2012年12月30日日曜日

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電車の先頭車両は女性専用車両で、そこそこ混んでいた。落ちていたヘアピンがコロコロ転がって足に当たって止まる。わたしはそれを拾い上げ、眺める。黒い小さなお花のようなかざりがついた、パッチンととめるタイプのヘアピンは、子供っぽいけどかわいらしくて、いったい誰がこれを落としたのだろう、ゴミとして捨ててしまうにはまだきれいだからきちんと駅員さんに届けてみようかな、と考える。「ねえあなたそれわたしのものなのだけど」と、足元から声がしてびくっとすると、小さな女の子が咎めるように見上げていた。母親らしき中年の女性も「まさか盗むつもりだったのかしら」という表情でわたしを睨み付けていて、「いや、わたしこれを、駅員さんに届けるつもりだったんですけど」と、弁解したくなったけどそれが逆に怪しい気がしてムッとしたまま黙り込んだ。ひったくるようにヘアピンを奪い「いやあね」と言いながら背を向けた親子に対して「あんたらさ、」と声がかかる。「あんたらさ、この子はそれを拾ってあげて、拾得物として届けようとしてくれてたんだよ。それなのにその態度、恥ずかしくないわけ?」見知らぬショートカットの女性にそう言われ、親子は揃って顔を赤くするも「なにあれ行きましょう」と、ますますムッとして遠ざかる。「いいのいいの、あんなの気にしないで」と、わたしに笑いかけるそのひとはなんだかどこかで見たことのあるような、そうしてあんまりかかわりたくないような人で、思わず「このひととは、知り合いになりたくない」と思ってしまった自分のことを、なんだか卑怯に感じる。

船は函館から青森までゆっくり進む。びっくりするほど小さな船には観光客はわたしたちくらいで、あとは地元のおじさんが、談笑しながら乗っている。そもそも連絡船でもなんでもないこの船に、頼み込んで乗せてもらったのはわたしたちで、だからわたしはこっそりと、「港に着くまで彼女がなにもしませんように」と、漠然とそんなことを考える。
「ねえわたしもう死のうとおもう」と、彼女が言い出したのはちょうど港と港の中間地点で、わたしは「あ、やっぱり」ってがっかりする。海は赤潮で汚れていて、飛び込んだらそれに絡まれそうだ。「あんたさいつもそう言って結局死ねないじゃん、だからそんなばかなこと言うのやめなよ本気で怒るよ、船の人たちに迷惑かけるのやめなよ、絶対死ねないんだから無駄なことするんじゃないよ」って、わたしはすでに本気で怒っている。
柱に手をかけ背を仰け反らせ、今にも海に落ちてしまいそうな彼女をおじさまたちは力ずくで止めようとするけどわたしは一歩も動かない。落ちるなら落ちろ、どうせあんたは死なない。それよりどうしてあんたは、わたしが頼み込んで乗せてもらったこの船で、こうやって迷惑をかけるのだ。いらいらする、わたし一人だったら何事もなく港に着いたのに、いらいらする。いつもわたしの邪魔ばかりするし死ぬ死ぬ言って死なないし、それにわたしは慣れたからいいけどこうやって毎回周りの人をかき回して結局死ななくて、そのあとヘコヘコ謝るのはわたしだ。まだいっそのこと死んでくれたらいいのに、ぜんぜんぴんぴんしているから腹が立つ。口に出さずにイライラしていたら、とうとう彼女が飛び込んだ。人間はそういう風にできているから、いくら服を着ていても彼女はすぐに浮かび上がる。ぷかあ。赤潮で汚れた海に、真っ白の洋服がふわあと広がる。慌ててもう一度沈もうとして、すぐに浮かび上がってまた沈む、ばかみたい。幸いなことに船は速度を落とすことなく港目指して一直線で、必死で溺死しようともがいている彼女からどんどんどんどん離れていくから、早く港に着きますように、でもそうしたらまたわたし、警察に事情聴取されて、港の消防隊に謝って、ぜんぜん仲良くもなんともない彼女のために、また気苦労するのかと思って憂鬱になる。
いっそのことあのまんま、赤潮に絡められて死ねばいいのに。

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キチガイに刃物というが、キチガイは刃物を持って現れる。ああ刺されるならどこがいいかな、変に生き残って障害が残るような箇所に刃物突き立てられたくないな。なんとなくおなかを刺されてもがんばったら障害もなく生き残れるような感じがする、おなかを刺された経験はないけど、生理痛のひどいものだとどこか思っていて、だからわたしはおなかを刺されても、なんとか耐えられそうな気がしてる。ぼおっとそんなこと考えてたら刃物をくるんでいたタオルがばさっと外れ、キチガイの刃物が露になった。それは刃渡り30センチくらいの大きなナイフで、キチガイらしからぬ繊細さでぴかぴかに砥がれ磨き上げられていて、しかもなぜかキチガイは、わたしの右手に狙いをつけた。腕じゃなくて、手。わたしの右手をぎゅっと握って親指以外の4本をすぱっと切断しにかかる。おそらくこのままぐっと力を入れたらわたしの人差し指中指薬指小指なんて多分あっというまにぽおんと飛んでしまいそうで、でももしそうなったら、命に別状がないのに指がない生活で、キーボードも打てないしお鍋ももてない字もかけないしお化粧もできない、そんなの絶対理不尽だと思ったから、ナイフを逆刃にしてわたしの指の変わりに、キチガイの指を落としてやった。「あのさあ、なんでなにもしてないわたしが、あんたなんかに指を切断されなきゃいけないわけ?」呟いたけど多分、彼の耳には届いてない。当たり前のことだけどやっぱりわたし、他人に理不尽に傷つけられるの、やっぱりどうしても許せない。



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さくらちゃんは死んでるし、だからわたしだって死んでるし、いや死んでるんじゃなくていま墓石の下で頑張ってる感じなんだけどぜんぜん頑張れない。頑張れないって言うか頑張る素地がない。くじけそうになる。くじけそうになるけどなんだかそれもひどく理不尽だから、もうちょっと危機感持って頑張って、って思ってる。
いますごくおなかがすいているけど、おなかがすいていても、おうちにぜんざいがあるって事実でいろんなものが許されている。ぜんざい賞味期限まだまだだから、多分わたしこのぜんざいのこと、おまもりみたいにギリギリまで、食べないでとっておくんだと思う。

2012年12月27日木曜日

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あげあしとって回りたい、片っ端から回りたい。言葉尻とってつつきたい、きみの全助詞にイチャモンつけたい。事実がたとえそうだとしても、そしてそこに本質がなくても、言ってはいけないことは確実にあって、たとえ君がそれを口にしなくても、それがぼくに漏れ出ているなら、口に出してると同じことだ。


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最近なにもものを見てない、アニメも小説もマンガも読んでない。読んでいるんだけどそうじゃなくてなんか違って、いやそうなんだけど絶望的に違ってて、だからわたしは圧倒的に、きちんとひとりにならなきゃいけない。吐くまで食べた挙句の吐瀉物をこねくり回していじったりできなくなると、わたし多分ゾンビになるのだとおもう。そしてすでにそうなっている気配がして、たしかに今までの、ゾンビらしいゾンビではないのだけれど、ポジティブゾンビって怖くない? 上手く言語化できないししたくもないけど、まあ、そういう感じです。


友達について考えて、わたしは人に堂々と、「友達です」って言える人がいなくて、なぜかというと友達というのは、相互の意思がないと名乗ってはいけないものだとおもっているから。わたしが一方的に好きで、友達だと思いたい人は沢山いて、でもその人たちを「友達」と、称した時点で怒られそうだ。でもこういうしちめんどくさいこと、現実世界じゃ通用しないから、単純に知人の呼称として、わたしは「友達」を使用する。
めんどくさい定義を置いておくと、わたしの「友達」はみんなやさしくて、わたしがしたいことやしてほしいこと、かけてほしいことばやしてほしい反応、そういうものを全部くれる。例えばわたしの名前や存在を、知っていて覚えてくれるだけで嬉しいし、声をかけてくれただけで泣きそうになる、それは本当に大袈裟じゃなくて、みんなどこで計ってたのってくらい、すごいタイミングでそれをくれるから、わたしはわたしの「友達」にすごく感謝をしているし、せかいにありがとうと思ってる。それと同時に、わたしはわたしが思うほど、そんなにクズじゃあないよって思いたい。わたしがどんなことでうれしいかというと、たとえば年賀状あげるって言ってくれたり、こんどXX一緒に行こうって言ってくれたり、単純に話しかけてくれたり、そういうことですごくうれしい。
でもこういうのってすごく、一般的に見たらささいなことだとわかっているし、だからあまりにもそこの部分に大袈裟に感謝をすると重たいかなって思うから、わたしあんまり言うべきじゃないと思うけど、まいにちまいにちうれしいし、わたしがいま奇跡的に、自分の精神コントロールできているのはそういう人たちのおかげだから、わたしいつか、ちゃんと恩返ししたい。

人に甘えるのがすごく苦手で、ましてやすきなひとには、わたし絶対あまえたくないんだけど、なにもいわないのに無意識に、わたしのこと甘えさせてくれるそういうひとたちに、わたしすごく感謝をしている、ありがとう。多分これを読んでくれているきみのことは、わたしはそういう感じに思っているよ、ありがとう。


最近何もアニメ見てないからまたただの日記になった。つまらない。
すごく遠くへ行きたいなと思うけど、多分ただなぞりたいだけだと思うから、それは正しいことなのか判断がつかなくて、でもそういうものなくしてしまったら多分本当に死んでしまう。遠くへ行きたいとか、携帯を投げ捨てたいとか、衝動的に全部やめたくなるくせは多分一生変わらないし、わたしだけのものじゃない。

まともなひとになりたいけれど、完全に死んでまっとうにうまれかわるのは、やっぱり、すこし、いやだ。





2012年12月15日土曜日

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壊れやすいものが壊れやすいことを壊さないように確認する、柔らかいそれは熱量を持って僕の掌を押し返す。確かに受け入れられているはずなのにひっそりした弾力が輪郭をなぞって、ああ、別の個体だと思い知ってひどく悲しくなった。君が儚くて弱くて脆い生き物であることを、確認せずにはいられない。君の生死は僕のものなのに君と僕とは違う個体で、その事実ものすごく腹が立つ。ご飯を食べて酸素を吸って二酸化炭素を吐く君の、生物としての生命活動に僕は全く必要なくて、僕がいなくても生きてゆけるが嘘だとしても僕がいさえすれば生きてゆけるも嘘だろ、なんだそれ、すごく腹が立つ。


君なんて、いっそのこと、
僕で栄養補給して僕で呼吸をし僕で生命活動を維持して僕で社会活動を営み僕で精神と性欲を満たして僕だけを糧にして生きればいいのに、


詮無いことだ。









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野嵜貴子さんの個展(http://nozaki.main.jp/ugomeku/)に行ってきた。のざきさんの作品を初めて見たのはコミティアで買った小火で、(その感想を書こうとしたけどご存じの通りわたし感想文が苦手だから「ふわあとなった」としか書けないことに今気付いた)それから何作か読ませてもらってすごく好きで、個展があるって知って絶対行きたいと思って最終日にやっと行けた。のざきさんの絵を見てると世界は全然狭量じゃないし何でこんな色が出てくるのかなってすごく不思議な気持ちになる。物事には世界との境界線があってそれが輪郭と呼ばれるものだと思うのだけど、それはくっきりしたりぼんやりしたりして、そういうものや、多分世界はわたしの頭の中よりもずっとカラフルで繊細で美しくて、そういうことや、でも全部とてもめんこいし愛おしいしで、そういうなにか愛おしい生き物の生命活動を飽きもせず眺めていられるような、そういう不思議な気持ちになる。好きな人の漫画や絵を見るときいつもそうだけど、なんでこの人はこんなものを描けるのかな、一体全体どこをどうしたらこんなものが生まれるのかなって、すごく愛おしくなってしまう。かたちやいろや輪郭ぜんぶ、何時間でも眺めていたくなるからすごい。




絵を見てると自然と顔がにやけてしまうのでマフラーで顔隠しながら展示見た。漫画読んで泣きそうになったので急いで帰ってきてしまった。次もものすごくたのしみにしています、見に行けてすごくよかった。




こういう感想うまく言えたらもっといいのになっていつも思う。技術的なことや知識があったらもっとうまいこと言えるのかなと思うけど、「すごいすき!」しかいつも言えなくてすごく困る。でも拙くても「すごいすき!」はわたしは言われたら嬉しいから言ったほうがいいなと思ったし言いたいし、わたしに好きと言われるの(例え作品が、であっても)気持ち悪いかなとどうしても思うけど、すきなもの作る人が同じ時代に生きてること自体奇跡だし感想を伝えられるってのも奇跡だから、やっぱりどんどん言おう。

2012年12月14日金曜日

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今朝気付いたけどわたしのこのこれ、無償じゃなくて有償だ。費用対効果に燃費に見返り、そういうものがついてまわるやつ。ほんとに好きなら愛するべきだし、愛というのは無償のもので、だから自己犠牲我慢忍耐精神的自傷行為そういうものは屁でもなかったし、むしろそういうもので計測されるのが愛情の深さである。自分の気持ちを自覚したり相手への要求を抱いたり、触られて痛みを感じたりいやなことされて悲しいと感じたり、そういうこと自体が裏切りだし誠実じゃないと思ってた。全感覚を相手に重ねて、自分の痛みやそういうものを全部シャットダウンする。わたしには子供はいないけど、多分子供に対して注ぐようなそれを、無償で注げるのが愛情だと思ってて、「好き」というのはそういうことで、だから「きみのそれは愛じゃないよ」っての、ずいぶんいろんな人に思った。わたし好かれてはいるけど愛されてはいないなと思ってたし、わたしが人を好きになるときはもう愛にしかならないと思ってたから、自分のそれと比べて随分自分勝手で汚いなと思ったし、「君のこと愛してるよ」って言う人に対しては、僅かに抱いていた好意が殺意に変わったりすらした。


わたしが死んで相手がしあわせになるなら死にたいし、自分がクズだから相手に近づきたくないし、それは相手のことが好きだからこそそうだし、君のこと好きだからこそ一緒にいたくない。自分がクズだとしたら、「一緒にしあわせになりましょう」なんて頭のおかしいセリフ言えないし思いもしない。「君と一緒にいたい」とか真顔で抜かせるやつはみんな、本当に相手のことを考えていないか、もしくは自意識過剰なひとだ。僕はそういう人を軽蔑するし、そういう人から向けられた「好き」を命をかけて否定する、
そう思ってたんだけど、
わたしのいまのこのこれが、無償じゃなくて有償だって、気付いて目から鱗が落ちた。


すごくベタなこというと、ああこれが恋かと思ったし、恋とはずいぶんきたないものだなと思った。やっぱりわたし今でも、恋より愛の方が崇高だと思ってるし、恋人(字面で気付けばよかったのに)に対しては愛を持てなければならないと思ってるし、それで自分のこと責めたりしたんだけど、これがもし「恋」というものならば、わたし自分のことも相手のことも、許せるなと思った。

“残念ながらわたし君のこと、愛してないけど恋はしてるよ”は、なんだかひどい言葉に聞こえる。でもわたしにとって前者であれば今すぐダッシュで逃げ去りたいし、後者であるから一緒にいたいし、だからまあ、いろいろ許してほしい。

してあげたいことたくさんあるけどしてほしいこともたくさんある、言いたいこともたくさんあるけど言ってほしいことたくさんある。後者の欲求全部嘘だし持ってはいけないと思っていたけどもしかしたら許されるのかな、もしそうだったらすごく救われるなって、今ちょっとだけ思ってる。




我に返ると自分が気持ち悪くなってしまうし一気に自身が無くなってしまう、だからわたし、なるべく我に返らないようにする。多分平気大丈夫って無理矢理思うのは、客観的事実と経験則に基づいた戦略なので、わたしはわたしの気持ち悪さを、全力で無視することにする。





2012年12月13日木曜日

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わたしが口にする曖昧なこと、全部都合よくとらえてほしい。当たっていても外れていても、わたし何も言わずににっこりするから、全部都合よくとらえてほしい。

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例えば甘えとかそういうの、しちゃいけないことだと思ってきたし、わたしはわたしのしっかりした部分がすきだから、だれかにうまく頼れない。そこを好きだと言ってくれる友達だってたくさんいるし、自分でもそこが誇りだったりする。だからわたしのそういうところを、「女の子は、ちょっと頼りないくらいがいいんだよ」って言われたら、わたしどうしていいかわからなくなる。

わたしのほうが力が強い/わたしのほうがしっかりしている/わたし方向音痴じゃない/わたしそんなにさみしがり屋じゃない/頭もそんなにわるくない。これらの事実は、時と場合によってステルスされるべきものらしい。

それが上手にできたなら、わたしあの子の恋人でいれたらしい。頭では分かるけど、これがどうしたってわたしだから、君の「守りたい、この女の子」的な偶像を押しつけられてもそれわたしじゃないし、って、またもや可愛くないこと考えてしまう。

ホラまたアレだ、わたしが封印しようとしている“べき”論が、きみのなかにもあるじゃない。

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“きみのためならぼく、ぼくじゃなくなっても”っておはなしは、またべつの話。


2012年12月11日火曜日

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おんなのこは不幸で憂鬱であるべきで、つまりはわたし今、全然おんなのこじゃない。


アニメのこと考えてるわたしと仕事のことかんがえてるわたしとアダルトグッズのこと考えてるわたしと可愛い女子のこと考えてるわたしとキャラメルクレープのこと考えてるわたしとすきなひとのこと考えてるわたしは全部わたしで、区切りがうまくつけられない。つけられないから混ぜているけど、別にありのままのわたしを愛してとか思ってないしどれもこれもありのままですらないんだけど、でも最近ちょっとどうなのと思いつつある。現実世界だとそれの使い分けというか、自然と見せる顔の一面が限定されると思うんだけど、インターネットだとごちゃ混ぜになって、でもそれがいいかなあと思ってたんだけど、最近どうなのとすごく思う。かと言ってわたしめんどくさがりだし不器用だから、つかいわけるということが全然できなくて、だから例えばツイートするアニメの作品ごとにアカウントを使い分けてるひととかを、わたしはすごく尊敬してる。
最近本が全然進まない、ラジオも全然聞いてない。それはなぜかというと、考えることがおおいからだ。本を読むのすごく好きで、それはもう純粋に好きなんだけど、それよりどうでもいいことに、CPU奪われてほかのことができないかんじ。ぼおっと考えてたら本読む頭の隙間がなくて、だから11月の連休用に借りた本、未だに全然読めてない。多分12月は最近で最低の既読冊数になりそうで、わたしなんにもしてないな、って気持ちになる。だからせめてのこるように、いろんなところで下らない文章書くよ。

2012年12月9日日曜日

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今すごく知らない女の人に呼ばれてるけど、無視してる。ごめんね?

