2015年11月4日水曜日

20151104-01

望んでも望んでも絶対叶わないって痛いほどわかっているから願望さえ浮かばなくなってしまった、叶わない夢だって空想するだけでも楽しいはずなのに、現に授業中テロリストが突然やってきた挙句秘められた力が突然開花したらどうしようって考えるのは楽しいし今でも考えてしまうくせに、どうしてわたしはなんにも望まなくなってしまったのだろう。ふれたいもの、たべたいもの、かけてほしいことば、うたいたい曲。わたしの想像するそれらは本当にわたしがしたいことなのか、それとも本当に望んでいることを諦めてしまっているから浮かんでいる妥協のものがこれなのか、わからないままでいないとわたしきっとだめになる。


一生叶わないことが山ほどあって、叶うことのほうが少ないくらいなんだけど、それでもそれを「一生叶わない」ってわかってしまうのはとてもつらい。わたしは人間は本当は空を飛べると思っていて、じゃあなんでわたしは空を飛べないのかというと絶対飛べるはずがないと思っているからだと思っていて、つまりわたしが一生叶えられない願望って言うのはわたしが諦めてしまっているのが悪い、全部自分に原因を求めるのは自意識過剰だけどどうしてもそう思うから一生叶わないし叶えられないほうを選び取ったのも自分だと思っている、思っているし、ある程度はきっとそう。





キャラメルホイップのクレープ、公園までの坂道、何棟も立っているおんなじような団地、大きなマンションの小さな裏口、古本屋さんのにおい、心中のあった上水、おおきなスーパーマーケット、帰り道でいつも見かける野良猫、通勤路になった観光地。





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死んだように生きているけど、それでもう10年くらいたつの すごくない?


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