2012年2月29日水曜日

20120229


ゆきだるまはつくれなかった。うるう年でした。
わたしは夏がきらいなので、このまま冬でいてくれたらいいのに、と思う。

2012年2月27日月曜日

20120227

君の好きな人は死んでないからいいじゃない、君の好きな人はただ君のことが好きじゃないだけで生きてるからいいじゃない、君の好きな人は神に見放され純潔も誇りも何もかも奪われて嬲り殺されたわけじゃないから、いいじゃない。


わたしもうおなかが破裂しそうなくらいごはんを食べるのはやめる。何もしてなくても苦しいくらいごはんを食べてしまうと苦しくてねむれないし、おなかの中で一生懸命食べ物を溶かしている内臓たちを想像すると可哀相で仕方ない。キャパを超えたノルマ、それを自分の内臓にまで課そうとするのか、大層愚かなことではないか。
ごはんを食べたあと、まだおなかがすいていても、30分くらい待ったほうがよいのですね。そのうちに、おなかがいっぱいになる。本当に覚えた。もうやめよう。おなかがくるしくて死ぬ。


まいにち8時半に寝たいなあ。ねむたい。
自由になれない仕事中に一番やりたいことを思いついて、開放されたら帰って寝たくて仕方ない気持ちになるから毎日何もしていない。だけど今日もちゃんと、おうち帰ってきてごはん作ってお風呂はいって仕事もしてえらかったです。

2012年2月25日土曜日

20120225

深海でそっと死んだ君を愛でる。



追えば追うほどあぁ、すきだなぁと思う。生きているうちに会えばよかったという後悔は全くなくて、なぜならぼくは「いま」、今君のことが好きだからだ。ここ何年も君はだらだら生きていて、ぼくと同じ世界で暮らしていた、けどその当時ぼくは君のことが、そりゃあ好きではあったけどなにを差し置いてでも大事にするほどの存在じゃなかったから君が消えてなくなる間際になってはじめて君に会いに行った、そして君が死んでしまったあとにこうして夜な夜な死んだ君を愛でている、でもそれはすべて必然で、如何ともしがたいことである。たとえ君がこの世に甦ったとしても、ぼくは多分また君と無関係な世界でダラダラと生きて、君が再度死んでから、夜な夜な君のことを愛でることになるのだろうな、と思う。ぼくの「好き」はそういう種類のもので、それはある種の人からは「本当のすきじゃない」って責められるようなものだろうなぁって思うけどそういう種類のもので、仕方ない。仕方ない。仕方ない。

(今書いていて思ったけどこれは多分昔からのものじゃなくて、生きているものにすきって声をかける場合は、そのものに対して一生を尽くす覚悟がないと無責任になる場合があると悟ったことがあったからだ。ぼくはぼくにできる限りのことを彼女にしたけどもそれは足りなくて、どんどんぼくに依存していく彼女に耐え切れなくて、「ぼくは君の恋人でもないし親でもない、だから君の声に毎回は答えられない」って言って逃げたんだ。だからもう、生きているものに対して「すき」って言うのは怖いし、できれば無責任な距離で「すき」って言っていたいんだな、)




でも深海からはぁわたしはきみのことがとてもすきだな、って口に出したくなるときがあるよ。だから今日も届いてほしくないけどもすきだなって書いてる。多分また思うと思う、そしたらまた書く。

2012年2月24日金曜日

20060207-20120224

オレンジドロップひとつ、くーださい。


***************************************


20060207
何故僕を轢かないのだ。と、


***************************************


20090205
眺めるぶんには女の子が好き。
魔法の薬がほしい、躁スイッチON!みたいな。お父さんスイッチみたいな。家を出たらONにしてお家についたらOFF、寝ている間に充電。そんな便利なおくすりか魔法か機械があったら迷わず使う。機械人間になりたい。嘘。錆びそうだから。


***************************************


オレンジドロップはひとつ、僕のベースのなかにある。


***************************************


二年前の日記は見てはいけないということがわかった。ぼくの傷は(文字通りの傷は)二年たってだいぶ薄くなったけども、まだギョッとした目で見られる程度には、きたない。もう二年もたつのに、まだ二年だから、どちらか。


