2012年9月25日火曜日

20120925-01

幸せになるための/幸せでいつづけるための「努力」は必ず必要で、もちろんそれを努力と認識せずに続けられている人も多数なんだけれども、僕にはそれは相当な労力で、だから今幸せでいる人を羨ましいと思ったことはないし、妬んだこともない。小さい頃から相当な練習を積みオリンピックに出て金メダルとった選手に対しての感情とおなじ、「すごいな」「よかったね」とはおもうけど、「ずるーい」とか、「わたしもそこになりかわってやりたい」とかは思わない。それを手に入れるために、どれだけ普段の努力をしてきて/していて/していくか、なんとなくわかるからだ。






幸せになるための努力をせず怠惰な暮らしを食んでいるけどこれを持続するための努力は一応しているし現状幸せ、幸せじゃないけどわたし幸せ、ああ幸せとは一体なんぞや。


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あの人のことはすきだけど、それは多分、あの人が年上で頭もよくて尊敬できるから。だから多分、あの人がもし崩れてしまったら、最初はそりゃあ愛おしいと思うかも知れないけど、あの人の背負ってきたもの尊敬する部分その重みが全部ずっしりとわたしにのしかかってきたとき、わたしは支える自信がない。だからわたしは、あの人の手を握れない。
庇護だけされたいただ好きなだけでいたい支えられたい守られたい。こんなのまるで親がほしいみたいではないかとふと思ったが、子供だって親を支えているし守っている、つまりは「こどもみたい」ともいえない、ものすごくちっぽけでつまらぬ感情だ。


それでも都合のいい部分だけ好きにはもうなれなくなった、わたしもいっとうおとなになった。








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今日はわたし20時に寝ると決めたのですよ、でももう21時なので、21時半には寝ようと思うのです。









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