2012年3月28日水曜日

20120328

きみの好きなところ変質的なまでに一つ一つ論うことなんて造作ないよやってみせようか、でもきみはちよちゃんじゃないしぼくもみけつかみくんじゃないし僕らは漫画の世界に生きていない、だからぼくの変質的な君への愛情なんて受け入れられるはずもない。
だのにまだ君はぼくの好きを疑うか、そんなにいたくされたいか、そうか。



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人を形作るものは何か、君はどうして君たるのか。姿かたちも性質も君とまったく同じ人間がいるとしたら、それは果たして君といえるか。ぼくはそうじゃないと思う、今までの経験、環境、行動、そういったすべてが今の君を形作っていてだからこそ僕は君のことを好きになったし、たとえばもし過去に戻ってきみが一番後悔しているそれを止められたとしたら、その君は今の君じゃない、いま僕が好きな君じゃない。だからわたしはもし過去に戻れたってたぶん何度でも君を裏切るし傷付ける、そして君は僕と離れて幸せになる、それは運命とかそういうものじゃないんだよ多分。


ものすごくくだらないなと思うことがあったのだけど怒りの矛先がそのくだらないものに向いたのは一瞬で、くだらないものに関わるわたしが悪いんだなって真実に気づいてしまってやるせない気持ちになった。唾棄すべきものがからだにまとわりついて離れない、くだらないってわかっているならなぜそれを捨て置かない。人に対する切ない気持ちや寂しい気持ちときには自分への嫌悪感、そういうものとは違うマイナスの感情、何も生み出さないマイナスの感情を抱くだけの対象をなぜ捨て置かない。吐き気を催すその存在に体の隅々まで蹂躙されてなお身を任せるというのならそれは本当に救われない。気づいたなら早く目を開けろよ。



わたしはもうすこし自分の直感をしんじたほうがよい。
このひとすき、このひときらいって、初めてあった瞬間に思う感覚はとても大事だ。もうわたしもオトナだからずるがしこく、この人きらいだけど社会的に仲良くしておいたほうがよいだろうから仲良くしようって思うのは結局いつか破綻するし、この人きらいって思ったひとと仲良くしておいてよかったためしなんてない。


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ブログの最後の記事が「次のエントリでこのブログは終わります」だった、もう半年くらい更新がないけど次のエントリがないからまだ終わっていないんだ、よかった。

よのなかには素敵なものをつくるひとがたくさんいる。絵だったり文章だったり音楽だったりするけど、だれかの作ったそれが大げさでなく人を救うことがあるし、だれかの作ったそれがぼくの涙腺を崩壊させることもある。だれかのつくったそれのせいでぼくは死にたくもなったけど、だれかの作ったそれであぁもっと生きていたいなぁとも思った。誰かの創作物は完成し人目に触れた時点でその誰かだけのものでなくなる、それは多分仕方がないし間違っていないことなのだけど、誰かの創作物を自分のものにして弄繰り回していつくしんで愛でて愛でて愛で倒すさまを作った人にみせるのは失礼だろうなって思うからぼくはコッソリ一人で愛でたおすんだけどそれでも溢れちゃうことが多々ある。ゴメンネ!って思いながらもだってあふれちゃうんだもんしかたがないじゃんとも思っちゃう。ゴメンネ!





すきなひとがたくさんいる、すてきだなとおもう人もたくさんいる。だけどやっぱり、ぼくの好きな人には、ぼくなんかと関わらないでいてほしいなって思う。これはどうやったら、「ちゃんと人と関わろう」って思えるようになるだろうか。ちよちゃんは少なくとも自分を変えようとしているからえらいよなぁ、ぼくは自分を卑下し反省しているようで「変わる気がありません」と宣言しているようなものだもんな。こまったな。


きみのそういうところはきー、らー、いー、じゃー、ない! もうやめよう!



おふろはいろう。


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