2015年11月1日日曜日

20151101-01

さみしいんだったら好きな人の書いた文章読みゃいいんじゃんって気付いたから文庫本片手に家を出た。外人墓地、羽根木公園、仙台のホテルと早朝の海、生クリームの入ったメロンパンとリッケンのギター、季節はもうじき冬になる。



「わたしはどこにも属していない」、そう、わたしはどこにも属していない。あまいコーヒーが飲みたくなってカフェのレジ待ちの列に並んで、あと1人で注文口というタイミングでやっぱりそんなもの飲みたくないって気付いて店員さんにメニューを返してお店を出た、こういうことばっかり好き勝手にできる道を選んだからわたしはどこにも属していない。根っこがないからフラフラできるけど根っこはないんじゃなくて腐って溶けてしまったのだと思う、わたしは、どこにも、属していない。



朝5時の大通りはひんやりしていてコンビニエンスの空気も違う、わたしの知っている日常に切り替わるのは午前6時、あと一時間で魔法がとけてしまう。元気ですかって聞いたら元気じゃないよって返事をくれたあの子、いざとなれば職場に乗り込めばいいと思っているのは、嫌われたらどうしようという考えがわたしにないから、つまりあの子に嫌われるかもしれないという可能性がわたしのなかにないから。

どこにも属していないわたし、誰にも属されないわたし、区分けをしたらあまってしまう。


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選び取るという行為は残酷すぎるからもう直視できないのに肌にひりひりする、毎秒毎秒実感させられなくても十二分に自覚しているのにかみさまはいじわるだ。太いジーンズ、はんだごてのカス、黒猫と山間、ささくれたスティック、くろいつる。わたしたち、思い出すたびに何度だってさようならができるよ。

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