携帯電話に、「きちがいにならないと大声をあげられるところがない、しんどいな」ってメモがのこっていた。ぼくはなにがつらかったのだろ? いまは、おなかもいっぱいだし、コーラもあるし、お風呂にもはいってほかほかしているし、なにもそんなにつらいことはないです。今現在つらいことってなにもない。かんがえて悲しくなったり辛くなったり死にたくなったりするのは全部過去のことで、いま、現在、なやんでいることって何もない。それは、果たして幸せか、不幸せか。
考えても仕方のないことを考えると死ぬ、辛いことをかんがえると死ぬ、後悔をしすぎると死ぬ。無理をしすぎても死ぬし働きすぎても死ぬ、それらを実感として感じたから今ぼくは自分にとてもあまい。一生考え続けても尽きない物事も、一生後悔してもしきれない出来事もどちらもある、から、寝ちゃう。どちらもし始めると死ぬまでやめられないからだ。だから、寝ちゃう。それはきっと自己防衛的に正しい、死にたいとおもわない人間として正しい。だから今日もぼくは寝ます、おやすみなさい。

2012年2月19日日曜日

20120219

これ連携できているのかのテストですよ、そのうえいま僕はとてもよっぱっらっている。






「ぼくは人間が嫌いなんじゃないか、だとしたらもう根本的に終わりなんじゃないか」て気分に最近なっていたのだけど、人といてものすごくたのしかったので、ああぼくは人間が嫌いなんじゃなくてすきじゃない人と一緒にいなきゃいけない時間が長いだけなんだなって思った。







僕には好きな人がたくさんいるんすよ、びっくりでしょう。

2012年2月14日火曜日

20120214-02

愛の再分配が可能であれば世の中はもっと幸せになるのにな、と思います。どんなに思っても振り向いてくれないあの子、あの子を好きな僕のことを好きって言ってくれるあの子、僕のことを好きって言ってくれる子を好きだというあの子。いいじゃんアンタ振り向いてあげなよ~って人に対しては思うけど自分は決して折れたくないし折れられない、そもそも折れるものでもない、むつかしいものですね。


落としたハンカチを拾ってくれた人に「てめぇ汚い手で僕のハンカチ触るんじゃねぇよ汚れるだろクズが死ね!」って言いたくなる衝動に駆られてぐっと抑える。きっと拾ってくれたのが可愛い女の子だったら「まぁなんて優しい子なの、ありがとうそしてありがとう!どうだいお茶でも」って反応をするのだろうな僕は。でもたいてい可愛い女の子はおしゃれに夢中で地面なんて見て歩いてなくって、僕の落としたハンカチにも気付かずに去っていってしまうんです、残念だな。



こういうことばっかり考えていると、僕ってなんて性格が悪いのだろうと思うんだけど、言わないだけできっとみんなもっと性格が悪いはずだ、と思うようにしている、というか、いま、そう思うようにした。



***************************************

使い捨てコンタクトの箱を見て、「滅菌済み」って表記なんか正直なかんじがしていいな、って思っている、いま。

***************************************

もしかしたら性格わるいっぽいのをちょっと隠したほうがいいのかもって思った、いま。

***************************************

おふろはいろう、















***************************************


おふろあがった。




朝霧が印象的過ぎて、茜のことを途中まで朝霧だとおもっていた。青い鼻緒がうつくしくて、あぁ、という気分になった。たとえば竜二郎さんは、どういう気持ちで揚がってくるのだろう。ここが舞台のお話はどれも華やかで美しいけれど、どうしても悲しいなと思い知らされる。ひとがひとを好きになるには何が必要なのだろう、ただ髪を結われていても好きになるものか、足抜けしたくなるほど好きになるものか。喋れなくても聞こえなくても好きになるものか。
好きでもない人に気を使うのはお金が発生するお仕事だからだ、そうじゃないならべつに、かかわらないでいいなら別に、好きじゃないひととわざわざ関わって、気を使うのは馬鹿らしい。八津のいた村を想像するのはむつかしくて、水連はちゃんと逃げ切れたのかな、って思う。例えば好きなひとと一緒にいられないって理由が、環境のせいなのと、自分のせいなのと、誰のせいでもないの、どれが一番つらいだろう。
土屋アンナがあまりすきじゃないのと、どう見ても日本人顔じゃないだろうっていうのでさくらんをみていなかったのだけどやっぱり見てみたいなーと思ってググって、プロモの演技シーンでさめた。肉蒲団がかなりおもしろかったから好色一代男もおもしろいんじゃなかろうかと思っている。

