左目尻の睫毛にそっとブラシを当てると、まるで砂鉄が磁石にくっつくように黒い鱗が集まってきて短い睫毛を覆い、わたしの睫毛はすぐに三倍の太さになった。漆黒の鱗はシャンプーやトリートメントのCMで見たことがあるような髪の毛のキューティクル、あれに非常によく似ていた。
これはあれだ、いわゆる「ひじき」というやつだ、いただけないなと思いながらマスカラを左目尻から左目頭に滑らせるがもう不自然に太くなることもなく長さだけが出て全体が綺麗に伸びる。おおさすがランコムきれいに伸びる、それにしても確かに最初に液をしごくのを忘れていたとはいえ左目尻の下睫毛は失敗にもほどがあるだろうと思いつつリムーバーを含ませた綿棒で拭うけど一向に取れないどころか鱗は段々と増大する。キューティクルのようなそれはその一枚一枚を肉眼で確認できる程度に大きく太く成長し、強力なウォータープルーフすら容易に落とせるこのアイメイクリムーバーでも対抗することは難しそうだった。わたしは諦め右下睫毛にとりかかる、今度は目尻から目頭まで綺麗に塗れる。
そうしている間にも左目尻の一本を覆う鱗は自身が生きているかのように増殖を続け、今ではもう数ミリの太さになっている。

2014年7月26日土曜日

20140723-01

スネアの音が銃声みたいに響いた瞬間わたしたち蜂の巣になった、安いチューハイの缶が音を立ててつぶれた。両手で頭を掻き毟って死ぬしかなかった、なのに口角が勝手に上がった。
静寂に耳が痛かった、再開までのタイミングを計ろうとするけど残響で耳が痛かった。

******************************************

ライブを見るときわたしはいつも、それがどんなにすばらしいものでも、早く終われと思ってしまう。今この瞬間は現実なのか確かめるために右手で頬をつねりながら、この瞬間が永遠に続けばいいのにとも確かに思いはするのだけれど、その反面早く終われとも思っている。
永遠に続く時間なんてなくていつかは全て終わってしまう、「さようなら」を言うのも聞くのも嫌なように何かのエンディングを見るのが嫌だ。だから早く、唐突にぶった切られるように終わって、もしかしたら終わってしまったのはわたしのほうで、それはそのまま永遠に今この瞬間もこの後もずっと続いているんじゃないかって勘違いを一生していたい。物足りないくらいで終わってほしい、もしかしたら終わったと思っているのはわたしだけで、実はみんなずっと続いていて、みんなずっと生きているって思いたい。

******************************************

明転、隣の女が真顔でスマホに「超サイコー!」 って打ち込んでいた。そうだね、超サイコーだったね、って思った。

2014年7月24日木曜日

20140724-02

正しいひとと一緒にいると流される程度の自我だからもう正しいひとと一緒にいるのをやめた、流されることをやめられないから接するのをやめた。どこから見ても完璧に正しいひとたちのその正しさをわたしがうまくなぞれるのは昼間だけで、数ミリでも模倣できたという事実も数ミリしか模倣できなかったという事実もどちらもつらいものでしかなくて、正しさなんて人の数だけあるし正しくなくてもしあわせになんてなれるのに、正しくなさの上に成り立っていて毎日崩れそうなわたしのしあわせが間違っているように思えてしまう、だから正しい人にふれるのをやめた。

わたしのまわりにはわたしみたいな人が多くて、だから自分のことを少数派だとは思ってなくて、それどころかもしかしたら世の中の人はみんなこんな感じなのかなって思うことが増えて、だけどどこかの誰かが言う生きてる上での常識・人間としての常識にどうしてもうなずけないことがある。そういうときにふと我に返るみたいに、そうだ、わたしは正しくなかったんだったって思い出す。
自分は少数派かもしれないと思った瞬間からずっと、『地球上での少数派は絶対数としては果てしなく多数、だから自分は特別だと思ってはいけない』って思いがすごく強くて、そのせいかちょっと油断をすると、もしかしたら本当はみんなじぶんと同じなんじゃないかと錯覚してしまう。

「生きてたらおなかがすくよ」「ねむたくなるよ」と同列で語られる常識は真理で正しい。そう思えないならわたしは生物として間違ってるのかなと思う、多分間違ってる。

20140724-01

毎日一世一代の告白をしている。君と出会えてよかった、君のこと好きになれてしあわせ、当たり前に君がぼくの隣にいるのが死にたくなるほどうれしい、世界でいちばん可愛いひとが今ここにいるのって奇跡。

