2012年9月16日日曜日

20120916-01

自分のしてきたひどいこと、反省すべき醜い部分、文章にしてリズムを整え書き言葉として推敲するからわたしは多分救われない。後ろめたくはきちんとあるから自分の醜さに疲弊する、だけど望んでいるからやっぱりわたしは救われない、ほらどこまでいっても自分のことしか見事なまでに考えていない。わたしはうそつきだし、ごめんなさいがいえないし、変えられない部分を自覚してその上でもうだれかにひどいことをしたくないから一人でいるのを決めた。ひどいことなんて所詮文章に書き表せられる程度のことしかしていないのになんという傲慢だろう。




罪悪感を額縁に入れて飾ろうとするのは浅ましい。




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人間として最低なことを言うと、僕は君を傷つけたという事実に傷付いている。それが些細なことであろうと100%僕が悪いのであれば死ぬまで毎日罵られ理不尽な目にあいそれでも歯を食いしばりその「罰」に耐えねばならぬのかとげんなりする。「お前が悪い」は一度でいいよ、指摘され逆切れし触れられたくなさに伸ばされる手を払いのけることしか出来ない程度に僕は性格が悪いから、例えばきみが何事もなかったかのように僕を許す/もしくは僕はそもそも君の事を大して傷つけてなんていないよと笑い誤解を解く、そんなふうには到底感じられない。


ほんとはね、僕が誰かのことを、一生引きずるほどに傷をつけるなんて不可能だってわかってる、だからこんな後悔や反省や後ろめたさが全くのムダなものだってもわかってる。二十歳の前途ある若者を塗れた浴槽で出迎え潰し消費したとき、僕はたいそう後悔して懺悔したんだ、でも別に、彼女にとってそんなこと、とるにたらないことだった。これがおこがましいといわずになんと言う?


彼女は今日も明るく笑う、僕のことさえも笑って出迎える、久しぶりだねって言って頭を撫でる、ときには手だってつなぐ。








わたしは下らない人に傷つけられたりしない、だから君も、わたしのせいでは傷付かない。










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買い物に行かなきゃ行けないのにいくのがめんどくさい、どれくらいめんどくさいかというと、「人間はどうせ死ぬときに何かをもってはいけないのだからなにも買う必要はないのでは」という理論が頭の中をぐるぐるする程度にはめんどくさい。その言葉通りもう納得してしまえばよいのにまだ買い物に「行かなければならない」と思っているのはお部屋の掃除をしたいから、なぜ掃除に買い物が必要なのかというと掃除機のパックがないから、という理由のほかに、なにか掃除用具的なものを買い、形から入らなければ僕は到底部屋の掃除なんてしないだろうなと思うから。常に引越しと死ぬことを考えてる、 希死念慮があるわけではなく人はいつ死ぬかわからないから。例えば僕の部屋には僕がもう使わない/且つ価値のないものがゴロゴロある、僕が明日死んだら、だれかがその膨大ながらくたを片付けなければならない、それは大変だろうなあ、そうだ生きているうちにせめて後片付けが楽チンに出来るようにしておこう、そういう動機から僕は部屋の掃除を、いま、とても、したい。したいんだけどめんどくさい、だってよく考えたら死んじゃったらもうどうでもいいじゃん、全部焼き払ってしまえばいいじゃん、いやだめだそれは現実的ではないだってここは借家だし勝手にゴミを燃やすとお上に怒られるから、じゃあやっぱり生きているうちに整理整頓をしなければな、こんな感じでぐるぐるしている。











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文通てなにかけばいいの。見えないお手紙出しちゃだめなの。

なんでわたしと交流したいの、責めたいの償われたいのなんのためなの。
お金もコネも地位も技術もなにもないよ、わたしと交流してもいいことないよ。
罵声を浴びせたいからちょっときてって、言われたほうがほっとする。










掃除機パック買ってくるね。

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