2013年5月4日土曜日

20130504-01

僕と君は両思いだけどもお互い片思いですらない、ある一点に於いては僕は確実に君に恋をしない、君も確実に僕に恋をしない。例えば「君の見た目が好きだ」と言われた女子がそれに絶望を覚えるような感覚が僕には酷く滑稽に思える、なぜなら見た目だって立派な彼女の一部だからだ。性格が好きなら嬉しいの、地位や名誉なら悲しいの、「好き」の対象を自らの構成要素のどこだと追及するからそんな愚かなことを考えるのだ。

だけどもしかし、自らの構成要素のあるひとつに「自分」が詰まっているかのような気持ちになるのはわかる、ほかならぬ僕だって、そうだ。でも僕が思う僕の構成要素は恋愛としての好意的感情には不必要むしろ排除すべき要素、だから恋人である彼女に僕のこれを好きになって愛して愛でてと要求するのはおかしいし要求すること自体が誤り、だけどもたまに考える、僕も君も、お互いの核たる構成要素はなかったものとして触れ合う、これが健全かというと健全も健全1000%健全、だけどもどこか若干の、虚しさみたいなものを覚えるのは、多分僕の、甘え。

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ねえわたしは死んじゃったものが好きだ、死んじゃったものが好きだよ。例えばビデオテープにあの瞬間を残しておけば今こんなに寂しくなかったのかな、やっぱり同じように寂しいのかな。わたしの好きなものは全部死んじゃったんだってこの間まで思っていたけどおそらくそれは誤りで、わたしは、好きなものが死んじゃわないとそれが好きだったって自覚できないのかもしれない。死んじゃったものを好きなのは憐憫に浸りたいわけでも対象に干渉したくないわけでもなく、死んじゃったものならば僕がそれに嫌われることがないからだ。

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