2015年2月14日土曜日

20150214-01

「放置イコール停滞」だなんて愚者中の愚者の陥る罠、「放置イコール緩やかな死」だしそれはイコール緩慢な自殺だ。小学生の時朝顔を育てませんでしたか、お水もやらず日向にも出さなかった斎藤くんの朝顔はどうなりました? 放置すると朝顔は枯れるし人は死ぬ、「人」には自分も含まれる。

明日死ぬかもしれないから出し惜しみはしないでおこうとした結果去年の自分がサイコーによかったという状況で迎えた今日、わたしは絶望して100メートル先に見える「最後尾」の札の後ろに立つ。費やした時間や労力が気持ちに比例するとは言わないけれどそう錯覚してしまうことがある、割いたリソースの多少によって思いの強さを測ろうとするのは愚。わかっているけれど無意識で値踏みをしてしまう、去年のわたしはサイコーだった。

行きたい場所がどこにもないなら自分の中に潜ればいいのに、目の前の時間を暇と認識して持て余した瞬間わたしは死ぬ。目を開けて死ぬとふと飛び込んでくる文章があって、それで再び生き返ったりする、だからわたしは死んでしまうのは仕方がないとしても、せめて目を開いたまま死にたいと思っている。

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