左様ならという言葉がひどくしっくりくる雨の第三週、わたしは砂丘でコーヒーをすする。ひどくぬるくなったそれはしかし確実に苦く、格好をつけずにお砂糖とミルクをたんまり入れればよかったと思う。わたしの町がテレビに映る、切り取る角度一つでこんなにも知らない町に見える、まるであの子みたいだと思う。脳細胞が毎秒死ぬからどんどんばかになる、遠くまできてしまったのは陸続きなのがいけない、わたし、ロシアやアメリカに住んでいなくてよかった。
あたし東京のどこにいるかご存知ですか、ああご存知でしたか、実はもうそこにはおりません。飲みかけで放置した缶ビールは気持ち悪いから投げ捨てた、眠る前まで親密だったそれ、今はひとくちも口をつけたくないそれ。
自分の気持ちがどうにもならないのと同じくらい、他人の気持ちもどうしようもない、八王子から四国まで自転車でいけることをわたしは知ってる。キャッチーなフレーズだけ耳に残ってしまって仕方ない、回数を重ねるたびセンチメンタルが消えていってわたしは切ない、ほんとうにかなしいのはなんともなくなるということだ。
口に出せる程度のわがままをもたなければならない。
あたし東京のどこにいるかご存知ですか、ああご存知でしたか、実はもうそこにはおりません。飲みかけで放置した缶ビールは気持ち悪いから投げ捨てた、眠る前まで親密だったそれ、今はひとくちも口をつけたくないそれ。
自分の気持ちがどうにもならないのと同じくらい、他人の気持ちもどうしようもない、八王子から四国まで自転車でいけることをわたしは知ってる。キャッチーなフレーズだけ耳に残ってしまって仕方ない、回数を重ねるたびセンチメンタルが消えていってわたしは切ない、ほんとうにかなしいのはなんともなくなるということだ。
口に出せる程度のわがままをもたなければならない。
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