何かが始まると必ず終わるし、つまりそれをちょっとアレな感じで言い換えると、永遠なんてないということで、いつか終わるものならばもうこの手で終わりにしたいし、だからわたしは最近、お風呂にいいにおいの入浴剤入れてジュース持ち込んで飲みながら暖まって、うれしいメールとかを見返してそのままぶくぶく沈んでしにたいな、って思う。つまり今わたしのこと読んでる女の人の声はとても甘美で、いやでもまあ、今日は人生最後にお風呂で飲むべきおいしいジュースが手元にないから、普通に入ってあがると思うけど。
頭で考えて正解の行動や言動やそういうもの、ぜんぶほんとはわかるけど、わかるから、多分どうでもいい人に対してだったらわたし、結構かわいくふるまえると思う。でもそういうことしてると本当に作り笑顔と媚だけの人間になったみたいになって、と同時にすごく相手のこと見下してしまうし、いいこといっこもないというか、いやそれこそ仕事で使うんだったらすごくいいんだけど、でもそれとはまたちょっと違うタイプの媚態だから、多分もう一生しないと思う。相手がどんな人であってもそういう風に人を見下すのは間違っているし、わたしにそんな権利ない。でもそういうのじゃなかったら、全然正解の行動できないし、すごくかわいげないなあってしみじみ思う。どんどん、「ザ・不正解」の行動しちゃって、ああこういうダメパターン、小説やマンガで腐るほど見たわーって状態になる。なんだかなあと思うけど、でも正直になるとそうなってしまうし、じゃあわたしはどの方向に頑張ればいいのかなって考えるけど、ぜんぜん浮かばない。
自分の重みと気持ち悪さで潰れそう。気持ち悪いクズのような人間に行為をもたれるのって悲劇以外のなにものでもないと思っていて、しかもそれを露発されるなんてもうすでに犯罪行為で、だからわたしは現在進行形で犯罪を犯しているわけで、それが純粋に申し訳ない。あー犯罪者かあわたしそうかあって笑うしかできないし、だから女の人がまたわたしのこと呼んでるけど、ぶくぶく沈んでしんだりなんて殊勝なことしないで、犯罪者らしくふてぶてあがってくると思う。


お風呂はいろう。

2012年12月8日土曜日

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さみしくないのとか寒くないのとか痛くないのとかつらくないのとかそういうのって一瞬で慣れる、すごくやだ。継続的にさみしくてさむくていたくてしんどい状態でいないと、も一度霊安室みたいなとこに閉じ込められたとき今度は生きて帰ってこれないんじゃないかと思うから、そうしたい。あったかくてふわふわしてあまくておいしくて、そういうところ、一瞬でも入ってしまったら、次そこから追い出されたとき、こころがぽきりと折れる気がする、わたし多分片足突っ込んでる、早く抜かないとだめだ。

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あんなに沢山あった、履歴書の束が見つからない。2006年からの手帳あるのに、2010年のだけ見つからない。本気で記憶がなくなるから、手帳や履歴書やそういうものに、「いまわたしは何をしていて、いつからいつまで何をしていた」ってことあるごとに書き留めないと、ポロポロこぼれて忘れてしまう。履歴書を書く、何のためとかじゃなくて、忘れてしまう自分の記憶をピン留めするために書く。書くために昔の手帳を引っ張り出して、わたしの空白期間は2006年から数年間くらいだと思っていたんだけど、2010年もすっぽり抜けてて、うわあ、こんな最近にも欠落が、ってギョッとする。


きおくがない。


高校のとき自転車で二人乗りしてて、後輪に泥除け巻き込まれて前転した。中学のときは二人乗りしてたら鬼みたいな先生に怒られた。神楽坂のピザ屋さんいったりテレアポしたり企画したり歯医者さんで一日歯科助手のかっこしてキャンペーンしたり、そういう断片的なことは覚えてるんだけど、だれとなにをしていて、何の仕事していて、わたしなに考えていて、だれと一緒にいたのかとか、全然全く覚えてない。ずっと夢の中にいるみたいだったし、いまでも夢の中にいるみたいで、多分毎日なにかに日記を書き留めないと忘れちゃう、だから今年はちゃんと手帳買った。
きおくがないって、忘れっぽいとかそういうのじゃなくて、本当に覚えていなくって、それはたぶんつらいことがあったとかじゃなくて、目がぼんやりかすむとか視界にモザイクかかるとか、当時からそんなかんじだったからだと思う、そしてそれはいまもそうだ。世界はすりガラス越しに見えていて、輪郭判るし見てれば見失わないんだけど、一瞬目を逸らしたら、すぐにぼんやり記憶が溶ける。「わたし、のうみそがだんだん小さくなっていってるの」って言って毎月脳のCTスキャンかなんか受けてる友達がいて、もしかしたらわたしもそうなんじゃないかって病院の先生に相談に行ったら笑われたことある。多分ずっとなにか麻痺してるんだと思う、生まれつき視力がわるいひとみたいに、わたしの世界にはずっともやがかかっていて、でもそれは生まれつきだから何も不便はないんだけど、ただ人と話したときに、わたしがあまりにも何も覚えてないのを怪訝そうにされるから、それだけはちょっと恥ずかしいなと思う。
多分これやったっぽいなって記憶とか、あの人と仲良く話した気がするって記憶とか、たくさんあるけどどれも昔見た夢みたいですごくぼんやりしている。だからこそ全ての人のこと、わたし一方的に知ってるだけで相手は自分のこと認識してないし忘れてると思ってるし、だからこそ名前を呼ばれたら、ものすごくうれしかったりするんだけど。でもはっきりくっきり思い出してもしんどそうだから、わたしこうして毎日、ぼおっと生きると思う。



恋とか失恋とか就職とか失業とか破瓜とか自殺とか、なにかしたらわたし覚醒するんじゃないかって、ずっと期待してたけどだめみたいだ。気付いたらすごくこわくなるけど、隣にいる人がいつの間にかいなくなってもすりガラス越しだったらダメージ減しそうだから、うんだからやっぱりこれでいいかなって思う。

2012年12月6日木曜日

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オーケー、正直に話をしよう。

僕は君を傷付けてしまったことをひどく後悔している。それと同じくらい、僕が僕を不幸にしてしまったことを、ひどく後悔しているんだ。
君のことだけ考えて、後悔して生きてたかった。でも僕やっぱり自分がかわいくてかわいそうで、だから自分の不幸にも後悔していて、だからってじゃあ100%独善的になれるかというとそうでもなくて、だから僕は前任でも悪人でもない、ただの単なる凡人だ。



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わたしやっぱりあんなこと、言うべきじゃなかったなと思ってる。
こいびとや友人や家族が、何かのオプションみたいに必要条件満たした人に挿げ替えることができるなんて思ってないけど、でもやっぱり、思う。すごおくいやな話をすると、きみにぴったりなどこかのだれかがきみを選ぶとは限らないし、もちろん“そもそも”の前提だって、わたしも色々わかってる。色々わかってるけど、色々思っちゃうってことはあって、それはそれで、もうどうしようもない。
一人で暗いこと考えてたらなんだかすごく居心地よくって、ああ、って自然と声が出て、

わたしまだ、“べき”ってやっぱり思ってる。


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隙間に入っていくお金、すごくこわい。内容が恐ろしくて本を読み進められなくなったの、殺人鬼に続いて二冊目だ。
でも多分これは最後まで読まないとわたし眠れなくなるから、ちゃんと最後まで読む。
感想文じゃないもの書きたくなってきたから、どうしようかなブログなにか他に探そうかなって探してて、うーんうーんて悩んでいて、いまも悩んでる。自分のためだけに書くのであればすごく適したところがあるんだけど、でもそこには数年前の自分の文章があって、もう昔書いた文章なんて見返したくもないから、やっぱり何か探そうって思って、でも昔みたいに、完全に自分しか見られないのはすこしさみしいなと思う気持ちもあって、ああ承認欲求というか、わたしはここよ見つけて的なこの欲求、めちゃくちゃ気持ち悪いなと思ってる。気持ち悪いといえば、AMのいいね女的な連載コラム、あれ書いてる人一体何のトラウマがあったのってくらい気持ち悪くて笑ってる。まみさんのじゃなくて、署名記事じゃないやつ。こんな女に注意的なやつ。もしやネタなのか…とも思ったけど、あの記事に言及してるひともライターさん側に立ったコメントしてるから、気持ち悪くて笑ってる。すごい心狭いな、なにかいやなことあったのかな? かわいい女子には寛容でないとだめである。わたしは個人的に、頑張って自撮りして、女子会の様子を実況中継したり、ごはんやスイーツの写真載せたり、たまにネット上で落ち込んじゃったりする女子のこと、すごくすきなのでどんどんやってほしい。わたしのツイッターの非公開リストには「かわいいひとたち」ってのがあって、そこには可愛い女子しかいないんだけど、可愛い女子がかわいいこと呟いて可愛い自撮りやスイーツやごはんやペットや夜景や、オシャレなカフェごはんごしにちらっと見える男の子の腕や、そんな写真をどんどこあげるようすがたくさん見られて、わたし史上最強にしあわせ。

最近自分のことを、すごく気持ち悪いなって思うこと多々あるんだけど、いまこの文章書いてまたそれひしひし思ってる。そろそろいろいろ許されなくなってきている気がするけど、気持ち悪いこと黙って思ってるともっと気持ち悪いよなあって思ったので書きました。可愛い女子はどんどこ自撮りしたり日記書いたりしてください。わたしのしあわせのために。

 

2012年12月5日水曜日

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思いやりは想像力で、違う価値観を認めることで、つまりはそこには、相手を好きとか嫌いとか、思いやる気がないとか優しくないとか、そういうものは関係ない。
人との価値観の差異がどうしても理解できないとき、わたしは自分と相手を、違う国の人間や違う部族、違う星の人間として考える。例えば同じ日本人だって、現代と戦後や現代と戦国時代では常識が全然違ったし、だからお互いが「あなたのため」として行動する内容にずれがあって当然だし、そのずれを「あなたはわたしのことが好きじゃないから/優しくないから/思いやってくれないからそういうことをするんだわ」ってとらえてしまうのは、すごくなにかが違うと思う。そこで想像力と、違う価値観を認めることだ。「ぼくはこういうことをされたら悲しい」を最大限に想像して、「ぼくは悲しくないけど、他の人はどうだろう」「ぼくはうれしいけど、一般的にはどうだろう」「ぼくはこう思うけど、あの子はどう思うだろう」って、たくさんたくさん考える。わたしは昔、わたしの信じる正義こそ正義だと思っていたし、わたしの理想こそ理想だと思っていたから、自分の考える「思いやり」「やさしさ」が相手に通用しないとき、そしてそれを責められたとき、「わたしの考えこそが正しいのに」と、わかってくれないことに絶望したけどそれ多分間違ってる(間違ってると思うけど、だからと言って責める相手もちょっと間違ってるなって思う)。
自分の価値観は世間一般から見たら少数派なのかもって自覚は、選民意識の現れみたいで持つのすごく抵抗あったんだけど、そういうものじゃなく、100人いたら30人くらいはわたしと同じ考え方してるかもしれないけど、残りの70人は違うよねってだけの単純な話だ。純粋な確率の問題として、70%と30%、君がどちらに属す確率が高いかな? ってだけの話。自分はもしかしたら少数派かもしれないって自覚と、今までの、「わたしの当然のふるまい」に傷ついたっぽい人たちの記憶と、そういうものを肥やしにして努力して、通常の努力と違う方向で努力して、わたしはやさしくなりたいな、って思った。

つまりはなにがいいたいかというと、すきな人のこと、わたしはわたしなりに、傷つけたくないなってことだ。

友達でも恋人でも、“わたし、どこまで見捨てられないかな”ってつい試したくなって、試すということは傷つけると言うことで、わたしに傷ついてくれることや、痛くて泣く様子や、逆に涙をこらえるようす、そういうものでゆがんだ満足覚えたいって醜い欲がどうしてもあって、たまにそれは抗いがたいものでもあるんだけど、そしてわたしは自分がすごく気分屋だとも知っているから、とても限定して、今日の今この瞬間は、わたしすきなひとのこと、傷つけたくないなって思ってる。


今すごく珍しい精神状態なので、おぼえがき日記を書きました。

2012年12月2日日曜日

20121202-03

朝ごはんを毎日食べると計算し、卵と牛乳・パンを買っている。今週はあんまり朝ごはんを食べなかった、つまり今ぼくの冷蔵庫には、賞味期限が怪しい卵と牛乳がある。

セーラー服着て眼鏡かけて可愛い顔した宇宙人と対決したい。目からビームかイカ墨出して世界を超絶救いたい。スライムみたいな蛍光イエローのそれをナイフでブニブニめった刺ししたい。 そしたら蛍光ピンクのホイミスライムみたいな援軍が来て、キャーとか言って逃げ回りたい。
 

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よく見たら、パンのほうが賞味期限アレだった。だから今日はおやすみなのに特別に、たまご2個使ってオムレツのあさごはんつくった。おやすみだから、お行儀の悪いことに、お風呂でごはん食べようと思う。今月12月だってびっくりする、やっぱりわたし砂丘行きたい。

20121202-02

これ何のポーズだっけ

20121202-01

ニーソの中からiPhone見つけた。弟が使っていたやつで、いじっていたら、ついた。わたしはニーソックスにいろんなものを挟む癖があって(便利だから)昔弟のiPhone使ってニーソに挟んで挟んだまま脱いで、そのまんまになってたものらしい。洗濯後にも関わらず水没していなかったそれを弄っていたら電話がかかってきて、画面に「電話に出てください、出ないときれちゃいます」って表示が出て、iPhoneて随分おせっかいだなあって思った。電話は母からで、デザフェス行くから用意しなさいって言われた。父も妹も出てきて、夢が家族オールスターズだった。


今日17時に寝たら19時に起きた。19時に寝て24時に起きた。活字を読む気に全然なれなくて、アニメ見る気にもなれなくてずっとぼーっとしてたけど、ぼーっとしてるとどこかへ行きたいなって事ばかり考えて、逃げられないことにばっかり気付いて思わずコーラ飲みたくなるけどわたしの飲みたいコーラって素コーラじゃなくてライム入りコーラだから、今おうちにライムないしレモンしかないし、それ飲むにはライム買ってこなきゃいけないしでハードル高い。

図書館の予約で、7月からまってた本の取り置きが今日まで。今日早起きしてとりに行かなきゃいけないし、本の感想チャッと書いてチャッとメールしなきゃいけないから、とりあえず今日チャッと寝てチャッと起きよう。 こないだツタヤのカードつくったからなんか借りたりしたいのにアニメも小説もすごくたまってて借りる気しない、でもなんか借りたりしたい。泣ける映画とか見たい。呪怨とか。

2012年12月1日土曜日

20121201-02

率直に言うとわたしの三年は三年じゃなく、まだ継続していたということだ。



お腹をさしたら人は死ぬらしくそれは痛いのかな、でも多分耐えられないほどじゃないだろうなって思ってる。どこかに逃げちゃいたいけどどこへいってもわたしの行きたい場所なんてなくて、だから部屋から出られない。毎日死ぬほど働いていればしんどくなることはないのかもしれない、せっかく沈んでいたのに掻き回されて結局出てきたのが澱だったこと、わたしいまそれがひどくつらい。
明確な悩みで悩めない、しょうがないことばかり考える。なくなったものやひとや、実現しなかった将来や、そういうもののことばかり考える。とても建設的じゃない、どうせ悩むなら、解決策の出ることで悩みたい。でも今わたしがこんなにしんどいなと思ってることは全然特別なことじゃなく、小説にしたら王道すぎてスルーされるレベルのもので、つまり言葉にするととても陳腐だ。でも結局人間がこんなに世界中にいて死んでいくのは、多分そういう陳腐な悩みが、致命傷になるからだと思う。
あのこがしあわせになりますように、あのこがしあわせになりますように、あのこがしあわせになりますように。みっつ唱えて目を閉じる、そうすると静寂が訪れたりする――なんてこと全然なくて、あここはまごうことなき現実だと、ひどくばからしい気持ちになる。

20121201-01


母の遺骨が届いた。

朝からひどく寒くて、いつもの砂糖も牛乳も入れずにブラックのままであたたかいコーヒーを飲んだ。木箱はかたかたと軽く、その軽さが魂の軽さだとかそんなばかみたいなことじゃなくて、軽快というものは旅立つのにとてもうってつけなことで、だからわたしは、よし、と思った。宅配業者は木箱のほかに、わたしのための食料品と、CDを一枚置いていった。いきるためのものと、しんだひとのためのものと、しんだひと。それらを同時に運んでくる宅配業者に、わたしは心底尊敬をする。



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文章書けないのすごくつらい、しんどい、こんなに書いていて何がだって思われると思うけど、すごくつらい。出てこないの書けないじゃなくて、やっちゃいけないのほうの書けない。 今日すごくすっきりする夢を見て朝6時に起きた、だのに二度寝したらすぐに忘れた。だらだら怠慢が流れていって、抑えるのに一苦労だけど、せっかく何かを頼んでもらったから、それをちょっとやろうと思う。わたしは自分のために何かをすることができなくて、できなくはないしやるんだけど、どうしてもモチベーションがあがらない。自分のためにはがんばれないから人に何かをたのまれるのすごくすき、すきなくせにそっちはそっちで全然技術がなかったり力不足だったりで申し訳なくなる、だからわたしは(自分がなかなか満足にできる)仕事というものが好きなんだけど、個人的に何かを頼まれるというのはやっぱりそれと格別に違っていて、だからなにがいいたいかというと、ありがたい。

わたしずっと、多分、世間に言ったら窘められるであろう羨望を抱いていたんだけど、そのひとだって当たり前に人間で、たとえ幸せそうにらくちんに見えてもそりゃあ辛かったり悲しかったり当たり前にするんだよなって思ったりして、一人で泣いた。なにがよかったかわるかったかなんて主観でしかないから、理不尽に人をうらやむこと人間だったらあるのかもしれないけど、わたしは人のこと羨ましいって全然思わないから、その子のことだけ羨ましくて、でもそんな感情抱いちゃいけないものだと知ってたし、そう思うこと自体申し訳なかったし、ほっとしたし、よかったなって思ったし、ああでもわたしはまだだめだって思ったり、色々ぐちゃぐちゃになってまた泣いた。「ああ、しあわせになってよかったね」とか、「しあわせになってください」と思って泣くとき、その涙にほんのわずか自分への憐憫が入っていて、でもそのほんのわずかくらいは、許してあげようかなって気持ちになる。


じぶんメモ:11がつ本まとめ

びっくりするくらい全然読まなかった。二冊当たって講談社様ありがとう!と思ってるし、
好きなものや会社のメルマガはとるものだなって思った。
アザゼルさんは書いたけど後半f/z原作ずっと読み返してた。
もっと後半は一切本が読めなくなった。
12/3までに8冊くらい読まなきゃいけないものがあって、挫折しそうでこわい。

20121201-00



鐘が鳴る、的な


わたし、しあわせなときって口に出してしあわせだなあって毎日言うし毎日ほっぺたつねるし自分が今しあわせなこと十分実感して生きるのにそれでもしあわせって絶対終わる。 雑にしたり当たり前になったりそういうの全然しないで毎日慈しんで丁寧になぞって触っていてもいつか終わる、すごくかなしい。 仕事のことだったら超絶ポジティブに前向きに考えられるし、人間自己啓発本レベルで人のこと励ましたりできると思うんだけど、自分のプライベートのことになったら、どうしても諸行無常が拭えない。諸行無常。だって見たもん関ヶ原で、あんなえらい戦場だったとこに人が穏やかに暮らしてたもん、だからわたしのしあわせだって、多分瞬きする間に終わる。

