2014年7月14日月曜日

20140714-01

びっくりするくらい憎めると思った、まるで憎む対象を得るために行動しているみたいだと思った。冷静というか冷徹になれる相手に対してのほうが自分の感情や行動をコントロールできる、それってものすごく残酷だなと思った。
そうやって冷静に自分をコントロールして行きつく先が安定供給される憎しみなら、なんてひどい生産装置なのだろう。例えそれが効率的で優秀な燃料だとしても、燃やしてできる結晶なんて屑にしかならなくて、それでもいいから燃やしたいというなら、なんて愚かなのだろう。
憎める対象は非常に限られている、限られているけど限られた条件の中で無限に広がっているから、少なくもなく多くもない。でも例えば触角にちょこっと触れたその存在を捕えて憎むまで離さないのは、愚かとしか言いようがない行為、人に害なす自慰行為だ。

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電話がとてもきらい、一方的に家に押しかけられてピンポン連打されてでも扉を開けないと不義理、そんな感じがしてすごく苦手。プライベートでわたしが出られる電話は宅配業者か家族くらいで、つまり用件がすぐ終わる相手、もしくは「ごめん今ちょっと無理」ですぐ切れる相手。

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最近自分のとげとげしさに嫌気がさしていたのだけど、10年来の友達が会話の流れで(会話と言ってもメールだ)わたしにはほんわかしたイメージしかないって言ってくれて文字通り飛び上がって喜んだ。10年もつきあっているのにどうしてこのひとはわたしがいらちだということを知らないのだろうという捉え方もあるのかもしれないけれど、わたしはこのひとのまえでは、いつもほんわかしているのだなって思って嬉しくなった。例えば人間にはいろんな面があって、全ての側面を見せられるのがいい関係だとは思えなくて、わたしにいらちな側面があったとして、それを一生出さずに生きていけるならそのほうがいいわけで、だからほんとうはわたし、この子に見せているわたしで一生生きていければいいのにな、と思う。

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