2015年3月27日金曜日

20150327-02

わたしの「すきなひと」は上書きなんてされてないことに気付かされる午後4時は雨がしとしと降っていて、でも喉がカラカラで痛かった。
すきだったひととさよならをして違うひとをすきになって、そのひとともさよならをしてまたちがうひとをすきになって、現実世界でのわたしの「すきなひと」はどんどん上書きされていくのに夢に出てくるのはいつだって「すきだったひと」、全然過去形になってくれないそれを半ば憎みつつわたしは一刻も早く夢をコントロールできるようにならなければと思う。

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すきなひとに、彼のすきなおんなのこについての相談をされた。小柄で小さい彼の彼女はおくすりが効きやすい体質で、花粉症の薬を飲むとこてんと眠ってしまうという。小柄でかわいい彼の彼女のためにわたしは副作用の少ない花粉症の薬を考える。
ゆっくり話せなくてごめんねまた今度って轟音で唐突に打ち切られる短い会話、だけどゆっくり話す機会をわざわざ設けることなんてしないってわたしたちは知っている。曲と曲の合間のMCの時間、ギターの弦を交換する短いすきま、わたしたちはなにかのついでのあいまにしか言葉を交わすことがもうないのだ。

20150327-01

タイミングの悪さをわたし運命って思ってる、つまり君との間には結ばれない運命しかない。理由がない「今日しかダメな気がする」という直感、直感というよりは確信に近いそれ、気分次第で一瞬で覆るものだと知っているけど遵守されないからますます確固たるものになる。

山手線の29駅、どの駅で降りてもわたしの好きな人には今日絶対に会えない。世の中にないはずの『絶対』を生産して否定し続ける、絶対起こらない奇跡を100個考えることができたら今日のわたしは家に帰れる。


今日と明日しかないみたいな錯覚は錯覚でしかないのに重量がすごくてだからわたしはそれを真実だと思う、わたしに残された時間は今晩しかない。例えば明日誰かに助けられたとしても助けられたのは明日のわたし、今日のわたしは永遠に誰にも救われないままだ。
明日のわたしは救われないまま死んでいった今日のわたしの屍の上に立つ。細かく砕かれた真っ白な骨はざらざらとしていて踏ん張りが利く、明日のわたしは誰にも救われなくても助かるような存在であってほしい。かなわない奇跡なら最初から思い描きたくもない、だからわたしは今日も絶対起こらない奇跡を100個考えるまでどこにも帰れない。

2015年3月15日日曜日

20150315-01

果物じゃないし黒子じゃないからわたしのこれは歌にならない、わたしの唇のソレはただただ引き攣れて痛い。100万回言ったおはようは一度も返ってこなかった、最初から諦めているぶん猫のほうが幾許か親切。


手の汚れ方には二種類ある、わたしのそれは下種なほうのそれ、汚れた手で誰を触っても誰のことも汚さないけれど永遠に落ちないそれ。自分のためだけに手を汚すと一生救われない、だからわたしは一生塗れて暮らすのだと思う。
きみが目の前にいないときのほうがわたしきみのこと大事にできる、242キロの距離はグーグルによれば徒歩50時間、50時間くらいすぐに歩ききってしまいそう。



本当に信じたことは全部真実になるからわたしの真実はわたしの頭の中にしかない。一年は365日じゃないし一日は24時間じゃない、東京は関東にないし牛乳は飲みものじゃない、あの子とあの子は同一人物だしわたしたちはもう10年もいっしょにいる。わたしにかかわる事柄はすべて歴史を揺るがす重大事項だし取るに足らないものごとばかり、つまりわたしの全部は瑣末で無視できる事象、同じ演算ばかり繰り返すから抜け出せないだけだしだけどゲームオーバーはこわい、わたしのひざは猫がのぼるためにあって、優しい嘘しか吐かない口は今すぐ縫い付けられるべき。




人って存在が死ぬと概念になる、概念になったら普遍的に蔓延してはびこる。わたしはあの子がはびこってはびこってはびこりまくったせかいにいるし、そうせかいを作り変えたのはわたしだ。



2015年3月11日水曜日

20150311-01

眉間のあたり、右目と左目のちょうど間にrepeatって入ってるんじゃないのってくらい思考がぐるぐるまわる3月はまだ寒いからコートが必要、誕生日プレゼントでもらったモコモコのくつしたが活躍するから寒いのもきっと悪くない。
そろそろ目の前の人がみんなあの子に見える、「ねえXXちゃんと今度会うよ」って話しかけそうになってあっ違う人だったって気付く、わたしとXXちゃんと三人でごはんをよく食べに行ったのはこのひとじゃない。すきなたべものきらいなたべもの、チョコレートがきらいであんこがすき、洋菓子より和菓子がすき、ビールとほうじ茶をおなじくらいおいしそうに飲む、水玉のシャツとカーキのコート、かわいいスニーカーと磨り減ったかかと、よく見たらそれらは全部ここにはないし、微妙にだぶって見えるぶん救われない。
人間にはたいてい目が二つあって口と鼻がひとつ、だから誰でも似たように見えるし、五感と互換を遮断してしまえば目の前に誰がいてもいなくても一緒、ほんとかな、わたし絶対うそだと思う。



こないだすきなひとにiPhoneの3Dマップの3Dと2Dの境界線を見せてもらった。
山手線が世界の境界線になっていた、新宿を出て吉祥寺まで行けば、わたしも多分ドット絵になれる。

2015年3月9日月曜日

20150309-01

それらひとつひとつは取るに足らない作業、家計簿をつけたりお皿を洗ったり読書を記録したり出したペンを筆箱にしまったり、そういう小さななんやかやがたまりにたまってわたしは死ぬんだと考える午前3時は煌々と照るからわたしはぜんぜん眠れない。どこにも行ける気がしないから足踏みするのをやめた、時間を崩すゲームばかりしている。



追悼する人があの子からあの子になりそしてあの子になる、人格が変わるのに据えられるポジションは同じ、絶対誰にも替えがきかない存在なのに「絶対誰にも替えがきかない存在」として彼らは肩を並べる。手を伸ばせば届くけど届くためには手を伸ばす必要がある、その事実が若干不愉快だからわたしはコートから手を出さない。



3月は鬼門、4月は地獄。カジュアルかつポップに飛び降り、花びらが張り付いた真っ黒なアスファルト、さようならからまたひとつ遠くなる距離。