2012年8月26日日曜日

45252さん就職おめでとうコンピ


45252さん就職おめでとうコンピ
http://81252.tumblr.com/post/28480241203
に応募させていただきました~



46252さんは音楽やアニメに造詣が深い素敵なかたですが
このたびご就職されたとのことで、まことにめでたいです。
おめでとうございます!
配布形式未定とのことですがたのしみにしております!

0826よしこレモンおめでとう




8月26日はよしこレモンのおたんじょうびらしいです。おめでとう!!いつもありがとう!!!

2012年8月25日土曜日

20120824-00


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例えば音楽すきって言ったら「何がすきなの?」って聞かれて、答えたら「ああ~XX(ジャンル名)系ね~」って言われること多いんだけど、わたしジャンルって全然わかんないしXXって言われてもまったくわかんないしなんなのって思うし、「わかんない」って言ったら「えっ(笑)音楽すきじゃないの(笑)好きならわかるでしょ(笑)」って態度をとられるから、「音楽何聴くの?」って聞かれても「ききません」って答えるようになっちゃった。

調べたら音楽のジャンルこんなにあるんだよ?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%AB%E4%B8%80%E8%A6%A7


ジャンルわけを「正しく」出来ないと好きじゃない、好きって言う権利ない、って責められるから「ジャンル」ってものが大嫌いだったんだけど、自分の中で小説をジャンルわけしてることに気づいて、わけてみたら、すごくたのしくてびっくりした(ただし、全部「ミステリ」ってジャンルに属する)。ジャンルって、何かについて話す際わかりやすいように定義されたものだとは思うけど、どうしてもそういう嫌な人たち(そして、結構一定多数いる)がいやで、もう「ジャンル」って物自体だいきらいだったんだけど、自分の中だけで適当にやるのってすごくたのしい。





※ちなみにわたしの中での音楽のジャンルは、「パンク」「日本語ロック」「日本語パンク」「青春パンク」「昭和」「いまはやりのやつ」「下北っぽいの」「メタル」「ピコピコ」「アングラ」「朝霧っぽいの」「洋楽のなんかかっちょいいやつ」「アニソン」くらいです。ほとんどのものをジャンルではなくそれぞれのバンド名やアーティスト名で認識しているから、ジャンルで言われても通じないです。MUSEはMUSEだしMIKAはMIKAだ。でもあんまりにもシューゲイザーシューゲイザー言われるから、シューゲイザーがどんなジャンルかはっきりいえないけど、なぜそのジャンルがシューゲイザーと言われるようになったかは知ってます(ググった)。ちなみに、wikiのシューゲイザーの主なバンドの項目を見ても全然ピンときません。


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乱歩系と横溝系は異なるのだけどそれぞれに属するものって他にないからこれらは単体で、ベタに乱歩は大人乱歩と子供乱歩系に分かれる、これは僕の認識とかじゃなくてそのまんま。読んだら暗くなるベスト1の32条系には薬丸さんと久坂部さん。綾辻さん系は殺人鬼、つまりスプラッタでグロいものが入るので、綾辻さんの作品だけど館シリーズやanotherはこれに属さない、anotherはむしろ三津田さん柴田さん系。米澤さんといつも混同する西澤さんもしれっとこっちだったりするから要注意、そして内田春菊もたまにこれ。はるか上空を飛ぶハサミ男を地上で走って追うのが乾さん。子供向けの顔した赤川次郎系なのが若竹さんや米澤さん。むしろ有川さんもそこに入る。角川ホラー文庫はもう全部ひっくるめてあのシリーズでよい(しかしホラーではない)。矢部さん系は当たりはずれがあり、会わないものは1ページ読むのもしんどい(宮崎さんとか)。東野さんと赤川次郎は風見潤に通じるし、志賀さん西村さん和久さんにつながって、全部ひっくるめてお母さん系。松岡さんは小説じゃないけどレイトン教授系、特に鑑定士シリーズがレイトン教授、千里眼はハリウッド。





すごくたのし。
でも好きな作家さんは、それ単体で認識しているから(乱歩や横溝のように)、あんまりXX系ってくくりで見ないや。桜庭先生とか貴志さんとか有栖川先生とか。あと絶対ミステリじゃないよなってわかってるけど、こうやってズルズル関連付けていくと、太宰も安吾も安部公房も僕の中でのミステリになっちゃうから、結果全ての本はミステリだ。って思ったけど、群さんや小林里美のエッセイは違うなって思うから、やっぱり違うや。
寺山は競馬系。



すごくたのし!
こういうことすると、「それまちがってる」「ほんとにすきなの?」って怒られたりばかにされたりするからしないよう勤めていたのだけど、たのしいな。怒られたりばかにされたりするからって妙な想像力をおさえるとよくないな、きっとこういうところからいろいろな想像や妄想が広がるのであろう。またやろう!