20120214

くちのなかが、にがい。


好きな人からメールがきても、かえしたら、今度は返されるのを待たなきゃいけないから返したくなくなる、ずっと返したくなくなる。けどもそれはあんまりにもアレだなぁと思って一ヵ月後くらいに返す、でも帰ってこなくて、ああこない、まだこない、やっぱりこない、もうこないんだと諦めたところで返事が返ってきたりする、わたしがメールを送ってから一ヶ月くらいたっている。この前一年ぶりくらいに顔を見たけどすごくかわいかったので、また一年くらい顔がみれなくてもいいかなって思うけどもいきなり病気で死んじゃったりするかもしれないから、ちゃんとご飯食べて寝てねって思ってる。

わたしはわたしの好きな人が生きているだけで結構しあわせ。好きな人が生きてて幸せだったらもっとしあわせ。ねこも生きていてくれるだけでしあわせじゃないですか、芸をしなくったって、こっちにすりよってこなくたって(うちのねこは寄ってくるけど)、ぼくのこと引っかいたって、元気でいてくれたらしあわせじゃないですか、そんなかんじで、しあわせ。そういう風に好きな人が何人かいる。

コーラにライムを入れるととてもおいしい。コーラじゃなくてみつやソーダしかなかったからみつやソーダにライムを入れてみた、緑になった。なんでライムは緑なのかな、しぼったら緑の汁が出るのかな。レモンをいれるよりもライムどばー、いれる、おいしい。


もうねむたいから、ねよう。

2012年2月11日土曜日

20120211

「しあわせだなー」ってくちにするともっとしあわせになるよ!!

2012年2月6日月曜日

210200-00

fateのセイバーは吊ちゃん、
栗田有起 のオテルモルはおしおちゃん、
まいもんは市場さんの写真のあれがものすごく印象的過ぎるから
http://igarou.cart.fc2.com/ca2/63/p1-r2-s/
これはいちばさんではないけど
http://www.youtube.com/watch?v=9zVH14_UEXw&feature=plcp&context=C327fa68UDOEgsToPDskIvSKGNcbA5oUiOV1Y9VNcW

誰か思いついたらどんどん追加しよう


ちなみにわたしが人に似ているって言われて一番爆笑されたのも、一番気に入ってるのもザクレロです。

20120206-2

もしかしたら「好き」は有限なのかもしれない。


ぼくがいまこんなにも周りを呪いながら生きているのは死んだものばかり好きなせいかもしれない、いやきっとそうだ、そう思い至ったらすべてのことが腑に落ちた、すとんと小気味よく腑に落ちた。死んでしまった好きなものはどんどんとばけものになる。いなくなった人、終わってしまった時間、消えてしまった場所、それらはどんどん溶けていってどろどろになって形もなくなり抽象的な思念になる。そうなるともう、それらがたとえ戻ってきたり生き返ったりしても太刀打ちできない。生き返った人、動き出す時間、再生した街、それはもう違う、わたしの好きだったそれと違う。たとえ寸分違わず甦ったとしてもやっぱりなにか、違う。その日その瞬間それらを取り巻く一切やそれが好きだった自分自身さえも含めての好きだから、どうしても同じになんない。模造品が本物にかなうわけがないようにもうぼくの好きを壊せるものが誰も何にもいなくなって、そうしたらぼくはその「死んじゃった、どろどろに溶けた何か」を好きで居続けなくちゃいけなくて、そうするとぼくの「好き」はそれらに捕らわれてしまうことになる、だからもうわたしには新しい何かに向ける「好き」
がない。


