2013年8月27日火曜日

20130827-03

わたしは一生ごめんねって言い続けてると思うし、それは誰にも理解されたくない。

わたしにこっそり一人で思い出して切なくなるような思い出があるように、わたしの好きな人にもわたしのしらないそういうものがたくさんあるんだろうなって思ったりすると、どうしていいかわからなくなる。当たり前だし、別の人間だということはつまりそういうこと、たとえ小さいころからずっと一緒の双子だったとしても共有できない思い出はできるしそれを否定するのは相手の否定そのもので、それよりなにより自分自身に自分自身でしかほどけない部分があるのはわかっているのに、もてあましてしまうような、どうしていいかわからない気持ちになる。

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わたしはすぐ泣く、本を読んでもアニメを見ても漫画を読んでも絵を見ても泣く、でもほんとうに泣いてしまいたいことで泣けない。くちのなかの、両方の奥歯の奥のところが変な味になって喉が詰まり胸が苦しくなる、だけど涙が絶対出ない。たぶん、わたしはこのことで泣く権利がないことを、自分でよくわかっているからだと思う。

だからわたしは一生、そのことについて、きちんと泣くことはできないのだと思う。

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しあわせになりたいなんてばかなことおもってはいけない、と思った。すっかり忘れた顔をして、なにを笑って望んでいたのだろう。誰かに期待したり優しくされたりなにかそういうまっとうなことを気付いたら望んでいて当然の顔をしてそれを享受して、はずかしくなる。それそのものがどうだとか、どうこうしたいとかそういう問題じゃなくて、現実の何かでもわたしでも誰かでもなくて、それはもう規定されたことで、どうしてわたしは気を抜くと、当たり前みたくしあわせになりたいななんて思うのだろう。

このまんま外に出て歩いてどこかへいってしまいたい、だけど明日もわたしは仕事だし、ひざの上には猫がのっていて、だから多分わたしはそれをしない。明日の約束や仕事や授業やそういうものをすべて投げ出して鈍行に乗ってどこかへいくようなまね、多分わたしはもう一生しなくて、それは年をとったとか責任感がどうという理由ではなくて、どこへいったって、わたしはわたしから逃げられないからだ。




だれにも「そんなことないよ」って言ってほしくない、「どうしたの」なんて訊かれたくない、理解した顔を向けられたくない。だけどすきなひとや、死んでしまった鳥や、見えないふわふわとしたかみさまみたいな存在に、きっとわたし許されたいと思っている。

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