2012年2月14日火曜日

20120214-02

愛の再分配が可能であれば世の中はもっと幸せになるのにな、と思います。どんなに思っても振り向いてくれないあの子、あの子を好きな僕のことを好きって言ってくれるあの子、僕のことを好きって言ってくれる子を好きだというあの子。いいじゃんアンタ振り向いてあげなよ~って人に対しては思うけど自分は決して折れたくないし折れられない、そもそも折れるものでもない、むつかしいものですね。


落としたハンカチを拾ってくれた人に「てめぇ汚い手で僕のハンカチ触るんじゃねぇよ汚れるだろクズが死ね!」って言いたくなる衝動に駆られてぐっと抑える。きっと拾ってくれたのが可愛い女の子だったら「まぁなんて優しい子なの、ありがとうそしてありがとう!どうだいお茶でも」って反応をするのだろうな僕は。でもたいてい可愛い女の子はおしゃれに夢中で地面なんて見て歩いてなくって、僕の落としたハンカチにも気付かずに去っていってしまうんです、残念だな。



こういうことばっかり考えていると、僕ってなんて性格が悪いのだろうと思うんだけど、言わないだけできっとみんなもっと性格が悪いはずだ、と思うようにしている、というか、いま、そう思うようにした。



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使い捨てコンタクトの箱を見て、「滅菌済み」って表記なんか正直なかんじがしていいな、って思っている、いま。

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もしかしたら性格わるいっぽいのをちょっと隠したほうがいいのかもって思った、いま。

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おふろはいろう、















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おふろあがった。




朝霧が印象的過ぎて、茜のことを途中まで朝霧だとおもっていた。青い鼻緒がうつくしくて、あぁ、という気分になった。たとえば竜二郎さんは、どういう気持ちで揚がってくるのだろう。ここが舞台のお話はどれも華やかで美しいけれど、どうしても悲しいなと思い知らされる。ひとがひとを好きになるには何が必要なのだろう、ただ髪を結われていても好きになるものか、足抜けしたくなるほど好きになるものか。喋れなくても聞こえなくても好きになるものか。
好きでもない人に気を使うのはお金が発生するお仕事だからだ、そうじゃないならべつに、かかわらないでいいなら別に、好きじゃないひととわざわざ関わって、気を使うのは馬鹿らしい。八津のいた村を想像するのはむつかしくて、水連はちゃんと逃げ切れたのかな、って思う。例えば好きなひとと一緒にいられないって理由が、環境のせいなのと、自分のせいなのと、誰のせいでもないの、どれが一番つらいだろう。
土屋アンナがあまりすきじゃないのと、どう見ても日本人顔じゃないだろうっていうのでさくらんをみていなかったのだけどやっぱり見てみたいなーと思ってググって、プロモの演技シーンでさめた。肉蒲団がかなりおもしろかったから好色一代男もおもしろいんじゃなかろうかと思っている。

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