ぼくの「好き」は、有限だ、
そしてそれは尽きかけている(もしくは尽きている)。

20120206-1




ぼく と わたし で表記が揺れるのはどんな意味があるのかなぁって自分の文章を読み返しながら考えている。統一しましょうよとは思うけどもどうしても揺れるし直すとなんかいずいかんじがする。

曲名がなんだかわからなくなっちゃった。

2012年2月5日日曜日

20120205

本当はみんな見透かされていて、「あいつ他人のこと見下してるよな感じ悪い、内面のそういうのが表面ににじみ出てるって気付いてないからああやって精一杯普通にふるまってるんだけどぜんぜんふるまえてねぇっつーのばかみてぇ、でも俺ら大人だからなー、表面上の付き合いだけは適当にしとかないとなダルいなー」って思われてるんじゃないかってさっき思いついて今すごくふわあああってなってる。ミステリばっかり読むと通りすがりに刺されるんじゃないかとか帰り道で変質者に殺されるんじゃないかとか歩道にピアノ線が首の位置に張ってあってそれでザシュってなるんじゃないかとか思っちゃうけど、暗いお話を読んでも同じことがおこるらしい。恋愛小説を読んでも「もしかしたらわたしにもこんな出会いが」って思わないのに、ずるい。
新井素子の文体実はあんまり好きじゃないんだけど、あの書き方だから余計こわい。用意周到にゆっくり絶望させられていく感じがすごくこわい。おまけに忘れっぽいわたしは結末がどんなんだったかまったく覚えていなくて、だから余計こわい。
こんなふうにこわくなるんだったら連続殺人犯の影におびえているほうがよっぽどましだな、どちらもいやだけど。

早急にミステリ・ホラー以外の本を読まないとだめだ。ミステリでもホラーでもなくて暗くならない本ないかなって本棚見回したらやっぱりかっこいい自転車が目に付くし、もうやだ。

20120204-2

写真を撮られるのが昔から嫌い、醜いものを残すのが嫌いだから。だから巷に可愛いアルバムやフォトフレームが売っているのを見るとぎょっとする。すごく嫌いなのだけど、嫌いなのってどうやら少数派らしく、みんなで写真とろーってなったときに「ぼく写真嫌いだから」っていうのが憚られるし「またまたー」って言われて終わっちゃうのどうしたらよいかなって結構考えてる。もし集合写真とることになったらどうしようイヤだなよし出かけるのやめよう、っていう思考回路になりつつあるのでどうしたものか。

エリーちゃんが、かわいいって言われても云々って言ってたこと思い出した。
でも理屈じゃなくそう思っちゃうよね、わかるわかる。

****************************************

ぼく あんまり人になにか言わなくなった。なんにもしていないからだ。だれかが喜びそうな悩みもないし、変わったお仕事をしているわけでもないし、華々しい話題も何もない、だから人に話せることがなくなった。つまらない人間だなーと心底思うけどいやなわけではなくて、「いやなわけではない」のがまずいんじゃないかなーとは思ってる。誰かに嫌われたり、悪口を言われたりするのがあんまり気にならなくなった、すきな人に嫌いって言われたらショックだけど、どうでもいいひとにどういわれていても別にいいやって思う、こう思えるようになったから自分が元気になったんだと思うし、どこの誰が言ったかわからないことにガリガリ精神削られるくらいだったらこっちのがいいかなと思う。

****************************************

でもこないだ揺るのメンバーにあったら、みんな別に「聞いてよ~!」って悩みなく、まいにちたのしくすごしているみたいなかんじがして笑った。もちろんまいにちあるよ、いやなこと、電車で乗り合わせた人の香水がキツいとか、今日ものすごく寒いとか、そういうのじゃなくてこう、下世話な感じの「チョット聞いてよ~」がなくってほんわかしたのだ。
こないだはおしおちゃんがお仕事であえなくて、まいもんとたまりちゃんと3人で集まったのだけど二人とももう世界の宝にしたいほど、かわいい。たまりちゃんと最初にお茶したときの衝撃は覚えている、「なんてかわいいひとなの!」って思っておかあさんに電話で報告した。まいもんもすごくかわいくて、わたしのパソコンには「まいもんフォルダ」がある。こういう人たちとお友達でいられる自分はものすごく幸せだなーって思う。一挙手一投足、発する言葉のひとつひとつがかわいくて、もうどうしよう!ってなっていた。なんなんだろうあの人たち、かわいいにもほどがある。ほんとうに、生きとし生きるものの中で最上級に可愛い。

