2012年2月1日水曜日

20120131-2

「ねぇどうしてわたしやさしい人たちに囲まれていると息苦しいんだろう?」ってのをもっとあけすけな言葉でひきこもり仲間に相談したら、笑われた。笑われたのでゲームの話をすることにした。1人で一生懸命ゲームの称号を取っても誰にもほめてもらえないの、と言ったらまた笑われたので、「ほめてよ」って言ってほめてもらった。(ひきこもり仲間はあいかわらず、ちゃんと「ひきこもり」っていうのにふさわしいほど引きこもっている。ファッションひきこもりに、本当のひきこもりとはどういうものかをといてあげたい。けども最近は脱・ひきこもりに向けて動いている。えらい)

大切に丁寧に、毎日を”ただしく”過ごしているんだなって思える人といるとどうしてか、もやもやする。 これは多分わたしの”好み”。

僕には好き嫌いが多すぎる、し、すきな人にすきって言えないのもとても、よくない。好きって言ったら気持ち悪いって思われそうだから、好きっていえないし、もうぼくが好きになるほどの素敵な人にとって僕という存在は害悪なんじゃないかなって思ったりするからできるだけ眼にはいらないように存在を消す、つまり相手の存在も無視をする、よくない。多分よくない。どうしてこのたび「多分よくない」という結論に達したのかというと、ぼくが、「すき」って言われたらうれしいからである。異性としてのすきは気持ち悪いけど、そうじゃない「すき」はとてもうれしい、だったら他の人もひょっとしてそうなんじゃないかなって思ったので、すきって言う勇気はわかないまでも、すきな人の前で石ころぼうしをかぶるような真似はもうしないでおこうかな、って思った。どうしても好きになれないものやことがたくさんあるけど、そのぶん、どうしてか好きになってしまうものやこともたくさんあって、1日が24時間しかなくて、ぼくの脳みそがひとつしかないなら、どうしてか好きになってしまうものやことについて考えて暮らしたほうがいいなとも思った。


文章とか絵とか、人目に触れないから誰も反応してくれないんだってもう思わなくなった。自分でも好きな文章が書けたらあの子がひろってくれるし、ひろってくれたら人目に触れるし、その上で誰にも気付かれないなら純粋に魅力があれなんだろうなって思う。それはとても健康的な思考で、そこばっかり意識してしまうと多分違うんだけど、でもひとつの指針としてはとてもよいのではないかな、と今のところは思っている。本当のことを言うと、誰に見られたいわけでもない、自己満足だけのものなのだけど、やっぱり誰かに好きって言ってもらえるとうれしいなーって思う。


今思ったけどあれかもしれないな、すきって言ってしまうと自分の片思いが露呈するからこわいのかもしれない。やっぱりなんかきもちわるいな。


あとやっぱりあれだな、すきということは匂わせられても、どうしても「あなたのことが」とは言えないな。エアリプライみたいになる。なんとなく空気でわかってくれるでしょ?って感じになっちゃう。コレは多分単純に照れくさいからだな。


すごくねむたいのでまとまらないな。結局ふんわりした文章になってしまった。おなかがすいてきちゃったけど、がまんする。

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