※XX先生って言っちゃう人と、XXさんて言う人と呼び捨てしちゃう人の違いは無意識だけど、発音の音の感じだから好き嫌い尊敬してるしてないじゃないです。






気づいたら2時でびっくりしておる。明日歯医者さんなのでがんばっておきるよ。








2012年8月22日水曜日

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思うんだけど、絵とか、歌とか、そういうものって人にどうしても似てしまう。音楽とか声とか発声方法とかデフォルメの仕方とか目のかきかたとか。全く新しいなにかってむつかしい、突き詰めていったら自然と似てしまうときもあるし、模倣から初めて、じゃああなたの色を出してくださいってなったときに、わたしだけの発声方法とか喉の使い方とか、今まで人類が試したことないような音の出し方ってなかなかできない。その点文章ってそういうのないなって思う、そりゃあ小説や詩をかいたら「XXっぽい」ってのあると思う、でもそうじゃない、こういう日記みたいな殴り書き。誰っぽくかこうとか、うまくかこうとかしてないだけかもしれないけど、だれかのこと真似ってできないし、似せたりもできないから、文章はとくべつだな、絵や音楽はすごくむつかしいな、って思うんだけど、これもやっぱり、わたしが適当に書きなぐりすぎているだけなのかな、とも思う、でもやっぱり、むつかしいよ。
って、ぱくったとかぱくってないとかっていう検証のやつを見て思った。


時々襲われる、「携帯電話をポストに入れたくなる衝動」をかいているけど清書しただけで数時間かかった。へたくそだしじかんもかかるけど、でもちょこっとおもしろい。


今すごく基礎の基礎からぱそこんの勉強をしてて、そうすると、今まで即現場!で見につけてきた知識の裏付けも取れるし、おざなりに繕っていたもののきれいな処理の仕方もわかってすごくたのしい。すごくたのしいけど、例えばそういう技術、「つくりたいもの/やりたいもの」がないと結局生かせない。だからとりあえずなんでもいいから、むりやりでいいからなにか自分に「せねばならない」ことを課そうと思う。わたしせっかちだから、5まで聞いた時点でものごとにとりかかっちゃってたんだけど、それだと9くらいまではいけても10まではいけないから、ちゃんと10まできいてから1からはじめようと思う、10まできいてからなにを課すか考えよ。

いんたーねっとってすごい便利だなって思うこと多々あるけど、今勉強していてすごくそれ思う。無料で通信講座みたいなんが見られて、進捗も管理できて、達成感も味わえて、いろんな人がいろいろ調べた結果がまとまっていて、すごい。「ぼくはそうやっていろいろ勉強してきたから、このブログでぼくが勉強してきたことをまとめます」 ってブログがどこかにあったけど、わたしもいつか何らかの形でちゃんとそういうことしよう。








すごい肩こった。
カルディで買ったマンゴージュースがなくなったから、スーパーでトロピカーナのマンゴーあじかってきたんだけど、サラサラで、おビールとまぜるにはいまいち。デロデロのやつがよい。
ごはんたべそこねたからかわりにおビールのんでるけど、これ多分、ダイエットになってない。
きょうこそは0じまえにねようとおもてるんですよ。

 






2012年8月21日火曜日

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わたしは2006年のわたしがわたしの中で最高でゆるぎなくて絶対に勝てない存在だと思ってたんだけど、今日改めて見返してみたら、全て拙くて、全然揺り動かされることもなくて、なんだか少しがっかりして、安心した。メタで書かれたそれらの文章は如実にミクロで、全然ぴんとこない。「ややこしくわずらわしい人間関係を切り捨ててしまえる人は、それを描いた小説に共感できない。心の機微や繊細な感情に唾棄する人は、そういう登場人物に感情移入できない。」昔の自分の書いたもの、今のわたしに全然響かない。よいことだな、って一瞬思ったけど、今日読んだ小説の主人公に全く感情移入できなかったことを思い出して若干不安になった。きらいなひとと一緒にいなきゃいけない状況、すきなひとにすきって言っちゃいけない状況、くだらないひとのこと好きになっちゃう状況、そういうものに対して「あーあるある~」って言えないと、というか、言えたほうが、いろいろなものが楽しい気がする。

完璧にストレスフリーな暮らしをしていると何にも生まれないわたしの場合、吐いた挙句死ぬか、吐かないで生きるかで後者を選んだ挙句死んだように生きているのだけど、吐き気も頭痛もない全くの健康体で「ああなんとなく吐きたいな」って思って喉に指突っ込んでも胃液かせいぜいさっき食べたご飯くらいしか出てこなくて、それが、これです。




