2012年12月1日土曜日

20121201-01


母の遺骨が届いた。

朝からひどく寒くて、いつもの砂糖も牛乳も入れずにブラックのままであたたかいコーヒーを飲んだ。木箱はかたかたと軽く、その軽さが魂の軽さだとかそんなばかみたいなことじゃなくて、軽快というものは旅立つのにとてもうってつけなことで、だからわたしは、よし、と思った。宅配業者は木箱のほかに、わたしのための食料品と、CDを一枚置いていった。いきるためのものと、しんだひとのためのものと、しんだひと。それらを同時に運んでくる宅配業者に、わたしは心底尊敬をする。



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文章書けないのすごくつらい、しんどい、こんなに書いていて何がだって思われると思うけど、すごくつらい。出てこないの書けないじゃなくて、やっちゃいけないのほうの書けない。 今日すごくすっきりする夢を見て朝6時に起きた、だのに二度寝したらすぐに忘れた。だらだら怠慢が流れていって、抑えるのに一苦労だけど、せっかく何かを頼んでもらったから、それをちょっとやろうと思う。わたしは自分のために何かをすることができなくて、できなくはないしやるんだけど、どうしてもモチベーションがあがらない。自分のためにはがんばれないから人に何かをたのまれるのすごくすき、すきなくせにそっちはそっちで全然技術がなかったり力不足だったりで申し訳なくなる、だからわたしは(自分がなかなか満足にできる)仕事というものが好きなんだけど、個人的に何かを頼まれるというのはやっぱりそれと格別に違っていて、だからなにがいいたいかというと、ありがたい。

わたしずっと、多分、世間に言ったら窘められるであろう羨望を抱いていたんだけど、そのひとだって当たり前に人間で、たとえ幸せそうにらくちんに見えてもそりゃあ辛かったり悲しかったり当たり前にするんだよなって思ったりして、一人で泣いた。なにがよかったかわるかったかなんて主観でしかないから、理不尽に人をうらやむこと人間だったらあるのかもしれないけど、わたしは人のこと羨ましいって全然思わないから、その子のことだけ羨ましくて、でもそんな感情抱いちゃいけないものだと知ってたし、そう思うこと自体申し訳なかったし、ほっとしたし、よかったなって思ったし、ああでもわたしはまだだめだって思ったり、色々ぐちゃぐちゃになってまた泣いた。「ああ、しあわせになってよかったね」とか、「しあわせになってください」と思って泣くとき、その涙にほんのわずか自分への憐憫が入っていて、でもそのほんのわずかくらいは、許してあげようかなって気持ちになる。


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