ばかだなあぼくの言葉は全部あれだ、全部すさまじいほどの愛にあふれていて、なんだかすごく気持ちが悪いな。

2012年11月30日金曜日

20121130-01

野生のリスが手に乗ってきてびっくりする、餌が欲しかったようで掌をくんくん嗅いでくるから猫の餌をあげてみたらガツガツ食べた。わたしとのツーショットをあの子は必要以上に写真におさめる、ほんの少しの期待を持って「なんでそんなに写真を撮るの?」って聞いたら「きみとはもう一緒にいれないからねー」って軽く言われて死にたくなった。お布団にくるまりながら泣いて、写真を見て泣いて、ごめんなさいって謝って、謝りながら、わたしがこうして泣いて謝ったらもしかしたら一緒にいてくれるんじゃないかって、1mm思ってまた死にたくなった。「でもわたし、君が幸せなのすごくうれしいの本当だよ、どうしてかというとこうこうこういう理由だよ」、口から出る言葉が全部事実で正しくてまた泣いた。本当のことしか言ってないのに、計算したいわけじゃないのに、自分を殺したはずなのに、どうしてもまだ1mm、自分のことだけ考えてる自分が残ってて、それがすごく気持ち悪かった。冷凍庫を空けたら空っぽのアイスのファミリー箱、「食べたんなら捨てなよ」って笑われて中をあけてみたらアイスが二個だけ残ってて、「だって君と食べようとおもってたから」ってわたしは言って、また、泣いた。


いつの間にか野生のリスはわたしよりかわいくない、あたらしい女の子の肩に乗っていた。




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「時間はおくすり」って歌あったけどあれ絶対嘘だ、もし本当だとしたらわたし一体どれくらいの用量必要よ。今すごく理不尽な理由でaikoをちょっと恨んでる。
100%きれいになれなくて、100%きたなくもなれない。どっちかになってしまえば楽なのに、1%だけわたしきたない。わたしの思いやりには名前がついていて流用ができない、だからすごくつめたい。多分わたしの感情のあらゆるものには対象者の名前が書いてある、だからわたしすごくつめたい。そんなもの、指でこすったらすぐとれるくらいのものなのに。




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朝起きたら、猫があらゆるものを、床に落としていて笑った。わざとコンタクトをつけないでぼやけたまんまで掃除した。しにたくなるあさおはよう、目覚ましをかけよう。



2012年11月29日木曜日

20121129-01


どこにも文章書けないの辛い、文章の体を成さないのもっと辛い。客観的評価がないと胸を張れないのも辛い、いろんなものが存在しないの辛い。




“ごめんなさい”には2種類ある、ごめんねって相手に伝えたいときと、相手に許しを得たいとき。後者だったとき、わたし笑うしかできなくてこまる。
きちんと対価を提示して依頼した仕事でない限り、相手に何かを変更するよう要求するのは間違いだと思うから、しない。いやなことや不快なことをされたら「やめて」というのはこれに当たらない、そうじゃなくて、もっと切実じゃなくて、でもわたしにとってはものすごく、切実な部分のはなし。言う権利もないし義務もないから、不適切にそれを口にしない。「義務はあるだろ」って言われることあるけど、わたしがないと思うから、多分、ない。それと折衷案は全く別だ。
わたしの気持ちのいろんなものに、全世界に発信できる程度の納得のいく根拠や理由を求められても、わたしそんなのこたえられない。虫がきらいなのも寝ても眠たいのも、猫がすきなのも触られたくないのも、全人類が納得できるような理由なんてわたしあげられない。理由がまっとうにあげられないならばその主張は間違いだって、思うぶんには思ってていいけど、もう根拠とか理由とかどうでもいいから「いや」なんだって、わかってくれないならダッシュで逃げたい。
呆れたときや落胆したとき、かなしくなったときに笑っちゃうのなんでだろう。あれすごく不思議。わたしだけじゃないと思ってる。



わたしはわたしを許せないけど、きみはわたしに許されたい。きみはわたしに似てるから、わたしはきみを許せない。




わたし、精神的に引きこもってこういうこと考えてるのがすごくすきだけど、ザ・おじさんみたいな人がまわりにいるから、バランスすごく保ててる。おじさんにはデリカシーがなく、下品だし下世話だしナイーブさなんて笑い飛ばして唾かけられるけど、「あー人間て、高尚でも下種でもなくただの人間だよなあ」って実感するからたまに話すと正気に戻る。うまいこと言葉が見つからないから全然言えてないんだけど、いわゆるすごく「恩義」があると思ってる(仁義なき戦い的な感じで)。それっていつか返したいし、返せなくてもこう思ってるよっていつかちゃんと言わなきゃだめで、そこらへん、「言えなくても思ってるよ一生」とかいう、甘えた考えが通用しないとちゃんとわたしが自覚してるあたり、すごく教育されたんだろう。
だれかに何かを相談したいなって思ったけど、色々考えていつも飲みこむ。何か具体的に相談しなくても、上記のザ・おじさんみたいに、話してるだけでほっとするひとがたくさんいるから、やっぱりわたしは幸せなんだろう。話してるだけでほっとするというか、思い浮かべるだけでほっとするの域の人がたくさんいて、わたし実際出不精だからそういう人たちに全然会いに行けてなかったりするんだけど、それはそれで、とてもひとりよがりに正しくしあわせで、よいものだと思います。










20121014-
生きながら腐るというが腐るというのはそういうことで、すなわち腐っていくということは生きているということだ。


20121029-
“わたしにはこれしかないのよ”が、ひどく傲慢に聞こえる時がある。きみが大義名分として掲げるそれは、ほかの人も等しく抱えるもので、きみだけに特別なものじゃない。「わたしは呼吸をしなきゃならないから忙しい」「わたしはごはんを食べなきゃいけないから大変」「わたしは排泄行為するから尊い」、そう言って他人を下に見るきみを下に見てるわたしも、多分なにかが間違っている。生きるのに必要なそれらのものを、選民思想のもとに掲げて振りかざすさまが、ぼくにはどうにも耐えがたい。でもこんなに君のこときらいなの、多分自分の嫌なところが、


20121101-
フルーツグラノーラを食べた。牛乳かけて食べた。


20120724-
わたしがいちばん大事なのは


20120730-
わたしは今もう厳かに、「来月から頑張ろう」っておもってるよ。


20120402-
人のことをいいなーとは思っても羨ましいとはおもわなくなった。選べない何もかも、選んできた何もかも、失敗したなってことはあっても今だれのこともうらやましくないからわたしたぶんすごく、しあわせなんだと思う。


20120124-
だれかやなにかに焦がれすぎて形骸化した挙句それが抽象的な存在になってしまうと、もともと焦がれていたそのものや人でさえもその憧れに追いつけなくなって、それに気付いたときに、ああもうこの焦燥感は埋まらないんだなぁと思って途方にくれることがある。現実社会のその対象に触れたとき・自分の思い描くその人とのギャップを感じた瞬間、その当人でさえもわたしの思うそれにはならないのだなぁと思うとすごく寂しくなる。さみしくなるけど、それを悟ってしまえば現実の相手に何かを求めすぎたりしなくなって、もう自分の中での概念の存在を追いかけるだけのさみしさしか感じなくなるから、でもそれがいいことなのかわるいことなのかよくわかんない。






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インターネット≠文章と現実はわたしの中では乖離していて、でも多分、そういうのあんまり理解されない。







他人のこと責めたそのフレーズを、一月前に自分に向けて吐いて自家中毒しており、ちょっと暗いおかしみを覚えましたね。




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こういうの本当に排泄行為だから、びっくりするほどすっきりしてるし、わたし今にせものみたいにポップかつカジュアルだよ。



2012年11月26日月曜日

20121126-01

こないだリアルな世界で人と話してて、たとえばツイッターとかブログってわたしアニメや本の感想や妄想しか書いてないけど、リアルなわたしの感情だとやぱり思われる方もいらっしゃるんだなと改めて気付いたので、もしかしたらいちいち(これはXXの感想です)って書いたほうがいいのかな?って思ったりもしたけどそれはそれで変な感じでねたばれるしいいわけみたいだしそういうことはしないんですが、だからやっぱり「わたしは嘘しかかきません」というスタンスで変わらずやっていこうかと思うので、今後ともよろしくお願いします。

2012年11月24日土曜日

20121124-02

君の運命は君のもの、最初から最後まで君のもの。ぼくの運命は君によって曲げられたけど、僕はついに君の運命を、変えることができなかった。冬がきて春がきて夏がきてそして秋で、どうしてそんな長い間ぼくは、君の胸のうちに気付けなかったのだろう。君にとっての表現は、全然楽になるためのものではなくて、じゃあすこしくらい悲しい顔を、ぼくの前でもしてほしかった。明るすぎる世界から逃れるために日陰で暮らしてこんな押入れの奥なんかにほんとうのことを吐露するならば、ぼくにブッ掛けてほしかった。「いつか君ならわかってくれるよ」って、そのいつかが君がいなくなってからのことだって、あのときすでに思っていたの。わたしばっかり救われた、わたしだってあなたのこと、助けてあげたかったのに。



あなたがわたしを生かしたんだから、責任持ってわたしと、一緒に生きてくれたらよかったのに。







彼が死んでも、彼女のハッピーエンドはありえるか。ありえる。
ありえるだろうけど、いまわたしにはそれが見えなくて、だから悲しいのもいまだけだ。


多分救いは誰にでもほんのすこしあって、蜘蛛の糸みたいに細く垂れていて、
それに気付くのと気付かないのと、気付いても掴みたくないのと、ただそれだけの違いだと思う。


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読むべき本が進まなくて、昔の本ばかり読み返してた。このひとてんさいだとおもうひとがたくさんいて、わたしの涙腺そこでしか開かなくて、ああ、と思う。
旧かなづかいには無条件に惹かれるし卑怯、でもそこ差し引いてもすばらしいし奇跡。





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いい子でいようと思ったら自分の自我が一番置き去りにされるべきで、そうしたら本当はどう思っててどうしたいのかって、全然わからなくなった。どうすべきかはすごくよくわかる、だからそれしか考えないようにするし、そうしたらわたしの考えは全て正解だし正しく善い子で、それで全部すとんとおさまる。 だけどなんかちょっとだけもう、ありえない嘘をついてほしいし、きれいごと重ねて騙してほしい。肉体含めた物質が、その対象になるのかってのも、わたしは最近疑わしくて、もうむしろ観念的なものでいいんじゃないかと思ってる。遠足の前日が一番好きで、そういうのって多分きっと、そういうことなんだと思う。



なにもしなくてもわたし多分、勝手に一人で傷付いたりするから、だから誰にも傷つけられたくない。でも本当はきっと、わたしを傷つけるべきなのは、わたし以外の他者であるべきだと思う。


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わたしの理想の女の子は、青鬼の袴を洗うような子で、つまりはそういうことだ。



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世界はわたしが救うから、わたしのことは君が救ってね。犯罪も、殺人も、戦争も、飢餓も失恋も、全部わたしが救うから、わたしのことを救ってね。たいそうなことしないでいいよ、手をつないでてくれるだけでいい、だから救われないわたしのことは、ちゃんと君が救っておいてね。










20121124-01

あらゆるものに期待したくない、楽観的観測なんてまるめてポイっと捨てちゃいたい。瀕死のレベルで常に緊急事態が発生してるから緊急避難もしまくりたいし”めんどくさい”こそ最も尊重されるべき、それこそ本能に従って自分のこと最大限に甘やかすべき、でないと死ぬ。
下り坂では足を踏ん張らないと死ぬ、重力に逆らわないと死ぬ、両足でしっかり傾斜に負けないぞって意思を持って足踏ん張らないと死ぬ。し、そもそも下り坂下ったらだめだ。
期待も楽観もせずに霞だけ食べて生きてたい、わたし多分きっと、アニメ見ないと死ぬ。





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海の近くにある図書館の本を読んでる。わたし最近、図書館が出てくるお話たくさん読んでる気がする。図書館すごく大好き、国会図書館に住みたい。昨日女性上位時代久々に見ようと思ってパッケージカパってあけたら中身が柚花ちゃんのサンプルDVDで、いろんな意味で「ファック!」と思った。これでわたしが女の子らしくある道は閉ざされた、この部屋のどこかに(多分違うパッケージに入って)中身があるはずだから、早くそれ見つけて見たい。



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必死で「そういうことしたら、わたしに、幼児虐待で生じる一生消えないトラウマ的なものが植えついて20年後にえらいことなるんだよ、世界に対する不信感て今根付いたら一生消えないよ」って泣いて訴えたんだけど聞いてもらえないし、ぬるっとするし、散々だった。でもそれで遅刻しそうになって、パンにバターを塗る暇もなくてただのトーストをかじったらすごくさくさくフワフワでおいしかったので、それだけはよかったなって思った。


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意志の力と運命があるとして、2:8くらいの割合のそれらのおかげなんだけど、何かに対する反応が違ったとしても、根本の受け取り方はおんなじなんだと思う。怖い。多分共感だけだと潰れるから、わかった上で対処したいけど、自分でも折り合いのつけかたがわからなくて、理想との距離を正確に測れちゃってすごくしんどい。石橋渡る前に叩き壊して「こんなところに橋はありませんでした」って言っちゃいたいし、不慮の事故で死ぬなら自分で上水に飛び込んだりしたいし、誰かに損なわれるくらいなら自分で半身削っていきたい。ただ絶賛半身削り中のときに、逆サイド嬉々として刈り取るの、それはマジで死ぬからやめて欲しい。
わたし世界のことあんまりすきじゃないし信じてないし期待してないから、積極的に鎖国をしたい。世界がわたしを甘やかしてくれないから、鎖国して、たくさん寝たりなまけたりしたい。
他者に期待をしないのと、ぜつぼうするのは、多分まったく別のことだ。


たぶん、「僕一人でがんばるよ、だから君はなんもしないでいいよ」って気持ちが、すごく強い。

2012年11月23日金曜日

20121123-01

自分の重みに潰れて死にそう、所謂圧死である、圧死。あっし。asshi。圧力がかかっての死、圧倒的な死、どちらの意味でもある圧死である。まあでも自分の重さで傾いでだれかを潰して殺すくらいなら一人大人しく圧死はありかな、と思う。わたし鼠好きだし。 鼠は自分の体積で死ぬ、それとおそろいになるなら、それもよいかなと思う。




どうしてもヘッドフォンの音かたっぽのみみからしかでなくって、いまちょこっと根元触ったらなおったから、わたし何ヶ月こんなことで悩んでたんだろうって思ったし、すごくおなかがすいてるのに全然おなかすかないからこれが数ヶ月続いたらやせるかな?って思ってる。誰にもいえない嫉妬や羨望は吐かずに溜めてもてあますことにする。
”べき論”はひとを不幸にしかしない、でももしそれが理想であるならば、わたしはその”べき”を捨てれない。お母さんは優しくあるべきだし、お父さんは頼もしくあるべきだ。戦争はなくなるべきで餓死や飢餓はなくなるべき、キャラメルクレープは至高であるべきだしあんこは控えめの甘さを保つべき、かわいい女の子は幸せになるべきだし、そしてわたしは、不幸であるべき。

いきてたらいいよ、なにしててもいいよ、っていわれたから、わたしはそれだけですごくしあわせだ。
いきてさえいたら、義務を全うしている気持ちになる。






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純粋な性善説に歪んだ性悪説は叶わない、叶わないから、わたしはぐっと口を噤む。そんな理論振りかざせば振りかざすほど、自分の言葉でますます自説への確信を深めたりする。




「君があの時僕に声かけてくれた、あれが僕の人生の転機だったんですよ」って告白は、多分気持ち悪く思われるだろうから気持ちをこめてはいえないんだけど、ほんとにそう思ってるから、すごくありがとうと思ってる。褒められるのすごくうれしいけど求められたこととかなかったから死ぬかと思ったし、今死んでる。転機といってもジョブズみたいにすごいもんつくったり、プリキュアみたいに変身したり、魔法少女になって因果律変えたりそういうこと多分できないし、僕が言う転機とはすごく地味な精神的な転機で、だから余計言うのが憚られるけど、今死んでる。大げさすぎて気持ち悪いけどすごくうれしかったからなんかこう、なにかで恩返しをしたりとか、たとえ気持ち悪がられても好きですって言ったりとか、ちゃんとしたほうがいいんだなっておもってる。





よい子は10時半に寝ますね。






2012年11月17日土曜日

20121117-02

あれ、


もしかしてこの世界でわたしひとりだけが才能ないのかも、枯渇しているのかも、あの子は歌がとてもうまくてあの子は絵がとてもうまい、あの子は植物を育てるのがうまくてあの子は魚を上手にとれる、あれ、あれ、



                       あれ?











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一週間で剥いだ他人の皮を、今日またつける。同化してしまうとどこからどこまでが「わたし」といっていいのかわからなくなる。指先は確かに彼女のもの、そうして肩口はわたしのもの。二の腕もわたし、肘はどうだろう?わたしの皮膚と彼女のそれは色が全く同じで、天才的なあの医者は継ぎ目も残さず上手に付けた。彼女の腕に流れる血はわたしの全身もくまなく巡り、彼女のものだった爪はわたしに同化してからも伸び続ける。どこからどこまでがにせもののわたしでどこからどこまでがほんもののわたしだ、そうしてそれを誰が判断する。




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賞味期限一週間過ぎた牛乳を、卵と溶いてよく焼いて食べた。いくら焼いても水分がじゅうじゅう出てくるそれにうんざりして、コショウをかけまわしフライパンから掬う。火が通っていれば大抵のものはきっとだいじょうぶ、だと信じているけどいま少しお腹が痛くて、これは果たして寒さのせいか、食べ過ぎたせいか、うんきっと寒いせいだろう、って思ってる。



いろんなことをかんがえすぎるのよくない、ばかになりたいというのはこう、ひどく放漫に聞こえるときがあるけど、じわじわ見えないギプスで形成された「ばかじゃない自分」に、逆間接決めるのはなかなかむつかしい。




 

20121117-01

何も知らない顔をして、君の傷口抉りたい。負傷してるの隠したい君のその矜持を尊重した上で、普段ならなんでもない部分そこをピンポイントで抉りたい。だらだら流れ出すへんな汁でわたしの指先がぬるっとする、だけども気付かず抉りたい。君がどのくらい頑丈か、確かめないと好きになれない。大丈夫? まだ平気よね? これでも、これでも、こうしても。 すぐ壊れてしまうような人は嫌い、でもわたしに傷つけられない人も好きじゃない。わたしに上手に傷つけられて、顔をゆがめて、それでもなんでもないよって笑って欲しい。




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人間は本当にそう思い込めば空だって飛べるって思ってるぼくは、だからいろいろだめなのかもしれない。自分に関しては全て精神論で、もちろん才能や環境もあるのだけどたいていのことは精神論で、だからわたしがだめなのは、わたしの精神が弱いせい。




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わたしきみのことだいすきだよーとか、だいじだよーとか、こんなにかんがえてるよーとか、そういうの多分、ちゃんと出さないと不義理なだけだなってわかってるというかわからされたのでいいかげん、わかれよ。






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12時までにお化粧してかんがえて1時におうち出る。
ごはん炊いてないけどクレープ冷凍庫に入ってるから適度に解凍して食べてね。

2012年11月16日金曜日

20121116-01

わたしの好意は君が思う以上に軽くしなやかだ、だからソフトテニスをやる要領で、ぽこんと打ち返してくれたらそれでいい。





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バイト先のライブハウスで可愛い女の子からメールが来たあのときのこと、ここ数日ずっと思い返してる。もうやだなああいうの、どうして頭でわかってるのにそうしちゃうんだろう、一度みっともなく転べばいいのに、大人になるとうまく転べない。







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携帯の下書きを見てるんだけど、あれこれもう書いたかな書いてないかな、ってわからなくなるな。文章に見覚えがあるのは当たり前なんだけど、わたし気付いたら同じこと何度も言っていてはずかしくなる。自分は何でこんなに記憶力がないのだろうと思う、記憶力というか、いろんなことをすぐ忘れる。高校のとき何組だったかおぼえてないし、大学のときの友達のフルネームももう忘れた。でも幼稚園のとき、隣の男の子がわたしの画用紙に、おうどいろのクレヨンでラクガキをしてすごく怒ったのはおぼえてる。