****************************************


まいた種から目が出て大きくなって人食い花が咲いて、町の人がみんな死んでしまいました、

・まさか目が出て人食い花が咲くとは思わなかった(まいた人談)
・だってしょうがないじゃんまかれちゃったもんは(種談)

こう書くと前者が圧倒的に悪い感じしますね、でも別に種まいてるって意識じゃなくて、トリが空をとんでてフンしたらそのなかに種がまざっちゃってたわみたいな、別に種まこうとしてここでフンしたわけじゃないんだけどみたいな、そんな場合でもトリが悪者になるでしょうか。人食い花の種じゃなくて、見た人みんなを和ませるような美しいバラだったらトリは悪者にならなかったでしょうか、つまり誰も悪くないんじゃないかなってことをなんとか屁理屈こいて言いたいだけです。


おんなのこはこわいしおとこのこは気持ち悪い、たいていがそうで、だからわたしは「かわいい女の子」が大好きである。おとこのこに対しては気持ち悪いと好きどちらかに分かれる、それはどうしてなんだろうなーってよく考えるけど、どこか家族みたいな感じがするなって思ったら好きになるんだとおもう。お父さんとおんなじ名前とか、弟と同い年とか、そういうのじゃなくても、なんとなーく、家族の「お父さん」か「弟」に当てあまるような人は好き、そうじゃないと気持ち悪くなる。


ぼくにはすきな人が何人かいる、君がそうであるように。

なんでその子たちのことがすきなんだろうなーって考えて、理由を言語化できる人ももちろんたくさんいるんだけど、圧倒的な才能とか、もう魅了されない人はいないだろうって人とか、でもうまくいえなくても好きな人がたくさんいる。でもぼくはべつに、好きな人ともっと会って一緒に時間を過ごしたいなとか思わないから好きだなーってぼぉっと考えるだけだ。だからすぐに恋愛云々におはなしをもっていくひとがあんまり好きじゃない、べつにー、そうじゃなくってェー、ぼくと彼女はぁー、二人ともォー、趣味が合うってだけでェー、別に恋愛じゃなくても人として「好き」ってあるんですケドォ、みたいな。それをちゃんとわかってくれる女子もしくは男子はすばらしいと思う。ぼくは好きな女の子がそんなこといいだしたら多分傷つくけども。


好きな人に好きっていえないの直そうと思うからすきな人について考えてみよう、

ぼくがきみのことをすきなのは君がぼくの親と名前が一緒だからってのももちろんあるけど、きみのつくるすべてのものがぼくのツボだからだ。きみの紡ぐ言葉は暴力的なまでにぼくの心をかき乱す、君のうたうメロディは完璧で、音楽じゃ無くったって仕事ができるし考え方も効率的でスマートだ。だけどやっぱり完璧じゃないところも(失礼だけども、もちろん)あって、そういうところを客観的に観ているとああなんてかわいいのだろうこの人はって思う。きみの勧めてくれる小説漫画アニメは全部見事にぼくのツボをついているから、どうしても来期アニメのオススメを君に聞いてしまうクセはぬけないと思う。きみのつくる音楽はだいすき、だいすきだけど、別に音楽やってなくても人としてすきだなぁと思うのですごいなぁと思う。人としてめんこいなぁと思うし、勝手ながらもしぼくが誰かに刺されて死んだらねこをおねがいできないかなってちょっと思ってる。

あとすぐにおもいうかぶのはあのこだな、文房具とゲームが好きな可愛い子。彼女とは多分、2回しか会ったことがないのに無性に好きで困る。言葉選びや所作がすべてかわいらしい。丁寧に言葉を吐くところや好きなものを丁寧に愛でるかんじがとてもいとおしい。じつはそんな彼女とオソロイのコルセットをぼくは持っているんですよきもちわるいでしょう、フフフ。


