2014年7月6日日曜日

20140706-01

「なんでまだあの子諦めないんだろう」って声死ぬほど聞いた、それこそ人が死ぬくらい聞いた。「あの子」には婉曲にでもわたしが示唆されることはなくて、それはただ単にわたしがそれを望んでいるということを誰一人として知らなかったからだ。だからこそその声は私に届き、愚かな人への憐れみを吐き出す窓口にわたしはなり続ける。
死ぬほど欲しいからだよ、死んでも欲しいからだよそれが、欲しないと生きていけないからだよそんなの。何を思ってもわたしは何も言わず、でも追従もできなくて、ただ曖昧に笑う。
死ぬほど欲しくもなくて、死んでも欲しいとも思えなくて、でもやっぱり欲しいから死ねない。死んだようにでもわたしがいま生きているのは、そのためには生きられないとしても、それをまだ、欲しているからだ。

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自覚はいつも恐らく過剰、自意識が過剰なんじゃなく防衛本能が過剰、過剰の理由は過去の経験、だから思い上がりじゃなくて臆病なだけだ。ひどく愚かだってことにはどちらにしたって変わりはない、だけど鈍感でいると人は死ぬ。
その誰かのフィジカルな性別によらず、例えば誰かに異性としての好意や目線、そういうものを向けられて反射的に嫌悪感を抱かない相手、そういうものはたった一人だ。気持ち悪い記憶は全部抜け落ちているけれどふとした時に浮かび上がる上澄みみたいなもの、浮かび上がった瞬間にわたし全部潰そうと思う。

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あーひどくつらいなと思うことがあって、あーでもそりゃそうだよなそうなるよねって同時に思った。面と向かってわたしにひどいことを言う人はいなくて、だからひどいことを言われたくて面識のない人たちに責めてもらう行為は、マゾっぽいけど中庸に、少しでも中庸に近づくための行為だと思った。わたしが直接触るのは、わたしのやわらかい部分に触れないように気を付けてくれる優しい人たちだけで、だから知らない人や知り合いの知り合いにやわらかい部分に泥を塗られると、ああそうだったここにあるこれ、ここが自分の、自分で触りたくなくて認めたくない、存在さえ許可したくない部分だったんだって思う。


インターネットが発達して、ほしいものがわりあい手軽に手に入れられるようになった。音楽も映画もクリック一回で手に入る、物だってそう。だからそれが手に入らなくなるとひどく焦る、永遠に失われたような錯覚を覚える。錯覚じゃないほんものの、自明の喪失だってわたしはどこかでクリック一回で取り戻せると思ってて、だからそれが絶対に無理ってわかったとき少し混乱する。混乱して、どうしてわたしはあのとききちんと、失うことを自覚しなかったんだろうと思う。
わたしが目をそらしている間に手の中から消え去ったものたち。わたしはちゃんと目を見開いて、それが失われる瞬間を見届けなければいけなかった。

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晴海埠頭に行った。

教えてもらったバスに乗って30分くらい、到着した建物には見覚えがあった。こうもりを初めて見たのはここだったなって思い出した。スーパーに並んでいそうな魚がいるかみたいに飛び上がるのが、おもしろかったからずっと見た。首を美しく歪曲させて水面距離ゼロから水中に突入する水鳥が、いつまでも上がってこないから心配になった。真っ暗な水面に銀色のラメが散らされて、目を凝らしたら小魚の群れがいて、今あそこに網を突っ込んだら、たいそう大漁になりそうだと思った。
少女が閉じ込められて、殺戮と虐殺のあいまに文明を作っていく本を読んだ。装丁はラノベ、レーベルと作者のイメージはちょっとしたホラー、読んでみたら壮大なSFだった。さっきまで聞いてた曲をはなうたで歌ったけどしっくりこなくて朝顔を聞く。熊谷でこれを聞いてこっそり泣いたことをいつも思い出すけど、わたしの記憶がなんだか間違っている気もする。

たとえ望んでも、ただ単にお金や命をかけても、どうがんばっても叶えられないことはあるよなって思う。一人、というか一人だけの努力じゃどうしようもないこと。それはたとえば世界平和みたいなものから始まって、だいすきなあの人に一生わたしのこと好きでいてもらいたいとかそういうこと。死んだ人にもう一度会いたいとか自分がしたひどいことをなかったことにしてほしいとかそういうこと。CDの音源でなくこれをもう一度聞きたいなとか、そういうこと。
垣根の向こうの広場で、たくさんの人がバーベキューをしていた。バーベキューのにおいはいいなと思った、胸がいっぱいになるから嗅いでいても全然おなかが空かないにおいは幸せの象徴みたいだ。小雨が降ったから傘を差さずにパーカーのフードをかぶった。人がいないから満足するだけわたしも歌って、それから歩いて東京駅まで帰った。


今日、祖母の十七回忌だった。誕生日は覚えているのに、命日は全然覚えられない。



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