冬大好きだけどお部屋の中はあったかくてもいいから、わたしのおへやの壁たち、もっとがんばってください。そこで「そうだそうだ~」って囃しているドアと窓、君らもですよ。



2012年11月13日火曜日

20121113-01

君の言うことはいちいちもっともだ、君は誰よりも彼のことを知っているね? 幼稚園のお遊戯会、小学校の運動会、中学の彼も高校の彼も、君は多分一番近くで見ていたのだろう。間違いない、僕が保障しよう、彼のことをだれよりも理解し、知っているのは君だ。でも残念なことに、君の事を誰よりも理解しているのは彼じゃなく、君の事を誰よりも理解したいと思っているのも、彼じゃないんだよ。



君が「なんでわたしじゃダメなの」って呟く度に「じゃあなんで君は僕じゃダメなの」って思う。でもそんなこと、僕は脳裏に浮かべるべきじゃないんだ。とても可哀想だな、と僕は思う。運命のこいびと、必然のこいびと、最適な、こいびと。運命が一方通行だなんて、大人になるまで知らなかった。「わたしの運命」が一方通行である全てのひと、例えば君や、彼や、そして僕のことを、僕はとても愛おしく、そうしてとても可哀想に思う。
誰かのことを大切にしたいという気持ちと、幸せにしたいという気持ちと、幸せになりたいという気持ち。それらが相反するものになるなんて、そんな世界僕は知らなかったから。




僕が悲しいくらい君のことしか好きじゃないように、同じように君も彼のことが好きなんだろう。だから振り向いて欲しいとか、あきらめて欲しいとか、いいから僕にしときなよとか、口が裂けてもいえないんだ。ただただ陳腐に、報われない恋愛というものは、なんとかなしいものだろうと思うんだ、僕自身のことも含めてね。







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いつまでもこない来月や、いつまでもこない来週がすき。「またね」の約束が、いつまでもこないのがすごくすき。遠足の前の日がわたし一番好きだから、君との約束もずっと、果たされなければいいなと思う。わたしが君との「いつか」を考えながら幸せに暮らしている間に、君は現実をきちんと歩いて、誰かと出会って手をつないで一緒に暮らして幸せに死んで、そういうのがすごく、いいなと思う。



でもわたしのそういううそを、いつか誰かに見破って欲しいとも、心のどこかで期待している。




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三岳と真鶴飲んだんですけどすごくおいしかったです。寒くなってきたからお湯割がおいしい。でも焼酎は、すごく、カロリーを摂っている気持ちになる。米や芋や麦を、どしんと食べているきもちになる。すごくおいしい。おいしいけど、おなかいっぱいになりますね。
フラリと一人でいける飲み屋さんがあるってすごくしあわせだな、都会ってすごいなって思う。新規開拓とかじゃなくて、昔からの知り合いがやっているってところもまたすごい。どうでもいいけど僕は今日、22時に寝ようと思ったんですよね。おやすみなさい。

2012年11月10日土曜日

20121110-02

あの子を一番必要としているのはわたし、だからあの子はわたしに所有されるべき。


例えばここが法廷で、神様がいて、裁判官がいて、陪審員がいて、もしもそうなら多分全員、わたしの主張を支持するだろう。68円のセール食パンはお腹を空かせた餓鬼に与えられるべきものであり、一口舐めて吐き出すような飽満の民に渡るべきものではない。切実度で計れば全員の支持を得られるその決断を、どうしてあの子はしてくれないの。わたしが鬼だから、わたしに食べられるのがいやだから、それともこれは考えたくないけれど、もしかして彼女を好きだから?
おなかが空いたから目の前のごはんを食べた。転んだときに差し伸べられたからその手を握った。全部自分のためにしたことだけど、でなければわたしどうすればよかったの。飢えて死ねばよかった、泥に沈めばよかった、そうしたらわたし以外の何かはきっと救われた。だったらわたしははじめから、そうして死ぬ運命だったの。生きることを浅ましいと、醜いと、あなたは残酷だと責めるあなたのその言葉は、わたしにとってはひどく凶器だよ、それあ果たして残酷じゃあ、ないの。





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花火を見て綺麗だねって言えない、人が死んで泣けない。大傑作に感動できない、君に共感できない。多数は正義でそうでなければ悪だ。戦前の教育勅語に顔をしかめる現職教師のように、きっとわたしが感動できないものは、そういうものだと納得する。だからってわたしが救われる、遠いどこかにいきたいとは思わない、ただ自分をなぐさめたいだけだ。わたしはおかしいわけじゃなく、ただ理解ができないだけだ。「理解されない」というのはひどく選民思想が満たされる気がするけど、今わたしが悩んでいるのは「理解が出来ない」ということだ。これはただただひどくさみしく、自分が欠陥になった気がする。一番さみしいのはわからないことじゃなく、君の意見に微笑めなくて、うなずけないということだよ。それはつまり、きみの特別になれないということだ。




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今日はわたし図書館いく。早く年末にならないかなってここ最近ずっと思ってる。まだ思い出が何もない場所に行きたい、一人で、誰かとの思い出を抱えていった場所は、きっとずっとわたしにやさしい。




かみのけかわかそうね。


20121110-01

わたしがコッソリしてること、全部あなたにバレていればいいのに。





そういう意味じゃなくこういう意味で、「お前そんなことしている暇があるのか」と思うので、いろんなしたいこと・をしないでいる。ここ最近はずっと手軽な大きさのポーチを探している、気になるもの気になるものすべて完売でゲンナリする。脱出ゲームにいきたいなと思うたび友達がほしいなと思う、脱出ゲーム用友達をドラえもんにねだりたい、いやドラちゃんがいたら一緒に行けばいいのか、どちらにせよ僕にはドラちゃんはいないのだ。




憚るほどの人目はもうないのだからいいんじゃない、って思う。
小学一年の授業参観日で培われた下らないプライドが、歪んですくすく成長して、そろそろポロリと根元から捥げないかなって思ってる。捥げるか、剥ぐか、崩すかしたい。要するに、取っ払いたいということですね。









読んでいる小説の、『くろかわさくらは死にました.doc』というファイル名がすばらしすぎてしびれている。『くろかわさくらは死にました.doc』。今作ったら『くろかわさくらは死にました.docx』になるのだろうか、そう考えるとひどくつまらない感じがする。





いっそのこと背中からぐさりとしたいのにできない、から、だれかコッソリわたしの足元に、小石を置いてくれないか。ともすれば転んで、って、そこすら「誰か」に頼る時点で、わたしはきっと間違っている。

2012年11月7日水曜日

20121107-01

普段からおそうじをしていないツケをこういうときにはらわされるハメになる。吐くならば綺麗な、舐められるくらい綺麗な便器でなければならなくて、だからわたしは意識の力で吐き気を抑え込み一心不乱に便器を磨く。たべたばかりのものが喉を逆流するときに一瞬「あ、おいしい」と思うのがおかしくて一人で笑おうとしたけど、歪んだだけでうまく笑顔にならなかった。わたしが麺類や汁物がすきなのはもしかしたらこのせいか、とも思ったけど、多分こうして吐くのは数年ぶりで、それが逆に、まるであからさまに何かを訴えているようですごく恥ずかしくなる。






わたしが日頃唱えている呪文、最大の賛辞かつ呪詛のナイフのようなそれが、わたしの最後に残った矜持だと、さっき気付いてしまって立っていられない。気付いたからには言葉にしたいけど、言葉にしたら多分もう息が出来ない。











だれかを敵と感じることはなくても味方と感じることもなくて、だったらひどく心細いなと思ったけど、同調したり共感したり融合したりしたい人なんてとっくの昔に掻き消えたから、だから多分わたしはわたしが自覚する多分もうずっと前からそうで、その事実にいまさら気付いたからといってなんにもならないけど、慰めにはなる  かもしれない。











気力がなくなったら死ぬ、んだったらいいのになって心底思うけど実際は死んだように生きるだけであるから、僕の人生は全然、ドラマチックじゃないなと思う。




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最近自分の文章の、句読点の多さに驚くけど、多分息切れしてるのだと思う。
肺活量がほしいなあ、腹式呼吸を毎日しよう。

2012年11月6日火曜日

20121106-01

交換日記というものを、小学生のときにしていた。中学はどうだったかな、覚えてない。高校に入って、知らない中学の人や先輩と混じって、一人で暮らしてわたしはわたしで色々大変で、クラスがたくさんあって同級生なのに知らない人がいて、多分みんなこころぼそかったから、交換日記というものを再開した。上京して大学生になってますますこころぼそかったから、サンリオで可愛いノートを買って交換日記を続けた。そしていま交換日記ができないくらい離れたから、文通をしている。


彼女は手紙の最後に、メールアドレスと電話番号を書いてくれた。でもわたしはメールも電話もしないで、手紙で返すことにした。80円切手を貼って投函する直前、「80円」、と思った。メールは一通いくらだろう、僕らはそれよりはるかにお金をかけ、時間をかけ、手紙を出す。コピーペーストもctrl+zもきかないから不便、だけど手紙を書いて出した。人のために、というか、人に宛てて文章を書くのは酷く久しぶりで、このブログみたいに、何を書いてるか、書いてるうちに自分でも迷子になる。





一番だれにもいえなかったことを、15文字くらいでさらりと書いた。
手紙になにがかいてあっても、ポストに落ちる音はひどく軽い。





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いま宅急便まってるから、いまっていうか、この2時間椅子の上で体育座りして待ってるから手がかじかんできた。おふろはいりたい。はやくきて。
宅急便がくるまでは21時前なのです、前であってほしいのです。今日は0時前に寝たい。



これが非常にのみたいです。

2012年11月2日金曜日

20121102-01

泣けないわたしのために泣ける映画を用意して。





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美容室の鏡は地獄だ。隣に映る、わたしの髪を切るお姉さんはとても可愛くて、余計に惨めな気持ちになる。ふと、今わたしが風俗の面接にいったらどうなるだろうって妄想する。多分年下の男の子に面接されて、受かったとしても年下の可愛くて上手な女の子たちに押されて、いや多分受かりもしないんだろうなって考えて苦しくなる。若くて女であれば値段はつくはつくけど、若くなくなったら値段がつかなくなる、そこでつく値段が自分にとって価値があるのかないのかはまた別の問題だけど、手っ取り早く自己満足できる方法、わたしはどこかの誰かにとって有用だということを裏付ける方法、それがひとつ失われて、ひどく心細い気持ちになる。




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あいたいひとがいたとして、でも人に会うためには、たいていは相手の了解を得なければならなくて、だから結果、わたしは誰とも会えない。あいたいひとがいるけども、うまく笑ったり話したりする自信がなくて、だからわたしは誰とも会わない。マスクをしてるのをいいことに、電車の中で一人で笑う練習をしたけど、どうしてもひきつってしょうがなかった。小説に出てくる生意気な男の子が、自分が人にどう見られるか熟知した上で、自由自在に自分の笑顔を操っているのを見て、思わず真似をしたくなった結果のそれが見事に失敗して、ああ君はすごい、さすが小説の登場人物になるほどのひとだ、と一人で嘆息した。





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世の中は情報化社会だから、知りたいことはそれなりに知ることができる。何でも知るのは難しいけど、君が思っている以上には、わたしいろいろ知っている。 と数日前まで思っていたけど、気付いたら知ってることも知らないことも、知ろうとしなくても目の前に突きつけられてグリグリ顔に押し付けられていた。わたしが考える「最悪の結末」は、悲しいことにたいてい当たっている。落ちたらどうしようと思いながら階段を上がっていって、案の定足を滑らせ頭を打ち意識がなくなるその瞬間、「わかってた、もしかしたらこうなるんじゃないかなって予想してた、 だから平気、心の準備は出来ている」って自分を慰めることが、一体どれくらいの慰めになるのか自分でも疑心暗鬼だったけど、わたしが考える「最悪の結末」はたいてい当たっているし、それはわたしの慰めに、確かに、なった。
わたしにとっての最悪の結末は、だれかにとっての最高の結末だ。だからなにもかも悲しくないし、苦しくないし、しんどくないし、つらくない。正当な理由がなくては悲しい気持ちになれないし、正当な理由がなくては辛いと思ってもいけない。客観的に見てその事実が、100人が100人とも同情できる事案でなければ、わたしは哀れまれてはいけない。だからわたしは自分のことで泣けない、すごくつまらないにんげんになったな、と自分で思う。











全てのことを客観視できたとして、正解も不正解も解決法もわかったとして、それが実行に移せない自分のことまでわかったら、いったいどうしたらいいかな。
せめて自分のテンションや表情筋を、自由にコントロールできたらいいのに。




お風呂に入ってきます。










 

2012年11月1日木曜日

じぶんメモ:10がつ本まとめ

なによんだかぜんぜんおぼえてない。重い本いっさつもよまなかった。

読んだのに登録してないのあったから追加した。11/3

20121101-01

すきなひとのすきなひとがわたしよりも(勝手に)    と思ってしまって溜飲を下げている。クズである。コンビニで売っているお水を見るたびに、そして思わず手に取りレジへ運んでしまうたびにまけたきもちになる。おなかが非常にくるしい、




ねむたい、おやすみなさい。

2012年10月30日火曜日

20121030-01

みんながすきだというものを好きになれない、みんながすばらしいというもので泣けない、わたしは欠陥品かもしれない。みんながいいというものが万人にとっていいものだとは限らないってわかってるけど、すきなひとたちが好きだというものをすきになれないのは、大層寂しいものだ。









おなかがくるしい、がんばってねる、
わたしが、

2012年10月10日水曜日

20121010-02

敵はカボチャだ、これは比喩ではない。 繰り返す、敵は、カボチャだ。


小学校の図工室にあったような糸鋸やドリル、銀色の鉄の机、何に使うのかよく分からないそれらの機械が半透明のゴミ袋に埋もれている。黄色のPPバンドや透明なビニール、よくわからない梱包資材でゴミ袋はぱんぱんに膨れているから視界が悪い。ところどころにポツリと置いてある南瓜には顔がついていて、廃墟のような工場をまるでハロウィン風に飾りつけたみたいだ。小さく転がっているそれはただの南瓜だ、だけれどもどこかで見たことがある。そもそもわたしはなぜこんなところにいて、何かから必死に逃げているのだろう? 昼間の間に逃げるか勝つかしないと”危ない”はず、わたしは何で今この工場を必死に探索しているのだろう? それにしてもあの南瓜たちにひどく既視感を覚えるのはなんでだろう? ああそんなことを考えている場合じゃなくて、思い出した、わたしはさっきまで、包丁を持ったひとたちに追いかけられていたんだ、日が昇ってその人達がいなくなって、だからわたしは昼間の間になにかしなきゃいけないんだった。それにしてもあの人達わけがわからなかったな、黒いスーツの殺し屋なんて小説みたいだ、顔がカボチャだから表情が読み取れなくてそれが逆にこわかったんだよな、それにしてもここそこに転がっている南瓜、最近どこかで見たような気がするな。




奇妙な一致に気付いたら、「ゲームオーバーですよ」と言われた。”あれ”と”これ”が同じだということ、気付いてしまうともう遅いらしい。気付かないまま、例えば鬱憤を晴らすように、”これ”を衝動的に破壊していればわたしの勝ちだったようだ。でもわたしは今もう気付いてしまったから、今からこれを壊してみても何の意味もないらしい。そのうち日が沈み夜になる、そうしたらわたし、今度こそ逃げられない。






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上の前歯二本、右側のそれが、ぐらぐらしてぽきっと折れるように抜ける。鉄の芯を残してポロリと取れる、でも上手にはまらないから、わたしは今日の午後の予定を全てキャンセルしてマスクをしておうちにかえる。「ごめんね歯が抜けたから」って理由のドタキャンは、同情してくれる人と何を馬鹿なことを言っているのと怒る人とが半々だ。今日はもう歯医者さんはやっていないから、明日朝一で行かなければならない、今日はこのお花見会場から、新幹線に乗って花火大会を見に行く予定だったのに。わたしの舌は無意識に、抜けてしまった部分をなぞる。気になって左側の歯もベロベロしてしまうので、そっちまでグラついてきてしまってあわてて自制するんだけど、ああ多分これも時間の問題だな、どうせならポロっと取ってしまって、歯医者さんで付け直してもらったほうがいいんじゃないかなってぼおっと思う。

抜けた歯は手に持っていられないから口に入れておく、飲み込んでしまいそうで喋るのに苦労する。






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「はがぬけるゆめを見ると肉親が死ぬ」という迷信が本当だとしたら、わたしの肉親はいくらいても足りない。それくらい頻繁に歯が抜ける夢を見る。
わたしの夢には夢占いが入る余地がなくて、つまらない。






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本当のことをいうと、おさけそんなにすきじゃないんだけど、おいしそうなものをみるとまねっこしたくなる。今日、赤ワインと白ワインとおいしそうなジュース(オレンジとかミックスベリーとか秋限定の濃そうなジュースとか、そういうもの)とミックスベリーのジャムとを混ぜてサングリアもどき作った。おさけは、のみたいじきとのみたくない時期があって、いまはどっちでもない時期なんだけど、思い立ったのでスーパーでいろんなものを買ってきて混ぜた。液体ばかし買ったのですごく重かった。おいしい。




絵でも運動競技でも勉強でもなんでも、もしも理想を目指すために上達するのだとしたら、 わたしの料理の才能はこれ以上伸びないと思う、塩胡椒だけの味付けが一番おいしいと思ってしまう。
最近もやしがすごくおいしいのでいつも食べてるのだけど、この夏、もやしを液体にしてしまったから、もやしを買うたび覚悟を試されている気分になって、緊張する。




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わたしにできるのは拡張で、創作ではないなってこと、あんまり認めたくない。



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今月誕生日を迎えるすきなひとがいるけど、何日だったか忘れてしまった。誕生日は、自分のもひとのものも、あんまり重要だと思ったことないからすぐ忘れる。その人には去年も「誕生日何日だっけ」って聞いたから今年は聞けない。多分X日だろうなってのはあるけど自信ない。20日くらいだったとおもう、おめでとうございます。






わたし絵も文章もへただけど、絵は(部屋の照明が)明るくないとかけない、文章は暗くしないとかけない、ふしぎだなと思って、二杯目のサングリアをおかわりに参ります。












201210010-01

わたしは今日もひっそりと絶望した、ひたひたするしにたみの上でぼおっとテレビを見る。テレビを見るのと本を読むの、ゲームをするのとパソコン見るの、どれかひとつだけだと手持ち無沙汰でたまらない。今日はパン食しか食べていないのに前髪にごはんが一粒ついていて、鏡の前ですこし驚く。





今日ははやくねようとおもったのにもうこんな時間になった、今日のおべんとうがすごくおいしくてわたし一日しあわせなきもちだった。ともだちがいるからたのしいって言うおんなのこがすごくかわいいしうらやましいしかわいい、丁寧にコップのふちをなぞるように暮らすおんなのこがいとおしい。
ひとのこと羨ましいって思わないって決めたのに掠った人のことだけ羨ましくなる。大金持ちも、美人も、社長もパイロットも、みんなみんな羨ましくなんてないのに、触れる範囲の人のことだけ羨ましくなる。ずるい、うらやましい、って思った一秒後に「ずるいってなにそればかじゃないのなんて自分勝手」って思うからすぐに殺される、生まれては殺されてばかりなので死体が澱のように淀んで溜まる。