ツイッターでぼく以外はみんなJKだって思っているって言うのはわりとマジで、そう考えると、ぼくが「最近すきになったひと」はみんなJKで、もしそれが本当だったらぼく、長生きして、その子たちがどんな大人になるか見届けたいなぁっておもう。さすがに47歳メタボ男子の姿を彼女たちにさらすのはためらわれるので直接は会わないにしても、これからどんなことを思ってどう変わっていくんだろうなってすごくたのしみ。



好きな人について考えるといつまででも尽きないから、ぼくはけっこう幸せなんじゃないかなってことに気付いた。好き嫌いが激しいの、じつは昔からじゃなくて、ここ最近なんですよ。すごいでしょう。

2012年2月4日土曜日

20120204

お休みの日の僕の部屋の扉はとても重くてひとりではあかない。

人はどうして朝おきてしゃっきりして外出したりするのか、ふわふわの布団のなかでいつまでもぬくぬくしたいと思わないのか、「おきたよー朝だねいい天気!お出かけしようかなぁ☆」ってどうして思うのか、自分のおうちのなかには自分のすきなものしかないしあったかい布団もねこもいるから外に出たいと思わない、このおうちを維持するためやあたたかいお布団を買ったりコーラを買ったりするために仕事には行かなきゃ行けないけど、そうじゃないならずっとおうちにこもっていたい。電気もとおっているからゲームもできるしね。
(でもこれは冬限定かもしれない)

いろいろあれだなって思うけどどうしても週に1日は丸一日寝ている日をつくらないと死ぬ。これどうしてだろうなって思うけど平日でかなりHPが削られているんだろうなーって思う、回復は、こう、ベホマ!みたいなものではなくて、BASARAの、死んじゃった相方のサークル内に入ってあげるとじわじわと体力ゲージが戻っていく、みたいな感じで行われる、僕にとって丸一日寝ないと体力ゲージが危険域を超えないんです。


「ピチピチ寒ブリ抱きキッス」を見ている。これがどうぶつだったら非難すごいんだろうな、ブリだから許されるのだろうか、でも水の中から乱暴にむりやり持ち上げられてほおり投げられてダメージうけるだろうな、それを見て人間はみんなわらうのだろうか、って考えて金魚王国の崩壊を思い出した。何も食べられなくなっちゃうと怖いから思考停止することにして、録画番組を消してピーチティ飲んでいる。ピーチティ、WHITE&YELLOW PEACH、カフェイン90%OFFとかいてある。このピーチティはコップにいれて飲むととてもおいしい。

2012年2月2日木曜日

20070511

◆「あたしもはじめて」って合わせてあげたら頭にチョコンとのせただけで「できたよ!」とか言いやがったので心底呆れた。いやお前根元まで被せろよどう考えても外れるだろうそれ。馬鹿か。「こうじゃないかなァ?」とか言いながら優しくくるくる包んであげたけどもう冷めたね、冷め切った。本当にあたしもはじめてで右も左も解らなかったらこのまましたかもしれなくて…って考えるとゾッとする。孕んじゃう!馬鹿な人間がもう一人誕生してしまう!! ギャア悲劇!!!彼に片思いをしていたあたしの『お友達』には彼がとてつもなく格好悪かったことを黙っておいた、彼女はお喋りだし、女子って怖いから。次の日教室で顔を合わせても普通にした、普通じゃない彼の視線を無視して普通にした。普通にしたけど、君らの好きな『サッカー部の格好良い男の子』はとてつ もなく間抜けなんだよと心の中で見下してしまうのは仕方ないと思った。童貞の人はセックスする予定がなくてもコンドームのつけ方を練習した方がいいよ、あたしみたいな心の狭い女もいるから。◆東京都:T子さん(17)◆

**********************************************************************************

昔の文章をさらってあげるのはセーフかな、アウトかなぁってずっと考えている。なんだか怠惰でアウトな気もするけど、ちらばりすぎているからよいかなって思ったりもして、いや結局自分のことだし適当でいいかなって思って結果さらっちゃったパターン。


