2012年11月10日土曜日

20121110-02

あの子を一番必要としているのはわたし、だからあの子はわたしに所有されるべき。


例えばここが法廷で、神様がいて、裁判官がいて、陪審員がいて、もしもそうなら多分全員、わたしの主張を支持するだろう。68円のセール食パンはお腹を空かせた餓鬼に与えられるべきものであり、一口舐めて吐き出すような飽満の民に渡るべきものではない。切実度で計れば全員の支持を得られるその決断を、どうしてあの子はしてくれないの。わたしが鬼だから、わたしに食べられるのがいやだから、それともこれは考えたくないけれど、もしかして彼女を好きだから?
おなかが空いたから目の前のごはんを食べた。転んだときに差し伸べられたからその手を握った。全部自分のためにしたことだけど、でなければわたしどうすればよかったの。飢えて死ねばよかった、泥に沈めばよかった、そうしたらわたし以外の何かはきっと救われた。だったらわたしははじめから、そうして死ぬ運命だったの。生きることを浅ましいと、醜いと、あなたは残酷だと責めるあなたのその言葉は、わたしにとってはひどく凶器だよ、それあ果たして残酷じゃあ、ないの。





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花火を見て綺麗だねって言えない、人が死んで泣けない。大傑作に感動できない、君に共感できない。多数は正義でそうでなければ悪だ。戦前の教育勅語に顔をしかめる現職教師のように、きっとわたしが感動できないものは、そういうものだと納得する。だからってわたしが救われる、遠いどこかにいきたいとは思わない、ただ自分をなぐさめたいだけだ。わたしはおかしいわけじゃなく、ただ理解ができないだけだ。「理解されない」というのはひどく選民思想が満たされる気がするけど、今わたしが悩んでいるのは「理解が出来ない」ということだ。これはただただひどくさみしく、自分が欠陥になった気がする。一番さみしいのはわからないことじゃなく、君の意見に微笑めなくて、うなずけないということだよ。それはつまり、きみの特別になれないということだ。




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今日はわたし図書館いく。早く年末にならないかなってここ最近ずっと思ってる。まだ思い出が何もない場所に行きたい、一人で、誰かとの思い出を抱えていった場所は、きっとずっとわたしにやさしい。




かみのけかわかそうね。


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