思いつく限りの言葉を尽くして毎日毎日告白してるとあっこれじゃあクリスマスや誕生日、なにか特別な日にかける言葉がなくなってしまうからちょっとは出し惜しんだほうがいいのかな、とも思う。
一昨日買った、来月君に渡すはずのメッセージカードに書かれるのはもう何でもない日に音声で伝えてしまった言葉になるはず、まだ誰も、ぼく自身も君に伝えたことのない言葉で君のこと好きだって言いたいから日々生まれる好きの言葉の中からよさそうなフレーズはとっておいて貯めてここぞという時に使うべきなんじゃないのって思う。思うけど、ぼくだって明日死ぬかもしれないし、死ななくたって朝起きたら君のことを好きじゃなくなっているかもしれないし、だからやっぱり浮かんだ言葉はなるべく早く、余さず全部伝えることにする。

2014年7月22日火曜日

20140722-01

いま、あ、いま、いますぐ、って思うことがあって、しかしそういう時にはそれが即座に叶えられることはなくて、でも寝て起きて次の日になったらあーあの衝動的な欲求が叶えられなくてよかったなって思うことが今のところ100パーセントだから多分それでいいんだとは思う、思うけど、あ、いま、いますぐ、って思うたびにそういう後々の後悔とか安堵とか忘れてそれを渇望するからどうしようもない。


エメラルドグリーンのギターが欲しいなってここ一億年ずっと思ってる、だけどギターを弾くたびに、6本も弦があるのは多すぎると思う。わたしはやっぱり低音がすき、4弦が好き。



コノスルのゲヴュルツトラミネールが美味しすぎてごくごく飲んじゃう、こんなにおいしいのに一本800円くらいなんだよ、良心的過ぎる。白ワイン飲むたびに銀座でおねえさまがたが白ワインに氷をいくつか落として飲んでたのを思い出す。よくわからないまんま真似してたけど、今でもなんとなくやりたくなる。
いま家にはよなよなが3箱、いちごのチューハイが1箱あって、これだけあればお酒には不自由しないよなそりゃって思ってたんだけど、ワインと八海山と柚子酒一升瓶とウイスキーとへんなレモンのリキュールとかカシスとかもあるし、絶対わたしだけでは飲み切れないし、冷蔵庫にはウォッシュチーズときのこのガーリックソテー、戸棚にはミモレットとパルミジャーノがあるから、皆の者、自由にやれい、って感じです。


今年はしたいことができてる、文章を書くあいまの気分転換に文章を書いてる。人生は自己満足だなってすごく思う、わたしはしあわせだよ。



2014年7月21日月曜日

20140721-01

世界が狂っているって気付いたのは大きな前進だと思った、だけどそう確信したのはほんの一瞬で、狂っていない世界なんて生まれてこのかた一度も見たことがないと思い出した。その他大勢に分類されるわたしに彼がいつも同じエピソードを同じ言葉で語るのは至極自然で、しかしいつも同じ文句ばかり聞いているから、わたしじゃなくて彼こそが、プログラミングされたNPCなんじゃないかって錯覚を覚えてしまう。



7月21日は何か特別な日だった気がする、だけども何も思い出せないからわたしの勘違いなんだと思う。
7月誕生日の人がたくさんいて、毎日おめでとうと言っている気がする。

手をつなげない人に手を差し伸べるのは間違っているってわかっているけどそうしたくなる衝動があって、その衝動を適切にコントロールできて初めて賢い人になれるんだと思う。賢いというのは世間一般や君に対してだけじゃなく、自分自分に対して賢いってこと。



果物ナイフを洗うときはいつも、誤ってそれを手首に突き刺すことを想像する。突き刺すだけではなく、誤って誤って誤りまくって手首から先を切り落としてしまうところも想像する。どんな想像であっても想像である以上恐らく現実より幾許か楽観的で、だから想像の中でわたしは痛みを麻痺のためにほとんど感じず、でも流れ出る体液と比例して命が削られていくのを感じる。
誤って誤って誤りまくった程度で死ぬのって奇跡だなって思う、そこまで誤ること自体奇跡で、でもわたしは平凡な人間、だからわたしが奇跡を起こすことは、恐らく一生起こらない。