最近すごく日記が多い、下らない文章だな。







例えば毎日ご飯を食べる、食べるならおいしいものがいい、あれ食べておいしかったからまた食べたい、あそこのお店いつもおいしいもの出すから新メニュー食べたい。そう思ってはたと気づく、「わたしそれらを食べて、おおきくなって、なにになるの?」アウトプットをしなくても形成されるものはあるし、それらのおいしいものは、アウトプットされるために作られているわけじゃない。でもわたしは、何かを摂取する際は、なにかを排泄しなきゃって思うし、そんなおいしいものを食べてなにも排泄できないのであれば、じゃあ最初から何も食べるべきではない、と思ってしまう。





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downy以外で文章を書くときや本を読むときにおすすめの音楽があったらおしえてください。できれば日本語じゃないやつ。外国語かインストがよいです。





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わたしお酒あんまりすきじゃないんだけど、夏だしせっかくだしと思ってビールのんでる。
ビールそのまんまだと苦くておえとなるから今までレモントニックで割ってたんだけど、冷蔵庫にレモントニックなくて、マンゴージュースがあったから割ってみたら、すごくおいしい。
あまいおさけ、かんかんのやつ、はあんまりすきじゃないけど、ビールはあまくしないとのめない。
レモントニックがビールにもウイスキーにも合って最強だと思ってたんだけど、マンゴージュースもすばらしいです。


こないだ高尾山いったらビールのむところ(ど忘れした、ビール園じゃなくて、なんていうんだっけ、野外でビールのむとこ)があって、昼間からワイワイとにぎやかであった。ビールあんまりすきじゃないけど外でひととのむビールはおいしいので、あんまり寒くならないうちに、だれかビールを飲みましょう。





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 やりたいことが複数あったとして、たとえば水泳と柔道とバレーボール極めたいとして、寝ないで食べないで24時間を3で割ってそれぞれに8時間費やしたとしても、ひとつに24時間費やしている人には叶わないんだよね。じゃあどうしようか。
















よしこレモンちゃんフルーツ牛乳


こういうかみかざりがあったら手軽によしこレモンできる
へたくそでもどんどん絵を描いていこう週間 週間っていうか 年間

2012年8月18日土曜日

20120818-00

たとえば戦争の話や父母祖父母が若かったときの話、離れていると「聞けばよかった」って思うけど、相対すると、過去を聞くことでその人と決別するような気持ちになるので、どうしても聞けない。

わたしの知らない若い頃の彼らや、わたしが存在しない時分の彼ら、わたしが忘れてしまったわたしの小さい頃の話は、彼らが生きているうちに彼らに聞かなければ永遠にわたしの中からは失われる、そして失われてしまったあと、わたしは絶対「あーあ」って思う。思うけど、まだ生きている彼らと、過去の思い出にまみれるのにどうしても抵抗がある。「さよなら」と言うことにより決別してしまうような、そういうひねくれた気持ち。でもそれをわたしはどうしようもなく持て余すから、今日も目の前のごはんや、午後の予定や、さっき見た夢の話をする。数日じゃない未来の話もわたしにはつらい、未来の約束をすると、その約束の期日まで再び別れることを宣誓するようでつらい。数日じゃない未来の話は、口にするたび砂になってこぼれて、口にしたものからかなわないことが決定してゆく気がする。未来の約束を口にするのは、砂上の楼閣を作る行為、堅牢を幻にする行為。だからわたし、過去の話も、未来の話も、多分一緒に死ねないであろう、大切な人とはしたくない。


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それを「才能」と呼ぶとただただ努力を怠っているだけのように思えるのでなんと呼ぼう。
ぼくが徹底的に持ち得ないそれ、才能、技術、実力、どれもぴんとこないけど、
とにかくぼくにはそれがない。

学校の勉強が苦痛だと思ったことない、教科書があって答えがあって、教えてくれる先生がいて学校があって、段階を踏んで難しくなっていって、教科書にハウツーが書いてある。そこで優等生であったぶん、自分で「どっちに進んだらいいか」決めなきゃいけない状況に弱い。 「できない状態」でいることがしんどくてしかたないから、努力ができない、のびない、すぐ折れる。たとえ才能がなくったって、努力だけでたどり着ける境地はあるし、別にぼくが目指しているのは世界で一番のなにかではなく、些細な自己満足ができる程度のものなのだから、じゃあせめてその身の丈にあった目標を叶えるためにほんの少しの間、できない自分を真正面から受け止め歯を食いしばり努力をしましょうねっていう話なんだけど、すぐ折れる。だから今日も目をそむけているのですが、そむけ切ることもできずまたチラッチラッと未練がましくそれを見つめてしまうので、何がいいたいかというと、学校的なものに行きたい。モチベーションと、効率と、精神状態のために。