理由がないと、人と一緒にいれなくなった。理由がないと、人と会えなくなった。だからわたしは仕事がすきだったんだと思う、でもそれも過去形になりつつあって、わたしのこの考え方は、例えばときに便利だけれど、無機で割り切れない人間関係や、そういうものに対しては、酷く弱い。
「どうせいつか死ぬんだから」はすごく便利、無駄遣いや浪費をしなくなる、いろんなことに諦めがつく。わたしはきっと副作用を十分わかった上でこれを使ってる、どっちが辛いかは人それぞれで、わたしは多分こっちを選んだ。





さみしいからって人に会いたくなるのはもうやめようって思って、それをきっぱりやめてしまったら、さみしいってどういうことか、ぜんぜんわからなくなった。
さみしいっていうのは酷いことだ、それを理由にした僕はひどい人だ、だから僕はもう二度と、さみしいと感じてはいけないし、さみしいを原動力に動いてはいけないのだ。



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「すきになるべきもの」にかこまれてたらなにがすきだったのかわかんなくなった。





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最近ついてまわるこれからもう一生開放されることはないし、ますますつよくなるばかりだ。どうやって折り合いを付けようか。カウントダウンは終了してしまって、ちいさなころからカチカチ音は聞いていたけど、終了したからって何も変わらなくて、どうせだったら時限爆弾みたいに爆発してくれたらよかったのにな、って思う。




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冷凍庫に常備してあったはずのチョコレートが、数ヶ月前から姿を消した。ねむたい。キャラメルクレープは殺人的にあまい。ねむたい。マシュマロはゼリーが入ったものがいっとうおいしい。ねむたい。なんであれ、100均でしかみないんだろう?ねむたいな。



みなきゃいけないものしなきゃいけないことみたほうがいいものしたほうがいいことたくさんあるけどほんとうにそうだろうか。使わない資格たくさんとって喜んでるばかなひとみたいだ。





ねむたい。






2012年10月7日日曜日

20121007-01

起き上がりたいけど起き上がれないこがねむしみたいだな、と思う。

僕の願望は僕の手に余る。やりたいこともないのにひり出そうとするから粘膜が痛むのだ、かたちのない夢など空虚な害悪だ。自分の矛盾をぼくら慈しんできたけれど、おとなになって、折り合いがついて凪になる、生き易いはずなのにちっとも楽にならないので僕は途方にくれている。




例えば僕の畑には、キャベツと胡瓜、茄子とトマト、そして伸びすぎたアスパラがある。ささやかなビニールハウスには、形が悪く量も少なく、人様にはあげられない、でも自分で食べるには十分な野菜が何種類かある。生計を立てるため畑を耕す、昔話みたいに鋤と鍬なんかは使わないが、トラクターでだって十分風情がある。僕は生まれてずっとこの景色の中で暮らしているのに、だのに毎日泣きそうになる。ここの冬は長いと人は言うけど、ぼくにとってはあっという間だから、冬は毎日防寒着を着て舌の上にチョコレートを乗せ、一番大きな車庫に入る。車庫まで歩く間に空を見上げると本当に空気が澄んでいて、頬がぴりぴりするのも、舌に乗せたチョコレートが全く溶けないのもなにもかもが愛おしいと感じる。ああ今日も一日終わった、ああそしてすぐに明日が来る。人はよく、なくしてしまってから大事なものに気付くというが、僕はそれが当たり前のように傍にあるときから、それの大切さに気付いていた。だから毎日時間が過ぎるのも悲しくて、それがそこにある当然がありがたくて、泣いた。後から気付くのと、常に気付いているのと、どちらが幸せだろう。僕にとっては生まれたときからそれはずっと、カウントダウンのようだった。



ぼくはあと数年でこれをなくすだろう、愛おしいこれらを捨てて出て行くだろう、そういうことがわかっていたから、もしかしたらずっとそう思っていたのかもしれない。愛おしいものや愛おしいひとたち、それらにうずまって暮らせないのは、愛おしいとか愛おしくないとか、そういう話じゃない。







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例えば左手首から肘上にかけて自傷の跡がびっしり残る女の子に対しても、採血する際の決まり文句である「採血で気分が悪くなったことはないですか?」と言 う、この瞬間に私はわずかなおかしみを感じる。その女の子が恐ろしそうに針から目を逸らすのも、かといって興味深そうに血管をのぞき込むのも、そのどちらにもおかしみを感じる。でもこのおかしみは言葉にして説明するととたんにつまらなくなるし、おもしろいと感じてはいけないことかもしれないとも思うし、むつか しい。心に浮かんだツッコミの言葉はそのまま飲み込みニッコリ笑ってさっさと採血。おかしみというかをかしというか、とにかく、ひとりでおかしみを感じる。

彼女の血はどろどろしていて、黒かった。




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どろぼうがわたしの家の敷地に入ってきて、車を盗む夢を見た。「ここはわたしの土地だから、あなたに入る権利はないです」と、緊張しながら口にした。階段の踊り場の小さな窓、顔さえ出せない大きさのそこから必死で叫んだ。ほんとうはここはわたしの土地じゃないって知っていたから、そのセリフを口にするとき震えたし、こっそり持ち主を盗み見た。でも彼は何も言わなかったから、ああ、許された、ここにいていいのだ、とまた震えた。






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世の中で「才能」と呼ばれるものは、すべて「想像力」ではないのかとふと思った。
ゼロから1を生み出す人と、1を100にする人がいて、僕ができるのは後者だ。そのことに気付いたのは多分結構はやい、認められるしお金にもなるかもしれない、でもこの自分に対する敗北感や絶望は、死ぬまでついてまわると思う。













2012年10月6日土曜日

20121006-01

戦国鍋TVの話を一瞬します。


いま島原で乱れ隊を繰り返し繰り返しみてるのですが、エキサイト翻訳ぽい歌詞でものすごくすきです。「精神的に~精神的に~」って!「精神的に~精神的に~」って!基本的に戦国鍋テレビの曲ってけーぽっぷぽいやつ以外好きなんだけど、今これがものすごく好きです。あとずっと気になりつつまだググってないんだけど、天草四郎てアゴのライン変えたの?!ちょう気になるんですけど。あとずっと前から思ってたんですけど、このひと、あの、向かって右の人いるじゃないですか、この人わたし多分ものすごくすきなんだけど、好青年ぽく見えてめちゃくちゃ浮気しそうだから好きになったら辛そうだな~でもものすごく(顔が、とかじゃなくて、なんといったら言いかわからないんだけど全体が)好みだなって思いながらずっと見てます。島原で乱れ隊じゃなくて大石倉之助とか商人のときのほうが好きだけど、なんか見るたびに、「リアルなかんじで好みだけど絶対すきになったら苦労するな」って毎回思います。あんまり三次元の男の人に興味がないので異性として好きな芸能人とかあんまりいないんだけど、この人見てるとへんな気持ち(前述)になるので、全然身に覚えがないけど、もしかしたら僕は過去にこの人に似た人を好きになって浮気でもされたトラウマがあるんじゃ、って思ってしまうほどです。

純粋にかおがかっこいいな!っておもうひとは、テレアポみたいなやつのときの黒田のひととか、伊達ママとかいっぱいいます。でも多分もしクラスにみんながいたらと考えたら好きになるのは前述の彼か、うつけバーの常連の彼です。


あと最後にひとつ言わせてください、ミスターのお手つきジャンピンて狂ってませんか(褒めてます)。「お手つき」とかを生々しい言葉や絵面で想像するわたしがわるいんですか、いやでも(パロ元を思い浮かべたりして)裏側の暗黒面とかを思わず考えてしまいます。プリーズお手つきですよ、かなり狂ってると思います(褒めてます)。







オードリーANNの話を一瞬します。


多分、「お金がなくても愛さえあれば」って言う女の子は、3畳共同トイレ/風呂なしの暮らしをしたことないだろうししてる彼氏と付き合ったことないだろうし、生活のために借金してたり督促がたくさんきたり差し押さえにおびえたりガスも電気も冷たい水さえ止まってしまってまっくらな部屋で真冬にぶるぶる震えていたりしたことないんじゃないかなあという偏見をわたしは抱いている。





戦国鍋の話があんまり一瞬じゃなかったのでANNの話を一瞬にしたら、オードリーのオの字も出てきませんでしたね。









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青いシャープペンシルの芯を買った。憧れであったので、とてもうれしい。





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先日生クリームとキャラメルソースだけのクレープを食べて以来、ずっと好きでたまらない。それをメニューで出してるお店ってほとんどないんだけど、頼むと作ってくれるところがたくさんあることがわかった。クレープの皮って、パリパリのとふんわりのがあるけど、わたしはふんわりのが好きだ。ひとつ好きなクレープ屋さんを見つけたんだけど、メニューにないものを頼むと(しかも結構な頻度で)顔を覚えられるのではないかというストッパーがかかり、なんとか暴食をしないでいます。






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いろいろ書きたいことがあったけど、わすれてしまったので、日記らしい日記だけでおしまいにする。おわり。













2012年10月2日火曜日

20121002-01

小野不由美先生はじめてよんだけどものっすごくおもしろかったです!
7巻よんでるときのわたしはこんなかんじでしたよ。
つぎはねぇしきと十二国記よむよ、でもそのまえに犬をさがして折れた竜骨をつぐよ。

2012年10月1日月曜日

20121001-01

わやだなとおもうことたまにある、でもわたしすきなひとしかみてないし、すきなひとばかりだし、ねこはめんこいし、しあわせだな、と、おもう。わたしは、わたしはね、「わたしもうしらないよ」っていうのを、なんともなしにいいたい。おはよう、こんにちは、こんばんは、おやすみ、わたししーらない。






最近おふろはいってあがったら何時間もたってて、こまる。
チャっとおふろはいって、チャっとかみのけかわかして、チャっとねよう。

最近またおとうふチンがものすごくおいしい。
チンしてめんつゆかけるだけ。すごくおいしい。
めんつゆじゃなくても、チゲにいれても、スープにいれても、おみそしるにいれても、なにに入れてもおとうふおいしい、すごい。
多分ラーメンにいれてもおいしいとおもうよ?





おふろチャっとはいってきます。







 

じぶんメモ:9がつ本まとめ

今月も重いの読まなかった。第五番くらいな気がする。
最近人が無残に殺されたり、法律の理不尽さに泣いたりするお話よんでない。つかれているのかな。

なんでか、暗くて重いもの読んでないと、怠けている気分になる。
わたしの考える暗くて重いものっていったいなんだろうなあ。
人が、ただ死ぬんじゃなくて、すごく後味悪い感じで死んだり、誰も救われなかったり、何も裁けなかったり、そういうの。でも実話は絶対いやだ。


マルドゥックシリーズ読み終えて、小野さんよみはじめた。
十二国記の完全版ニュース発表されたときに、みんなざわざわしていてずっときになっていたのだけど、なかなか手が出せなかったから、ゴーストハントよみはじめられてすごくよかった。おもしろい。しきはアニメのイメージだけどアニメもすごくおもしろかったから原作もたのしみ。こわいんだべかな。
ツイッターでフォローしている人が面白そうな本読んでいたり感想言っていたりするのすごくたのしい。





叙述のものすごーいやつずっと探してる、よみたい。





2012年9月30日日曜日

ヘドウィグ感想

ヘドウィグアンドアングリーインチ舞台見てきた。



原作がすごい好きで、森山未來もだいすきなので、ツアーファイナルすごくたのしみにしてた。舞台自体見るのすごく久々で、ミュージカル的なものも久々で、だからなのかもしれないけどいろいろもんやりした。
千秋楽明日だけど、ネタバレになるので、アレなひとは注意してください。
もんやりした感想ばかりです。


2012年9月25日火曜日

20120925-01

幸せになるための/幸せでいつづけるための「努力」は必ず必要で、もちろんそれを努力と認識せずに続けられている人も多数なんだけれども、僕にはそれは相当な労力で、だから今幸せでいる人を羨ましいと思ったことはないし、妬んだこともない。小さい頃から相当な練習を積みオリンピックに出て金メダルとった選手に対しての感情とおなじ、「すごいな」「よかったね」とはおもうけど、「ずるーい」とか、「わたしもそこになりかわってやりたい」とかは思わない。それを手に入れるために、どれだけ普段の努力をしてきて/していて/していくか、なんとなくわかるからだ。






幸せになるための努力をせず怠惰な暮らしを食んでいるけどこれを持続するための努力は一応しているし現状幸せ、幸せじゃないけどわたし幸せ、ああ幸せとは一体なんぞや。


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あの人のことはすきだけど、それは多分、あの人が年上で頭もよくて尊敬できるから。だから多分、あの人がもし崩れてしまったら、最初はそりゃあ愛おしいと思うかも知れないけど、あの人の背負ってきたもの尊敬する部分その重みが全部ずっしりとわたしにのしかかってきたとき、わたしは支える自信がない。だからわたしは、あの人の手を握れない。
庇護だけされたいただ好きなだけでいたい支えられたい守られたい。こんなのまるで親がほしいみたいではないかとふと思ったが、子供だって親を支えているし守っている、つまりは「こどもみたい」ともいえない、ものすごくちっぽけでつまらぬ感情だ。


それでも都合のいい部分だけ好きにはもうなれなくなった、わたしもいっとうおとなになった。








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今日はわたし20時に寝ると決めたのですよ、でももう21時なので、21時半には寝ようと思うのです。









2012年9月23日日曜日

20120923-02

すきなひとと、好き合っている同士でなければできないことがしたいわけではないから、わたしは好きな人に好かれてなくても、べつになんとも思わない。

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コンビニエンスで298円くらいで売られてるハーゲンダッツクレープグラッセショコラフランボワーズが、スーパーで198円で売られているので、ああ、スーパー様!って気持ちになった。高くておいしいアイスをみると、おかあさんにたべさせたくなる。パルム抹茶はたべたけど、わたしはやっぱりオレンジパルムのほうがすきだった。抹茶味は「パルム抹茶」だし、オレンジ味は「オレンジパルム」ってかんじする、不思議。



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次の約束はしないけど、駅まで送ってくれる程度のやさしさを持った人、





次の約束するのがすごくきらいですごくにがて、「またね」で全部すましちゃいたい。








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今日たくさんねた、間違って冷房24度にしちゃったみたいなお部屋の中でたくさんねた、のどがいたくなって、またさらに錯覚に陥った。徒歩五分の死ぬほど遠いスーパーマーケットで198円のアイスを買ったら、必要なものを買い忘れた。積読本が一時的になくなりわたしの明日の通勤に危機がせまる。

ねこがニャーニャーないているとき、ほんとは何を言ってるかわかることのが多い。何をいってるのかわかるけど、「それはだめだよきけないねがいだなぁ」という意味であえてしらんぷりすること多い。ひとりでできるのに手伝ってーっていうことや、入っちゃいけない押入れが開かなくてあけてーっていってたり、そういうときにニャーニャーなく。一人でおといれできないときにもなく。心を鬼にして知らん振りしたり、おこったり、ニャーニャーうるさいなこのやろう!とぎゅっとしたりする。めんこくてしろくてふわふわないきものだなあって思う。

これは猫でも人でもおんなじなんだけど、わたしはおなかに頭をのせてねむるのがすきだ。おなかに耳をくっつけると、いろんな音がしておもしろい。いきものはあたたかくて、おなかのなかではいろんな内臓が頑張ってはたらいていて、すごいなあっておもう。すごいなあって思うと同時に、いつかこの音が消えてしまう日が来るのだなって思って、勝手に切なくなったりもする。




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野ばら会か、バベルの会を結成したい。活動内容はおもいつかないので、古いかんじの喫茶店で集まってほんをよむとか、そういうのでいい。 それもめんどくさかったらなにもしなくていい、「バベルの会のXXです」って名乗りたい。名前もべつに野ばら会でもバベルの会でもなくてもいいからすてきななまえがあればそれでいい、ああこれが、所属欲というものか。だからブログで募集します、入ったらきっとすごく、たのしいよ?入会希望者はハガキ、FAX、電話(フリーダイヤルは平日10時から18時です)、もしくはメールやリプライで連絡をください。







コッソリ好きな人が何人かいるけど、多分相手も気付いてるんじゃないかな?って思ってる。多分好き度はあんまり伝わってないと思うけど、好きでいることは結構気付いてるんじゃないかな?って思ってる。





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どんどん寒くなってうれしい。さむいのすき、さむいのすきというかなつがきらい。さむいのはいろいろとたのしいよ、むしもでないし、お布団がより好きになるし、長袖の服はかわいいし、ねこはあたたかいし、チョコレートが口の中でも溶けない。
チョコレートが一番おいしく食べられる季節、それが冬です。




20120923-01

2m級のロボット、ガンダムや戦隊もの的なロボットに襲われた。
わたしより少し大きいサイズのそれは、赤くて、かたい。装甲を傷つけるのはなかなかむつかしい、一点を狙いガンガン殴りつけるとパキっと線が入り、割れるが、かなり難しい。なので関節を逆に折る。中身は白く、まるでエビのようだ。どう倒すかというと、通電する身の部分に電気を流して感電させる。2センチくらいの三角のプラスチックの神のようなプレート、頂点部分にパンチであけたような丸い穴が開いていて、そこに電極をつなげる。その三角のプレートを、関節を折ってむき出しにした白身の部分に刺し、電気を流し、やっつける。




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母と二人暮らしをしていた。
キッチンと、4畳の和室と、4畳の板間。 猫のトイレがなくてダンボールで自作した。朝起きてお風呂に入る母のために朝からカレーを作った。父が迎えに来て、着付けをしなければならないのだけど帯の締め方がわからなくて、とりあえず朝カレーをたべようではないか、とわたしは言った。







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スーパーと薬局、徒歩5分だけど今日は外国よりも遠い。



2012年9月20日木曜日

20120920-01


封すら開けていないブルーレイBOX、クリアしてない各種ゲーム、録画したけど見てないアニメ、積まれたままの小説マンガゲームにCD。 世の中にこれから見る/読む/聞くたのしみがたくさんあるのはすばらしいことだ、すばらしいことだけど、人様の作ったものを消費ばかりしていて何も生み出さない、生み出せないならまだしも生み出そうとする時間もとれないなんてなんてばかげたことだろうと思う。食べるためにものを食べる、味わうためにものを食べる。そうなんだけどどうしても、それを飲み込み咀嚼し吸収し、それを養分になにかを育てる、そうできないとどうしても、「なんでどうしてぼくは食事をしているのだろう」という気持ちになってしまう。ぼくには何かを生み出す子宮どころか、養分を消化し吸収する胃や腸すらないかもしれない、なのにどうしてもそう思う、そうしてそれをこうやって、モゴモゴ考えること自体、なんとおろかなことだろう。排泄行為ができないことを嘆いているわけじゃなくて、する時間が取れないことを嘆いている、それと同時に、何馬鹿なことを言っているのだろうって自分でもよく分かる。時間はなんぼあってもたりないなと最近とみに思うけど、わたしはわたしの性格をよく知っているから、足りない時間のために時間を作ることはできなくて、いきおいどうしても削られるのはああいう部分で、ああいう部分を削ってひとり排泄行為に時間を割いてもそれでも時間が足りなくて、しょうがないことは自分が一番わかっているから、ちょっと泣き言を言いたくなった。




自分になにが決定的に足りないか、自分がいちばんよくわかってる。
でもそれすら、今度ちゃんと時間をとって考えようって思ってしまってばかみたい。
時間がたりないをいいわけにするということは、ほんとうにやるきなわけではないということだ、
すくなくともぼくの、この問題に関しては。








毎日ひどくねむたい。実はきのうパルムの抹茶を買った、でも食べる気になれなくて冷凍庫に入れたままだ。毎日ひどくねむたい、ひどくねむたいまま一週間が過ぎて、一ヶ月が過ぎて、一年が過ぎる。気付いているけど止められない、困っているけど多分諦めてもいる。









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生まれるときと産み出そうとするときがあって、後者の場合、決定的に何かが間違っていて、それがどんなに愚かで/醜くて/哀れな行為かってのは、わたしよくわかってるよ。わかってるけどそれでも、わたしは天才でも運命でもなくて、でもただただその行為がすきなんだから、しょうがないよ。









2012年9月16日日曜日

20120916-01

自分のしてきたひどいこと、反省すべき醜い部分、文章にしてリズムを整え書き言葉として推敲するからわたしは多分救われない。後ろめたくはきちんとあるから自分の醜さに疲弊する、だけど望んでいるからやっぱりわたしは救われない、ほらどこまでいっても自分のことしか見事なまでに考えていない。わたしはうそつきだし、ごめんなさいがいえないし、変えられない部分を自覚してその上でもうだれかにひどいことをしたくないから一人でいるのを決めた。ひどいことなんて所詮文章に書き表せられる程度のことしかしていないのになんという傲慢だろう。




罪悪感を額縁に入れて飾ろうとするのは浅ましい。




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人間として最低なことを言うと、僕は君を傷つけたという事実に傷付いている。それが些細なことであろうと100%僕が悪いのであれば死ぬまで毎日罵られ理不尽な目にあいそれでも歯を食いしばりその「罰」に耐えねばならぬのかとげんなりする。「お前が悪い」は一度でいいよ、指摘され逆切れし触れられたくなさに伸ばされる手を払いのけることしか出来ない程度に僕は性格が悪いから、例えばきみが何事もなかったかのように僕を許す/もしくは僕はそもそも君の事を大して傷つけてなんていないよと笑い誤解を解く、そんなふうには到底感じられない。


ほんとはね、僕が誰かのことを、一生引きずるほどに傷をつけるなんて不可能だってわかってる、だからこんな後悔や反省や後ろめたさが全くのムダなものだってもわかってる。二十歳の前途ある若者を塗れた浴槽で出迎え潰し消費したとき、僕はたいそう後悔して懺悔したんだ、でも別に、彼女にとってそんなこと、とるにたらないことだった。これがおこがましいといわずになんと言う?


