2013年8月27日火曜日

20130827-03

わたしは一生ごめんねって言い続けてると思うし、それは誰にも理解されたくない。

わたしにこっそり一人で思い出して切なくなるような思い出があるように、わたしの好きな人にもわたしのしらないそういうものがたくさんあるんだろうなって思ったりすると、どうしていいかわからなくなる。当たり前だし、別の人間だということはつまりそういうこと、たとえ小さいころからずっと一緒の双子だったとしても共有できない思い出はできるしそれを否定するのは相手の否定そのもので、それよりなにより自分自身に自分自身でしかほどけない部分があるのはわかっているのに、もてあましてしまうような、どうしていいかわからない気持ちになる。

******************************************

わたしはすぐ泣く、本を読んでもアニメを見ても漫画を読んでも絵を見ても泣く、でもほんとうに泣いてしまいたいことで泣けない。くちのなかの、両方の奥歯の奥のところが変な味になって喉が詰まり胸が苦しくなる、だけど涙が絶対出ない。たぶん、わたしはこのことで泣く権利がないことを、自分でよくわかっているからだと思う。

だからわたしは一生、そのことについて、きちんと泣くことはできないのだと思う。

******************************************

しあわせになりたいなんてばかなことおもってはいけない、と思った。すっかり忘れた顔をして、なにを笑って望んでいたのだろう。誰かに期待したり優しくされたりなにかそういうまっとうなことを気付いたら望んでいて当然の顔をしてそれを享受して、はずかしくなる。それそのものがどうだとか、どうこうしたいとかそういう問題じゃなくて、現実の何かでもわたしでも誰かでもなくて、それはもう規定されたことで、どうしてわたしは気を抜くと、当たり前みたくしあわせになりたいななんて思うのだろう。

このまんま外に出て歩いてどこかへいってしまいたい、だけど明日もわたしは仕事だし、ひざの上には猫がのっていて、だから多分わたしはそれをしない。明日の約束や仕事や授業やそういうものをすべて投げ出して鈍行に乗ってどこかへいくようなまね、多分わたしはもう一生しなくて、それは年をとったとか責任感がどうという理由ではなくて、どこへいったって、わたしはわたしから逃げられないからだ。




だれにも「そんなことないよ」って言ってほしくない、「どうしたの」なんて訊かれたくない、理解した顔を向けられたくない。だけどすきなひとや、死んでしまった鳥や、見えないふわふわとしたかみさまみたいな存在に、きっとわたし許されたいと思っている。

2013年8月26日月曜日

20130826-01

たとえばこの世界に泣いている女の子が無数に点在しているとするじゃないですか、「嬉しくて」じゃなくて「悲しくて」のほうの涙を流してる感じの、自分が幸せではないことに彼女自身が納得していることもあるので彼女らを「不幸」とは定義したくないから「幸せじゃない」と言うけれどとにかく幸せじゃない状態の女の子が無数に点在しているとするじゃないですか、そんなこと許せますか、それって許していいものですか、許せるわけはないんですよ。

たとえば僕の存在を犠牲にしても1mm程度しか救われなかった彼女、僕の愚鈍さに殺された彼女、彼女も僕もほかのどんな人間もどうしようもなかった覆せない強い現象に潰された彼女、たとえ僕が命を捧げたとしても救われなかった彼女、どうして僕は強大な、宇宙みたいな力を持たなかったのだろう?? どうして僕は彼女たちを救えなかったのかな、どうして彼女はまだ泣いてるのだろう、ねえそれって絶対許せない、だから僕は世界を救いたい、無敵のスーパーヒーローになりたい。




君の最期に「なんちゃって」をつけてフィクションにして自分だけ救われるような真似、僕はそんなことしてはいけなかった。最期の走馬燈の、そのわずかな一瞬暖かければ救われるわけじゃ絶対にない、ほかの誰がなんと言おうとも、君は優しくて穏やかな時間を、そんな一瞬じゃなくてきちんと生活としてすごさなければならない。君の身に起こった恐ろしいことやいやな思い出はタイムスリップして根本から断ち切りたいし、君がひとを憎んだりころしたりしないですむようにしたかったし、君が自分のことをきたないなんておもわないようにしたかったし、腐って落ちてドロドロになってなってほしくなかったけれど、君がひとを憎んでころして腐ってドロドロになったって汚くないしそれでも好きだし、僕は君がどんな姿で僕の前に現れたって、すきだよきれいだよって言って抱きしめたかったし、どうしてそれが、君が腐って落ちてドロドロになってからしか気付けなかったのかって思うと死にたくて仕方がないけれど、僕が死んでも君が救われるわけじゃなくてじゃあどうしたら君が救われるかというと僕が無敵のスーパーヒーローになって、君と君の世界を救うしかないんだ。

