2012年3月25日日曜日

20120325

「あの子のこと、わたしのほうが先に知ってた、わたしのほうがたくさん一緒にすごした、わたしのほうがずっと前から好きだった、なのになんで、なんで、なんで、」
一緒にすごした時間の長さや物理的距離の近さ、そういうものがすべて意味を持たなくなる瞬間がある。人の気持ちは早い者勝ちじゃないのなんて知ってる、痛いくらい知ってる。だけど叫びたくなるときがある、わたしのほうがあの子のことたくさん知ってる、ずっと一緒にいた、わたしのほうがずっとずっと前から、あんたなんかよりずっとまえから、ずっと、なのに、なんで。


こんな主張、意味がない。




***************************************


ずっとほしいなって思っていて、でも購入に踏み切れないものがある。結局人はいつか死ぬわけじゃないですか、ものをもって死ねるわけじゃないから所有物はいつかゴミになるわけじゃないですか場所もとるし、だから何かを所有するってとてもばからしいことじゃないですか、って考えちゃうとどうしても。油断をするとセンチメンタルになっちゃうから脳味噌を弛緩させるべく僕は今日も僕の両耳を下らない雑音で満たす、そうして何事も思考しないよう自分をコントロールしながらダラダラ流れてゆく時間をつぶす。何かを考えたり、生み出したり、後悔したり感動したり、そういうことをせずに時間をすごすのは本当に無意味で、今すぐ死んでしまっても差し支えないくらい無意味だけど、何かに感動したり後悔したり引き摺ったりすると芯が、芯が削られて、立っているのがしんどくなる。毎日ぼーっとするお薬を飲んで半覚醒状態ですごす、半覚醒状態でも社会生活はこなせるしむしろ半覚醒状態のほうが社会生活をこなすのには、向いている。半覚醒状態は痛くもないしつらくもない、でもそうするといっそう、生きていても死んでいても変わらない気がする。でも死ぬってある意味とても能動的な行動だから、究極に受動的であろうとするとダラダラと半覚醒状態で生き続けることになる。し、実際今の僕がそうだ。

半覚醒状態でいつまでもいると筋肉がだんだん衰えていくように心が衰えてゆく、楽しい嬉しい悲しいに反応できなくなってくる、そうするとよりいっそう生きている意味がわからなくなって、よくないですね。よくないってことだけはわかっているけどだからといってどうしていいかはわからない、たいそう、難儀です。






着替えて本屋さんに行こう。

0 件のコメント:

コメントを投稿