2012年12月27日木曜日

20121227-01

あげあしとって回りたい、片っ端から回りたい。言葉尻とってつつきたい、きみの全助詞にイチャモンつけたい。事実がたとえそうだとしても、そしてそこに本質がなくても、言ってはいけないことは確実にあって、たとえ君がそれを口にしなくても、それがぼくに漏れ出ているなら、口に出してると同じことだ。


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最近なにもものを見てない、アニメも小説もマンガも読んでない。読んでいるんだけどそうじゃなくてなんか違って、いやそうなんだけど絶望的に違ってて、だからわたしは圧倒的に、きちんとひとりにならなきゃいけない。吐くまで食べた挙句の吐瀉物をこねくり回していじったりできなくなると、わたし多分ゾンビになるのだとおもう。そしてすでにそうなっている気配がして、たしかに今までの、ゾンビらしいゾンビではないのだけれど、ポジティブゾンビって怖くない? 上手く言語化できないししたくもないけど、まあ、そういう感じです。


友達について考えて、わたしは人に堂々と、「友達です」って言える人がいなくて、なぜかというと友達というのは、相互の意思がないと名乗ってはいけないものだとおもっているから。わたしが一方的に好きで、友達だと思いたい人は沢山いて、でもその人たちを「友達」と、称した時点で怒られそうだ。でもこういうしちめんどくさいこと、現実世界じゃ通用しないから、単純に知人の呼称として、わたしは「友達」を使用する。
めんどくさい定義を置いておくと、わたしの「友達」はみんなやさしくて、わたしがしたいことやしてほしいこと、かけてほしいことばやしてほしい反応、そういうものを全部くれる。例えばわたしの名前や存在を、知っていて覚えてくれるだけで嬉しいし、声をかけてくれただけで泣きそうになる、それは本当に大袈裟じゃなくて、みんなどこで計ってたのってくらい、すごいタイミングでそれをくれるから、わたしはわたしの「友達」にすごく感謝をしているし、せかいにありがとうと思ってる。それと同時に、わたしはわたしが思うほど、そんなにクズじゃあないよって思いたい。わたしがどんなことでうれしいかというと、たとえば年賀状あげるって言ってくれたり、こんどXX一緒に行こうって言ってくれたり、単純に話しかけてくれたり、そういうことですごくうれしい。
でもこういうのってすごく、一般的に見たらささいなことだとわかっているし、だからあまりにもそこの部分に大袈裟に感謝をすると重たいかなって思うから、わたしあんまり言うべきじゃないと思うけど、まいにちまいにちうれしいし、わたしがいま奇跡的に、自分の精神コントロールできているのはそういう人たちのおかげだから、わたしいつか、ちゃんと恩返ししたい。

人に甘えるのがすごく苦手で、ましてやすきなひとには、わたし絶対あまえたくないんだけど、なにもいわないのに無意識に、わたしのこと甘えさせてくれるそういうひとたちに、わたしすごく感謝をしている、ありがとう。多分これを読んでくれているきみのことは、わたしはそういう感じに思っているよ、ありがとう。


最近何もアニメ見てないからまたただの日記になった。つまらない。
すごく遠くへ行きたいなと思うけど、多分ただなぞりたいだけだと思うから、それは正しいことなのか判断がつかなくて、でもそういうものなくしてしまったら多分本当に死んでしまう。遠くへ行きたいとか、携帯を投げ捨てたいとか、衝動的に全部やめたくなるくせは多分一生変わらないし、わたしだけのものじゃない。

まともなひとになりたいけれど、完全に死んでまっとうにうまれかわるのは、やっぱり、すこし、いやだ。





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