2012年9月9日日曜日

20120909-01

バイクの後ろでぼおっと町並みを眺めていたら、あ、しにたいな、って思った。唐突に、そして久々に訪れるしにたみに、わたしはすこしおどろきながらあまりの懐かしさに苦笑いした。苦笑いしてから、バイクの後ろで「しにたい」なんて思ったらそれがたやすく叶えられてしまいそうでこわいなって思って、必死で下らないことを考えた。すれ違いざま隣の車を蹴ったら怒られるだろうな、いま手をぱっと離したらびっくりするかな、おなかにぎゅっとする代わりに乳首をぎゅっとしたら驚くかな。一番最後の妄想が一番下らなかったので、必死で乳首をぎゅっとすることを考えていた。なんとか事故らずに帰宅が出来たのは、下らない妄想のおかげもあると思う。


スーパーで買い物したら/自転車で駅まで行けたら/電車に乗れたら/ポストを開けて中を確認できたら/おうちに帰ってきたら/靴をはけたら/お風呂に入れたら/髪の毛を乾かせたら/お布団に入れたら、いちいち「えらいね」って褒めてくれる人がひとりほしい。褒められるべきこと/やって当然なこと/いきものとしての本能の行動、それらを全部いちいちほめてほしい。頑張らないと仕事もできないし、おせんたくもできないし、ごはんもたべられないし、ねむれないし、生きていかれない。わたしまいにちがんばってるよ、がんばって息を吸って吐いてしてる、だから全ての行動と活動を、いちいちおおげさに褒めてほしい。





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分析をする、分析をする、分析をする。1に1を足したから2になった、2だったものがいま5あるのは3が足されたから、5だったものがいま15なのは、10が足されたもしくは3倍に増えたからだ。原因がはっきりとは特定できなくてもある程度は絞れるし原因が分かれば対処もできる、だから僕は今分析をする。しにたいのはべつにいい、きえたいのもべつにいい、問題は何がトリガーでいまこうなっているかだ。些細なことがきっかけになる、買ったアイスがあんまりおいしくなかったとか、ポイ捨てしている人を見たとか、電話をかけたら留守だったとか、そんな下らないことでも十分理由になるから、それが何だったかを僕は丹念に探し出す。
理由をいくつかピックアップし適当なものを見繕いそれを無理やり当てはめる。インパクトが弱すぎると自分を納得させられなくてなかなか難しい、大切なのは本当のそれを探し出すことではなくて、いかに自分が納得できる理由をこじつけられるかでもある。今日はなんにもこじつけられなくて、だからといってじゃあ心のままに動いたとしてもさらにドツボにはまることはわかっているから、右にも左にも傾かないように背筋を伸ばして停止する。このまま誰か眉間にパシュンと、麻酔銃を打ち込んでくれていいのに。






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スーパーで食材を選んでご飯を作ってたべたり、お風呂に入ったりお買い物したり税金を払ったり、そういう現実的なものをかんがえたら、あ、だめだな、って思う。じゃあだめじゃないひとがいるのかといったらいない、ああだからわたしはだめなんだな、って思う。

さみしいと思うときに人と一緒にいると余計さみしくなる、そういう性分だから、下らないことを考えてそのさみしさから目を逸らし、誰かの服のすそを握った指をゆっくりひらく。






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ことしあと4ヶ月だって。わたししらなかった。
わたし、ここ5年くらいずっとしんでいて、それがさらに、また1年つもる。



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溺れたときに藁をもつかんでしまうの、転びそうになったときに腕を出してしまうの、器官にものが入ったときにむせてしまうの、そういう反射的な行動、全部やめてしまいたい。ひとりで溺れて、転んで、窒息すればいいのに。







通りすがり目が合った人に人生を全部ゆだねるなんて、あつかましいにもほどがある。








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