2012年8月18日土曜日

20120818-00

たとえば戦争の話や父母祖父母が若かったときの話、離れていると「聞けばよかった」って思うけど、相対すると、過去を聞くことでその人と決別するような気持ちになるので、どうしても聞けない。

わたしの知らない若い頃の彼らや、わたしが存在しない時分の彼ら、わたしが忘れてしまったわたしの小さい頃の話は、彼らが生きているうちに彼らに聞かなければ永遠にわたしの中からは失われる、そして失われてしまったあと、わたしは絶対「あーあ」って思う。思うけど、まだ生きている彼らと、過去の思い出にまみれるのにどうしても抵抗がある。「さよなら」と言うことにより決別してしまうような、そういうひねくれた気持ち。でもそれをわたしはどうしようもなく持て余すから、今日も目の前のごはんや、午後の予定や、さっき見た夢の話をする。数日じゃない未来の話もわたしにはつらい、未来の約束をすると、その約束の期日まで再び別れることを宣誓するようでつらい。数日じゃない未来の話は、口にするたび砂になってこぼれて、口にしたものからかなわないことが決定してゆく気がする。未来の約束を口にするのは、砂上の楼閣を作る行為、堅牢を幻にする行為。だからわたし、過去の話も、未来の話も、多分一緒に死ねないであろう、大切な人とはしたくない。


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それを「才能」と呼ぶとただただ努力を怠っているだけのように思えるのでなんと呼ぼう。
ぼくが徹底的に持ち得ないそれ、才能、技術、実力、どれもぴんとこないけど、
とにかくぼくにはそれがない。

学校の勉強が苦痛だと思ったことない、教科書があって答えがあって、教えてくれる先生がいて学校があって、段階を踏んで難しくなっていって、教科書にハウツーが書いてある。そこで優等生であったぶん、自分で「どっちに進んだらいいか」決めなきゃいけない状況に弱い。 「できない状態」でいることがしんどくてしかたないから、努力ができない、のびない、すぐ折れる。たとえ才能がなくったって、努力だけでたどり着ける境地はあるし、別にぼくが目指しているのは世界で一番のなにかではなく、些細な自己満足ができる程度のものなのだから、じゃあせめてその身の丈にあった目標を叶えるためにほんの少しの間、できない自分を真正面から受け止め歯を食いしばり努力をしましょうねっていう話なんだけど、すぐ折れる。だから今日も目をそむけているのですが、そむけ切ることもできずまたチラッチラッと未練がましくそれを見つめてしまうので、何がいいたいかというと、学校的なものに行きたい。モチベーションと、効率と、精神状態のために。


器用貧乏はただの貧乏であるよ。



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世の中にはすばらしい技術(才能/実力/技量/エトセトラ)を持った人がたくさんいる。そういうの食べて暮らしているのだけど、作った人に感想ってうまくいえなくて、「すごい」「いい」って、そんな語彙の感想になってしまって申し訳なくて、だからいつも黙ってるんだけど、もしくはここに書きなぐるんだけど、ここに吐くときは咀嚼して反芻して吐き出したものだから、具体的記述やそれに言及するものってなにもなくて、すごく、メタになる。だから結果わたしは、人様の作ったものに対して、それを作った人に感想ってどうしてもうまくいえなくて、うまくいえないのと、うまくいえなくてもうしわけないのと、恥ずかしいのと、なんやかんやで、うまくいえないんだけど、例えばわたしが、「あのブログよんでるときもちがわるくなる」って一言かかれてたときすっごくうれしかったから、つたなくても言ったほうがいいのだろうか。根本に、「つくったひと」と「つくられたもの」は別個だって考えがあるから、どうしても作り手にその感想を述べてはいけないって言うか、多分これは、いろんなものの裏方をしてたときのなごりというか、「素敵なものを作った、(いわゆる僕が)ファンのひとといっしょに仕事をする際に、スタッフにファンがいたら仕事できないだろ、同じ側に立って仕事しなきゃいけないんだからファンの気持ちを人に対して持つな」って(すごくはしょって言えば)ところから来てるんだと思う、けど、うーん、うーん、って思ったりいまさらする。 人に対して「ファンです!」「あなたのつくったものすごくすきです!」って言うのって、さまざまな要因から、避けたほうがいいんじゃないかっていう考えが染み付いていて離れないんだけど、最近、うーん、うーん、って思う。どうなんですかね。人によるんだろうけど、むつかしいな。



(恋愛とかじゃなくて)わたしなんかにすきって言われたら迷惑だよな気持ち悪いよな、というかわたしが「好き」って口にすること自体犯罪行為ではないかって思っている部分があるのでむつかしい。「好き」って言うだけで「うわぁ気持ち悪い死ね!」って言われてしかるべきなんじゃないかって思ってる部分ある、だから言わないんだけど、でも自分は言われたらうれしいし思ってたら言ってほしいし、じゃあもしかしたら自分以外にもそういう人いるんじゃないかな?ってちょっと思ってる。むつかしい。



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ここまで読み返して、一時期、ロッキンオンみたいなレポート練習してたの思い出した。
結局感動よりも文章のひねりに気をとられてしまって、文章を書いてる自分を俯瞰で見たら受けた熱を伝えるのじゃなく受けた熱が冷めたものをレンジでチンしてるような気持ちになって、そもそもロッキンオンみたいなレポート、「かっけー」とは思うもののそれに感動することは僕はなかったやって気づいてやめたんだった。 ってこと思い出した。



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すごく日記らしい日記を書いた。垂れ流してる感じが。
明日は歯医者ですよ。







 

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