2013年7月24日水曜日

20130724-01

強い音楽を聞きながら強い小説を読むと頭の中がぐちゃぐちゃする、耳と目とで脳を引き裂かれるようで、音楽にも文字にも集中できないけど、たれ流される音楽はそのままに流砂を泳ぐように無理矢理文章を読み進めていくと脳味噌と意識がぐちゃぐちゃ汚らしく混ぜたサラダみたいになる。音楽を聞く耳と文字を読む目がそれぞれあるのに処理をする脳味噌は一つなんだと切実に思い知らされる。

強いというのは激しいとか刺激的なという意味ではなく心がかき混ぜられるようなという意味で、最初から心がかき混ぜられるものだと覚悟ができていれば脳味噌もそれだけに集中するけれど名作や名曲や思い出が付随するものではなく聞き流せる・読み流せると思ったものから不意打ちで受けるミキサーみたいな衝撃は、感じた瞬間耐えきれずにブレーカーひとつ落としてどちらかに集中することもあるけれどこうして引き裂かれてどちらもきちんと頭に入ってこないまま消化不良で飲み下すこともあり、それはとても贅沢だけれど苦しい行為で、続けるうちに強い音楽や小説そのものよりもあたまのぐちゃぐちゃ具合にばかり意識が行くようになり、音楽を聴いて文章を追いながらなにが今わたしの琴線に触れていて、なにが今ミキサーの刃となってわたしをかき回しているのだろうとか考えてしまう。

音楽と文章には相性があるけどそれすら合わせない、出た目のものをぐちゃぐちゃ混ぜるみたいな行為は意識してできるものじゃなく、いろんな条件が重なって偶然発生し、その上でわたしの体力と気力があるときだけ楽しめるものだけどその苦行で無為な行為がわたしはほんのすこし好きで、だから今日わたしは中央線で26分間、ミキサーされていました。

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