器用貧乏はただの貧乏であるよ。



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世の中にはすばらしい技術(才能/実力/技量/エトセトラ)を持った人がたくさんいる。そういうの食べて暮らしているのだけど、作った人に感想ってうまくいえなくて、「すごい」「いい」って、そんな語彙の感想になってしまって申し訳なくて、だからいつも黙ってるんだけど、もしくはここに書きなぐるんだけど、ここに吐くときは咀嚼して反芻して吐き出したものだから、具体的記述やそれに言及するものってなにもなくて、すごく、メタになる。だから結果わたしは、人様の作ったものに対して、それを作った人に感想ってどうしてもうまくいえなくて、うまくいえないのと、うまくいえなくてもうしわけないのと、恥ずかしいのと、なんやかんやで、うまくいえないんだけど、例えばわたしが、「あのブログよんでるときもちがわるくなる」って一言かかれてたときすっごくうれしかったから、つたなくても言ったほうがいいのだろうか。根本に、「つくったひと」と「つくられたもの」は別個だって考えがあるから、どうしても作り手にその感想を述べてはいけないって言うか、多分これは、いろんなものの裏方をしてたときのなごりというか、「素敵なものを作った、(いわゆる僕が)ファンのひとといっしょに仕事をする際に、スタッフにファンがいたら仕事できないだろ、同じ側に立って仕事しなきゃいけないんだからファンの気持ちを人に対して持つな」って(すごくはしょって言えば)ところから来てるんだと思う、けど、うーん、うーん、って思ったりいまさらする。 人に対して「ファンです!」「あなたのつくったものすごくすきです!」って言うのって、さまざまな要因から、避けたほうがいいんじゃないかっていう考えが染み付いていて離れないんだけど、最近、うーん、うーん、って思う。どうなんですかね。人によるんだろうけど、むつかしいな。



(恋愛とかじゃなくて)わたしなんかにすきって言われたら迷惑だよな気持ち悪いよな、というかわたしが「好き」って口にすること自体犯罪行為ではないかって思っている部分があるのでむつかしい。「好き」って言うだけで「うわぁ気持ち悪い死ね!」って言われてしかるべきなんじゃないかって思ってる部分ある、だから言わないんだけど、でも自分は言われたらうれしいし思ってたら言ってほしいし、じゃあもしかしたら自分以外にもそういう人いるんじゃないかな?ってちょっと思ってる。むつかしい。



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ここまで読み返して、一時期、ロッキンオンみたいなレポート練習してたの思い出した。
結局感動よりも文章のひねりに気をとられてしまって、文章を書いてる自分を俯瞰で見たら受けた熱を伝えるのじゃなく受けた熱が冷めたものをレンジでチンしてるような気持ちになって、そもそもロッキンオンみたいなレポート、「かっけー」とは思うもののそれに感動することは僕はなかったやって気づいてやめたんだった。 ってこと思い出した。



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すごく日記らしい日記を書いた。垂れ流してる感じが。
明日は歯医者ですよ。







 

2012年8月16日木曜日

20120815-00

300円払って、思い出を捨てた。





300円払って思い出を捨てた。厳密に言うと「思い出の詰まった物体」である。僕の住むこの市では300円払うと行政がそれを引き取って行ってくれる、例えそれにどんなに幸せな過去や、あるはずだった未来や、後悔や、遺恨や、そんなものが詰まっていたとしても、その質量であれば、300円で処分をしてくれる。すばらしい、ありがたい、感謝しよう。もう誰も座らなくなった椅子、口をつけられない食器、聴かれないうた。たいていのものは指定のビニール袋に入れ、木曜の朝に所定の場所へ出しておくと持って行ってくれる、大きなものはインターネットから市役所のHPにアクセスし、それを手放す日を選択、最寄のコンビニエンスで「XXX円分のシールを下さい」と言いそれを購入、思い出の詰まった爛れた物体にシールを貼り、指定日に所定の場所へ放置。あなたが仕事へ行っている間、もしくは昼寝をしている間、に、誰かがどこかへ持って行ってくれる。すばらしいサービス、お金があれば思い出だって捨てられる。何が言いたいかというと、お金ってだいじですよねってこと。






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気づいたら12じすぎてたのでちょっと引いてる。なにそれこわい。まいにち21じにねたい。
だれかわたしのあしたのおべんとう作っておいてください。

2012年8月14日火曜日

20120811-14-00

田舎から都会に、都会から田舎に飛行機で飛んで移動すると自分がどこにいるかわからなくなる。
さっきまでわたし国道沿いのホームセンターでドッグフード見てた、今雲の上からスカイツリー見てる、30分後満員電車で大荷物を雛のように抱える。今どこにいるかわからなくなる、今わたしここにいるよねって認識した次の瞬間もう移動してる、だからわたしはほっぺたつねり続ける、あっ痛い今本当、あっでももう今はさっき、痛い、本当、過ぎた、認識しなきゃ、今本当、 今って今、今、いま!