2014年7月20日日曜日

20140720-01

自殺でも他殺でも事故でも死んだ後に他人の餌になるなんて本当にごめんだからわたしは絶対ひっそり死にたい。存在しない出生の秘密や現代社会の闇や受けた記憶のないいじめや虐待、地震やハリケーンを起こせる軍事装置や裏社会を全世界規模で司る秘密結社の陰謀、そういうもののネタにされるのなんて死んでもごめんなのに死んだことをネタにされるんならもうわたし死んじゃってるしどうしようもない。
この目で見たものしか信じちゃいけないのなら地球がどこまでも丸いってことや空から見たら青いってこと、各種外国どころか沖縄の存在もわたし疑わなくちゃいけなくて、でもそんな極端な話じゃなくても自分の中で信用に足りない人が言っている話だったら半分疑って聞いてもいいんじゃないのって思うし、信用に足る人が言っていることだってその人に悪意がなくても人間だもの間違うことはあって、誰かが言っているからって何にも考えずに100%信じちゃうのはなんかちょっと違うんじゃないのって思う。思うけど多分そういう人たちって考えたくないから100%信じるんだと思う、信じてた方が楽だし盲目的に死ねた方が幸福だ、でもだからってその幸福のためにわたしの生き死にまで餌にされるのはやっぱりまっぴらごめんで、だからわたしはひっそり死にたい。

2014年7月19日土曜日

20140719-02

君が何について悩んでいるのか僕には全然わからないし僕と君は他人なので僕には君の気持ちがわからない、例えば毎日手をつないでキスをしていても君の気持ちなんてわからない。君の仕事を肩代わりすることもできないししないしそれと同様君のストレスを僕が請け負うことも不可能、不可能だし別にしてほしいとも思ってないよね? だけど僕は君のことが好きだし僕がしてほしいこと全部君にしてあげたいと思う、「してあげたい」ってのがおこがましく聞こえるかもしれないけどしたいと思う。僕がされて嬉しいことは僕がして嬉しいことと君に関しては同義、してあげるからし返してねってことじゃなくてただただしたいだけ、だから僕は君に出オチの愛をやろう。



わたしのことはわたしが大切にするからべつに君に大切にしてもらわなくていいよ、君のことはわたしがちゃんと大切にするから、生きることだけに注力したらいいよ。

20140719-01

わたしの家から那覇空港へ行く道の途中には泡沫公園という公園があって、地図で見るたびに「ほうまつこうえん」と口に出して言う癖がつくほど気になる存在だった。井草駅前を通る大きな幹線道路沿いのその地図の右下、『この先』という意味の矢印についている「泡沫公園」という四文字を、わたしは井草に越してきてからここ一年、ずっと飽きずに見ている。

井草から京急蒲田を通り那覇空港へ、電車ではなく自転車を選んだのはお姉ちゃんだった。
飛行機の時間が決まっているのに行ったこともないかなり長距離の道のりを自転車でなんてばかげている、ばかげているけどわたしはお姉ちゃんに逆らうことができないように成長してしまっているし、お姉ちゃんは一度言い出したら聞かない人で、だからわたしは荷物をリュックに詰め、ママチャリのカギを用意する。
とは言ってもお姉ちゃんが空港への交通手段として自転車を採用したのは当日の朝で、つまりわたしは想定していたよりもずっと早く家を出なければならず、飛行機が降り立った向こう、東京で久々の恋人に会うのにすっぴんで家を出ることになった。だからせめてリュックにいつも使っている化粧品を、持っていくつもりじゃなかったベースからアイシャドーまで手当たり次第に全部詰めることにした。詰めている間もおねえちゃんはイライラしながらわたしを見ていて、プレッシャーのせいでマスカラやアイライナーがわたしの右手からぽろぽろ落ちる。

空港近く、大きな幹線道路と幹線道路に挟まれた三角州のような場所に泡沫公園はあった。わたしたちの自転車はかなりのスピードを出していたから、わたしはそれを横目でチラリとしか見ることができなかったけれど、その三角形の狭い土地にはわたしの胸くらいまである小麦のような植物が青々と茂っていて、公園というよりただの放置された空き地だった。
「ねえお姉ちゃん見た? 泡沫公園、本当に泡沫だった!!」
「なに?」
「ほうまつこうえん!」
「あっそ」
お姉ちゃんが全然興味を示さないのは泡沫公園の泡沫さ故なのか、わたしのせいで出発時刻が遅れ飛行機の搭乗まで時間がないせいかわからなかった。『泡沫公園っていう公園があるんだけど本当に泡沫だったの』、恋人に会ったら第一声でそう報告することを決め、わたしは空港まで残り15キロ、ひたすら自転車のペダルを漕ぐ。

