2014年7月24日木曜日

20140724-02

正しいひとと一緒にいると流される程度の自我だからもう正しいひとと一緒にいるのをやめた、流されることをやめられないから接するのをやめた。どこから見ても完璧に正しいひとたちのその正しさをわたしがうまくなぞれるのは昼間だけで、数ミリでも模倣できたという事実も数ミリしか模倣できなかったという事実もどちらもつらいものでしかなくて、正しさなんて人の数だけあるし正しくなくてもしあわせになんてなれるのに、正しくなさの上に成り立っていて毎日崩れそうなわたしのしあわせが間違っているように思えてしまう、だから正しい人にふれるのをやめた。

わたしのまわりにはわたしみたいな人が多くて、だから自分のことを少数派だとは思ってなくて、それどころかもしかしたら世の中の人はみんなこんな感じなのかなって思うことが増えて、だけどどこかの誰かが言う生きてる上での常識・人間としての常識にどうしてもうなずけないことがある。そういうときにふと我に返るみたいに、そうだ、わたしは正しくなかったんだったって思い出す。
自分は少数派かもしれないと思った瞬間からずっと、『地球上での少数派は絶対数としては果てしなく多数、だから自分は特別だと思ってはいけない』って思いがすごく強くて、そのせいかちょっと油断をすると、もしかしたら本当はみんなじぶんと同じなんじゃないかと錯覚してしまう。

「生きてたらおなかがすくよ」「ねむたくなるよ」と同列で語られる常識は真理で正しい。そう思えないならわたしは生物として間違ってるのかなと思う、多分間違ってる。

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