2012年8月14日火曜日

20120811-14-00

田舎から都会に、都会から田舎に飛行機で飛んで移動すると自分がどこにいるかわからなくなる。
さっきまでわたし国道沿いのホームセンターでドッグフード見てた、今雲の上からスカイツリー見てる、30分後満員電車で大荷物を雛のように抱える。今どこにいるかわからなくなる、今わたしここにいるよねって認識した次の瞬間もう移動してる、だからわたしはほっぺたつねり続ける、あっ痛い今本当、あっでももう今はさっき、痛い、本当、過ぎた、認識しなきゃ、今本当、 今って今、今、いま!





時間にあらがえたこと一度もない、しんどくても楽しくても過ぎるの知ってる、だからわたし遠足の前日で死にたいとずっと思ってる。永遠にこない未来を待ち続けたまま水の底に沈みたい、楽しみを楽しみにしたままそれを味わい尽くすことなく沈みたい。



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腕枕してもらって「(腕)いたくない?」ってきいたら「え、いいの?」って言われてちんこゴソゴソ出された。「彼氏じゃないといや」っていったらにっこり笑って黙られた、入れずに達した、夢の中でも男の人は正直だ。
ぼくはそれに、ひどく好感を覚える。


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未来の話あんまりせんでほしい、今この瞬間がその未来と断絶されるのが印象付けられるから約束もしんといてほしい。 改めて目を見つめたりしんでほしい、君とぼく、今日とあした、こことそこの境目を、はっきりつけるのやめといてほしい。すきとかだいじとかいっしょにいたいとか、わざわざ口にしんといてほしい、そんなのわかってるし、それを告げることによって、それが永遠にかない続けるのが無理だということがはっきりわかるから黙っといてほしい。改めて口にしなくたってぼくわかってるよ、君はぼくにあらためて口にしてほしいの、それだったらいくらでもしてあげる、だからぼくにはそんなこと、改めて言わなくていいよ。





きみが「すき」だというぼくは昔のぼくだ、昔のって言っても何年も前じゃないよ、数ヶ月前、数週間前、数日前、数時間前のぼくだ。今この瞬間のぼくはなにもうみだしてないし、数分前のぼくともまた違う。あんまり人に嫉妬しないかわりに、僕は過去の自分によく殺されそうになる、完璧なる比較対象であるところの昔のぼく、それと比べて今の僕は、なんと矮小たる存在か。



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冷静に考えて、すごく醜いなと思うこと多々ある。わざと声を作って口に出してブツブツ呟きながら、ああでもこれが本当の本当だものなあって思って、だとすれば人や世の中やそういうものにさらしているわたしは本当にわたしではなくて、でもそういうわたしでいる時間のほうが今のわたしでいる時間よりもよっぽど長くって、でもだとしたらどっちが本当だといえるのか、ああこうやって気持ち悪いこと呟いているわたしは本当に醜いな気持ちが悪いな、でも呟かずにはいられない、声に出さずにはいられない、声に出して、自分の気持ち悪さをまじまじ観察してにおいをかいで、そうせずにはいられない。すごく醜い、わたしすごく醜い、醜い。










聡く恐ろしい人達にのうみそと心臓を手厚く保護されそれ以外の部分を嬲られる、四肢が壊死し生命に関わる寸前でそれらを切り落とす、意識が飛ぶほどの過度な苦痛は鎮痛剤でカバー、痛みを最大限に、正確に、より最大限に。「そんなことされませんように」ってのは現実問題、ものすごく高望みだったりするけど、だからこそわたしはそれを望む。どうか僕の肉体が、僕の意思に反するところで、誰かに蹂躙されることがありませんように。



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「ねむる」という行動がひどく億劫だから時間がきたらだれかわたしに麻酔銃打ってほしい。お布団にもぐりこみ目をつむる、その行動がひどく億劫、すごくたいへん。夢も見なくていいしある程度強い麻酔銃でも朝ぱっと起きる、だからだれかわたしに麻酔銃。ズガン、パタン、スヤスヤ。「ねむる」という行為、それ自体はとてもすばらしいし大好きな行為なのだけど、眠りにいくというか、眠りにかかるというか、とにかく「ねむる」という行為をしようとするという行為はひどくおそろしい。どうしても非生産的に感じる。できればしたくない、寝たい、寝たいけど、寝ようとしたくない。意識のあるときに「寝」ている状態に向かうという行為をしたくない、億劫、億劫というのは正しい表現だろうか、起きる→寝る、この矢印の部分に当たる行為を、とにかくしたくないんだよ。





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やきにくたべて、納骨堂で迷子になって、おはかでカラスたくさん見て、 こどもとあそんで、いぬとあそんで、いぬのさんぽして、ねこをなでて、帰ってきた。青い池に行ったんだけど、増水しててただのにごった沼みたいになってた。スーパーいったらめんめ売ってた、あれオエとなるからこわい。オレンジとチョコのケーキと、ほっけと、さんまと、カレーと、ピザと、チョコケーキと、あとなんかたくさんたべた。コーラものんだ。老朽化した防風林がどんどん切られていって、ちいさな木がちょこんと植えてあった。しらないトラクターがどんどんふえていく、古いのとくらべるととてもおおきい。実家にいたときの記憶ないから、わたしの部屋がわたしの部屋じゃないのにはもう慣れた。実家にいたときの記憶ないけど、深夜みんなが寝静まった後、一番おおきい車庫で大声で歌ったのは覚えてる。遺影がぽつぽつ増えて、集まる親戚がどんどん少なくなる。小学校の頃立て直した家はどんどん古くなり、祖父母が住んでた離れは廃墟のようだ。7人で住んでいた家には今2人しか住んでいない、だだっ広い、古くなりつつある家を、母が毎日二時間かけて掃除する。古いものは古いままで、手入れがきちんとされているようすは、なんとあらわしたらよいのだろう。


わたしが5歳の頃の、母の育児日記をコッソリ見た。数か月分しか書かれていなくてすこし笑った。わたしが5歳の頃、近所の人が自殺をしたらしい、「(わたし)はしんじゃだめだよ」って母が言い、わたしがなにか答えたらしい。そんなこと、記憶に全くなかったけれど、じゃあわたしが死んだとき母は、そのことを思い出したりしたのだろうか。わたしが死んだとき母は、どんな顔をしていただろう。わたしは死ぬのに忙しかったから、母の顔も父の顔も、全然覚えていない。泣いていたかも怒っていたかも、なにもかも全く覚えていない。死ぬときってなかなか忙しい、忙しいわけじゃないんだろうけど、なにもかも面倒くさかったから、周りの人の声が全部、春の日の朝の目覚まし時計のようだった、「ああうんわかったわかった、わかったからちょっと静かにしていて、わたしもうちょっとねていたい」。







離れて暮らす子供が死んで、悲しいものか。











わたしはとても傲慢だから、「わたしがいきているだけでいいのだろう」と思っている。でもきっとそれは真実だし、わたしにとって、君もそうだ。







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わたしから腐臭がする。




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22時、あとちょっとで23時。
23時だと早いし、0時になるといっきに遅い。
だからだれか、うまいこところあいを見計らって、わたしに麻酔銃を。







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