2014年7月18日金曜日

20140718-02

何かの遊具の頭だけ、古いマンションの隙間から飛び出て見えた。多分あれはフリーフォール、観覧車じゃないからいまいち決まらないと思った。
山の中からぽつんと顔を出す観覧車、あれを見たのは確かあのひとの家から帰る電車の中で、最寄りの遊園地が違うってのはもう、遠距離だし別世界だ。


わるい夢なんて一つも見ない、死んだほうがましだって毎日思ってる。なのに日記をつけると毎日しあわせそうな自分しかいない、あのひともあのひとの記憶も全部失われてしまったとするならば、わたしにはわるいことなんて何一つ起こらない。


吊り広告や新聞を読んでいる人を見ると、その凶暴な紙が眼球をすぱっと切り裂くところを想像する。瞼を閉じるのが間に合わなくて眼球、切れ味がよくとも鋭くないその傷はおそらくあとからあとからじくじく痛む。
怖いからわたし、電車ではずっと目をつむっている。そうすると瞼で眼球は守られ、フリーフォールも観覧車も見えない。

20140718-01

「媚びるくらいなら死んだ方がまし」って思いながら死ぬのが子供で、「死んだ方がまし」って思いながら媚びるのが大人なんだと思った。

2014年7月14日月曜日

20140714-01

びっくりするくらい憎めると思った、まるで憎む対象を得るために行動しているみたいだと思った。冷静というか冷徹になれる相手に対してのほうが自分の感情や行動をコントロールできる、それってものすごく残酷だなと思った。
そうやって冷静に自分をコントロールして行きつく先が安定供給される憎しみなら、なんてひどい生産装置なのだろう。例えそれが効率的で優秀な燃料だとしても、燃やしてできる結晶なんて屑にしかならなくて、それでもいいから燃やしたいというなら、なんて愚かなのだろう。
憎める対象は非常に限られている、限られているけど限られた条件の中で無限に広がっているから、少なくもなく多くもない。でも例えば触角にちょこっと触れたその存在を捕えて憎むまで離さないのは、愚かとしか言いようがない行為、人に害なす自慰行為だ。

******************************************

電話がとてもきらい、一方的に家に押しかけられてピンポン連打されてでも扉を開けないと不義理、そんな感じがしてすごく苦手。プライベートでわたしが出られる電話は宅配業者か家族くらいで、つまり用件がすぐ終わる相手、もしくは「ごめん今ちょっと無理」ですぐ切れる相手。

****************************************** 

最近自分のとげとげしさに嫌気がさしていたのだけど、10年来の友達が会話の流れで(会話と言ってもメールだ)わたしにはほんわかしたイメージしかないって言ってくれて文字通り飛び上がって喜んだ。10年もつきあっているのにどうしてこのひとはわたしがいらちだということを知らないのだろうという捉え方もあるのかもしれないけれど、わたしはこのひとのまえでは、いつもほんわかしているのだなって思って嬉しくなった。例えば人間にはいろんな面があって、全ての側面を見せられるのがいい関係だとは思えなくて、わたしにいらちな側面があったとして、それを一生出さずに生きていけるならそのほうがいいわけで、だからほんとうはわたし、この子に見せているわたしで一生生きていければいいのにな、と思う。

2014年7月11日金曜日

20140711-01

「普通はこうですよね」って責められるのわたしすごく嫌い、普通ってなんだよって思う。そういうこと言うやつに限って『自分は人とちょっと違う特別な存在、独特の価値観を持っている変わり者』とか普段思ってたりするから余計に笑える。おいどうしたいつものお前は、社会のレールに飲み込まれない異端なお前はどこ行ったんだよ? 今わたしに普通を訳知り顔で説いてるお前は誰だよ、何を『ぼくはこの世の大多数の人間を全て味方につけてますよ』みたいな顔してんだよ、って思う。そしてそういう人が言う「普通」はたいてい全然「普通」じゃなくてただの私見でしかないから、よーしわかった今からわたしが全国民にアンケート行脚に出てやろう、統計とってお前の考えとわたしの考えどっちが多数派か具体的数字をもとに勝負しようぜみたいなことも思う。思うけど、そんなのめんどくさすぎるから、とりあえず能面でちょっと黙って、それから口角上げていなして逃げる。

