2012年11月29日木曜日

20121129-01


どこにも文章書けないの辛い、文章の体を成さないのもっと辛い。客観的評価がないと胸を張れないのも辛い、いろんなものが存在しないの辛い。




“ごめんなさい”には2種類ある、ごめんねって相手に伝えたいときと、相手に許しを得たいとき。後者だったとき、わたし笑うしかできなくてこまる。
きちんと対価を提示して依頼した仕事でない限り、相手に何かを変更するよう要求するのは間違いだと思うから、しない。いやなことや不快なことをされたら「やめて」というのはこれに当たらない、そうじゃなくて、もっと切実じゃなくて、でもわたしにとってはものすごく、切実な部分のはなし。言う権利もないし義務もないから、不適切にそれを口にしない。「義務はあるだろ」って言われることあるけど、わたしがないと思うから、多分、ない。それと折衷案は全く別だ。
わたしの気持ちのいろんなものに、全世界に発信できる程度の納得のいく根拠や理由を求められても、わたしそんなのこたえられない。虫がきらいなのも寝ても眠たいのも、猫がすきなのも触られたくないのも、全人類が納得できるような理由なんてわたしあげられない。理由がまっとうにあげられないならばその主張は間違いだって、思うぶんには思ってていいけど、もう根拠とか理由とかどうでもいいから「いや」なんだって、わかってくれないならダッシュで逃げたい。
呆れたときや落胆したとき、かなしくなったときに笑っちゃうのなんでだろう。あれすごく不思議。わたしだけじゃないと思ってる。



わたしはわたしを許せないけど、きみはわたしに許されたい。きみはわたしに似てるから、わたしはきみを許せない。




わたし、精神的に引きこもってこういうこと考えてるのがすごくすきだけど、ザ・おじさんみたいな人がまわりにいるから、バランスすごく保ててる。おじさんにはデリカシーがなく、下品だし下世話だしナイーブさなんて笑い飛ばして唾かけられるけど、「あー人間て、高尚でも下種でもなくただの人間だよなあ」って実感するからたまに話すと正気に戻る。うまいこと言葉が見つからないから全然言えてないんだけど、いわゆるすごく「恩義」があると思ってる(仁義なき戦い的な感じで)。それっていつか返したいし、返せなくてもこう思ってるよっていつかちゃんと言わなきゃだめで、そこらへん、「言えなくても思ってるよ一生」とかいう、甘えた考えが通用しないとちゃんとわたしが自覚してるあたり、すごく教育されたんだろう。
だれかに何かを相談したいなって思ったけど、色々考えていつも飲みこむ。何か具体的に相談しなくても、上記のザ・おじさんみたいに、話してるだけでほっとするひとがたくさんいるから、やっぱりわたしは幸せなんだろう。話してるだけでほっとするというか、思い浮かべるだけでほっとするの域の人がたくさんいて、わたし実際出不精だからそういう人たちに全然会いに行けてなかったりするんだけど、それはそれで、とてもひとりよがりに正しくしあわせで、よいものだと思います。










20121014-
生きながら腐るというが腐るというのはそういうことで、すなわち腐っていくということは生きているということだ。


20121029-
“わたしにはこれしかないのよ”が、ひどく傲慢に聞こえる時がある。きみが大義名分として掲げるそれは、ほかの人も等しく抱えるもので、きみだけに特別なものじゃない。「わたしは呼吸をしなきゃならないから忙しい」「わたしはごはんを食べなきゃいけないから大変」「わたしは排泄行為するから尊い」、そう言って他人を下に見るきみを下に見てるわたしも、多分なにかが間違っている。生きるのに必要なそれらのものを、選民思想のもとに掲げて振りかざすさまが、ぼくにはどうにも耐えがたい。でもこんなに君のこときらいなの、多分自分の嫌なところが、


20121101-
フルーツグラノーラを食べた。牛乳かけて食べた。


20120724-
わたしがいちばん大事なのは


20120730-
わたしは今もう厳かに、「来月から頑張ろう」っておもってるよ。


20120402-
人のことをいいなーとは思っても羨ましいとはおもわなくなった。選べない何もかも、選んできた何もかも、失敗したなってことはあっても今だれのこともうらやましくないからわたしたぶんすごく、しあわせなんだと思う。


20120124-
だれかやなにかに焦がれすぎて形骸化した挙句それが抽象的な存在になってしまうと、もともと焦がれていたそのものや人でさえもその憧れに追いつけなくなって、それに気付いたときに、ああもうこの焦燥感は埋まらないんだなぁと思って途方にくれることがある。現実社会のその対象に触れたとき・自分の思い描くその人とのギャップを感じた瞬間、その当人でさえもわたしの思うそれにはならないのだなぁと思うとすごく寂しくなる。さみしくなるけど、それを悟ってしまえば現実の相手に何かを求めすぎたりしなくなって、もう自分の中での概念の存在を追いかけるだけのさみしさしか感じなくなるから、でもそれがいいことなのかわるいことなのかよくわかんない。






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インターネット≠文章と現実はわたしの中では乖離していて、でも多分、そういうのあんまり理解されない。







他人のこと責めたそのフレーズを、一月前に自分に向けて吐いて自家中毒しており、ちょっと暗いおかしみを覚えましたね。




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こういうの本当に排泄行為だから、びっくりするほどすっきりしてるし、わたし今にせものみたいにポップかつカジュアルだよ。



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