2013年2月18日月曜日

20130218-01

毎日毎日飽きもせず本ばかり読んでいたらふいに投げかけられた疑問文でこめかみ撃たれてわたしは死んだ。決定的な違いを無邪気に指摘されて傷付くのはわたしがそこに分不相応の劣等感を抱いているから、相手に感じる僅かな蔑視は自分の内なる意識のせいで、つまりは全てそういうことだ。


目にうつるものはすべて自分の心情なのだなあとしみじみ思う。あの子の笑顔がかわいく見えるのはわたしがしあわせなせい、あの子の笑顔がおそろしく見えるのはわたしが不幸な気分でいるためで、あの子の笑顔に裏があるのはわたしの心に秘密があるから。


とおい未来のことを考えると、みんな骨になって死んでしまうのだし、人類の素晴らしい功績だってたとえば絶滅してしまった恐竜にはあんまり関係がなくて、つまりはすべて諸行無常で、だから未来のことや生きている意味、そんなものを考えるということ自体がおろかだな、と思う。誰かの成し遂げた偉業に対してきみが劣等感を覚えるのはなんでだろうね、ぼくから見たらきみだって十分、恵まれているしうつくしい。ぼくはきみがきみ自身のことを、ダメだと卑下して苦しむことが、理解できないから同情できない。
すべての価値は心の問題で、つまりは生産性や費用対効果や経済的アドバンテージ、人類の明るい未来に寄与するような目に見える結果が出なくとも、わたしはきみの体温を、かけがえのないものとして評価する。

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