彼女は今日も明るく笑う、僕のことさえも笑って出迎える、久しぶりだねって言って頭を撫でる、ときには手だってつなぐ。








わたしは下らない人に傷つけられたりしない、だから君も、わたしのせいでは傷付かない。










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買い物に行かなきゃ行けないのにいくのがめんどくさい、どれくらいめんどくさいかというと、「人間はどうせ死ぬときに何かをもってはいけないのだからなにも買う必要はないのでは」という理論が頭の中をぐるぐるする程度にはめんどくさい。その言葉通りもう納得してしまえばよいのにまだ買い物に「行かなければならない」と思っているのはお部屋の掃除をしたいから、なぜ掃除に買い物が必要なのかというと掃除機のパックがないから、という理由のほかに、なにか掃除用具的なものを買い、形から入らなければ僕は到底部屋の掃除なんてしないだろうなと思うから。常に引越しと死ぬことを考えてる、 希死念慮があるわけではなく人はいつ死ぬかわからないから。例えば僕の部屋には僕がもう使わない/且つ価値のないものがゴロゴロある、僕が明日死んだら、だれかがその膨大ながらくたを片付けなければならない、それは大変だろうなあ、そうだ生きているうちにせめて後片付けが楽チンに出来るようにしておこう、そういう動機から僕は部屋の掃除を、いま、とても、したい。したいんだけどめんどくさい、だってよく考えたら死んじゃったらもうどうでもいいじゃん、全部焼き払ってしまえばいいじゃん、いやだめだそれは現実的ではないだってここは借家だし勝手にゴミを燃やすとお上に怒られるから、じゃあやっぱり生きているうちに整理整頓をしなければな、こんな感じでぐるぐるしている。











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文通てなにかけばいいの。見えないお手紙出しちゃだめなの。

なんでわたしと交流したいの、責めたいの償われたいのなんのためなの。
お金もコネも地位も技術もなにもないよ、わたしと交流してもいいことないよ。
罵声を浴びせたいからちょっときてって、言われたほうがほっとする。










掃除機パック買ってくるね。

2012年9月12日水曜日

20120912-00


ぎふあにめおもしろゆ~

ぴくしぶのこうざにあるような高度のじゃなくて、バナーに使う程度のやつでも
じゅうぶんおもしろいです
1ふんくらいのらくがきでほらこんなにもかわゆい(自画自賛)

2012年9月11日火曜日

20120911-01

最近毎日温いゲルの中を泳ぐように生きている、手も足も重く耳も遠い、視界はぼやけて言葉が出ない。曇り硝子を拭くようにそのうちサッと晴れるのだろうと期待をしていたのはひと月前まで、今はもう、このゲルがわたしの今の現実だとわかってしまった。だのに重いのにも見えないのにも全く慣れない、きっとこう して朽ちてゆく。






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今日スーパーで買わなきゃいけなかったものやコンビニで払わなきゃいけなかった公共料金やさっきまで頭を渦巻いてた罵倒とかぜんぶぜんぶなくなった。やりたいことたくさんあるけどいざやろうとすると何がやりたかったのか忘れる、忘れてなくても、「それは時間がかかるから、また今度ゆとりと体力のあるときに」と思って後回しにしてしまう。






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しにたいのは「しぬ」という行為がしたいわけではなく「ゴールしたい」のである、だから、しんだ後地獄に落ちたり地縛霊になったりすぐに虫や人間に生まれ変わってしまうのであれば、ぜんぜんしにたくない。おまけに言ってしまえば、ゴールするまでの道のりがつらかったりしんどかったりするのであれば、全然ゴールとかしたくない。別にぜんぜんしにたいわけじゃないのである、ゴールがしたいだけなのである、締め切りに入稿しヤッターという達成感が味わいたいだけなのである。何を言っているのかと思うよね、ぼくにもわかりませんよ、ねむたいんです。








2012年9月10日月曜日

20120912-01

わたしの携帯はメールが来ると、震える/もしくは音を鳴らせてその着信を知らせる(あ、きみのもそうなの?奇遇ですな)。差出人と件名のみが画面に表示され、決定ボタンを押すと本文が見られる。件名でメール内容が推測できない場合、本文を見るのが非常にこわい。死ねって書いてあるんじゃないか、あなたにはがっかりしました?わたし傷付きました?もう二度と顔を見せないで下さい?全部ひっくるめて死ね?こわい。こわいよぉと思いつつ開いたら、全く関係ないメールで今日もほっとする。


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社会やストレスや放射能のせいにするくらいなら、わたしは生理のせいにしたい。







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悪態ってすきなひととしかついたことないしすきなひととこねくりまわして遊ぶものだと思ってる。嫌いじゃない人の悪態をつく、指先だけで手をつなぐみたいにこっそりと。



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ひとの名前を覚えられないのは、覚える気がないからだって、さっき図書館で唐突に気づいた。興味がある人以外に興味がない、好きでも嫌いでもない、いまこの瞬間だけうまくやれればいい、この先どうこうは全く考えてないから笑顔でものすごく社交的に会話ができる、でもどうしても、名前が覚えられない。そうか、わたしは覚える気がないんだなって、はっきりわかってすっきりした。と同時に、ひとにも顔も名前も覚えられてないだろうなって思っているから、そうじゃない場合、至極恐縮する。でもそれだって本当は、恐縮しているふりをしているだけかもしれない。


それとはべつにわたしは記憶がすぐなくなる、よっぱらったとかそういうことじゃなくてすぐ忘れる。昔のバイトの同僚、お客さん、クラスメイト、 部活の後輩、仕事の部下、取引先のひと、せんせい、おさななじみ、エトセトラ。だから同じように時間を過ごした人に、共通(であるはずの)知人の話をふられて、まったくピンとこないことが多々ある。ひとの名前がおぼえられない、と、記憶が片っ端からこぼれてゆく、それらのコンボでぼくは、人間をうまく認識できない。認識できないものは未知の生物であり、つまりは恐怖の対象だ。





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夜の高速道路乗りたい。 日が落ちかける、19時くらいの時間から、朝の7時くらいまで。東京から出発をして、西のほうへ。どこにもつかなくていいよ、多分ただ何か、夜の街並みとか夜の道路が見たいんだと思う。夜の羽田空港、夜のお台場、夜の高速道路、夜の豊田、全部しにたくなる。別に東京に限ったことじゃなくて、智頭急行でも近江鉄道でも根室本線でもそうだから、明るいところに飛び込んで行く蛾みたいに、わたしのどこかにそうインプットされているのだと思う。
夜の羽根木公園で、ピアノ弾きたい。






たまに誰かに電話したくなるときがあるけど、わたしがいまほしいのは、でんわをして声を聞くとか会話をするとかそういうことじゃなくて、それどころかほしいのはきみでもないってことを自分でよくわかっているから、ボタンに触れないようにする。





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自分の文章最近句読点が多くて、読み返して「なんやこいつ息切れしとんのか」と思うことが多々ある。







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この世から大好きなものを全て消してしまえばよいのでは。
何かに一喜一憂して揺り動かされるわたしはみにくい、大好きなものや心惹かれてしまうもの、それらのことを考えるとしばらくいろんなところが痺れて使い物にならないし対峙するのに体力削られる、だったらいっそのことそれらを消し去ってしまえばいいのでは。そうはいっても消すのは忍びなく、かといって接し続けるのは辛く、本棚の奥や天袋、PCのどこかのフォルダに追いやられたそれをときどき引っ張り 出して眺める、また打ちのめされる、しまう、忘れた頃に取り出す、打ちのめされる、しまう。それを見れば必ず心が動くものは劇薬のようで、多用しても耐性がつく前に毒にやられて死ぬ、でも捨てられないし、愛用もできないし、どうしようか。












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今日はいちにち製餡2課に派遣されたので熱気とにおいでたいへんでした。毎度のことだけどバイトの女の子は倒れるし、もっと今の若い子は体力つけたほうがよいとおもう。変に時間が余ってしまったのであまった人たちでひたすら田舎饅頭の皮と餡子を分離する作業した。こんなにぞんざいにむしったりつめたり作ったりしていても、それでもこれらのおかしはとてもおいしいし魅力的で、いくら社食で崩れたケーキが食べられたとしてもお金を出すのに抵抗なんてわかないから、つくづくここの商品はすごいなって思う。
夏みかんの味のゼリーがおいしかったのに、今年はそれが梅味になってた。
梅は大好きだけど、すこし残念な気持ちになる。

















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近くにつかめるものがあったらつかみそうになるからだれか両腕しばっていいよ。





2012年9月9日日曜日

20120909-01

バイクの後ろでぼおっと町並みを眺めていたら、あ、しにたいな、って思った。唐突に、そして久々に訪れるしにたみに、わたしはすこしおどろきながらあまりの懐かしさに苦笑いした。苦笑いしてから、バイクの後ろで「しにたい」なんて思ったらそれがたやすく叶えられてしまいそうでこわいなって思って、必死で下らないことを考えた。すれ違いざま隣の車を蹴ったら怒られるだろうな、いま手をぱっと離したらびっくりするかな、おなかにぎゅっとする代わりに乳首をぎゅっとしたら驚くかな。一番最後の妄想が一番下らなかったので、必死で乳首をぎゅっとすることを考えていた。なんとか事故らずに帰宅が出来たのは、下らない妄想のおかげもあると思う。


スーパーで買い物したら/自転車で駅まで行けたら/電車に乗れたら/ポストを開けて中を確認できたら/おうちに帰ってきたら/靴をはけたら/お風呂に入れたら/髪の毛を乾かせたら/お布団に入れたら、いちいち「えらいね」って褒めてくれる人がひとりほしい。褒められるべきこと/やって当然なこと/いきものとしての本能の行動、それらを全部いちいちほめてほしい。頑張らないと仕事もできないし、おせんたくもできないし、ごはんもたべられないし、ねむれないし、生きていかれない。わたしまいにちがんばってるよ、がんばって息を吸って吐いてしてる、だから全ての行動と活動を、いちいちおおげさに褒めてほしい。





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分析をする、分析をする、分析をする。1に1を足したから2になった、2だったものがいま5あるのは3が足されたから、5だったものがいま15なのは、10が足されたもしくは3倍に増えたからだ。原因がはっきりとは特定できなくてもある程度は絞れるし原因が分かれば対処もできる、だから僕は今分析をする。しにたいのはべつにいい、きえたいのもべつにいい、問題は何がトリガーでいまこうなっているかだ。些細なことがきっかけになる、買ったアイスがあんまりおいしくなかったとか、ポイ捨てしている人を見たとか、電話をかけたら留守だったとか、そんな下らないことでも十分理由になるから、それが何だったかを僕は丹念に探し出す。
理由をいくつかピックアップし適当なものを見繕いそれを無理やり当てはめる。インパクトが弱すぎると自分を納得させられなくてなかなか難しい、大切なのは本当のそれを探し出すことではなくて、いかに自分が納得できる理由をこじつけられるかでもある。今日はなんにもこじつけられなくて、だからといってじゃあ心のままに動いたとしてもさらにドツボにはまることはわかっているから、右にも左にも傾かないように背筋を伸ばして停止する。このまま誰か眉間にパシュンと、麻酔銃を打ち込んでくれていいのに。






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スーパーで食材を選んでご飯を作ってたべたり、お風呂に入ったりお買い物したり税金を払ったり、そういう現実的なものをかんがえたら、あ、だめだな、って思う。じゃあだめじゃないひとがいるのかといったらいない、ああだからわたしはだめなんだな、って思う。

さみしいと思うときに人と一緒にいると余計さみしくなる、そういう性分だから、下らないことを考えてそのさみしさから目を逸らし、誰かの服のすそを握った指をゆっくりひらく。






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ことしあと4ヶ月だって。わたししらなかった。
わたし、ここ5年くらいずっとしんでいて、それがさらに、また1年つもる。



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溺れたときに藁をもつかんでしまうの、転びそうになったときに腕を出してしまうの、器官にものが入ったときにむせてしまうの、そういう反射的な行動、全部やめてしまいたい。ひとりで溺れて、転んで、窒息すればいいのに。







通りすがり目が合った人に人生を全部ゆだねるなんて、あつかましいにもほどがある。








2012年9月2日日曜日

20120902-00

分厚いガラスは何トンもの水の重みに耐えられるようにできている。床からせり上がるように生えているそれは僅かに湾曲し、まるでそれが壊れてしまったときのほんの僅かの保険のように、透明なセロハンが10cmくらいの空間をあけそれらを覆っている。地面から天井まで、2点でしか止められていないセロハンは若干撓んでいるため、ガサガサ音をさせそれを押すと固いセロハン越しにガラスに触れることが出来る。ガラスはプラスチックのように柔らかく、継ぎ目が粗い。カーブを描いた回廊は薄暗く青白い。

ここのものたちは視力を持たないのですよ、と説明が言う。視力を持たないので、光も必要ないのです、だからこの中は深海のようになっており、そこで彼らは暮らしているのです。透明度70くらいのエビの群れ、シロクマの子供、少年、成人男性。区画に区切られて生息しているものもあればそうでないものもいる、エビの群れが泳ぎ回る様子を見ているとまさに深海に見えるがそれではここにいる少年や成人男性はどうか。人間である以上水の中では息が出来ないはず、よく見ると水のようなこの分厚つく柔いガラスの向こうには気泡がなく、そうするとこれはやはり水ではないのか? ポメラニアンの大きさのシロクマの子供が、柔らかいガラスのつなぎ目の部分で足踏みをする、水の中のように真横になって。ガラスが若干足踏みに合わせベコ、ベコ、と動くので、わたしはセロハンごしに手のひらを当てる。シロクマの子供が押す、わたしも押し返す。こんな分厚いガラスを隔て全く違う空気(もしくは粘度の高い液体のようななにか)の中でお互いがガラスを押す圧力を感じ合う、まるで意志疎通が出来たような奇跡を感じてわたしは微笑む、そうするとシロクマの子供も微笑んだ。彼は小さな端末を取り出し何か文章を打ち込み、わたしに見せた。そこには英語で、「ぼくは君に、プロポーズは出来ないけれど」と書いてあった。そのジョークを見て、わたしは更に嬉しくなる。
彼らは視力はなくとも瞳を持っている、光を感じる機能はないので眩しさも感じない、漫画の中の吸血鬼のように光を浴びダメージを受けることはない。ここが薄暗いのはただ単に、光が必要ではないからだ。


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彼女はこの施設の一角の檻の中に住む。いつから住んでいるのかは知らない、最近入ったのではないが、生まれたときからと言うわけでもないようだ。長い黒髪に少し吊った冷たい目、黒いセーラー服。リノリウムの床の一角に数枚の畳、その上に置かれた文机に原稿用紙を広げ小説を書いている。彼女の檻に内包されるように、先ほどの深海のようなガラスがある。こちらにはセロハンはなく、薄暗くもなく、ガラスの隅には出入り口がついている。ガラスの向こうもまるで動物園の展示のようで、明るく、木々が適度に配置され、オラウータンの展示にあるような縄でできたブランコやタイヤを吊った遊び道具がある。

少年と少女は姉と弟のようだ、彼女とは馴染みのようで、僕には口の端を少しあげる程度の笑みしか見せない彼女も彼らには楽しそうに話しかける。彼女が満面の笑みを見せることはない、いつでも口の端を僅かにあげる程度の皮肉な笑い方だが、少年たちに対してのそれには彼女の甘えが感じられる。僕には飲み物の差し入れ、机の上の片づけ、本を本棚から取る程度のことさえも頼まない彼女は、彼ら姉弟に本の校正を依頼している。
弟がオラウータンの遊び場で満足するまで遊ぶ、姉は僕と彼女とともにこちらからそれを見守る。少年はふざけてガラスを内側からドンドン押す、それを僕はこちら側から押し返す。まるで先ほどのシロクマの子供とのやりとりのようで、僕は少しうれしくなる。シロクマの子供と違い、少年はこちらとあちらを自由に行き来でき、こちらでもあちらでも自由に遊べる。


次の小説が出るの、と彼女が言う。散らかった机の上にはいつの間にか、文庫の表紙の見本があがっている。遊びあきた姉弟が畳の上の原稿用紙で遊んでいる。表紙の校正も姉弟がしたようで、彼女がどんなに姉弟を信頼し、そして甘えているのかがわかった。帯には「XX賞受賞作品」と書いてあり、僕は彼女の受賞ペースに驚く。確か彼女は処女作で権威ある賞を受賞しデビューした、いま執筆しているのは二作目のはずだ。「1作目に続き2作目も受賞が決まっているの、すごいね」と僕が言うと、彼女は唇端を僅かにあげて「1作目を書き終えてから、すでにもう20年経っているのよ」と呟いた。彼女は昨年デビューしたはず、期待の新人として2年目に突入し今2作目を執筆中のはず、何をおかしいことを言うのかと呆気にとられて後ろを振り向くと、姉弟が砂になり崩れて白骨になった。「だからわたしさっき言ったの、これが彼女たちに頼む最後の仕事だって」「だから彼女たちさっき言ったでしょ、『さようなら』って」

2012年9月1日土曜日

20120901-00

四角く、大きな部屋。部屋というか、空間。天井までがとてつもなく高く、四方の壁にぐるり沿うように座布団が積み重なっている。一度落ちると上ってこられない、ただし物を掴める手を持った生き物であれば積みなおし・崩すことができる。


