2012年10月7日日曜日

20121007-01

起き上がりたいけど起き上がれないこがねむしみたいだな、と思う。

僕の願望は僕の手に余る。やりたいこともないのにひり出そうとするから粘膜が痛むのだ、かたちのない夢など空虚な害悪だ。自分の矛盾をぼくら慈しんできたけれど、おとなになって、折り合いがついて凪になる、生き易いはずなのにちっとも楽にならないので僕は途方にくれている。




例えば僕の畑には、キャベツと胡瓜、茄子とトマト、そして伸びすぎたアスパラがある。ささやかなビニールハウスには、形が悪く量も少なく、人様にはあげられない、でも自分で食べるには十分な野菜が何種類かある。生計を立てるため畑を耕す、昔話みたいに鋤と鍬なんかは使わないが、トラクターでだって十分風情がある。僕は生まれてずっとこの景色の中で暮らしているのに、だのに毎日泣きそうになる。ここの冬は長いと人は言うけど、ぼくにとってはあっという間だから、冬は毎日防寒着を着て舌の上にチョコレートを乗せ、一番大きな車庫に入る。車庫まで歩く間に空を見上げると本当に空気が澄んでいて、頬がぴりぴりするのも、舌に乗せたチョコレートが全く溶けないのもなにもかもが愛おしいと感じる。ああ今日も一日終わった、ああそしてすぐに明日が来る。人はよく、なくしてしまってから大事なものに気付くというが、僕はそれが当たり前のように傍にあるときから、それの大切さに気付いていた。だから毎日時間が過ぎるのも悲しくて、それがそこにある当然がありがたくて、泣いた。後から気付くのと、常に気付いているのと、どちらが幸せだろう。僕にとっては生まれたときからそれはずっと、カウントダウンのようだった。



ぼくはあと数年でこれをなくすだろう、愛おしいこれらを捨てて出て行くだろう、そういうことがわかっていたから、もしかしたらずっとそう思っていたのかもしれない。愛おしいものや愛おしいひとたち、それらにうずまって暮らせないのは、愛おしいとか愛おしくないとか、そういう話じゃない。







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例えば左手首から肘上にかけて自傷の跡がびっしり残る女の子に対しても、採血する際の決まり文句である「採血で気分が悪くなったことはないですか?」と言 う、この瞬間に私はわずかなおかしみを感じる。その女の子が恐ろしそうに針から目を逸らすのも、かといって興味深そうに血管をのぞき込むのも、そのどちらにもおかしみを感じる。でもこのおかしみは言葉にして説明するととたんにつまらなくなるし、おもしろいと感じてはいけないことかもしれないとも思うし、むつか しい。心に浮かんだツッコミの言葉はそのまま飲み込みニッコリ笑ってさっさと採血。おかしみというかをかしというか、とにかく、ひとりでおかしみを感じる。

彼女の血はどろどろしていて、黒かった。




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どろぼうがわたしの家の敷地に入ってきて、車を盗む夢を見た。「ここはわたしの土地だから、あなたに入る権利はないです」と、緊張しながら口にした。階段の踊り場の小さな窓、顔さえ出せない大きさのそこから必死で叫んだ。ほんとうはここはわたしの土地じゃないって知っていたから、そのセリフを口にするとき震えたし、こっそり持ち主を盗み見た。でも彼は何も言わなかったから、ああ、許された、ここにいていいのだ、とまた震えた。






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世の中で「才能」と呼ばれるものは、すべて「想像力」ではないのかとふと思った。
ゼロから1を生み出す人と、1を100にする人がいて、僕ができるのは後者だ。そのことに気付いたのは多分結構はやい、認められるしお金にもなるかもしれない、でもこの自分に対する敗北感や絶望は、死ぬまでついてまわると思う。













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