わたしが「普通は~」って口にすることは(多分)あんまりないはず、無意識で口にしちゃうってことは皆無なはず、なぜなら自分が言われたらイヤだし、世の中にはたくさんの人間や文化があって、「普通」ってラベルをつけて誰かに押し付けられるようなものごとって多分ひとつもこの世にはないから。どういうときわたしが「普通は~」って言うかというと、相手が「普通は~」って攻撃してきたときか、いつもわたしのことをそういう風に攻撃するひとに攻撃し返すとき。エッ同じ土俵に立って争うのって自分でも思うけど仕方ない、こういうとき、別に金持ちになりたいわけじゃないけど金持ちケンカせずって言葉を思い出しては納得する、金持ちっていうか賢い人は、生産性のない争いなんてしないと思う。


20140708-01

君が好きだと告白するのはもしかすると無抵抗な人間に暴力を振るうようなものなのじゃないのかと思った、わたし今日一日君のこと考えてたって音にする前にそう思ったから口を噤んだ。君のこと考えてたとか好きだとか会いたいとか伝えるのは暴力だし、わたしは君に暴力をふるうべきじゃないと思った。
言わずにいられないなんてのはわたしの都合でしかないから、それを振りかざすのはつまり自分の快楽のために暴力を振るうのと同義で、だからそんなことわたしはするべきじゃないしちゃだめだと思った、思ったんだけどわたしやっぱり君のことがすごく好きで、気持ち悪いだろうけどすごく好きで、だから君が何をしていても応援しているし、でも勝手なことをいうならば、わたしやっぱりもう一度、君が歌うところが見たい。


好きなものはなくならない、ただ増えるだけだ。

******************************************

今すぐ家に帰りたいと思って、一人になりたいじゃなくて家に帰りたいと思って、それはなんてすごいことなんだろうと思った。

******************************************

まさか一人で歌った三日後に朝顔をライブで聞くと思わなかった、学祭みたいで笑った。

******************************************

一日か二日早いだろうという自分の予想はしかしまぎれもなく当たっていてさすがわたしだ。


******************************************

一方的な謝罪は自己満足でしかない、というか求められていない謝罪は自己満足でしかない。自己満足をこれ以上しないことを自分に誓ったから、だからせめて電車の中でだけ泣いてもいいかなって甘えた。過去を引きずって泣いて、無関係にわたしの甘えを許してくれる人がありがたくてまた泣いて、それから現実に対峙して笑った。現実に対峙すると、過去を引きずって泣く時間すらないんだと思った、それがとても愉快だったから、笑いながら家に帰った。家に着くころには涙はすっかり乾いていたし目だって赤くなかったはず、下まつげのマスカラと一緒に感傷もきれいに消え去ったから、フィルムタイプのマスカラはすごいなと思った。



わたしが死んでもいいから幸せになってほしいひとがたった一人だけいて、別にわたしが死のうが生きようがその人はちゃんと幸せになるだろうなってわかってたけどどうしてもそう思ってしまう人がいて、そのひとがしたいことをして、好きな人といっしょにいて、ちゃんと笑っているのを見たから、すごくうれしくて泣いた。泣けないときはどうやったって泣けないのに、泣けちゃうときは、嬉しくても悲しくても、箸が転がってもわたし泣く。





わたしが死んでもいいから幸せになってほしいひと、一緒に幸せになりたいから死ぬわけにはいかないひと。 自分のことばかみたいだなとおもう、多分明日には気持ちが変わって不機嫌になっているかもしれない、だけど今はなんとなくしあわせだなって思うし、あんまり死にたいなっておもわないよ。

2014年7月7日月曜日

20140707-01

ひとのこと言えないけど後ろばっかりふりむくのはいやだなと思ってた、しがみついてはないんだろうけど過去の裾握って離せないようでいやだなって思ってた。あのころはよかったなっていうか、あのころ楽しかったなっていう時間きっとわたしにもあって、わたしも反芻ばっかりしてるけど、でも反芻ばっかりしているひとを見るのはいやだなって思った。前に進んでほしいとか偉そうなこと思ってないけど後ろを振り向くのはやめてほしいなと思った、多分過ぎ去った過去みたいなもの、記憶の水面みたいなもの、誰かがそっと撫でるならわたしも追従してしまう。自分だって一人で愛でているくせに、誰かが過去を愛でるのは見たくなかった。だからその集大成みたいなものも見たくなかったし、懐かしんだり同窓会をしたり、そういうもの見ずにはいられないけど、本当はすごく、いやだと思った。