時間にあらがえたこと一度もない、しんどくても楽しくても過ぎるの知ってる、だからわたし遠足の前日で死にたいとずっと思ってる。永遠にこない未来を待ち続けたまま水の底に沈みたい、楽しみを楽しみにしたままそれを味わい尽くすことなく沈みたい。



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腕枕してもらって「(腕)いたくない?」ってきいたら「え、いいの?」って言われてちんこゴソゴソ出された。「彼氏じゃないといや」っていったらにっこり笑って黙られた、入れずに達した、夢の中でも男の人は正直だ。
ぼくはそれに、ひどく好感を覚える。


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未来の話あんまりせんでほしい、今この瞬間がその未来と断絶されるのが印象付けられるから約束もしんといてほしい。 改めて目を見つめたりしんでほしい、君とぼく、今日とあした、こことそこの境目を、はっきりつけるのやめといてほしい。すきとかだいじとかいっしょにいたいとか、わざわざ口にしんといてほしい、そんなのわかってるし、それを告げることによって、それが永遠にかない続けるのが無理だということがはっきりわかるから黙っといてほしい。改めて口にしなくたってぼくわかってるよ、君はぼくにあらためて口にしてほしいの、それだったらいくらでもしてあげる、だからぼくにはそんなこと、改めて言わなくていいよ。





きみが「すき」だというぼくは昔のぼくだ、昔のって言っても何年も前じゃないよ、数ヶ月前、数週間前、数日前、数時間前のぼくだ。今この瞬間のぼくはなにもうみだしてないし、数分前のぼくともまた違う。あんまり人に嫉妬しないかわりに、僕は過去の自分によく殺されそうになる、完璧なる比較対象であるところの昔のぼく、それと比べて今の僕は、なんと矮小たる存在か。



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冷静に考えて、すごく醜いなと思うこと多々ある。わざと声を作って口に出してブツブツ呟きながら、ああでもこれが本当の本当だものなあって思って、だとすれば人や世の中やそういうものにさらしているわたしは本当にわたしではなくて、でもそういうわたしでいる時間のほうが今のわたしでいる時間よりもよっぽど長くって、でもだとしたらどっちが本当だといえるのか、ああこうやって気持ち悪いこと呟いているわたしは本当に醜いな気持ちが悪いな、でも呟かずにはいられない、声に出さずにはいられない、声に出して、自分の気持ち悪さをまじまじ観察してにおいをかいで、そうせずにはいられない。すごく醜い、わたしすごく醜い、醜い。










聡く恐ろしい人達にのうみそと心臓を手厚く保護されそれ以外の部分を嬲られる、四肢が壊死し生命に関わる寸前でそれらを切り落とす、意識が飛ぶほどの過度な苦痛は鎮痛剤でカバー、痛みを最大限に、正確に、より最大限に。「そんなことされませんように」ってのは現実問題、ものすごく高望みだったりするけど、だからこそわたしはそれを望む。どうか僕の肉体が、僕の意思に反するところで、誰かに蹂躙されることがありませんように。



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「ねむる」という行動がひどく億劫だから時間がきたらだれかわたしに麻酔銃打ってほしい。お布団にもぐりこみ目をつむる、その行動がひどく億劫、すごくたいへん。夢も見なくていいしある程度強い麻酔銃でも朝ぱっと起きる、だからだれかわたしに麻酔銃。ズガン、パタン、スヤスヤ。「ねむる」という行為、それ自体はとてもすばらしいし大好きな行為なのだけど、眠りにいくというか、眠りにかかるというか、とにかく「ねむる」という行為をしようとするという行為はひどくおそろしい。どうしても非生産的に感じる。できればしたくない、寝たい、寝たいけど、寝ようとしたくない。意識のあるときに「寝」ている状態に向かうという行為をしたくない、億劫、億劫というのは正しい表現だろうか、起きる→寝る、この矢印の部分に当たる行為を、とにかくしたくないんだよ。





