2012年8月4日土曜日

20120804-01

「K-POPグループの見分けがつかない」→「AKBのメンバーの見分けがつかない」→「ヨルムンガンドのOPもしかして浜崎あゆみ…?」←イマココ

着実に老化の一途を辿っているが僕はここである可能性に気づいた。だんだんと他者と他者の区別がつかなくなって、どんどんつかなくなって、そうしたら博愛にたどり着くのではないか。自分以外の他者に等しく無関心になって、でもそれは等しく愛するということだ。
特別な人はいるか、いる、それはひとりか、ひとりではない、少数か、少数でもない気がする。
みんな等しく大切で特別、なんてへいわなことだろう。
裏を返したり、裏を返してみたり、裏を返して見てみたりは、しないでもわかってるから、しないよ。


*****************************************


すごく絶望的なゆめをみた。

内容は覚えていないけど、絶望的な空気はまだ残ったままで目が覚めた。
例えば夢に毎回、知らない黒髪の白ワンピの女性、いかにも「お化けッ!」って感じの女性が現れて呪い殺そうと近づいてくるのと、夢に毎回、数年前の知り合いが現れポツリと冷たい一言を残して去っていくの、どっちが絶望的かというと、後者だ。あの子がいなくなってもうX年になるのにまだ夢に出る、そんなに僕の潜在意識にあの子がこびりついているのか、まさかまだ彼女の帰りを待っているのか、日常生活を送る上でめったに思い出すことすらないのに、こうして夢に出てくるということは、僕の意識と僕が認識している僕の意識には大きな齟齬があるのではないか。不安になる。
絶望的な夢を見たとき、たとえば熊に惨殺されたり、ハートショットのちヘッドショットされたり、腕のみで前進してくる女の人に追いかけられたりであれば、僕はなぜ自分がそんな夢を見たのか、比較的正しく認識できる。でも例えばすでに忘れているはずの、強がりではなく、日常思い出すことのない人の夢を定期的に見ると、僕は僕の意識を疑ってしまう。一度や二度であれば、ああ、今日の僕の行動や見聞きしたものの何かがトリガーになって無意識で関連付けて思い出してしまっていたのだなと思う、でもそうじゃない場合。僕は彼女のことをすでに路傍の石にした、そうなるまでは多大な痛みと年月を必要としたがそのおかげで今は努力しなくても、彼女は路傍の石だ。だのに押し込めたものがボコボコ噴出するようにこうして夢を見て、絶望的な気分で起きる。もし本当にそれがまだ息をしているなら、表面のなだらかな皮膚を切開し、中をかき回し、またそれと向き合わないと、内側から死ぬ。でもその切開作業はかなりの大仕事なので、これがもし只の勘違いでやっぱり彼女がもうそこで息をしていないなら、このままにしておきたい。そう思っているから僕は今日も、つるつるした滑らかな表皮を確かめるように撫でる、内側からの熱や振動は感じない、ほらやっぱりそれはもうそこにない、でもだったらあれはなんだ、いったい、なんだ。



*****************************************

お休みの日寝坊をすると一日ぱーになる、頑張って朝無理やり出かけたほうが有意義、だから歯医者の予約を午前中にしたのにねぼうしました。これでは夕方の診察の時間まで、お昼寝も、飲酒も、お出かけも、なにもできない。こまった。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