多分そう思ってたのはわたしだけで、そうっていうのがどうかっていうと失われたものを表面だけ模倣して愛でるみたいな行為、そういう行為をするのかなしたいのかなって思ってたのはわたしだけでふたを開けてみたら多分全然違うんだと思う、垣間見えたら一瞬でわかった。未来のことはわからないけど過去と現在は間違いなく地続きで、失われた過去は捨ててしまわなくても、掘り起こして養分にして十分今につながるんだと思った。取り戻せないものを懐かしんで愛でてる人なんてそこには一人だっていなくて、わたしが失ったと思っていたもの、みんなが失ったもの、過ぎた時間、そういうものは全部、今足元で土台になっているんだと思った。
恥ずかしいはずの勘違いに気付いたら恥じるよりも先に嬉しくなってしまったから笑ってる。誰かが前を向いているのに感化されたり励まされるなんてばかみたい、許された気持ちになるのもばかみたい。してしまったことや後悔を全部、養分にして吸収すること、許されたって思ってないけど、いまは例えば昨日や去年や五年前と地続き、地続きってことは確実に違う世界で、冷酷すぎるその事実に泣き笑いみたいなかおをしてる。そしてこの日記は多分、もう一日か二日先の未来に書かれるべきものだって思ってる。

2014年7月6日日曜日

20140706-01

「なんでまだあの子諦めないんだろう」って声死ぬほど聞いた、それこそ人が死ぬくらい聞いた。「あの子」には婉曲にでもわたしが示唆されることはなくて、それはただ単にわたしがそれを望んでいるということを誰一人として知らなかったからだ。だからこそその声は私に届き、愚かな人への憐れみを吐き出す窓口にわたしはなり続ける。
死ぬほど欲しいからだよ、死んでも欲しいからだよそれが、欲しないと生きていけないからだよそんなの。何を思ってもわたしは何も言わず、でも追従もできなくて、ただ曖昧に笑う。
死ぬほど欲しくもなくて、死んでも欲しいとも思えなくて、でもやっぱり欲しいから死ねない。死んだようにでもわたしがいま生きているのは、そのためには生きられないとしても、それをまだ、欲しているからだ。

******************************************

自覚はいつも恐らく過剰、自意識が過剰なんじゃなく防衛本能が過剰、過剰の理由は過去の経験、だから思い上がりじゃなくて臆病なだけだ。ひどく愚かだってことにはどちらにしたって変わりはない、だけど鈍感でいると人は死ぬ。
その誰かのフィジカルな性別によらず、例えば誰かに異性としての好意や目線、そういうものを向けられて反射的に嫌悪感を抱かない相手、そういうものはたった一人だ。気持ち悪い記憶は全部抜け落ちているけれどふとした時に浮かび上がる上澄みみたいなもの、浮かび上がった瞬間にわたし全部潰そうと思う。

******************************************

あーひどくつらいなと思うことがあって、あーでもそりゃそうだよなそうなるよねって同時に思った。面と向かってわたしにひどいことを言う人はいなくて、だからひどいことを言われたくて面識のない人たちに責めてもらう行為は、マゾっぽいけど中庸に、少しでも中庸に近づくための行為だと思った。わたしが直接触るのは、わたしのやわらかい部分に触れないように気を付けてくれる優しい人たちだけで、だから知らない人や知り合いの知り合いにやわらかい部分に泥を塗られると、ああそうだったここにあるこれ、ここが自分の、自分で触りたくなくて認めたくない、存在さえ許可したくない部分だったんだって思う。


インターネットが発達して、ほしいものがわりあい手軽に手に入れられるようになった。音楽も映画もクリック一回で手に入る、物だってそう。だからそれが手に入らなくなるとひどく焦る、永遠に失われたような錯覚を覚える。錯覚じゃないほんものの、自明の喪失だってわたしはどこかでクリック一回で取り戻せると思ってて、だからそれが絶対に無理ってわかったとき少し混乱する。混乱して、どうしてわたしはあのとききちんと、失うことを自覚しなかったんだろうと思う。
わたしが目をそらしている間に手の中から消え去ったものたち。わたしはちゃんと目を見開いて、それが失われる瞬間を見届けなければいけなかった。