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やきにくたべて、納骨堂で迷子になって、おはかでカラスたくさん見て、 こどもとあそんで、いぬとあそんで、いぬのさんぽして、ねこをなでて、帰ってきた。青い池に行ったんだけど、増水しててただのにごった沼みたいになってた。スーパーいったらめんめ売ってた、あれオエとなるからこわい。オレンジとチョコのケーキと、ほっけと、さんまと、カレーと、ピザと、チョコケーキと、あとなんかたくさんたべた。コーラものんだ。老朽化した防風林がどんどん切られていって、ちいさな木がちょこんと植えてあった。しらないトラクターがどんどんふえていく、古いのとくらべるととてもおおきい。実家にいたときの記憶ないから、わたしの部屋がわたしの部屋じゃないのにはもう慣れた。実家にいたときの記憶ないけど、深夜みんなが寝静まった後、一番おおきい車庫で大声で歌ったのは覚えてる。遺影がぽつぽつ増えて、集まる親戚がどんどん少なくなる。小学校の頃立て直した家はどんどん古くなり、祖父母が住んでた離れは廃墟のようだ。7人で住んでいた家には今2人しか住んでいない、だだっ広い、古くなりつつある家を、母が毎日二時間かけて掃除する。古いものは古いままで、手入れがきちんとされているようすは、なんとあらわしたらよいのだろう。


わたしが5歳の頃の、母の育児日記をコッソリ見た。数か月分しか書かれていなくてすこし笑った。わたしが5歳の頃、近所の人が自殺をしたらしい、「(わたし)はしんじゃだめだよ」って母が言い、わたしがなにか答えたらしい。そんなこと、記憶に全くなかったけれど、じゃあわたしが死んだとき母は、そのことを思い出したりしたのだろうか。わたしが死んだとき母は、どんな顔をしていただろう。わたしは死ぬのに忙しかったから、母の顔も父の顔も、全然覚えていない。泣いていたかも怒っていたかも、なにもかも全く覚えていない。死ぬときってなかなか忙しい、忙しいわけじゃないんだろうけど、なにもかも面倒くさかったから、周りの人の声が全部、春の日の朝の目覚まし時計のようだった、「ああうんわかったわかった、わかったからちょっと静かにしていて、わたしもうちょっとねていたい」。







離れて暮らす子供が死んで、悲しいものか。











わたしはとても傲慢だから、「わたしがいきているだけでいいのだろう」と思っている。でもきっとそれは真実だし、わたしにとって、君もそうだ。







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わたしから腐臭がする。




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22時、あとちょっとで23時。
23時だと早いし、0時になるといっきに遅い。
だからだれか、うまいこところあいを見計らって、わたしに麻酔銃を。







2012年8月9日木曜日

20120809-01

好きなひとの好きなひと、みごとに好きなひとと趣味がいっしょで涙よりさきに拍手がでてきた。
フィッシュマンズがすきで、ロードバイクがすきで、登山がすきで、雑貨屋さんがすきで、Tシャツがすき。あっぱれである。



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かわいいは正義だし、だからわたしはかわいい女の子がとてもこわい。かわいい女の子が白と言えば白だし、黒と言えば黒なのだ。生まれながらにして勝ち負けは決まってしまっている、いくら否定しようとその絶対的な価値は揺るがない。整形技術は日に日に発達しているけれども、整形したくらいではかわいい女の子にはなれないのです、お化粧やお洋服が「映える」のが元がいい女の子に限るように、整形技術だってある程度の元がないと、「映え」ないのです。

かわいさが金銭で表示されるようなおしごとの裏方をしているとき、それに失敗したおんなのこをみた。人はいろんなものを売る、技術、時間、そして肉体。それはもしかしたら成功だったのかもしれない、ただ市場価値を相対的に判断した場合に、価値が低いと評されただけだ。
汗水たらして稼いだお金を、つぎ込むならば見目麗しいものに。わたしだってそう、だれだってそう。ほめられるのもなじられるのも、かわいい人にされたほうがうれしい。彼女のそのかわいいらしい唇から零れる毒が僕の表皮を汚く焼いても、それは彼女には罪がない。強いものが正義、かわいいものが正義、かわいいは、正義。



おんなのこは、おそろしくて、かわいくて、おそろしい。



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人は何かに所属するのが好きなのだな、と思う。クラス、部活、サークル、学校、友達と作ったグループ、アーティスト軍団、チームXX。「チームXXの○○です」と名乗るとき、少し誇らしげに見えるのは多分見間違いじゃない。自分にはこういう仲間がいるというささやかな誇示、誇らしげな表情、適度な身内感と上昇志向、他グループとの交流により広がるクラスタ。うらやましいなと思うときもある、多々ある、でもいざ、「XXの一員だよね?」って紹介されるような場面になると、僕はいつも逃げてしまう。
何かに属することの安心感や連帯感や寂しくなさやメリットを、僕は一人でいることの自由さと、どうしても比べてしまう。誰ともかかわりたくないしこの世から消えてしまいたい、そういう発作が自分に不定期に起こることを知っているし、それが不治であることも承知している、そうなったときに、軽蔑されない/迷惑をかけない自衛でもあるし、そうじゃない部分で、強制されるさまざまなことを夢想してしまって、いつも、思わず逃げる。