******************************************

女の子が「きたない」って言って自分の皮膚をこすって血が滲むような、そういうものにわたしは絶対耐えられない。そんな世界ならいらないと思うし、そんな世界をどうしてわたしは変えられないのだろう? でも真っ暗な部屋から爛れた皮膚を引き摺った血だらけの彼女が出てきた瞬間一瞬硬直したわたしに彼女はきっと気付いていて、ほかでもないわたし自身がこの世で一番彼女を傷付けたこと、わたしはきちんと、認めなければならない。




「しょうがなかったよ君はやるだけやった、彼女だってああいう最期を迎えられてきっとしあわせだったよ」なんて、絶対わたしは認めない。

2013年8月20日火曜日

20130820-01

ずっと考えていることがあり、わたしはたぶん一生、それの答えをみつけられない。


******************************************



「えいえんの恋人」は終わってしまったから「えいえん」なのだろう。蜜月を過ごしてからの別れと思いが通じた直後の別れ、思いが通じる寸前での別れと出会う前の別れ、どれが一番ましなのかなんて、きっと誰にもわからない。18歳と19歳の境目がバッチリはっきりしているのと同じく、生者と死者の境目も、キッパリぱっちりわかれている。愛情の深さにかかわらず、握った手の強さは体温に比例する。わたしのことを世界一好きなきみでもかなわないものがあり、袖振り合った程度の他人のほうがここでは強い。人生における「その他大勢」にわたしを数えるひとたちに、わたしはひっぱられてきっと留まる、でもきっとそれが、この世の理。


それでもわたしは、だからわたしは、きみのことがえいえんに大好き。

2013年8月17日土曜日

20130817-01

出る答えは毎回同じで、わたしはいつも、後悔しかしていない。

2013年8月10日土曜日

20130803-01

わたしはこれを直接本人に言えないから穴熊みたいにここに篭ってここで書く、わたしやっぱりフィクションには、圧倒的ハッピーエンドをむかえてほしい。
それをそのままフラットに見られないわたしは、いろんなものに勝手に自分を重ねてぐっとくることが多々あるのだけれどそれがとても顕著、そうしてそういう感想はとても失礼なものだとは思うけれども琴線に触れて泣かされたのも、わたしがこれをとても好きだというのもすべて事実で仕方ない。
そのもの自体もすごく好きだし透かしてその奥を見てしまったり、個人的体験を重ねてしまってすごく心がざわざわする。人が泣いたり傷付くシーンがひどく辛くて、知ってたはずの台詞も予測できた結末も窒息寸前の酸素みたいに焦がれて待ち続けて与えられたみたいで、でもまだ酸欠だから完璧なハッピーエンドが、わたし、見たい。
生まれてしまったひよこを目の前にしての鶏が先か卵が先かの議論はとても意味のないもので、だから理由や因果やそういうものを考えても考えなくても解明されてもされなくてもわたしがこれをとても好きで電車の中で泣いてしまって慌てて顔を隠そうとするも文庫本が小さくて隠しきれなかったり、カバーを取って持ち歩き用にしている一冊のほかに保存用としてもう一冊購入したのも事実だから仕方ない、別に誰にも伝えなくてよいことだけれどこのブログにも何度も書いているように好きなものを大好きだと叫びたくなる衝動が訪れるときがありそれが今だから書いている。好きな人に好きなものを好きだと伝えるのは実はとてもハードルが高いことで、別にそんなこと言わなくても誰も不幸にならないし何より言えないのだけれどどうしても言いたくて、だからだらだら駄文を書いています。

ツイッターで書いたこれ
“わたしは物語をすべて自分自身のものとして捕らえすぎるきらいがあるかもしれない、だからこんなにすぐ泣くのだと思うし、それはそれでひとつの楽しみ方かもしれないけど人と物語の感想のいい合いがこれではうまくできないしそれはなんだかんだでちょっとつまらないし酷く浅い気がする”
“それをそのままにして感動するということもしかしたらわたしはできていなくてだから余白を想像できないし、Aというキャラに対しての気持ちではなくわたしに透かして見たA’というキャラひいては自分のA’’という状況への思いに瞬間で摩り替わっているのかなと思った”
“百人百通りの物語の鑑賞方法でよいのは勿論だけど、自分が自覚し ている限定された冷静に見られない作品だけではなくすべてのものに対してそうなのかもというか 摩り替えはいつか起こるのだけど瞬間過ぎないかなというか  物語自体の余白も余韻も1pxもないのはどうかとか”
 わたしの鑑賞方法はまさにこれ、すぐに思考が作品からそれる。とくにこれは「自分が自覚している限定された冷静に見られない作品」の最たるもので、でもそれはとても正しくないことだとおもう。それでもどうしても言いたかったから書きました。わたしはこれがすごくすき、心が動いたしなかされたし笑った、すごくおもしろかったしすごく痛かったし本当に最後まであえぐような気持ちで読み進めた。こんなところでばかみたいにばかみたいな文章書くくらいすごくよかったです。

