2012年12月8日土曜日

20121208-01

あんなに沢山あった、履歴書の束が見つからない。2006年からの手帳あるのに、2010年のだけ見つからない。本気で記憶がなくなるから、手帳や履歴書やそういうものに、「いまわたしは何をしていて、いつからいつまで何をしていた」ってことあるごとに書き留めないと、ポロポロこぼれて忘れてしまう。履歴書を書く、何のためとかじゃなくて、忘れてしまう自分の記憶をピン留めするために書く。書くために昔の手帳を引っ張り出して、わたしの空白期間は2006年から数年間くらいだと思っていたんだけど、2010年もすっぽり抜けてて、うわあ、こんな最近にも欠落が、ってギョッとする。


きおくがない。


高校のとき自転車で二人乗りしてて、後輪に泥除け巻き込まれて前転した。中学のときは二人乗りしてたら鬼みたいな先生に怒られた。神楽坂のピザ屋さんいったりテレアポしたり企画したり歯医者さんで一日歯科助手のかっこしてキャンペーンしたり、そういう断片的なことは覚えてるんだけど、だれとなにをしていて、何の仕事していて、わたしなに考えていて、だれと一緒にいたのかとか、全然全く覚えてない。ずっと夢の中にいるみたいだったし、いまでも夢の中にいるみたいで、多分毎日なにかに日記を書き留めないと忘れちゃう、だから今年はちゃんと手帳買った。
きおくがないって、忘れっぽいとかそういうのじゃなくて、本当に覚えていなくって、それはたぶんつらいことがあったとかじゃなくて、目がぼんやりかすむとか視界にモザイクかかるとか、当時からそんなかんじだったからだと思う、そしてそれはいまもそうだ。世界はすりガラス越しに見えていて、輪郭判るし見てれば見失わないんだけど、一瞬目を逸らしたら、すぐにぼんやり記憶が溶ける。「わたし、のうみそがだんだん小さくなっていってるの」って言って毎月脳のCTスキャンかなんか受けてる友達がいて、もしかしたらわたしもそうなんじゃないかって病院の先生に相談に行ったら笑われたことある。多分ずっとなにか麻痺してるんだと思う、生まれつき視力がわるいひとみたいに、わたしの世界にはずっともやがかかっていて、でもそれは生まれつきだから何も不便はないんだけど、ただ人と話したときに、わたしがあまりにも何も覚えてないのを怪訝そうにされるから、それだけはちょっと恥ずかしいなと思う。
多分これやったっぽいなって記憶とか、あの人と仲良く話した気がするって記憶とか、たくさんあるけどどれも昔見た夢みたいですごくぼんやりしている。だからこそ全ての人のこと、わたし一方的に知ってるだけで相手は自分のこと認識してないし忘れてると思ってるし、だからこそ名前を呼ばれたら、ものすごくうれしかったりするんだけど。でもはっきりくっきり思い出してもしんどそうだから、わたしこうして毎日、ぼおっと生きると思う。



恋とか失恋とか就職とか失業とか破瓜とか自殺とか、なにかしたらわたし覚醒するんじゃないかって、ずっと期待してたけどだめみたいだ。気付いたらすごくこわくなるけど、隣にいる人がいつの間にかいなくなってもすりガラス越しだったらダメージ減しそうだから、うんだからやっぱりこれでいいかなって思う。

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