20代前半の貯金を後半で使い切ったらどうなるんだろう。死ぬのかな。死ねばいいんだけど。

20120202

仕事する理由ぼくはおかねじゃなくてひまつぶしだなってことあるごとに思うけどそれはきっと恵まれているからなんだろうな。でも納得できる対価をもらうのは大前提だからな。君のこと認めているよを数値化したものがお給料、つまり人に評価されると食べていける。

ってことを電車の中で考えていた。しなきゃいけない仕事があることでぼくは精神的にすごく助けられている、なにかを作り出すタイプの人間じゃないから、丸一日時間が空いてしまうとなんにもできなくておろおろしてしまう。お仕事しないとごはんが買えないしおうちにもすめないからするんだけど、でもそれよりも(それがもう大前提としてあるからだと思うんだけど)やっぱりひまつぶしのほうがぼくにとっては大きい。
(もちろんおかねをもらわないと暮らしていけないわけなのだけど、結構なんとかなる。と、いまのところ思ってる。のも、恵まれているからだろうか。)


でもやっぱり、なにかを作り出すタイプじゃないのはアレだなっていつも思う。だれかに使ってもらえないとぼくの存在価値はなくって、誰かのやりたいことにのっからないとなにもできないから、すげーデキる、尊敬できる人にこき使われたいなって思いながらずっと過ごしてる。受身にもほどがある。だから、やりたいことがあって、きわめている人はすごいなーって単純に思う。いろんなことに満遍なく興味が持てて、いろんなことをそれなりにこなせちゃう人はいつか痛い目見る。その「いつか」がきませんようにー、って祈りながら毎日過ごしてる。

ふとおもったけど、いいわけじゃなくて、専門職についていないからなのかなって少しおもった。必要に迫られていろんなことを浅く広くやらなきゃいけない環境にいるとこうなるのかもしれないな、


わたしはなんかい「思った」って書いたでしょう。小学生の作文みたいで稚拙でよいですね。


仕事について色々考えてて、昔の自分の日記を見てたら、2007/03/31に、

***
本当はお休みの日って嫌い、毎日仕事をしていたい。
***

ってかいてあった。なんかずっとあんまりかわってないのだな。

2012年2月1日水曜日

20120201

・作りおきできて
・いたまなくて(一週間くらい)
・野菜がたくさん入れられて
・一品ですんで
・お弁当にも持っていける

料理をずっと探している。トマトスープ、シチューときていまはカレー。まいにちカレー。たまにルーをまちがうと、さめたときにギトギトになって気持ち悪くなるから注意。

・おにくは結局ひき肉(あいびき)がいちばんよい
・キャベツ
・レタス
・ほうれんそう
・ジャガイモ
・たまねぎ
・こんにゃく(おいしい!)
・しめじ
・エリンギ

にんじんはあんまりすきじゃない。おしゃれかなとおもってアボカドをいれたらオエーだったからもういれない。えのきはおいしいけどでろーんとなるのであんまりお弁当にはむいていない。カレーなら、トマトとかいれてもおいしいのかなって思うけど痛むのが早くなりそうだからいれてない。キャベツはまるまるチンしてから切っていれると、すごくいろいろはかどる。こんにゃくいれるととてもおいしい、スプーンですくってこんにゃくがでてくると、あたりの気分になる。ジャガイモをスーパーで買うのには抵抗があったのだけど、入れるとやっぱりおいしいから買っちゃう。

(にんじんのはなし、
うちの実家でにんじんを、自分の家で食べる分だけ作っているのだけど、ものすごくまずい。にんじんの苦味を凝縮したあじがする。そのせいでわたしはにんじんがきらい。こないだおかあさんにそれをいったら笑われたけど、「最近は味がうすくなったよー」って言ってた。それで食べてみたけど、やっぱり苦かった。)

ねこが毎日おなじえさをたべているので、わたしもおなじごはんでもいいはずなのになーって思いながら毎日おんなじもの食べてる。だのに飽きるのはなんでだろう。わたしは飽きっぽくはない、はずだけど、さすがに一ヶ月続くと飽きる。料理はだれかのためにつくるものなので、栄養を摂取するためだけのたべものであれば、キャットフード的なものでよいと思うのだけど。でもいいかげん、トマトスープもシチューもカレーもあきた。こまった。飽きて、困っている状態がもう1ヶ月くらい続いている、こまった。
野菜炒めはあんまり、なんていうか、風情がないからしない。