2013年8月2日金曜日

20130802-00

新学期が始まる頃には体がすっかり怠惰モードに切り替わっており慣れた部屋の空気もベッドもわたしに絡み付いて離してくれず、つまり平たく言うとこの新学期の始業式早々、わたしは寝坊している。今日の時間割を見てみると朝一で国語の普通授業、次は4時間ぶっ通しでレクリエーション(今日は新学期で始業式で、もっと言うと新年度なのであり、クラス替え間もない生徒達を馴染ませようとする学校側のいきな計らいがコレ)、その次は二時間の合唱、その後は一時間ずつ社会と音楽、授業終了はなんと夜の8時である。時計を見ると今は昼0時10分、レクリエーションには途中参加で気まずいし合唱なんてやりたくないし、ああじゃあ夕方から登校しようかと思ったけれど今年度の新しい担任はわたしにとっては新しくなく去年と同じで、つまり怒りっぽく厳しく嫌みなカネコで、遅刻した挙げ句普通授業だけ出席するなどなんと言われるかわからない。あー面倒だけれど事前に連絡を入れておくかーと準備をしながら家を出ると雨が降っているしおまけに電車が人身事故、あっ事故のせいにしようかな遅刻を、でもそれだと寝坊して昼に起き人身に巻き込まれたのがバレバレで、ってなにをこんなに言い訳を考えるのに終始しているのかと言うとひたすら怒られるのが嫌だからだ。だってあの人ネチっこいんだもん怒り方が、「はぁ~ん? 寝坊したんですよねぇ?そんなのそこの窓から飛び降りて死ねばぁ?」とか言うんだもんたまんないよとか考えながらわたしはとりあえずホームに向かう。たらたらホームに滑り込みたらたらホームから発車した各駅停車は適度に空いており朝のラッシュとは大違い、運良く座れたわたしはめんどくさいめんどくさいと考えるばかりで肝心の学校への連絡をしていないことに気付き電話をするため隣の駅で降りる、降りてしまってから今電車の間隔が非常に長くなっていて次の電車がいつ来るかわからないことに思い当たりいったいわたしはなにをしているんだとひたすらイライラする。学校に電話をしたけど出たのは事務の男の人でさっぱり話が通じないし伝言も伝えられない有様で、このまま遅刻の連絡ができるまで電話をかけ続け電車を見送り続けたら本末転倒と判断したわたしは連絡を諦めまた電車を待つ。幸い程なくやってきた各駅は先ほどと同じくらい空いていて、でも座席の配置がおかしかった。わたしは車両のはしっこの、車窓を囲むように設置されたL字形の3人掛けのシートに座り、いつの間にか隣に立っていた名前しか知らない男の子もそこの逆端にちょこんと腰掛ける。「僕、ずっと君に会いたかったんだ」と話すその子にわたしも会いたくはあったけど今は教師への遅延連絡をなんとかメールでできないかと携帯のアドレス帳をポチポチ調べるのに忙しく、休み明けの記念すべき初・他人との会話(そしてずっと会いたかった男の子との初会話でもある)を鬱陶しく感じてしまうからおざなりな対応になってしまい、「ああ、うん」と答える自分の声が思った以上に冷たく響き覚えなくていい罪悪感がわたしを満たす。なんとか教師のメールアドレスを見つけ「せんせー、遅れます」とメールをするとすぐに「早く来い」と返信があり、取りあえず怒られることは決定したけど怒られれば遅刻は許されるだろうからオールライトということで、人心地ついたところでなにか大事なことを思い出す。
……あれ、わたし卒業論文を提出した記憶がある、たいしたものじゃないけどテーマもはっきり覚えている、友達がおらずつまらなかったから記憶がおぼろだけれど卒業式の記憶もある、それはつまりもう学校に通わなくていいと言うことで、でもただ単にわたしが自分が卒業したことをすっかり忘れていてこうしてしてもいない遅刻に怯えながらも電車に乗っているだけならわかるけどなぜ教師から「早く来い」と連絡がきたのだと頭がグルグルしたとたんわたしは病室にいた。無機質な天井と無機質なリノリウムの床――という表現をしたくなるけどそこはなんとも味のある古い天井、なにかを貼ってはがした跡や不気味なシミなどが目立つ病室はなんだか生々しく、こちらが本当の世界だとわたしは一瞬で悟ってしまった。新学期、クラスはバラバラになったものの一緒に進学したはずの級友の顔が卒業アルバムみたいに脳裏に浮かび、その一つ一つに大きな赤いばってんがつけられて、なにかのアニメの演出みたいだなと思いながらもわたし以外の級友がみんな死んでしまったことを思い出す。

2013年8月1日木曜日

じぶんメモ:7がつ本まとめ

漫画おおかった。というかほぼ漫画だった。
人と貸し借りするとたくさんよめてよいです。