小さな毒蛇とコブラ、ワニ、そのほかそういう形の人間を「噛みがち」な生き物がそこらかしこをうろうろしている。それらの生き物は殺気立っており近付くのはとても危険。こちらは素手で武器がないため、それらを倒すことは不可能。ただし座布団を成形し、それらがこちらまで這って来れないようにすることができる。
頭を使い、小さな毒蛇と一回り大きな毒蛇を同じ階層に。彼らは噛み合い、小さなものが大きなものに飲まれる。わたしはそれを、安全だが間近なひとつ低い階層からまじまじと見ている、毒が出てくる牙、人間でいうと犬歯のような部分が相手にプチっという音を立て食い込むのをまじまじと見る。どちらも毒をもっているためもしかすると小さいほうが勝つのもありえるな、と思っていたが、 普通に大きいのが小さいのをズルリと飲み込んだ。これで一匹片付いた。他のいきものも、この調子で彼らを刺激し同じ階層にし、戦わせ、数を減らす。そうすることによりわたし(と子猫 灰色の小さな子猫がわたしの連れでいる、彼女はまた子猫であり、戦う力を持たない、なにより一番小さな敵の毒蛇でさえ、彼女を丸々飲み込めるくらいの大きさだ)はどこか安全な場所へ脱出できる。
ぐるりを高い座布団の山が囲っているが、真ん中、座布団が積み重なっていない谷の部分には数メートル級のワニと、キリンがいる。なんとか谷の部分の巨大な動物もやっつけないと脱出できない、数メートル級のワニは愚鈍そうに見えものすごく速い、どうやって倒そうか頭が痛い。


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昔のカラオケハウスのような建物が点在している、そこに修学旅行生が住んでいる。わたしはそれの一部に隠れ食料を調達したりしながら、なんとかみんなに見つからないように、一緒に家に帰りたい。同じクラスの同級生も違うクラスの子も、わたしを見つけるとおせっかいに近付いてきて友好的な言葉をかける、それがこわい。柱から柱に隠れるように移動し、空き部屋から空き部屋をたどる。



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やりたいことたくさんありすぎてなにからてをつけていいかわからなくなる。時間が足りない、足りないから、「お休みの日に寝坊して、昼寝する」ってことが後回しになる。なのでやってみました。寝坊はできなかったから、昼寝だけ。

明日の準備して明日は早起きする、そういえばいかなきゃいけないところたくさんあるからそれもやってしまおう、とりあえずは早起きしないと遅刻するから、早起きがんばろう。



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最近くだものよく貰う、いまうちに、ぶどう(一粒がとてもおおきい!上に、種無し!)となし、ももがある。秋は冷蔵庫の中から来る。







じぶんメモ:8がつ本まとめ

日常よりのばっかりよんだ。あんまり重いの読んでない。
くさかべさんの読みたい本があるけど、絶対暗くなるから手が出せていない。
読みたいけど読めてない本があるので今年中にはよみたいな。人類は衰退しましたよみたい。

マルドゥック映像みれてないや!びでおやさんにあるかな。

2012年8月26日日曜日

45252さん就職おめでとうコンピ


45252さん就職おめでとうコンピ
http://81252.tumblr.com/post/28480241203
に応募させていただきました~



46252さんは音楽やアニメに造詣が深い素敵なかたですが
このたびご就職されたとのことで、まことにめでたいです。
おめでとうございます!
配布形式未定とのことですがたのしみにしております!

0826よしこレモンおめでとう




8月26日はよしこレモンのおたんじょうびらしいです。おめでとう!!いつもありがとう!!!

2012年8月25日土曜日

20120824-00


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例えば音楽すきって言ったら「何がすきなの?」って聞かれて、答えたら「ああ~XX(ジャンル名)系ね~」って言われること多いんだけど、わたしジャンルって全然わかんないしXXって言われてもまったくわかんないしなんなのって思うし、「わかんない」って言ったら「えっ(笑)音楽すきじゃないの(笑)好きならわかるでしょ(笑)」って態度をとられるから、「音楽何聴くの?」って聞かれても「ききません」って答えるようになっちゃった。

調べたら音楽のジャンルこんなにあるんだよ?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%AB%E4%B8%80%E8%A6%A7


ジャンルわけを「正しく」出来ないと好きじゃない、好きって言う権利ない、って責められるから「ジャンル」ってものが大嫌いだったんだけど、自分の中で小説をジャンルわけしてることに気づいて、わけてみたら、すごくたのしくてびっくりした(ただし、全部「ミステリ」ってジャンルに属する)。ジャンルって、何かについて話す際わかりやすいように定義されたものだとは思うけど、どうしてもそういう嫌な人たち(そして、結構一定多数いる)がいやで、もう「ジャンル」って物自体だいきらいだったんだけど、自分の中だけで適当にやるのってすごくたのしい。





※ちなみにわたしの中での音楽のジャンルは、「パンク」「日本語ロック」「日本語パンク」「青春パンク」「昭和」「いまはやりのやつ」「下北っぽいの」「メタル」「ピコピコ」「アングラ」「朝霧っぽいの」「洋楽のなんかかっちょいいやつ」「アニソン」くらいです。ほとんどのものをジャンルではなくそれぞれのバンド名やアーティスト名で認識しているから、ジャンルで言われても通じないです。MUSEはMUSEだしMIKAはMIKAだ。でもあんまりにもシューゲイザーシューゲイザー言われるから、シューゲイザーがどんなジャンルかはっきりいえないけど、なぜそのジャンルがシューゲイザーと言われるようになったかは知ってます(ググった)。ちなみに、wikiのシューゲイザーの主なバンドの項目を見ても全然ピンときません。


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乱歩系と横溝系は異なるのだけどそれぞれに属するものって他にないからこれらは単体で、ベタに乱歩は大人乱歩と子供乱歩系に分かれる、これは僕の認識とかじゃなくてそのまんま。読んだら暗くなるベスト1の32条系には薬丸さんと久坂部さん。綾辻さん系は殺人鬼、つまりスプラッタでグロいものが入るので、綾辻さんの作品だけど館シリーズやanotherはこれに属さない、anotherはむしろ三津田さん柴田さん系。米澤さんといつも混同する西澤さんもしれっとこっちだったりするから要注意、そして内田春菊もたまにこれ。はるか上空を飛ぶハサミ男を地上で走って追うのが乾さん。子供向けの顔した赤川次郎系なのが若竹さんや米澤さん。むしろ有川さんもそこに入る。角川ホラー文庫はもう全部ひっくるめてあのシリーズでよい(しかしホラーではない)。矢部さん系は当たりはずれがあり、会わないものは1ページ読むのもしんどい(宮崎さんとか)。東野さんと赤川次郎は風見潤に通じるし、志賀さん西村さん和久さんにつながって、全部ひっくるめてお母さん系。松岡さんは小説じゃないけどレイトン教授系、特に鑑定士シリーズがレイトン教授、千里眼はハリウッド。





すごくたのし。
でも好きな作家さんは、それ単体で認識しているから(乱歩や横溝のように)、あんまりXX系ってくくりで見ないや。桜庭先生とか貴志さんとか有栖川先生とか。あと絶対ミステリじゃないよなってわかってるけど、こうやってズルズル関連付けていくと、太宰も安吾も安部公房も僕の中でのミステリになっちゃうから、結果全ての本はミステリだ。って思ったけど、群さんや小林里美のエッセイは違うなって思うから、やっぱり違うや。
寺山は競馬系。



すごくたのし!
こういうことすると、「それまちがってる」「ほんとにすきなの?」って怒られたりばかにされたりするからしないよう勤めていたのだけど、たのしいな。怒られたりばかにされたりするからって妙な想像力をおさえるとよくないな、きっとこういうところからいろいろな想像や妄想が広がるのであろう。またやろう!

※XX先生って言っちゃう人と、XXさんて言う人と呼び捨てしちゃう人の違いは無意識だけど、発音の音の感じだから好き嫌い尊敬してるしてないじゃないです。






気づいたら2時でびっくりしておる。明日歯医者さんなのでがんばっておきるよ。








2012年8月22日水曜日

20120822-00



思うんだけど、絵とか、歌とか、そういうものって人にどうしても似てしまう。音楽とか声とか発声方法とかデフォルメの仕方とか目のかきかたとか。全く新しいなにかってむつかしい、突き詰めていったら自然と似てしまうときもあるし、模倣から初めて、じゃああなたの色を出してくださいってなったときに、わたしだけの発声方法とか喉の使い方とか、今まで人類が試したことないような音の出し方ってなかなかできない。その点文章ってそういうのないなって思う、そりゃあ小説や詩をかいたら「XXっぽい」ってのあると思う、でもそうじゃない、こういう日記みたいな殴り書き。誰っぽくかこうとか、うまくかこうとかしてないだけかもしれないけど、だれかのこと真似ってできないし、似せたりもできないから、文章はとくべつだな、絵や音楽はすごくむつかしいな、って思うんだけど、これもやっぱり、わたしが適当に書きなぐりすぎているだけなのかな、とも思う、でもやっぱり、むつかしいよ。
って、ぱくったとかぱくってないとかっていう検証のやつを見て思った。


時々襲われる、「携帯電話をポストに入れたくなる衝動」をかいているけど清書しただけで数時間かかった。へたくそだしじかんもかかるけど、でもちょこっとおもしろい。


今すごく基礎の基礎からぱそこんの勉強をしてて、そうすると、今まで即現場!で見につけてきた知識の裏付けも取れるし、おざなりに繕っていたもののきれいな処理の仕方もわかってすごくたのしい。すごくたのしいけど、例えばそういう技術、「つくりたいもの/やりたいもの」がないと結局生かせない。だからとりあえずなんでもいいから、むりやりでいいからなにか自分に「せねばならない」ことを課そうと思う。わたしせっかちだから、5まで聞いた時点でものごとにとりかかっちゃってたんだけど、それだと9くらいまではいけても10まではいけないから、ちゃんと10まできいてから1からはじめようと思う、10まできいてからなにを課すか考えよ。

いんたーねっとってすごい便利だなって思うこと多々あるけど、今勉強していてすごくそれ思う。無料で通信講座みたいなんが見られて、進捗も管理できて、達成感も味わえて、いろんな人がいろいろ調べた結果がまとまっていて、すごい。「ぼくはそうやっていろいろ勉強してきたから、このブログでぼくが勉強してきたことをまとめます」 ってブログがどこかにあったけど、わたしもいつか何らかの形でちゃんとそういうことしよう。








すごい肩こった。
カルディで買ったマンゴージュースがなくなったから、スーパーでトロピカーナのマンゴーあじかってきたんだけど、サラサラで、おビールとまぜるにはいまいち。デロデロのやつがよい。
ごはんたべそこねたからかわりにおビールのんでるけど、これ多分、ダイエットになってない。
きょうこそは0じまえにねようとおもてるんですよ。

 






2012年8月21日火曜日

20120821-00







わたしは2006年のわたしがわたしの中で最高でゆるぎなくて絶対に勝てない存在だと思ってたんだけど、今日改めて見返してみたら、全て拙くて、全然揺り動かされることもなくて、なんだか少しがっかりして、安心した。メタで書かれたそれらの文章は如実にミクロで、全然ぴんとこない。「ややこしくわずらわしい人間関係を切り捨ててしまえる人は、それを描いた小説に共感できない。心の機微や繊細な感情に唾棄する人は、そういう登場人物に感情移入できない。」昔の自分の書いたもの、今のわたしに全然響かない。よいことだな、って一瞬思ったけど、今日読んだ小説の主人公に全く感情移入できなかったことを思い出して若干不安になった。きらいなひとと一緒にいなきゃいけない状況、すきなひとにすきって言っちゃいけない状況、くだらないひとのこと好きになっちゃう状況、そういうものに対して「あーあるある~」って言えないと、というか、言えたほうが、いろいろなものが楽しい気がする。

完璧にストレスフリーな暮らしをしていると何にも生まれないわたしの場合、吐いた挙句死ぬか、吐かないで生きるかで後者を選んだ挙句死んだように生きているのだけど、吐き気も頭痛もない全くの健康体で「ああなんとなく吐きたいな」って思って喉に指突っ込んでも胃液かせいぜいさっき食べたご飯くらいしか出てこなくて、それが、これです。




最近すごく日記が多い、下らない文章だな。







例えば毎日ご飯を食べる、食べるならおいしいものがいい、あれ食べておいしかったからまた食べたい、あそこのお店いつもおいしいもの出すから新メニュー食べたい。そう思ってはたと気づく、「わたしそれらを食べて、おおきくなって、なにになるの?」アウトプットをしなくても形成されるものはあるし、それらのおいしいものは、アウトプットされるために作られているわけじゃない。でもわたしは、何かを摂取する際は、なにかを排泄しなきゃって思うし、そんなおいしいものを食べてなにも排泄できないのであれば、じゃあ最初から何も食べるべきではない、と思ってしまう。





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downy以外で文章を書くときや本を読むときにおすすめの音楽があったらおしえてください。できれば日本語じゃないやつ。外国語かインストがよいです。





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わたしお酒あんまりすきじゃないんだけど、夏だしせっかくだしと思ってビールのんでる。
ビールそのまんまだと苦くておえとなるから今までレモントニックで割ってたんだけど、冷蔵庫にレモントニックなくて、マンゴージュースがあったから割ってみたら、すごくおいしい。
あまいおさけ、かんかんのやつ、はあんまりすきじゃないけど、ビールはあまくしないとのめない。
レモントニックがビールにもウイスキーにも合って最強だと思ってたんだけど、マンゴージュースもすばらしいです。


こないだ高尾山いったらビールのむところ(ど忘れした、ビール園じゃなくて、なんていうんだっけ、野外でビールのむとこ)があって、昼間からワイワイとにぎやかであった。ビールあんまりすきじゃないけど外でひととのむビールはおいしいので、あんまり寒くならないうちに、だれかビールを飲みましょう。





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 やりたいことが複数あったとして、たとえば水泳と柔道とバレーボール極めたいとして、寝ないで食べないで24時間を3で割ってそれぞれに8時間費やしたとしても、ひとつに24時間費やしている人には叶わないんだよね。じゃあどうしようか。
















よしこレモンちゃんフルーツ牛乳


こういうかみかざりがあったら手軽によしこレモンできる
へたくそでもどんどん絵を描いていこう週間 週間っていうか 年間

2012年8月18日土曜日

20120818-00

たとえば戦争の話や父母祖父母が若かったときの話、離れていると「聞けばよかった」って思うけど、相対すると、過去を聞くことでその人と決別するような気持ちになるので、どうしても聞けない。

わたしの知らない若い頃の彼らや、わたしが存在しない時分の彼ら、わたしが忘れてしまったわたしの小さい頃の話は、彼らが生きているうちに彼らに聞かなければ永遠にわたしの中からは失われる、そして失われてしまったあと、わたしは絶対「あーあ」って思う。思うけど、まだ生きている彼らと、過去の思い出にまみれるのにどうしても抵抗がある。「さよなら」と言うことにより決別してしまうような、そういうひねくれた気持ち。でもそれをわたしはどうしようもなく持て余すから、今日も目の前のごはんや、午後の予定や、さっき見た夢の話をする。数日じゃない未来の話もわたしにはつらい、未来の約束をすると、その約束の期日まで再び別れることを宣誓するようでつらい。数日じゃない未来の話は、口にするたび砂になってこぼれて、口にしたものからかなわないことが決定してゆく気がする。未来の約束を口にするのは、砂上の楼閣を作る行為、堅牢を幻にする行為。だからわたし、過去の話も、未来の話も、多分一緒に死ねないであろう、大切な人とはしたくない。


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それを「才能」と呼ぶとただただ努力を怠っているだけのように思えるのでなんと呼ぼう。
ぼくが徹底的に持ち得ないそれ、才能、技術、実力、どれもぴんとこないけど、
とにかくぼくにはそれがない。

学校の勉強が苦痛だと思ったことない、教科書があって答えがあって、教えてくれる先生がいて学校があって、段階を踏んで難しくなっていって、教科書にハウツーが書いてある。そこで優等生であったぶん、自分で「どっちに進んだらいいか」決めなきゃいけない状況に弱い。 「できない状態」でいることがしんどくてしかたないから、努力ができない、のびない、すぐ折れる。たとえ才能がなくったって、努力だけでたどり着ける境地はあるし、別にぼくが目指しているのは世界で一番のなにかではなく、些細な自己満足ができる程度のものなのだから、じゃあせめてその身の丈にあった目標を叶えるためにほんの少しの間、できない自分を真正面から受け止め歯を食いしばり努力をしましょうねっていう話なんだけど、すぐ折れる。だから今日も目をそむけているのですが、そむけ切ることもできずまたチラッチラッと未練がましくそれを見つめてしまうので、何がいいたいかというと、学校的なものに行きたい。モチベーションと、効率と、精神状態のために。


器用貧乏はただの貧乏であるよ。



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世の中にはすばらしい技術(才能/実力/技量/エトセトラ)を持った人がたくさんいる。そういうの食べて暮らしているのだけど、作った人に感想ってうまくいえなくて、「すごい」「いい」って、そんな語彙の感想になってしまって申し訳なくて、だからいつも黙ってるんだけど、もしくはここに書きなぐるんだけど、ここに吐くときは咀嚼して反芻して吐き出したものだから、具体的記述やそれに言及するものってなにもなくて、すごく、メタになる。だから結果わたしは、人様の作ったものに対して、それを作った人に感想ってどうしてもうまくいえなくて、うまくいえないのと、うまくいえなくてもうしわけないのと、恥ずかしいのと、なんやかんやで、うまくいえないんだけど、例えばわたしが、「あのブログよんでるときもちがわるくなる」って一言かかれてたときすっごくうれしかったから、つたなくても言ったほうがいいのだろうか。根本に、「つくったひと」と「つくられたもの」は別個だって考えがあるから、どうしても作り手にその感想を述べてはいけないって言うか、多分これは、いろんなものの裏方をしてたときのなごりというか、「素敵なものを作った、(いわゆる僕が)ファンのひとといっしょに仕事をする際に、スタッフにファンがいたら仕事できないだろ、同じ側に立って仕事しなきゃいけないんだからファンの気持ちを人に対して持つな」って(すごくはしょって言えば)ところから来てるんだと思う、けど、うーん、うーん、って思ったりいまさらする。 人に対して「ファンです!」「あなたのつくったものすごくすきです!」って言うのって、さまざまな要因から、避けたほうがいいんじゃないかっていう考えが染み付いていて離れないんだけど、最近、うーん、うーん、って思う。どうなんですかね。人によるんだろうけど、むつかしいな。



(恋愛とかじゃなくて)わたしなんかにすきって言われたら迷惑だよな気持ち悪いよな、というかわたしが「好き」って口にすること自体犯罪行為ではないかって思っている部分があるのでむつかしい。「好き」って言うだけで「うわぁ気持ち悪い死ね!」って言われてしかるべきなんじゃないかって思ってる部分ある、だから言わないんだけど、でも自分は言われたらうれしいし思ってたら言ってほしいし、じゃあもしかしたら自分以外にもそういう人いるんじゃないかな?ってちょっと思ってる。むつかしい。



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ここまで読み返して、一時期、ロッキンオンみたいなレポート練習してたの思い出した。
結局感動よりも文章のひねりに気をとられてしまって、文章を書いてる自分を俯瞰で見たら受けた熱を伝えるのじゃなく受けた熱が冷めたものをレンジでチンしてるような気持ちになって、そもそもロッキンオンみたいなレポート、「かっけー」とは思うもののそれに感動することは僕はなかったやって気づいてやめたんだった。 ってこと思い出した。



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すごく日記らしい日記を書いた。垂れ流してる感じが。
明日は歯医者ですよ。







 

2012年8月16日木曜日

20120815-00

300円払って、思い出を捨てた。





300円払って思い出を捨てた。厳密に言うと「思い出の詰まった物体」である。僕の住むこの市では300円払うと行政がそれを引き取って行ってくれる、例えそれにどんなに幸せな過去や、あるはずだった未来や、後悔や、遺恨や、そんなものが詰まっていたとしても、その質量であれば、300円で処分をしてくれる。すばらしい、ありがたい、感謝しよう。もう誰も座らなくなった椅子、口をつけられない食器、聴かれないうた。たいていのものは指定のビニール袋に入れ、木曜の朝に所定の場所へ出しておくと持って行ってくれる、大きなものはインターネットから市役所のHPにアクセスし、それを手放す日を選択、最寄のコンビニエンスで「XXX円分のシールを下さい」と言いそれを購入、思い出の詰まった爛れた物体にシールを貼り、指定日に所定の場所へ放置。あなたが仕事へ行っている間、もしくは昼寝をしている間、に、誰かがどこかへ持って行ってくれる。すばらしいサービス、お金があれば思い出だって捨てられる。何が言いたいかというと、お金ってだいじですよねってこと。






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気づいたら12じすぎてたのでちょっと引いてる。なにそれこわい。まいにち21じにねたい。
だれかわたしのあしたのおべんとう作っておいてください。

2012年8月14日火曜日

20120811-14-00

田舎から都会に、都会から田舎に飛行機で飛んで移動すると自分がどこにいるかわからなくなる。
さっきまでわたし国道沿いのホームセンターでドッグフード見てた、今雲の上からスカイツリー見てる、30分後満員電車で大荷物を雛のように抱える。今どこにいるかわからなくなる、今わたしここにいるよねって認識した次の瞬間もう移動してる、だからわたしはほっぺたつねり続ける、あっ痛い今本当、あっでももう今はさっき、痛い、本当、過ぎた、認識しなきゃ、今本当、 今って今、今、いま!