料理はだれかのためにつくるものって言ったけどわたし和食っぽい料理しかできない。一人暮らしをはじめたばっかりのときの浮かれてた時期にしか洋食作ってない気がする。ハンバーグとか。カルボナーラとか。それもやっぱり誰かのためにつくってたので、ひとりでごはんをすませるときは、100均のそうめんばかりたべていた。そうめん、おいしい。

料理はだれかのためにつくるものって言ったけどわたし本当は料理ぜんぜんできないです。 本気出したら料理作れる風を装っただけでした。それにしてももうカレーにあきたから、トマトスープっぽい、シチューっぽい、カレーっぽい(どれも汁物なんだけど、煮詰めると固形化して、でもそれでもおいしいっていう)料理があったらおしえてください。

20120131-2

「ねぇどうしてわたしやさしい人たちに囲まれていると息苦しいんだろう?」ってのをもっとあけすけな言葉でひきこもり仲間に相談したら、笑われた。笑われたのでゲームの話をすることにした。1人で一生懸命ゲームの称号を取っても誰にもほめてもらえないの、と言ったらまた笑われたので、「ほめてよ」って言ってほめてもらった。(ひきこもり仲間はあいかわらず、ちゃんと「ひきこもり」っていうのにふさわしいほど引きこもっている。ファッションひきこもりに、本当のひきこもりとはどういうものかをといてあげたい。けども最近は脱・ひきこもりに向けて動いている。えらい)

大切に丁寧に、毎日を”ただしく”過ごしているんだなって思える人といるとどうしてか、もやもやする。 これは多分わたしの”好み”。

僕には好き嫌いが多すぎる、し、すきな人にすきって言えないのもとても、よくない。好きって言ったら気持ち悪いって思われそうだから、好きっていえないし、もうぼくが好きになるほどの素敵な人にとって僕という存在は害悪なんじゃないかなって思ったりするからできるだけ眼にはいらないように存在を消す、つまり相手の存在も無視をする、よくない。多分よくない。どうしてこのたび「多分よくない」という結論に達したのかというと、ぼくが、「すき」って言われたらうれしいからである。異性としてのすきは気持ち悪いけど、そうじゃない「すき」はとてもうれしい、だったら他の人もひょっとしてそうなんじゃないかなって思ったので、すきって言う勇気はわかないまでも、すきな人の前で石ころぼうしをかぶるような真似はもうしないでおこうかな、って思った。どうしても好きになれないものやことがたくさんあるけど、そのぶん、どうしてか好きになってしまうものやこともたくさんあって、1日が24時間しかなくて、ぼくの脳みそがひとつしかないなら、どうしてか好きになってしまうものやことについて考えて暮らしたほうがいいなとも思った。


文章とか絵とか、人目に触れないから誰も反応してくれないんだってもう思わなくなった。自分でも好きな文章が書けたらあの子がひろってくれるし、ひろってくれたら人目に触れるし、その上で誰にも気付かれないなら純粋に魅力があれなんだろうなって思う。それはとても健康的な思考で、そこばっかり意識してしまうと多分違うんだけど、でもひとつの指針としてはとてもよいのではないかな、と今のところは思っている。本当のことを言うと、誰に見られたいわけでもない、自己満足だけのものなのだけど、やっぱり誰かに好きって言ってもらえるとうれしいなーって思う。


今思ったけどあれかもしれないな、すきって言ってしまうと自分の片思いが露呈するからこわいのかもしれない。やっぱりなんかきもちわるいな。


あとやっぱりあれだな、すきということは匂わせられても、どうしても「あなたのことが」とは言えないな。エアリプライみたいになる。なんとなく空気でわかってくれるでしょ?って感じになっちゃう。コレは多分単純に照れくさいからだな。


すごくねむたいのでまとまらないな。結局ふんわりした文章になってしまった。おなかがすいてきちゃったけど、がまんする。