2014年8月25日月曜日

FEELYOUNG9月号 高野雀さん『わたしのニュータウン』

わたしが実家を出たのは高校一年生の時、だから15歳とかそのへんで、一人暮らししてからは実家になんてめったに帰らなくなったから、実家で暮らしていた時がどうだったかもうあんまり覚えていない。小学生の時はどうだったか覚えていないけれど中学生のわたしはもう間違いなく毎日家を出たくて仕方なくて、高校生になれば家を出られることは既に決定していたけれど親の金で家を出るということが癪で、だけども癪って言ったってどうしようもないからせめて、地元で一番の進学校へ行こうと思って勉強ばっかりしてた。中学の頃のわたしは本当にテレビもほとんど見なくって、SMAPってグループが誰だかわからなくて学校で肩身が狭かったりしたけど、だから余計に勉強ばっかりしてた。家を出てからの一人暮らしは快適で全然寂しくなかった、実家からそこまで離れているわけでもないのに実家に帰ることはほとんどなくて、お正月や大晦日も一人で年越しをしたりした。

中学の同級生で一緒に東京に出てきた子が、数年前実家に帰った。同じ町出身だった彼女の実家はいつの間にか隣の町に引っ越していた。別の友達は両親が今年転勤になり都道府県まで変わった。

なんだかんだあって親とは絶縁したりなんとなく戻ったり、そんな感じで今では年に一度くらい実家に帰るけど、このまま永遠に実家に帰らなくても、実家は一生なくならないとわたしどこかで思ってるって気付いた。両親は多分わたしより先に死ぬけど実家はそこにそのままずっとあると思っていて、頑張って集めた横溝や乱歩も、二度と開きたくない卒業アルバムも、実家の押し入れのどこかにある。それが日頃心の支えになることは決してないんだけど、多分根底で、支えとも言えないような、当たり前の、空気みたいなものとしてある。でも実家が絶対なくならないっていうのは間違いなく錯覚で、隣の町に引っ越してしまった友達みたいに、もしくは両親の死によって、わたしの実家だっていつかはなくなる。 友達が隣の町に引っ越したとき、隣の町なのに、ああ、あの町にはもう彼女はいないんだって、ひどく絶望的になった。わたしは今、わたしの実家もいつかなくなるということを、頭では理解できてもどうしてもうまく想像できなくて、だから彼女が隣の町に引っ越した時のさみしさを、なんとなく考えたりしている。


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(上記はフィクションです)
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みたいなことを、FEEL YOUNG 9月号、高野雀さんの『わたしのニュータウン』を読みながら思いました。次のフィーヤンが9/8くらいに出るからそれまでは本屋さんにあるのかな?
わたしはなにかの作品に対しての感想がうまく言えないんだけど、すてきな作品を読むとしばしば、作品とは直接関係のない自分自身の問題とか思い出について考え始めてしまう。高野さんの『わたしのニュータウン』も、読み終わってから、今ここに書いたようなことを考えていました。直接的な感想じゃないからだから何?って感じなんだけど、高野さんのまんがを読むとわたしはいつも、多摩川で見た夜景とか、公園に放置されたグランドピアノとかを思い出します。確実に昔そこにあって、わたしの心の中に確かにあって、でも触れない蜃気楼みたいな思い出、もしくはまぼろし。


高野さんのまんがはわたし『さよならガールフレンド』 が死ぬほど好きなのだけど、まだ販売してるみたいなので、在庫があるうちにぜひ。

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