時間にあらがえたこと一度もない、しんどくても楽しくても過ぎるの知ってる、だからわたし遠足の前日で死にたいとずっと思ってる。永遠にこない未来を待ち続けたまま水の底に沈みたい、楽しみを楽しみにしたままそれを味わい尽くすことなく沈みたい。



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腕枕してもらって「(腕)いたくない?」ってきいたら「え、いいの?」って言われてちんこゴソゴソ出された。「彼氏じゃないといや」っていったらにっこり笑って黙られた、入れずに達した、夢の中でも男の人は正直だ。
ぼくはそれに、ひどく好感を覚える。


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未来の話あんまりせんでほしい、今この瞬間がその未来と断絶されるのが印象付けられるから約束もしんといてほしい。 改めて目を見つめたりしんでほしい、君とぼく、今日とあした、こことそこの境目を、はっきりつけるのやめといてほしい。すきとかだいじとかいっしょにいたいとか、わざわざ口にしんといてほしい、そんなのわかってるし、それを告げることによって、それが永遠にかない続けるのが無理だということがはっきりわかるから黙っといてほしい。改めて口にしなくたってぼくわかってるよ、君はぼくにあらためて口にしてほしいの、それだったらいくらでもしてあげる、だからぼくにはそんなこと、改めて言わなくていいよ。





きみが「すき」だというぼくは昔のぼくだ、昔のって言っても何年も前じゃないよ、数ヶ月前、数週間前、数日前、数時間前のぼくだ。今この瞬間のぼくはなにもうみだしてないし、数分前のぼくともまた違う。あんまり人に嫉妬しないかわりに、僕は過去の自分によく殺されそうになる、完璧なる比較対象であるところの昔のぼく、それと比べて今の僕は、なんと矮小たる存在か。



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冷静に考えて、すごく醜いなと思うこと多々ある。わざと声を作って口に出してブツブツ呟きながら、ああでもこれが本当の本当だものなあって思って、だとすれば人や世の中やそういうものにさらしているわたしは本当にわたしではなくて、でもそういうわたしでいる時間のほうが今のわたしでいる時間よりもよっぽど長くって、でもだとしたらどっちが本当だといえるのか、ああこうやって気持ち悪いこと呟いているわたしは本当に醜いな気持ちが悪いな、でも呟かずにはいられない、声に出さずにはいられない、声に出して、自分の気持ち悪さをまじまじ観察してにおいをかいで、そうせずにはいられない。すごく醜い、わたしすごく醜い、醜い。










聡く恐ろしい人達にのうみそと心臓を手厚く保護されそれ以外の部分を嬲られる、四肢が壊死し生命に関わる寸前でそれらを切り落とす、意識が飛ぶほどの過度な苦痛は鎮痛剤でカバー、痛みを最大限に、正確に、より最大限に。「そんなことされませんように」ってのは現実問題、ものすごく高望みだったりするけど、だからこそわたしはそれを望む。どうか僕の肉体が、僕の意思に反するところで、誰かに蹂躙されることがありませんように。



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「ねむる」という行動がひどく億劫だから時間がきたらだれかわたしに麻酔銃打ってほしい。お布団にもぐりこみ目をつむる、その行動がひどく億劫、すごくたいへん。夢も見なくていいしある程度強い麻酔銃でも朝ぱっと起きる、だからだれかわたしに麻酔銃。ズガン、パタン、スヤスヤ。「ねむる」という行為、それ自体はとてもすばらしいし大好きな行為なのだけど、眠りにいくというか、眠りにかかるというか、とにかく「ねむる」という行為をしようとするという行為はひどくおそろしい。どうしても非生産的に感じる。できればしたくない、寝たい、寝たいけど、寝ようとしたくない。意識のあるときに「寝」ている状態に向かうという行為をしたくない、億劫、億劫というのは正しい表現だろうか、起きる→寝る、この矢印の部分に当たる行為を、とにかくしたくないんだよ。





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やきにくたべて、納骨堂で迷子になって、おはかでカラスたくさん見て、 こどもとあそんで、いぬとあそんで、いぬのさんぽして、ねこをなでて、帰ってきた。青い池に行ったんだけど、増水しててただのにごった沼みたいになってた。スーパーいったらめんめ売ってた、あれオエとなるからこわい。オレンジとチョコのケーキと、ほっけと、さんまと、カレーと、ピザと、チョコケーキと、あとなんかたくさんたべた。コーラものんだ。老朽化した防風林がどんどん切られていって、ちいさな木がちょこんと植えてあった。しらないトラクターがどんどんふえていく、古いのとくらべるととてもおおきい。実家にいたときの記憶ないから、わたしの部屋がわたしの部屋じゃないのにはもう慣れた。実家にいたときの記憶ないけど、深夜みんなが寝静まった後、一番おおきい車庫で大声で歌ったのは覚えてる。遺影がぽつぽつ増えて、集まる親戚がどんどん少なくなる。小学校の頃立て直した家はどんどん古くなり、祖父母が住んでた離れは廃墟のようだ。7人で住んでいた家には今2人しか住んでいない、だだっ広い、古くなりつつある家を、母が毎日二時間かけて掃除する。古いものは古いままで、手入れがきちんとされているようすは、なんとあらわしたらよいのだろう。


わたしが5歳の頃の、母の育児日記をコッソリ見た。数か月分しか書かれていなくてすこし笑った。わたしが5歳の頃、近所の人が自殺をしたらしい、「(わたし)はしんじゃだめだよ」って母が言い、わたしがなにか答えたらしい。そんなこと、記憶に全くなかったけれど、じゃあわたしが死んだとき母は、そのことを思い出したりしたのだろうか。わたしが死んだとき母は、どんな顔をしていただろう。わたしは死ぬのに忙しかったから、母の顔も父の顔も、全然覚えていない。泣いていたかも怒っていたかも、なにもかも全く覚えていない。死ぬときってなかなか忙しい、忙しいわけじゃないんだろうけど、なにもかも面倒くさかったから、周りの人の声が全部、春の日の朝の目覚まし時計のようだった、「ああうんわかったわかった、わかったからちょっと静かにしていて、わたしもうちょっとねていたい」。







離れて暮らす子供が死んで、悲しいものか。











わたしはとても傲慢だから、「わたしがいきているだけでいいのだろう」と思っている。でもきっとそれは真実だし、わたしにとって、君もそうだ。







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わたしから腐臭がする。




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22時、あとちょっとで23時。
23時だと早いし、0時になるといっきに遅い。
だからだれか、うまいこところあいを見計らって、わたしに麻酔銃を。







2012年8月9日木曜日

20120809-01

好きなひとの好きなひと、みごとに好きなひとと趣味がいっしょで涙よりさきに拍手がでてきた。
フィッシュマンズがすきで、ロードバイクがすきで、登山がすきで、雑貨屋さんがすきで、Tシャツがすき。あっぱれである。



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かわいいは正義だし、だからわたしはかわいい女の子がとてもこわい。かわいい女の子が白と言えば白だし、黒と言えば黒なのだ。生まれながらにして勝ち負けは決まってしまっている、いくら否定しようとその絶対的な価値は揺るがない。整形技術は日に日に発達しているけれども、整形したくらいではかわいい女の子にはなれないのです、お化粧やお洋服が「映える」のが元がいい女の子に限るように、整形技術だってある程度の元がないと、「映え」ないのです。

かわいさが金銭で表示されるようなおしごとの裏方をしているとき、それに失敗したおんなのこをみた。人はいろんなものを売る、技術、時間、そして肉体。それはもしかしたら成功だったのかもしれない、ただ市場価値を相対的に判断した場合に、価値が低いと評されただけだ。
汗水たらして稼いだお金を、つぎ込むならば見目麗しいものに。わたしだってそう、だれだってそう。ほめられるのもなじられるのも、かわいい人にされたほうがうれしい。彼女のそのかわいいらしい唇から零れる毒が僕の表皮を汚く焼いても、それは彼女には罪がない。強いものが正義、かわいいものが正義、かわいいは、正義。



おんなのこは、おそろしくて、かわいくて、おそろしい。



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人は何かに所属するのが好きなのだな、と思う。クラス、部活、サークル、学校、友達と作ったグループ、アーティスト軍団、チームXX。「チームXXの○○です」と名乗るとき、少し誇らしげに見えるのは多分見間違いじゃない。自分にはこういう仲間がいるというささやかな誇示、誇らしげな表情、適度な身内感と上昇志向、他グループとの交流により広がるクラスタ。うらやましいなと思うときもある、多々ある、でもいざ、「XXの一員だよね?」って紹介されるような場面になると、僕はいつも逃げてしまう。
何かに属することの安心感や連帯感や寂しくなさやメリットを、僕は一人でいることの自由さと、どうしても比べてしまう。誰ともかかわりたくないしこの世から消えてしまいたい、そういう発作が自分に不定期に起こることを知っているし、それが不治であることも承知している、そうなったときに、軽蔑されない/迷惑をかけない自衛でもあるし、そうじゃない部分で、強制されるさまざまなことを夢想してしまって、いつも、思わず逃げる。




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尊敬できる誰かに、もしくは説得力のある誰かに、痛いところを指摘されて説き伏せられたい欲は継続中です。ふるってご応募ください。結構本気で待っています。




2012年8月4日土曜日

20120804-01

「K-POPグループの見分けがつかない」→「AKBのメンバーの見分けがつかない」→「ヨルムンガンドのOPもしかして浜崎あゆみ…?」←イマココ

着実に老化の一途を辿っているが僕はここである可能性に気づいた。だんだんと他者と他者の区別がつかなくなって、どんどんつかなくなって、そうしたら博愛にたどり着くのではないか。自分以外の他者に等しく無関心になって、でもそれは等しく愛するということだ。
特別な人はいるか、いる、それはひとりか、ひとりではない、少数か、少数でもない気がする。
みんな等しく大切で特別、なんてへいわなことだろう。
裏を返したり、裏を返してみたり、裏を返して見てみたりは、しないでもわかってるから、しないよ。


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すごく絶望的なゆめをみた。

内容は覚えていないけど、絶望的な空気はまだ残ったままで目が覚めた。
例えば夢に毎回、知らない黒髪の白ワンピの女性、いかにも「お化けッ!」って感じの女性が現れて呪い殺そうと近づいてくるのと、夢に毎回、数年前の知り合いが現れポツリと冷たい一言を残して去っていくの、どっちが絶望的かというと、後者だ。あの子がいなくなってもうX年になるのにまだ夢に出る、そんなに僕の潜在意識にあの子がこびりついているのか、まさかまだ彼女の帰りを待っているのか、日常生活を送る上でめったに思い出すことすらないのに、こうして夢に出てくるということは、僕の意識と僕が認識している僕の意識には大きな齟齬があるのではないか。不安になる。
絶望的な夢を見たとき、たとえば熊に惨殺されたり、ハートショットのちヘッドショットされたり、腕のみで前進してくる女の人に追いかけられたりであれば、僕はなぜ自分がそんな夢を見たのか、比較的正しく認識できる。でも例えばすでに忘れているはずの、強がりではなく、日常思い出すことのない人の夢を定期的に見ると、僕は僕の意識を疑ってしまう。一度や二度であれば、ああ、今日の僕の行動や見聞きしたものの何かがトリガーになって無意識で関連付けて思い出してしまっていたのだなと思う、でもそうじゃない場合。僕は彼女のことをすでに路傍の石にした、そうなるまでは多大な痛みと年月を必要としたがそのおかげで今は努力しなくても、彼女は路傍の石だ。だのに押し込めたものがボコボコ噴出するようにこうして夢を見て、絶望的な気分で起きる。もし本当にそれがまだ息をしているなら、表面のなだらかな皮膚を切開し、中をかき回し、またそれと向き合わないと、内側から死ぬ。でもその切開作業はかなりの大仕事なので、これがもし只の勘違いでやっぱり彼女がもうそこで息をしていないなら、このままにしておきたい。そう思っているから僕は今日も、つるつるした滑らかな表皮を確かめるように撫でる、内側からの熱や振動は感じない、ほらやっぱりそれはもうそこにない、でもだったらあれはなんだ、いったい、なんだ。



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お休みの日寝坊をすると一日ぱーになる、頑張って朝無理やり出かけたほうが有意義、だから歯医者の予約を午前中にしたのにねぼうしました。これでは夕方の診察の時間まで、お昼寝も、飲酒も、お出かけも、なにもできない。こまった。

 

2012年8月3日金曜日

20120803-01

例えば1つしかないものよりも、100個あるもののほうが、ひとつひとつの重要さは薄れる。
※ただしもちろん、100個の中の、とっておきの1個、というものはある。


年をとると、もしくは数をこなすと、一つのセックスの重要さってのは薄れる。

好きでもない、よく分からない人とセックスをするのはリスクの面から考えて嫌だけど、そうじゃないなら別にあんまりセックスは特別なものじゃない。生殖のためじゃないセックスは、ぜんぜん特別じゃない。


(セックスがなんともなくなるという話)

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どうにもこうにも空腹で、どうしようかなって思ってかばんを漁ったら抹茶キャラメルが2個入ってた。こういうことがあるから、僕は僕のことを嫌いになれない。

かばんのなかに抹茶キャラメルやパーカーのポッケに500円玉、そういうものをこっそりしこんでおく人のことを、どうして嫌いになれようか。絶妙なタイミングで発掘されるリップクリーム、アメピン、イブ2錠。すばらしいチョイスにひとりうなる。でも今日は抹茶キャラメル、一個しか食べませんでした。未来の自分のために。


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マンゴージュースセールしてたから買ってきた。
茶色いおさけを入れて飲むよ。


2012年8月1日水曜日

20120801-01

マキちゃんと話してると、すごく不思議な気分になる。マキちゃんは近所の幼馴染だけど、いまは別々の学校へ行っている。マキちゃんは寂しがりやでほれっぽくて、だからよくわたしに恋愛相談をする。同じクラスに好きな男の子ができただの、そうかと思えば部活の先輩が気になるだの。わたしはその一つ一つに耳を傾け相槌を打ち、的確なアドバイスをしながら、こっそりマキちゃんの顔を盗み見る。マキちゃんの恋愛はたいていが片思いで、マキちゃんが好きになる男の子はたいてい、わたしにはくだらなく映る。でもわたしが不思議な気分になるのはマキちゃんの男の子の趣味に対してじゃなくて、マキちゃんが、かわいくないのに、恋愛をする、ということに対して。

マキちゃんの恋愛はたいてい片思いだけど、ときどき両思いにだってなる。つまりはキスだってするし、セックスだってするのだ。他の友達とそういう話をするときは、まさに「恋バナ!」ってテンションでぐだぐだしゃべれるのに、マキちゃんの相談に乗るときにだけ、わたしは、恋愛について話し合うわたしとマキちゃんを、遠くからぼんやり眺めているような気分になる。こんなにかわいくないマキちゃんでも恋愛をして、それが実って、異性と付き合って、キスをしてセックスするんだ。不思議。だしかにマキちゃんは性格がかわいらしい、かわいらしいけど、すごく、かわいくない。恋愛が美人の特権だなんて思ってない、だって世の中のたいていの人はそうじゃない、わたしだってそうじゃない。でもそういう、「ふつうのこ」とは、なんとなくマキちゃんは、ちがう。だからわたしはマキちゃんから恋愛相談を受けるたび、クラスのマドンナは一人しかいないのに、大人になると大部分の人が結婚して子供を生む、その数字の不思議を思い知る。マキちゃんのことをきらいとか、ばかにしているとか、そういうことじゃなくて、ただただ純粋に感動するのだ。

クラスのマドンナにはなれなくても、かわいいともてはやされなくても、どこでかどうにかして、人は恋愛をして、セックスができる。


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マルドゥク・スクランブルを読みました。すごくおもしろかった。秋の映画は絶対見に行きたい、そしてそれまでにヴェロシティとフラグメンツもよんで、燃焼と圧縮の映画も見たい。


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小説に出てくるちょっとダメな主人公に自分を重ね合わせたときに、その主人公の突出した才能、人間性、そのおかげで構築されてゆく豊かな人間関係、そういうものまで自分と重ね合わせて軌跡を期待するような、そんな真似だけはするまいと、それだけ心して本を読んでる。


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僕は何かに強制されて、苦痛な環境・嫌いな人・したくないこと、そういうものに慣れたりしたりなじんだりする努力をするべきなのかなって思うことが多々あるけど、納得できるような「強制されるような人や力」が今のところ見出せないからそれをしないで生きている。でもたとえばこれが、あと数年で死ぬのであればよい、でも多分あと数年で死ねない算段のほうが高い、それならこんな極楽のような場所にいると、どんどん放漫になっていくんじゃないかとか、なにかがスカスカになっていくんじゃないかとか、少し心配になる。でもそんな不安を抱いたってやっぱり、その不安程度じゃ、「いやなことをあえてやる」理由として納得できなくて、やっぱり一番自分の心の平穏を優先してしまう。
なんかこのかんじ、子供が小さな頃大病をしてしまって一命を取り留めたのだけど、それがトラウマとなり部活動や習い事友達づきあい、ジャンクな食べ物、そういうものを一切禁止する過保護なママのようだなって今ふとおもった。





最近気づいたら水曜だし、週末だし、8月になってる。
だれかに耳元でまいにち、カウントダウンをしてほしい。
なにへのカウントダウンかはおまかせします。センスで。





じぶんメモ:7がつ本まとめ

すごくちょこっとしかよめなかった。何でだろうと思ったけど多分ゲームのせい。
7月はトーキョージャングルとf/nをやっていました。
トーキョージャングルは肉食系終わってしまって、草食やる気が出なくて途中で止まっている。
ストーリーも14まできたけど最後の最後でやる気を失った。
f/sは買って3日くらいでセイバールートやりこんだけど、凜ちゃんで今とまってる。

7月、マルドゥックが読めてすごくよかったです。
映画みにいきたい。それまでに燃焼圧縮も見たい。