******************************************

晴海埠頭に行った。

教えてもらったバスに乗って30分くらい、到着した建物には見覚えがあった。こうもりを初めて見たのはここだったなって思い出した。スーパーに並んでいそうな魚がいるかみたいに飛び上がるのが、おもしろかったからずっと見た。首を美しく歪曲させて水面距離ゼロから水中に突入する水鳥が、いつまでも上がってこないから心配になった。真っ暗な水面に銀色のラメが散らされて、目を凝らしたら小魚の群れがいて、今あそこに網を突っ込んだら、たいそう大漁になりそうだと思った。
少女が閉じ込められて、殺戮と虐殺のあいまに文明を作っていく本を読んだ。装丁はラノベ、レーベルと作者のイメージはちょっとしたホラー、読んでみたら壮大なSFだった。さっきまで聞いてた曲をはなうたで歌ったけどしっくりこなくて朝顔を聞く。熊谷でこれを聞いてこっそり泣いたことをいつも思い出すけど、わたしの記憶がなんだか間違っている気もする。

たとえ望んでも、ただ単にお金や命をかけても、どうがんばっても叶えられないことはあるよなって思う。一人、というか一人だけの努力じゃどうしようもないこと。それはたとえば世界平和みたいなものから始まって、だいすきなあの人に一生わたしのこと好きでいてもらいたいとかそういうこと。死んだ人にもう一度会いたいとか自分がしたひどいことをなかったことにしてほしいとかそういうこと。CDの音源でなくこれをもう一度聞きたいなとか、そういうこと。
垣根の向こうの広場で、たくさんの人がバーベキューをしていた。バーベキューのにおいはいいなと思った、胸がいっぱいになるから嗅いでいても全然おなかが空かないにおいは幸せの象徴みたいだ。小雨が降ったから傘を差さずにパーカーのフードをかぶった。人がいないから満足するだけわたしも歌って、それから歩いて東京駅まで帰った。


今日、祖母の十七回忌だった。誕生日は覚えているのに、命日は全然覚えられない。



2014年7月2日水曜日

じぶんメモ:6がつ本まとめ

弱虫ペダル全巻(34巻まで)ボックスが届いたので7月はそれ読もうと思ってます。10巻以上続く漫画も数作しか持ってないわたしは30巻超えのまんがを買うのは初めてでどきどきした、おすすめしてくれた友達とスカイプしながらこっそりポチったのですが全く後悔してないので勢いって大事だなと思いました。
7月は本を読むペースをちょっと落として時間取りたいなと思ってる。


今、5がつのまとめが「じぶんメモ」じゃなくて「ぶんメモ」になってるのにきづいたけどめんどくさいからそのままにしておくね…

20140702-02

ドラムだったらハイハット、ベースだったら高音でうねるところ、分かりやすい部分しか聞き取れないくせに全力ですきなひとのパートに耳を傾けるのは浅ましい気がするからやめたい。
ギターとボーカルのことは好きになったことがないからよくわからない、前面に出ていたら耳を澄ませることはなくなるのかな。


*****************************************


「ねえ、ずっと一緒にいたいから結婚しよう」
「このままいちばんそばにいて」
「わたしの恋人でいてくれる?」
「やっぱり引っ越すのやめようよ」
「たまには遊びにいってもいい?」
「友達でいいから仲良くしよう」
「声が聞きたいから電話したい」
「返信いらないからメールしていい?」
「ちょっとでもいいからすきでいて」
「君のことまだすきでいていい?」


「わたし、まだ生きててもいい?」


「いいよ」が聞きたくて何度も訊いた、ついに最後まで聞けなかった。


*****************************************

いつもなら最長で3、4日しか放置しない生ゴミの、そのにおいにさえ辟易してるのに白骨化するまで死体を放置なんて考えるだけで頭が痛い。腐乱臭はしばしば甘いと表現されて、でもあんなもの嘘だと思う。罪の甘美に溺れたりしなければ腐乱臭なんて悪臭でしかない。罪には甘美なんてない、一人で行う完全犯罪には、甘美なんて余計なものは含まれていない。

20140702-01

海にいきたいなって思いながら毎日満員電車に乗ってる、直通で海まで行くなんて信じられないからそんなの絶対嘘だと思う。わたしの地球は平日絶対全部陸地になってるはず、だから平日はわたし、海までたどり着けないんだと思う。