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尊敬できる誰かに、もしくは説得力のある誰かに、痛いところを指摘されて説き伏せられたい欲は継続中です。ふるってご応募ください。結構本気で待っています。




2012年8月4日土曜日

20120804-01

「K-POPグループの見分けがつかない」→「AKBのメンバーの見分けがつかない」→「ヨルムンガンドのOPもしかして浜崎あゆみ…?」←イマココ

着実に老化の一途を辿っているが僕はここである可能性に気づいた。だんだんと他者と他者の区別がつかなくなって、どんどんつかなくなって、そうしたら博愛にたどり着くのではないか。自分以外の他者に等しく無関心になって、でもそれは等しく愛するということだ。
特別な人はいるか、いる、それはひとりか、ひとりではない、少数か、少数でもない気がする。
みんな等しく大切で特別、なんてへいわなことだろう。
裏を返したり、裏を返してみたり、裏を返して見てみたりは、しないでもわかってるから、しないよ。


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すごく絶望的なゆめをみた。

内容は覚えていないけど、絶望的な空気はまだ残ったままで目が覚めた。
例えば夢に毎回、知らない黒髪の白ワンピの女性、いかにも「お化けッ!」って感じの女性が現れて呪い殺そうと近づいてくるのと、夢に毎回、数年前の知り合いが現れポツリと冷たい一言を残して去っていくの、どっちが絶望的かというと、後者だ。あの子がいなくなってもうX年になるのにまだ夢に出る、そんなに僕の潜在意識にあの子がこびりついているのか、まさかまだ彼女の帰りを待っているのか、日常生活を送る上でめったに思い出すことすらないのに、こうして夢に出てくるということは、僕の意識と僕が認識している僕の意識には大きな齟齬があるのではないか。不安になる。
絶望的な夢を見たとき、たとえば熊に惨殺されたり、ハートショットのちヘッドショットされたり、腕のみで前進してくる女の人に追いかけられたりであれば、僕はなぜ自分がそんな夢を見たのか、比較的正しく認識できる。でも例えばすでに忘れているはずの、強がりではなく、日常思い出すことのない人の夢を定期的に見ると、僕は僕の意識を疑ってしまう。一度や二度であれば、ああ、今日の僕の行動や見聞きしたものの何かがトリガーになって無意識で関連付けて思い出してしまっていたのだなと思う、でもそうじゃない場合。僕は彼女のことをすでに路傍の石にした、そうなるまでは多大な痛みと年月を必要としたがそのおかげで今は努力しなくても、彼女は路傍の石だ。だのに押し込めたものがボコボコ噴出するようにこうして夢を見て、絶望的な気分で起きる。もし本当にそれがまだ息をしているなら、表面のなだらかな皮膚を切開し、中をかき回し、またそれと向き合わないと、内側から死ぬ。でもその切開作業はかなりの大仕事なので、これがもし只の勘違いでやっぱり彼女がもうそこで息をしていないなら、このままにしておきたい。そう思っているから僕は今日も、つるつるした滑らかな表皮を確かめるように撫でる、内側からの熱や振動は感じない、ほらやっぱりそれはもうそこにない、でもだったらあれはなんだ、いったい、なんだ。



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お休みの日寝坊をすると一日ぱーになる、頑張って朝無理やり出かけたほうが有意義、だから歯医者の予約を午前中にしたのにねぼうしました。これでは夕方の診察の時間まで、お昼寝も、飲酒も、お出かけも、なにもできない。こまった。

 

2012年8月3日金曜日

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例えば1つしかないものよりも、100個あるもののほうが、ひとつひとつの重要さは薄れる。
※ただしもちろん、100個の中の、とっておきの1個、というものはある。


年をとると、もしくは数をこなすと、一つのセックスの重要さってのは薄れる。

好きでもない、よく分からない人とセックスをするのはリスクの面から考えて嫌だけど、そうじゃないなら別にあんまりセックスは特別なものじゃない。生殖のためじゃないセックスは、ぜんぜん特別じゃない。


(セックスがなんともなくなるという話)

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どうにもこうにも空腹で、どうしようかなって思ってかばんを漁ったら抹茶キャラメルが2個入ってた。こういうことがあるから、僕は僕のことを嫌いになれない。

かばんのなかに抹茶キャラメルやパーカーのポッケに500円玉、そういうものをこっそりしこんでおく人のことを、どうして嫌いになれようか。絶妙なタイミングで発掘されるリップクリーム、アメピン、イブ2錠。すばらしいチョイスにひとりうなる。でも今日は抹茶キャラメル、一個しか食べませんでした。未来の自分のために。


