2013年10月17日木曜日

20131016-01

視界に広がる風景が、5年前のそれだったから泣けて仕方なかった。風景の相似とだからこそ際立つ欠落、下手なドラマや小説のようにそれの名称を声に、音に 出して呟いてみると涙が加速するのなんてわかりきっているのに、そうしないとなにかに栓をされてわたしの中身が腐って醗酵し膨らんで小さく爆発してしまうと思ったから、そうした。右を向き寝ころんで泣くと、当然だけれど涙が横に流れて、頬と枕の間に挟まれている髪の毛を濡らす。これはもしかして右のフェイ スラインの髪だけぐねぐねと妙な癖がつくのではと心配になったから、頬に手を当てて、髪の毛から涙をシャットアウトして泣いた。


今何かがほしいのではなくて、なくなった時間や光景そのものへの恋慕は、薄れるどころか深まるばかりなのだと思う。それを思うたび自分の愚かさを突きつけられるようで、だからそのもの自体に対しては泣けないし、でも本当は、声を上げて泣きたい。



フラッシュバックするいろいろが薄れるのを期待するのではなく、慣れるのに期待している。なくなったものやひとや場所、なくしてしまったそれら、わたしが罅を入れたそれら、それによって変容してしまったそれら。蓋をして見ないことで防御をしていたけど蓋を取ってそれを乾燥させてかさぶたにする作業がこれからで、だからわたしが今泣くと、またそれらがぐずぐずになるし、だからわたしは、泣いてはいけない。

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