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マンゴージュースセールしてたから買ってきた。
茶色いおさけを入れて飲むよ。


2012年8月1日水曜日

20120801-01

マキちゃんと話してると、すごく不思議な気分になる。マキちゃんは近所の幼馴染だけど、いまは別々の学校へ行っている。マキちゃんは寂しがりやでほれっぽくて、だからよくわたしに恋愛相談をする。同じクラスに好きな男の子ができただの、そうかと思えば部活の先輩が気になるだの。わたしはその一つ一つに耳を傾け相槌を打ち、的確なアドバイスをしながら、こっそりマキちゃんの顔を盗み見る。マキちゃんの恋愛はたいていが片思いで、マキちゃんが好きになる男の子はたいてい、わたしにはくだらなく映る。でもわたしが不思議な気分になるのはマキちゃんの男の子の趣味に対してじゃなくて、マキちゃんが、かわいくないのに、恋愛をする、ということに対して。

マキちゃんの恋愛はたいてい片思いだけど、ときどき両思いにだってなる。つまりはキスだってするし、セックスだってするのだ。他の友達とそういう話をするときは、まさに「恋バナ!」ってテンションでぐだぐだしゃべれるのに、マキちゃんの相談に乗るときにだけ、わたしは、恋愛について話し合うわたしとマキちゃんを、遠くからぼんやり眺めているような気分になる。こんなにかわいくないマキちゃんでも恋愛をして、それが実って、異性と付き合って、キスをしてセックスするんだ。不思議。だしかにマキちゃんは性格がかわいらしい、かわいらしいけど、すごく、かわいくない。恋愛が美人の特権だなんて思ってない、だって世の中のたいていの人はそうじゃない、わたしだってそうじゃない。でもそういう、「ふつうのこ」とは、なんとなくマキちゃんは、ちがう。だからわたしはマキちゃんから恋愛相談を受けるたび、クラスのマドンナは一人しかいないのに、大人になると大部分の人が結婚して子供を生む、その数字の不思議を思い知る。マキちゃんのことをきらいとか、ばかにしているとか、そういうことじゃなくて、ただただ純粋に感動するのだ。

クラスのマドンナにはなれなくても、かわいいともてはやされなくても、どこでかどうにかして、人は恋愛をして、セックスができる。


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マルドゥク・スクランブルを読みました。すごくおもしろかった。秋の映画は絶対見に行きたい、そしてそれまでにヴェロシティとフラグメンツもよんで、燃焼と圧縮の映画も見たい。


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小説に出てくるちょっとダメな主人公に自分を重ね合わせたときに、その主人公の突出した才能、人間性、そのおかげで構築されてゆく豊かな人間関係、そういうものまで自分と重ね合わせて軌跡を期待するような、そんな真似だけはするまいと、それだけ心して本を読んでる。


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僕は何かに強制されて、苦痛な環境・嫌いな人・したくないこと、そういうものに慣れたりしたりなじんだりする努力をするべきなのかなって思うことが多々あるけど、納得できるような「強制されるような人や力」が今のところ見出せないからそれをしないで生きている。でもたとえばこれが、あと数年で死ぬのであればよい、でも多分あと数年で死ねない算段のほうが高い、それならこんな極楽のような場所にいると、どんどん放漫になっていくんじゃないかとか、なにかがスカスカになっていくんじゃないかとか、少し心配になる。でもそんな不安を抱いたってやっぱり、その不安程度じゃ、「いやなことをあえてやる」理由として納得できなくて、やっぱり一番自分の心の平穏を優先してしまう。
なんかこのかんじ、子供が小さな頃大病をしてしまって一命を取り留めたのだけど、それがトラウマとなり部活動や習い事友達づきあい、ジャンクな食べ物、そういうものを一切禁止する過保護なママのようだなって今ふとおもった。





最近気づいたら水曜だし、週末だし、8月になってる。
だれかに耳元でまいにち、カウントダウンをしてほしい。
なにへのカウントダウンかはおまかせします。センスで。





じぶんメモ:7がつ本まとめ

すごくちょこっとしかよめなかった。何でだろうと思ったけど多分ゲームのせい。
7月はトーキョージャングルとf/nをやっていました。
トーキョージャングルは肉食系終わってしまって、草食やる気が出なくて途中で止まっている。
ストーリーも14まできたけど最後の最後でやる気を失った。
f/sは買って3日くらいでセイバールートやりこんだけど、凜ちゃんで今とまってる。

7月、マルドゥックが読めてすごくよかったです。
映画みにいきたい。それまでに燃焼圧縮も見たい。